**+ 小さく淡く瞬く星


6.腕の中の幸せ





膝を抱えてうずくまるアリスの足元に、すっと人影がかかる。
辺りは夕焼け色に染まっていて、自分が思ったよりも長くここにいたことが分かる。
そんなに長いこと、自分はこんなところでぼおっとしていたのだろうか。
妹に怒って手を上げて、姉さんを困らせて、あんな顔をさせて。
なのに、姉さんは自分を探しに来てくれたのだろうか。
のろのろと顔を上げかけた、その眼前に白いものが差し出される。
白い、手袋をつけた手。

「アリス。帰りましょう」

はっと顔をあげれば、そこにいたのは予想していた姉ではなかった。
長い白い耳と、赤く鮮やかな宝石のような瞳。
ハートの城の宰相、案内人の白ウサギ。

「ペーター・・」

驚いたまま動かないアリスを、いつかのようにひょいっと持ち上げて。
でも、肩の上に担ぎ上げるのではなく、腕の中にすっぽりと抱き上げる。
いつの間にか、アリスは実験で失敗した、小さな子どもの姿になっていた。

「姉さんかと思ったわ」

「僕じゃ、不満ですか」

「・・・いいえ」

いつもの大きさだったら、あの白い耳に手が届くのに。
アリスを抱えたままどこかへと歩く、ペーターの、その歩調に合わせて揺れる2本の白く長い耳。
ふわふわと揺れるのを、下からじっと見つめる。
とても肌触りが良くて、ずっと触れていたいと思う。
手が届いたら、きっと頬ずりをしてしまうだろう。

「・・ここでは叩いた痕も、壊れた本も、元通りになるわね」

姉さんは、引っぱたかれて赤くなったイーディスの腕も、叩いたことで赤くなったアリスの手の平も、平等に、その綺麗な手で優しく撫でた。
ずっと姉妹で仲良くしていって欲しいと、願いながら。
そんなロリーナに、アリスは思った。
姉さんさえ、いればいい、と。

「ペーター・・・来てくれて、ありがとう」

ペーターは何も言わず、アリスを抱えたまま歩き続ける。
その見慣れた赤いチェックのコートの胸元に、アリスはそっと頬を寄せた。



ぱちりと、瞬きをする。
天井、壁と視線を動かして、そこが室内で、装飾からしてハートの城の客室だと分かる。
そして。

「・・・・・」

見渡した視界に入った白い耳は、何故か自分の顔の横から伸びている。
自由になる方の腕を伸ばす。
アリスは無言で、片足と片腕の力を総動員して、真横で健やかな寝息を立てるうさぎ耳の男をベッドから蹴り落とした。

「!!!っっ!?」

重いものが落ちる音がして、アリスはふうと息をついた。

「!!アリスっ!ああ、アリスっ!目を覚ましたんですね!」

落ちた衝撃など感じなかったかのように、飛び起きた白いウサギはベッドに両手をついて、アリスの顔を覗き込んでくる。
その顔を、片手でぐいーっと押しやる。

「なっ、どうしたんですか?アリスっ」

「・・・何で勝手に一緒に寝てるのよ!」

「何で、ですか?・・・それは寒そうに体を丸めていたので、暖めてあげようかと思いまし・・ぐふっ」

瞳をきらきらうるうる、両手を握り締めて力説するその顔に、枕を思いっきり叩きつける。
仰け反るペーターに、更にぐりぐりと両手で枕を押し付ける。
・・・手を握ってくれていたんじゃなかったの?!
夢うつつに、涙をぬぐってくれて、手を握ってくれたのは覚えている。
なのに、そのまま布団に入り込んでくるとは。

「・・・あ・・っ」

赤くなった顔をそむけつつ、枕を押す手に力を込めていたが、いかんせんアリスの体は子どものものだった。
細腕ではずっしりとした枕をずっと抑え続けるには無理があり、徐々に重さでずり落ちてくる。
とうとう落ちてしまった枕につられて、バランスを崩したアリスも、ベッドの上から滑り落ちそうになった。

「アリスっ」

前方に伸びきった両腕の間に上半身を滑り込ませ、ペーターは落ちそうになったアリスを支える。
傍から見ると、アリスは全力でペーターを抱きしめにいった、という形になってしまった。
くしくも、鼻先を埋めてしまったペーターの、その細くて白い首筋に、知らず顔に朱が上る。

「・・・アリス?」

腕を伸ばしたまま固まっているアリスに怪訝な声をかけて、ペーターははっとしてアリスをベッドの上に横たえた。

「無茶は止めてください、アリス!体調が悪いんですから、大人しくしていてください」

もう、眠くなんて無いのに、と頭をふる。
それでも、ペーターはアリスが起きようとするのを、よしとしなかった。
しっかり押さえ込まれて、口元が隠れるほど布団を引き上げられる。
危うく、布団の重さで息が出来なくなりそうになったアリスは、何とか布団をかき分け、顔だけ出して叫んだ。

「ぷはっ・・・ちょっと、ペーター!しっかり休んだから、もう大丈夫よ」

「いいえ、駄目です」

「でも私、帰らないと・・」

「駄目ですよ!帰るなんて、駄目です。お願いですから大人しく・・・安静にしていてください」

赤い瞳は、不安げに揺れている。
ただでさえ特異なアリスの存在が、不安定になっていることに、焦っているようにも見える。
必死に引き止める白ウサギに、布団に包まれたアリスは何もいえなくなった。

「・・・でも、塔のみんなにも迷惑をかけちゃうわ」

きっと、塔のみんなは急にいなくなったアリスを、とても心配しているだろう。
塔から出るときには、必ず誰かに声をかけること、とグレイが言っていたのを思い出す。
話すグレイの眉間に力が入っていて、若干、威圧感を感じたほどだった。
今のアリスの状態を知ったら、叱られるのだろうか。
あれからどのくらい経ったか分からないが、エースと一緒にいたときも、もう随分時間帯が変わった気がする。
せめて、一言、連絡は入れておきたい。

「分かりました」

頷いてペーターは立ち上がり、部屋の扉を少し開けて、手を打ち鳴らす。
どこからともなく現れたのだろう、城のメイドに一言二言告げているのは、塔へ使いの者を送るように、といった内容だろうか。
用件だけを伝えて、ペーターはすぐに扉を閉めて戻ってきた。
無表情の冷たい瞳、硬質な声音だったのが一変、アリスの方へと向けた顔はいつもの柔らかい微笑だった。

「これでいいですね、アリス。塔への連絡も済ませましたし、ちゃんとここで休んでいってくれるんですよね?」

「・・ありがとう、ペーター。さすが仕事が速い、宰相さんね」

有無を言わさず、アリスの滞在を引き伸ばしたペーターは、その言葉にぱぁあっと顔を輝かせた。

「ああっアリス!そんなの当たり前じゃないですか!あなたのお願い事なら、どんなにくだらないものでも、いつでもすぐに叶えてあげますよ!」

「くだらない願い事、ね。・・・そういえば、あなた、今は仕事は休憩中なの?」

「何を言ってるんですか、アリス!」

憤慨したように拳を握るペーターの反応に、そんなわけないわねと、ほっとしかけたアリスの耳に、続く言葉が届く。

「もちろん、勤務中ですがそんなことは関係ありません。あなたのことは、他のどんな雑務を放り出しても、優先すべき事項です!」

「・・いやいや、城の仕事を投げ出しちゃ駄目じゃない」

「いいんですよ!女王陛下も、アリスに付き添うように、とおっしゃってたような気がしますし。良いにきまってます!!」

「えっ、ビバルディが?」

驚いて、そしてちょっと嬉しくなる。
一瞬、顔を綻ばせかけてから、ふとペーターの言葉に引っ掛かりを覚える。
おっしゃってたような、気がする、と言わなかっただろうか。
そもそも、ビバルディがそんなことを言うだろうか。
あの女王様なら、部下に仕事を押し付けて、自ら動きそうなものだ。

「ペーター・・・」

「なんです、アリス?ああっ、何か僕にやってほしいことでも??そういえば、喉が渇いたりしませんか?飲み物や食べ物を用意させましょう!」

何も言わない間に、あれやこれやと動こうとする宰相様を、目線で黙らせる。

「もう、大丈夫だから。仕事に戻ってちょうだい」

「アリス・・・そんなこと言わないでください」

その言葉を聞いて、途端に長い耳は力なくたれ、しょげかえる白ウサギに、 アリスは苦笑した。
アリスのことを心底気にかけてくれるペーターのことを、今はそう邪険にする気にもなれない。
でも、このままずっとベッドの脇にいられるのも、何だか居心地が悪い。

「・・・ねえ、ずっとここにいる気なの?」

「もちろんっあなたに何かあったときにすぐ気が付くように、ずっと傍にいますから、安心して眠っていてください」

「そ・・そう」

・・・逆にこれでは、眠れない。

「そうね・・・じゃあ、一つお願いしてもいいかしら」

「いいですよっ、なんですか、アリス!なんでも言ってください!」

頭上の白い耳をぴょこんと立たせて、両手を握り締めたペーターは、さあさあと満面の笑顔で続く言葉を待っている。
待てと言われて、我慢しきれずにそわそわしているような、その姿に思わず笑みがこぼれてしまう。
アリスの笑顔に首を傾げながらも、ペーターは大人しく待っている。

「ペーター、うさぎ姿になってくれるかしら」

「えっ、そんなことで良いんですか?もっと色々言ってくださってもいいんですよ。果物が食べたいとか、マッサージして欲しいとか・・・」

「うさぎ姿になってくれるかしら」

にっこりと繰り返せば、シュポンッと空気が抜けるような音と共に、ペーターはうさぎの姿になった。

「これでいいんでしょうか?」

「ええ、もちろん。それで十分だわ」

アリスは、その後はどうすればいいのかときょとんとした様子のペーターを、おもむろに両腕で抱き寄せて布団の中に引きずり込んだ。

「アっアリスっっ?!」

「ああ、やっぱりこの姿が一番かわいいわ。んーふわふわ」

もこもこふわふわの感触を、ぎゅっと抱きしめて堪能する。
ついでに目の前に伸びている耳に、すりすりと頬を寄せた。
慌てた様子のペーターは、アリスの楽しげな声を聞いて、そわそわしながらも大人しくしていてくれた。

「・・アリス」

「ありがとう、ペーター!」

「アリスが幸せなら、僕も幸せです」

回した腕に、きゅっと小さなうさぎの両手が添えられる。
頭上のアリスの顔を振り仰いで、ペーターは笑ったようだった。
腕の中の暖かな存在に、アリスの瞳もゆるゆると閉じられていく。

「アリス、眠いんですか?」

「ええ・・そうね・・」

夢魔のように眠りに誘われて、でももっとずっと安らぎを感じる。
底知れない闇に包まれていくのとは違う。
もし夢をみたとしても、たとえそれがつらい夢だとしても、ペーターがきっとそこから連れ出してくれる。
きっとどこへでも、迎えに来てくれると、そう思った。

「・・・おやすみなさい、アリス」



「・・・おや、良く眠っていること」

覗き込んだベッドの中には、あどけない寝顔をさらした少女がいる。
ぬいぐるみを抱くようにして眠る、愛しい少女。

「そんなうさぎなんぞ抱いてないで、わらわの部屋に来ればよいものを」

その額にかかる細い髪の毛をそっと梳いて、微笑む。
その腕の中にいるうさぎも、とても珍しいことに彼女の来訪には気が付いていないように、安らいだ顔で眠っている。

「ふん・・」

顔をしかめて、ハートの城の女王は手を伸ばした。
うさぎをベッドに残し、少女の体を抱き上げる。
そして、そのまま部屋を後にした。





◆アトガキ



2013.1.19



ペーターのターンでした。
ダイヤプレイ後につき、展開がシドニーとかぶってしまいました。
でも、ペーターなら喜んで腕の中に納まってくれるでしょう。

さてはて、女王に抱っこされたアリスの運命やいかに!

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