**+ 小さく淡く瞬く星


7.真珠の雫は零れ落ちて





「・・・いないと言って、追い返せばよい」

「しかし・・・」

「わらわの命令に背くのか?」

「い、いえっ・・失礼いたしましたっ」

・・・・・?

誰かの話し声が聞こえる。
潜めた声で、言い争うような・・・いや、違う。
女性の声は、男性に命令しているようだった。

誰だろう・・・?

ぼんやりと夢と現の狭間を漂えば、頬に触れる何かのくすぐったさも感じられた。
でも、そのふわふわふさふさとしたものに包まれているのは、すごく心地が良くて、ついつい顔を埋めるように首元まで潜り込む。
と、近づく足音と、柔らかい女性の声が、笑っているのが聞こえた気がした。
傍に寄り添った気配は、細い指を伸ばしてアリスの髪を梳く。
姉さんに似ている、そう思えば同時に嗅覚も目を覚まし、途端にアリスはふくよかな薔薇の香りに包まれた。

「!・・ビバルディ??」

「おや、起きてしまったか。・・だが、もう少し寝ていてもよいぞ」

くすくすと少女のように笑う、麗しい女王様。
アリスの眠気はすっかり飛んでいってしまっていた。
慌てて、きょろきょろと辺りを見渡せば、そこは何度か訪れたことがある女王の私室、ビバルディの部屋だった。

「もう、眠くはないわ。お、おはようビバルディ・・・挨拶もせずにごめんなさい、お邪魔しているわ。でも私、さっきまで客室を借りてそこで寝ていたはずなんだけど・・・??」

目を白黒させて、それでも何とか挨拶をするアリスに、ビバルディは嬉しそうに微笑む。

「そうじゃが、わらわが連れてきた」

「でも、あの・・ペーターは?」

「あやつは、その場においてきたよ」

自分は、うさぎ姿のペーターと一緒に寝ていたはずだ。
それを、連れてきたという。
・・・ペーターが、何も言わずにそれを許すだろうか。
あの、ペーターが。
答えは、否だ。

「ペーターは・・・どうしたの?」

不安げな声が出てしまっていたのだろうか、女王は眉をちょっと上げて、一瞬きょとんと無防備な顔をした。
それでも、質問にはすぐに答えてくれた。

「あやつは寝ておったよ。ぐーぐーと、それは忌々しくも気持ち良さそうにな」

「起きなかったの?あなたが来ても・・?」

「ああ、よっぽど気を抜いておったのだろう」

うっかり撃つ気にもならんかったわ、とビバルディは嘆息する。
それほど、くつろいでいたとも言えるのだろうか。
思わず微笑んだアリスの方を見て、女王の眉が潜められる。

「今はわらわとおるのだから、ホワイトのことなど忘れて、わらわと遊んでおくれ」

そういう女王の手元には、色とりどりの布・・・子供用の服が散らばっている。
さっき辺りを見回したときにも目には入っていたはずだが、あまりに驚いていて、その鮮やかな布の数々が、子どもサイズの服の山だとは思いつかなかったのだ。
子供用の、服。

「えっと、遊ぶっていうのは・・・」

「折角小さくなったのだ・・・。かしこいおまえには、分かるであろう?」

ビバルディは、全く無邪気な少女のような笑顔で、人形遊びをしようと宣言した。

「いやいや。えっと、あなたは私のこの姿をそんなに疑問に思ってないようだけど、私は余所者・・・なのよ。本来なら、こんな帽子屋屋敷の双子たちみたいに、大きくなったり小さくなったりしないのよ」

「それが、何だというのじゃ」

「だから、この状態はおかしいの!実験の失敗でこうなっちゃっただけで、早くもとに戻す薬を作らないといけないのよ」

「いつか元に戻るとして、そんなに焦らなくてもよいだろう」

呆れたような顔をするビバルディに、いらつき始める。
焦らなくていいなんて、そんなわけないじゃない。
それに、グレイを巻き込んでいるのだ。
体調も問題なくなった今、これ以上、悠長にしていられるはずもない。

「泊めさせてもらって、ありがとうビバルディ。でも遊ぶのはまた今度にしましょ。私、もう帰らないといけないわ」

自分にかかっていた毛布から抜け出して、アリスはさっさと帰ろうとした。
だが毛布だと思っていたのは、ファー付きのビバルディの外套だった。
まさか女王様の高級な外套を、うっかり毛布代わりにしていたとは。
そして、驚きはそれだけではなかった。

「ほお・・・その格好でか?」

「え・・・・」

濃い赤の外套はとても暖かく、そうでなくとも春の領土のハートの城は、寒さとは無縁ではあったが・・・ではこの体のすーすーと心もとない感じは何だろう。

「・・・!!?!」

ちろりとビバルディの流し目が見遣った先。
外套を引っぺがしたその下、アリスは下着しか身に着けていなかった。
驚愕で声が出ないまま、また慌てて外套の中に潜り込む。

「さすがのお前も、その格好では外に出て行けぬだろう」

「私が着ていた服はどうしたのよ!」

「もちろん、脱がせたよ」

「!!??」

ふふふと笑うビバルディは、さてどの服を着せようかと、あれやこれや服の山をひっくり返している。
どうやら、ビバルディの人形遊びに付き合わないことには、服も着せてもらえなさそうだ。

「・・・分かったわ、付き合う。でもビバルディ、塔から誰か迎えに来る予定だから、その人が来るまでよ」

「ああ、それで構わぬよ」

てっきり、気の済むまで付き合えと言われるかと思ったアリスは、あっさり聞き入れたビバルディに拍子抜けする。
それでも、約束はさせたのだから大丈夫だろうと、気を取り直した。



「ううむ。それは色がよくない」

もう何着、着ては脱ぎ、着ては脱ぎ、を繰り返しただろう。
胸元にレースが重なっている、長袖のクラシカルなドレスから、果てはキュロットスカートまで。
ドレスを着せたかと思えば、トップスとボトムをあれこれとっかえひっかえし、髪型をいじって、手袋や靴までそろえてみる。
それでも、まだビバルディは納得がいかない様子だ。

「やはり、髪の毛は下ろしている方がよいな。上は脱いで、こちらにおし」

窓から見えた空の色の変化は、もう数えるのも止めてしまったほどだ。
今着ている、短めの袖口が膨らんだ、パフスリーブのブラウスは、さらさらと心地よい肌触りだったが、その柄が気に入らなかったらしい。
アリスは、脱いだ服を出来るだけ綺麗に畳んで横に置き、ビバルディからまた新たな服を受け取った。
首の周りにレースが這うように、少し高めの襟元に、袖のないトップスは、女王が好む深い緋色をしている。
子ども姿の自分にはとても似合わないだろうと思いながらも、ビバルディのすすめるままに腕を通す。
加えて渡されたのは、薄紫色のレースの縁取りがされた、ふわふわと綿毛のように柔らかい乳白色のボレロだった。

「ふむ。これなら良いか」

薔薇模様の刺繍が施された、淡いピンクのペチコートスカートが足元をくすぐる。
髪を下ろしたアリスの耳元に、スカートと同じ淡いピンクの小さな薔薇を飾る。
花びらの縁についた真珠が、朝露のように光っている。
姿見の前で、ビバルディに促されて椅子に小さく座る自分は、発表会を前にして緊張している子どものようだった。

「ふふふ。ほんにおまえは、何を着てもかわいらしい」

椅子の後ろに立って、髪を梳く女王はまるで母か姉のように、慈しむまなざしをアリスに向けている。
滅多に見られない、とても満足そうなビバルディの微笑みの前に、アリスは疲れたとは言えず、笑顔を返すしかなかった。



「アリス、こちらの菓子もお食べ」

「え、ええ・・ありがとう、ビバルディ・・でも、あの」

時間帯はちょうど夕方に変わり、ご機嫌なビバルディに引っ張られるまま、アリスは庭園でお茶会をしていた。
でも、さすがにアリスも、そわそわとしないわけにはいかなかった。
ペーターに頼んで、塔へ連絡をしてもらったのは、何時間帯前のことだったろうか。
もう、随分というほど時間帯が変わったが、まだ誰も来ない。
アリスの頼みを、ペーターが偽って引き受けるわけがない。
ということは、伝達役の人に何かあって、上手く伝わってないのだろうか。

「ねえ、ビバルディ・・・」

伝達の人に何もなかったらいい。
まだ来ていないとして、塔のみんなは忙しくて、誰も手が離せない状態なのかもしれない。
それでも、不安が募っていって。
もう少し、もう少しだけ待ってみようと、自分に言い聞かせて噤んでいた口を、おずおずと開く。

「塔の人は、まだ誰も来ていないのかしら・・・?」

「・・わらわは誰も見ておらぬ」

「そう・・・」

予想は出来た答えだったが、思った以上に落ち込んでしまった。
沈んだアリスの声と表情に、ビバルディは静かにティーカップをソーサーに戻す。

「おまえを放っておく輩など忘れて、城においで。アリス」

放っておかれてるわけじゃない、とは返せなかった。
耳元で瞬く真珠の露が、ふるふると首を振るアリスの動きに合わせて、零れ落ちそうに揺れる。
ビバルディは、細い指先を伸ばしてアリスの両頬を包み込んだ。

「わらわのことが・・嫌いか?」

「・・・いいえ」

そんなこと思うはずがない。
ビバルディのことは好きだ。
残忍で、でも少女のようにかわいいところもあって、そして姉さんのように優しくもなる。
姉さんとは違う、でもビバルディもまた、アリスにとっては憧れる理想の女性だ。
でも、今はその目を真っ直ぐ見て答える気にはなれず、アリスの視線は赤い夕刻の空にそらされたままだった。

「・・・うぐ」

アリスの口に、いきなり何かが突っ込まれる。
驚きつつ、喉に詰まる前にと急いで咀嚼すれば、ほろほろと口の中で甘く溶けていく。
ビバルディがつまんでいたのは、ふわふわのクリームが挟まった、ピンク色のマカロンだった。

「好きだと、言ってくれなかったおまえが悪い」

そういって、しかめっ面でもぐもぐと同じマカロンを咀嚼するビバルディは、子どものようにふてくされた顔をしている。
本当に、この女王様には敵わない。
アリスは小さく笑って、良い香りを放つ紅茶のカップを手にとった。
その視界が、ぐらりと揺れる。

「・・・え・・?」

手からカップが離れて、視界の端を落下していくのが見えた。
透明な赤い飛沫が、テーブルクロスや服を汚していく。
力が入らない腕をどうにか上に伸ばすが、何も掴めずにアリスの体もまた椅子から崩れ落ちていく。
天へと伸ばされた小さな手を、赤い爪を持つ優美な手は掴み損ねた。
テーブルを回り込んで駆け寄る彼女の、ガーネットのような瞳が揺れて、ワインが零れ落ちるような幻影が見える。
アリスの体は、地面に投げ出されて、動かなくなった。





◆アトガキ



2013.1.29



女王様の、ターンでございました。
洋服の呼び名や形は、調べれば調べるほど可愛くてはまりそうになりますね。
あまり、うまく表現が出来ないのが悲しいところです。
調べる過程で見つけた、すごいかわいいドレス等のHPですが、人形用かなと思ったら人間用でびっくりしました。
・・・ちょっとコスプレしてみたいけど、似合うわけがないので、我慢。

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