**+ 小さく淡く瞬く星


8.雲間の流れ星





「それで、なんて書いてあったんだ」

「アリスはハートの城にいる・・・会いたければ、そちらから出向いてくればいい。だそうだ」

執務机で頬杖をつきながら、塔の領主はひらりと一枚の紙を掲げて見せた。
それを受け取って目を走らせる。
内容は、ナイトメアが要約して読み上げた、そのままだ。

「城へは、トカゲが行ったんだったな」

それ以上なんの情報もない紙切れを返しながら問いかければ、受け取ったナイトメアの表情が曇る。

「それがだな。ちょうどこれが届いた後に、外回りをしていた別の部下から報告があってな。グレイはどうやら帽子屋屋敷に向かったらしい」

「なんだ、城へは行かなかったのか?」

「行ったんだが、アリスはいないと言われたそうだ」

「・・・?どういうことだ」

「ただ、すれ違っただけかもしれないが・・・おかしな話だろう」

組んだ両手の上に顎を乗せたナイトメアの、色素の薄い灰色の瞳が細められる。
ハートの城からの書状と、ハートの城へ行っていたグレイが、そう変わらぬタイミングでクローバーの塔の元に来ている。
塔付近で、グレイに伝言を託されたその部下はおそらくすぐにナイトメアの元へ報告に来たのだろう。
そしてその前に、ハートの城からの書状が届いていたということは、グレイが城を出るより前に書状を持った者が城を出たということだ。
書状の内容に偽りが無いならば、グレイが城を訪ねたときにもアリスはそこにいたはずだった。

「白ウサギの画策か・・・?」

「いや、それはない」

もし、アリスがいることを外部に隠すなどして、アリス自身を城へ引きとどめようとするとしたら、それはアリスに執着する白ウサギだろうかと思ったが、ナイトメアは即否定する。
そして、書状の入っていた封筒を寄越した。
受け取って裏返せば、城の宰相であることを示すイニシャルの封蝋が押されていた。

「この書状は、女王からではないのか」

「そうだ」

グレイは、アリスを連れ去った犯人をエースだと決め付けている。
決め付けているし、おそらくその通りだろうと、ユリウスも予想していた。
あの迷子の男のことだからと森の捜索も続けているが、いそうな場所には見当たらないと報告を受けて、グレイはハートの城に向かったのだ。
森を捜索する部下からの報告を受けてからのグレイは、ひんやりとした冷気が漂ってくる、人間冷凍庫のようだったんだと、ナイトメアが普段から悪い顔色を更に悪くさせて訴えてくる。

「この私に、アリスの捜索に加われる余裕ができるくらいに早く仕事を進ませろと、何度も何度も念を押すんだぞ・・・まるで、呪詛みたいだった・・」

おそらく声には出さずに、無言の圧力をかけつつ、暗い思念波を送り続けたのだろう。
思い返しているらしい、ナイトメアが呻きながら吐血するのをユリウスはちらと見ただけで何も言わなかった。

「それより、そんなトカゲがアリスの所在の確認を、顔なしなんかで済ませると思うか?」

「それより・・?あれは本当に精神に来るんだぞ。はあ・・・・。・・いいや、済ませないだろうな」

血で赤く染まった書類をさりげなく処分しようとしながら、ナイトメアは答える。
グレイはハートの城で、顔なしではなく役持ちの誰かから「アリスはいない」と言われたから、帽子屋屋敷に向かった。

アリスがいるから迎えに来いと書状を届けさせたのは、ハートの城の宰相、ペーター=ホワイト。
グレイが彼に会ったのなら、アリスは今頃、塔に戻ってきている。
連れ去ったと思われる犯人なのはおそらく、ハートの城の騎士、エース。
仮にグレイがエースと会ったときに、すでにアリスがエースの元にいなかったとしても、部下に「アリスはいない、と言われたから」などという伝言は残さないはずだ。
怒り心頭のグレイが、何の情報も得ずにエースを解放するわけもない。
途中ではぐれたにしろ、誰かに預けたにしろ、エースの手元を離れた場所を詳細まで聞き出し、そのことも部下を通してこちらに報告するはずだ。

そして、ペーター=ホワイトの書状がある今、確かに城にはいたという証拠がある。
城にいる残る役持ちは、あと2人だが・・・。

「おそらく、そうだろうな」

影の薄い男の顔を意図的に除外して、ユリウスの思い浮かべた残りの1名に、ナイトメアが頷いて同意を示す。
グレイに「アリスはいない」と嘘をつき、エースかペーターか、どちらかの元にいたアリスを自分の元に隠した。

「ハートの女王か。厄介だな」

「彼女も、アリスのことは相当気に入っているようだからな」

腕を組んでため息を吐くユリウスに、しかめた顔でナイトメアが言葉を続ける

「手元に置き留めたいという気持ちも分からないでもないが・・・少々嫌な予感もするな」

「嫌な予感、だと?」

「私に苛立ちをぶつけるなよ」

いっきに剣呑な表情と低さを増した声に、ナイトメアが体を少し引く。
嫌な予感がすると言いつつも、ナイトメアはこの場所をそう簡単には離れられない。
グレイがいないならなおさら、塔の主従が二人揃って長時間帯、領土に空席を作っていいわけがなかった。
沈黙が続き、ユリウスの眉間に皺が寄る。

「・・・・はあ。分かった。私が行く」

重苦しい声で伝えれば、ナイトメアは心なしか肩の荷が下りたというように、椅子にずるずると身を沈めた。

「悪いが、よろしく頼んだぞ」

言ってそうそう踵を返した、ユリウスに向かって声がかけられる。
椅子に沈んだせいで姿が見えなくなったナイトメアのその手の先だけが、周りに詰まれた書類の間からひらひらと振られていた。




「・・・・遅いっ」

「・・呼ばれたかと思って、わざわざこんな忌々しい昼間から出向いてみれば」

久しぶりに訪れたかと思えば、第一声に詰られる。
ブラッドはため息をついて、その相手を見た。
いつものお茶をするための白いテーブルではなく、珍しく木の枝から下げられたブランコに座っている、赤い服の女性。
その膝の上には、金茶色の髪をした小さな女の子が抱えられている。

「・・・姉貴が、年甲斐も無く人形遊びかと思えば。お嬢さんなら、仕方が無いな」

近づいてよく見てみれば、毛先が内側に巻かれた金茶色の髪は、いつもより少し色が薄くて線が細い。
髪と同じ淡い金茶色のまつげの下、閉じられた瞼を開けば青い空が覗くだろう。

「で。何か分からぬのか」

「・・・まだ、私は何の話も聞いていないのだが」

せっつくようなビバルディの声に、ブラッドは少女に向けていた視線を上げる。
目が合えば、ビバルディの視線はすっとそらされた。
こころなしか、その顔に焦りが見えた。

「・・・ふむ」

「・・なんじゃ。なんぞ言いたいことがあれば、言えばいい」

顎に手をあてて考えたように見るブラッドに、ビバルディの機嫌は更に悪い方へ傾いた。
薔薇園にいるというのに、このイライラとした様子。
腕の中には、愛しい少女を抱えているというのに、だ。
もう一度、膝を折ってしゃがみ込み、少女の顔を覗き込む。
そこまで近づいて耳を澄ませば、小さく寝息のような息遣いが聞こえてきた。

「・・・・・」

手を伸ばして髪に触れ、その指先を滑らせて柔らかい頬をくすぐるように撫でる。
寝ているだけのように無防備な少女のその口元に、手袋を外した素の親指をあてがって、そのまま押し込めてみた。

「・・・・・」

「・・・やめんか」

じっとブラッドの行動を見ていたビバルディが、その指先からアリスを遠ざける。
湿った指先が空気に触れてひんやりとした感触を伝えるが、それだけだった。
少女は眉を寄せて怒るでもなく、むしろ微動だにしない。
・・・反応が、何もなかった。

「はあ。お嬢さんは、いったい何をしたんだ」

「何を作ろうとしたのだか。実験に失敗したようだ」

「やれやれ。お嬢さんは本当に、とんだおてんば娘だな」

言いながらも、その瞳は真剣にアリスの様子を探っている。
手の平が伸ばされて、ボレロの下の胸元にあてがわれる。
伝わってくるのは、時計の針の音ではなく。

「・・・はやいな」

以前に何度か無理やり聞かせてもらった時は、もう少しゆっくりとしたリズムを刻んでいたはずだ。
トクン、トクンとなっていたはずのそれは今、トットットットッと時計の秒針でさえ追いつけない早足で駆けている。
急いで元の姿に戻ろうと焦る心臓の音と、何の変化も起きずに時を止めたままの体、といったところだろうか。
このままの状態が続けば、オーバーヒートした心臓は、先に壊れてしまうだろうか。
時計の針を進めれば良いという、簡単な話ではないようだ。

「お嬢さんのこれは、われわれのものと違った特別製、だからな・・・」

「ブラッド・・お前でも治せなんだか?」

「リスクが高すぎる。・・・出来る限り無理に干渉しないほうが良いだろう」

眉を寄せ、いたましげに少女の顔を見る弟に、その能力に少しばかり期待していた分、ビバルディを失望と焦燥感が襲った。
このまま、人形のように腕の中にいてくれるなら、最早それでも構わないが、何もせずに腕の中からすり抜けていくことなど、許せるはずも無い。
美しい赤い爪を口元に近づけた、ビバルディの手は白い手袋をした手によってとめられる。
見上げれば、呆れたような顔をした愚弟がこちらを見下ろしている。

「・・・それで。姉貴はまた、壊れたぬいぐるみをクローゼットの中に隠すように、お嬢さんをここに連れてきたのか」

「っ!!・・・・そうか、ここにも来たか」

「ああ、来たとも。トカゲが一匹、単身で乗り込んできてな。・・・あれはいつも堅苦しくて面白みが無いが、今回は色々と面白いことになっていたな」

少し若返った姿で乗り込んできたトカゲのことを思い出して、ブラッドは軽く笑う。
ビバルディはふてくされた子どものような顔をして、そっぽを向いた。
昔、親からもらったぬいぐるみを早々に壊して、見つからないようにとクローゼットに隠したときのように。
いくら保護者気取りの者たちの目から隠そうとも、この世界は広いようでいて狭い。
消去法で居場所がばれるのも、時間の問題だろう。

「だが、ここなら見つかるまい」

むきになるように、腕の中の少女を抱きしめるビバルディの瞳は、いつもより弱弱しく不安そうに少女のつむじを見下ろしていた。

「塔に預けるのが、取り合えずは一番良いのだろうがな」

「あやつらは、アリスを閉じ込めてわらわにも会わせてくれぬ」

引きこもりと世話好きが付いていれば、塔の中で何の不自由もさせないだろう。
まあ今のアリスの状態を見れば、当然の対応だろうが。
それでも、誰かが連れ出さなければ、こんな滅多にない興味深い姿のアリスに、会うことすら出来なかったというわけだ。
少しでも手元に留めて、愛でたいと想う姉貴の気持ちも分からないでもない。
その眼前に、両腕を伸ばす。

「とりあえず、お嬢さんはこちらで預かろう」

少し悩んだあとに、しぶしぶとその人形のように力の無い少女の体を、こちらによこす。
抱き上げた軽い体は、子ども特有の少し高い体温を保っている。

「それで、どうするのじゃ」

「お嬢さんが行っていた実験のことは、こちらでも調べよう。とりあえず、お嬢さんが起きたら知らせを送る」

腕の中のぬくもりが無くなって、ビバルディは少し肌寒そうに両腕を組む。
ため息をついてブランコから立ち上がり、城への道を歩き出した。

「お前は常々愚かな弟だと思うているが、アリスに関しては愚かではないと証明してくれや」

任せたと小さな声で呟いて、姉の小さな背中が薔薇園の茂みの向こうへ消えた。

「さて・・・」

いつになく気弱な姉という、稀有なものも見させてもらった。
本当に退屈させない、面白い少女だ。
自分としても失うつもりは無い。




「お前は・・・こんなところでいったい何をしてるんだ・・・」

城のメイドに城内の案内をさせていたところで、出くわした光景。
ただでさえ、外出ということでたまるストレスと疲労感を倍増させる。

「あれ?ユリウスがハートの城にいるなんて珍しいな。・・・何をしてるのかって、見て分かるだろう?」

はははっと笑う、ハートの騎士ことエースは、城の廊下に座り込んでいる。
正確には城の廊下にテントを張って、どこから持ち込んだのか薪に火をつけて、何か得体の知れない肉を焼いている。
ちなみに、ここは城の廊下であって、屋内だ。

「・・・こんなところで野営をするな。休みたいなら部屋に戻ればいいだろう」

「いやー、それが部屋にたどり着けなくってさ。さすがの俺も何時間帯も歩き続けられないし、旅には適度な休憩とエネルギー補給も必要だろう」

「メイドにでも案内させればいいだろう」

「俺、あんまりそういうの好きじゃないって、ユリウスは知ってるだろ?」

そうだ。
このやり取りも、問いかける前から答えは予想できていた。
それでも、言わずにはいられなかったのだ。
隣でどうすべきかとおろおろするメイドにこれ以上の案内を断り、腕を組んで火加減を見る赤いコートの男を見下ろす。

「おい。それよりエース」

「ああ、ちょっと待ってくれよ。あとちょっとで良い具合に・・・ほら、ちょうど焼けたことだし、ユリウスも食っていくよな?」

「いらん」

どこで獲ってきた何の肉かも分からない、そんな得体の知れないものを城の廊下で野営をする相手からもらう趣味は無い。
じろりと睨めば、焼きたての肉にかぶりつこうとしたエースは、しぶしぶそれを元の場所に戻した。

「分かってるよ。ユリウスがわざわざこんなところに来たのは、彼女のことだろう?」

「・・・はあ。やはりお前か」

なんだ、ばれちゃってたのかと、エースはあっけらかんと笑っている。
その頭に拳骨をくらわせ、痛いなーと嘆いてみせるエースに、続きを促す。

「えっと、今はアリスはここにいないぜ。ペーターさんに連れてかれちゃって、城に先に着いてるはずなんだけど・・・城では会えてないんだ」

自分の部屋にも辿りつけない男のことだ。
会えていない、というのが、アリスに会いに行こうとして迷子なのか、それともアリス自体がすでに城にいないのかすら分からない。
書状を寄越した、城の宰相である白ウサギに話を聞きたいが、今目の前にいる男にその居場所を聞くことほど、愚かなことはないだろう。

「分かった、もういい」

「あ、そういえば。アリスは熱を出してたぜ」

「!?」

踵を返してさっさと立ち去ろうとしたユリウスに、エースが何でもないことのように付け加えた。
ユリウスの眉間に皺が寄る。
振り返った険しい顔に、エースは底の見えない笑顔を浮かべる。

「ペーターさんが連れ帰ったから、きっと献身的に介護してるはずだけど」

塔の中から誘拐よろしく連れ出して、旅と称して振り回し、挙句の果てに体調をわるくさせたという。
なのに、悪びれもせずに笑う、狂った騎士。

「ああ、アリスには今度会えたときに謝るよ」

「・・・ふん。勝手にすれば良い」

にっこりと笑う男に背を向けて、今度こそその場を後にした。





◆アトガキ



2013.2.4



気弱な姉と、その愚弟のターン。
ハートの城から帽子屋屋敷へと舞台は移ります。
空振りしたグレイがどんな感じで帽子屋屋敷に乗り込んで、門番とすったもんだのやり取りを繰り広げたのかは、ご想像にお任せ!

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