**+ 小さく淡く瞬く星


12.オセロの裏と表





カツーン

城の廊下とはまた違った、硬質な音が嫌に静かな周囲に響き渡る。
薄暗くも色調的には目に痛いほどだった城の廊下に比べて、そこは石の床と壁、鉄格子の並ぶ牢屋が続く、気分も滅入りそうなじめっとした空間だった。

「・・・・・」

踏み出したままの一歩をそれ以上前には出さず、辺りを見渡す。
その視線に呼ばれたかのように、曲がり角の先の闇からゆらりと影が現れた。
次々と現れる影を一瞥して、手に持つ時計を瞬時に銃に変える。

「やだなあ、そんな怖い顔しないでよ」

くすくすと笑いながら、影の間から現れたジョーカーをペーターは睨みつけた。

「彼女を、どこにやったんです」

「ふふ・・そうだね。俺は君と少し考え方が違うんだ」

「・・・・」

「彼女の大好きな・・・大好きだった、時間に会わせてあげた。そうそうあれは、君、の時間だよね」

「っ・・!!」

口元に手をあててくすくすと笑う道化に、躊躇わず銃を構える。
困った顔をして、ジョーカーは両手を挙げた。

「何だか俺のほうが悪者みたいじゃないか。でも、俺の方が取り締まる側なんだよ?それに、俺だって彼女を楽しませてあげたいだけなんだけどな」

「あなたが彼女を?笑えない冗談ですね」

言い切ると同時に引き金を引く。
監獄に響き渡る銃声と、空の薬きょうが床に落ちてはねる音。
うごめく影は銃に警戒してか、遠巻きにしている。

「・・ふん。所詮は、顔無しの成れの果てですね」

「そう言わないであげてよ。どうせ俺たちはみんな、同じ穴の狢なんだよ。・・・君だって、俺だってね」

いくら、アリスに特別に思われようと。
本質的には、みんな同じ。
彼女だけが、違う。
彼女だけが特別。

銃を撃ち合う合間に紡がれる言葉に、ぎゅっと眉をしかめる。
その眼前を、ふっと蛍火のような光が掠めてペーターははっと顔をあげた。
ふわりと漂う気配は、監獄の合間を飛んで石壁を通り抜けて廊下の先に抜けていく。
銃を打ちながら、その光を追いかける。
ジョーカーにはその光が見えなかったようで、急に走り出したペーターを慌てて追いかけてこようとする。

「ついてこないでください」

「って言われても、ここは俺の領域なんだけどな」

苦笑しながらもついてこようとするジョーカーの足を撃ちぬく。
うめいて蹲るジョーカーに、ペーターは冷たい赤い瞳を向けた。

「はっはは・・やっぱり変わらないね、君は。彼女に影響を受けて面白く変わったと思ったんだけど」

「・・当たり前でしょう」

その眉間に銃口を向けて、ペーターは薄っすらと笑った。




「姉さん、お湯が沸いたわ」

「あら、もう?・・じゃあ今日は、この紅茶にしようかしら」

姉がパカンと銀色の紅茶の缶の蓋を開ける。
ふんわりと漂う、アッサムの香り。

「アッサムにするの?じゃあ、お湯じゃなくて牛乳を温める?」

「そうね、ミルクティーにしましょうか」

アリスは紅茶に詳しくて助かるわ、と姉に褒められてすごく嬉しくなる。
頭を軽く撫でられる、姉の優しい手の影でアリスはふと瞬きをした。
自分はこんなに紅茶に詳しかったかしら。
確かに、紅茶は好きだけれど・・・。

「どうしたの?」

「いいえ、なんでもないわ」

姉の顔が曇るのが見たいわけじゃない。
アリスはすぐさま笑顔を取り繕って、笑い返して見せた。
その耳に、サアアーッと静かな音が届く。
音がしたほうに目を向けてびっくりした。

「雨だわ!」

「あらあら。この雨では、庭で過ごすのは無理そうね。今日は部屋で過ごしましょうか」

「え、ええ・・・」

庭で過ごす日曜の午後の時間は好きだが、それは別段、庭でなくても構わない。
楽しくおしゃべりしたりして、姉さんと一緒に過ごすこと、それが大切なのだから。
だから、雨が降ったら部屋で過ごせばいい、その筈だ。

「雨が・・・・」

でも、雨が降るなんて。
雨の降る音が、何故かいやに懐かしい。




「あ?」

目の前を走り抜けていく白い生き物を見て、盛大に顔をしかめる。
何だって、こんなところにいるんだとがしがしと頭をかいてため息をつく。

「おい、勝手に入って来るんじゃねえ」

声をかけても答えはなく、白い生き物はぴょんぴょんと跳ねて、そのままサーカスのテントに入り込んでしまった。

「って、おい!待てっつってんだろ」

ああ、面倒くせぇ。
なんだって、ジョーカーの代わりにこっちに来た途端に、こんな面倒くせぇ事態が起こるんだよ。
だいたい、あいつでも無いだろうに迷い込んでくるなんざ・・・。

「・・・ん?そういやジョーカーが、あいつを捕まえたとか何とかほざいてたが・・・」

がしがしと頭をかいて、1人ごちる。
あいつもあいつだ。
あんなジョーカーにほいほいとついていくなんざ、馬鹿じゃねえのか。
いや、馬鹿だな。
取りあえず、不法侵入をした闖入者を追い出さなければならない。

「あーっ、面倒くせぇ!」

舌打ちをしつつ走り出す。
サーカスのテントの中、赤いジャケットも目立つが暗がりの中でその白い毛が浮かんでは消える。

「おいおい、そっちは部外者立ち入り禁止の・・って聞けよっ!」

白いウサギはどんどん奥へと入りこんで行ってしまう。
関係者以外立ち入り禁止の、サーカスの裏側。
サーカスの小道具や、練習に使う器具が並ぶ薄暗い幕の中。
そして、ウサギが向かう先には大きな箱。

ジョーカーが。
「まずは、中身だけも良いかな」
と嬉しげに言って、その箱の蓋を撫でていたときは、心底寒気がしたものだが。

「!!?」

誰が開けたのか。
箱の蓋が開いて、黒々とした口を広げていた。
迷わずにその中に飛び込む、白いうさぎ。

「・・・くそっ」

箱の縁に手をかけるが、覗き込んでも目立つ白は見当たらない。
舌打ちをして、ジョーカーも箱の縁を乗り越えて暗い闇の中を落ちていった。




「雨が降るなんて、久しぶり・・」

アリスの呟きを聞いて、ロリーナはきょとんとしてからふふと笑い声を返した。

「おかしなこ」

おかしい、のだろうか。
・・・確かに、雨を珍しがるなんて、おかしいかもしれない。
いつだって、降るときは降るものだ。
特に雨が少ない地方ではないし、降ってもおかしなことではない。
それでも、何故だか・・・。

「そういえば、昔雨が降ったときに・・・」

「なあに?」

首を傾げて聞いてくる姉は、膝の上で開いていた本を静かに閉じた。
話を聞いてくれようとするその姿を、アリスはどこか遠い世界を見るように眺めていた。
意識はもっと遠く、雨の音だけが耳に届いて胸がざわついた。


今は日曜の午後だが、その前は何をしていただろうか?





「ちっ、どこへ行きやがった、あの動物」

さくさくとしめった草を靴の裏で踏む。
彼女の記憶から作られた彼女の生家。
箱の底に広がる景色に、眉間の皺が更に深くなる。

「こんなのは無駄だっつってんのに」

作り上げた箱庭にアリスを仕舞い込んでからのジョーカーは、何だか嬉しそうで、馬鹿に見えた。
白ウサギと変わらねえじゃねぇか。
こんな脆い檻。
地面を無駄に強く踏みしめて、一本の木の下に歩み寄る。

「・・・おい」

木の下で膝を抱えて座り込む少女。
ジョーカーが閉じ込めた、アリス。
近づいてしゃがみ込み、その水色のエプロンドレスの肩に手を掛ける。

「おいっ、聞こえてんだろ。ここに来なかったか、あの白い動物」

別段、ジョーカーのいたずらに便乗する気は無い。
こんなくだらない遊びでさぼる気なら、さっさと終わらせてしまった方がいい。
どんな暗示やまやかしをかけたかなんてどうでもよくて、ジョーカーは白ウサギを見たかどうかをアリスに聞いた。
俯いているアリスは、答えを返さない。

「何だって、こんなとこにいんだよ。中にはお前の姉って奴がいるんだろ」

微動だにしないアリスに痺れを切らして、顎に手を掛け持ち上げる。
前髪に隠れた瞳を、訝しげに覗き込んだ。

「っっ?!!」

慌てて飛びのくジョーカーの耳元を、唸りを上げて一発の弾丸が掠めた。

「あっぶ・・ねぇっ!」

銃を構えて静かにこちらを見返す、その瞳は、赤色。




「姉さん・・イーディスはどこ?」

「・・イーディスが、どうかしたの?」

優しげにこちらを見て微笑む姉。
何かが、おかしい。


ガゥンッ


「っ!?」

はっと窓の方を見る。
庭から響いてきた、それは一発の銃声。

「姉さん、今銃声が・・!?」

「どうしたの、アリス。銃声なんてするわけがないわ。疲れているんじゃないの」

膝に置いていた本をそっとソファの脇に置いて、ロリーナが歩み寄ってくる。
無意識に小さく後ずさったアリスに首を傾げながらも、ロリーナは手を伸ばしてアリスの額に寄せた。

「少し・・熱いわね」

「そんなこと・・より、庭で・・」

「アリス、お部屋に戻りましょう」

庭に面する窓に近づこうとするアリスを、やんわりと反対側にある扉の方に押す。
少し怒ったような顔をしているように見えて、アリスはその手に従った。
姉を怒らせたいわけはないし、もし心配して怒ってくれているのなら嬉しいと思う気持ちもある。

「姉さん、大好きよ」

「なあに、アリス。そんなことを言っても、起きていて良いとは言わないわよ」

少しいたずらそうに笑う姉。
その手に優しく寝かしつけられて、ベッドに横たわる。
その耳に、また銃声が聞こえて気がして起き上がろうとする。

「アリス・・お願いだから、安静にしていてちょうだい」

「でも、姉さん。銃声が・・」

「熱が出て聞こえているのかもしれないわ」

こんなに、はっきりと聞こえたのに。
家の庭で銃声だなんて、そんな不吉なこと現実であって欲しいわけではない。
でも、胸がざわつく。
雨の音が、うるさくなった気がする。
雨の降る庭。

「そういえば・・・・雨の降った後の庭に、イーディスが」

「もう寝なさい・・・ね、良い子だから」

私、いいこなんかじゃないわ、姉さん。
瞼の上に置かれた、少しひんやりとした姉の手が眠気をもたらす。
徐々に意識が深い闇の底に落ちていく。
・・・そうだ。
雨の降った後の水溜りに、イーディスが本を投げ捨てたのだった。
あれは、お気に入りのお話がたくさん詰まった、深緑色の装丁の。


ばさっ ばさり


不意に強い風が部屋に吹き込んで、カーテンが巻き上がった。

「・・な、何・・?」

襲い掛かった眠気が、部屋を駆け抜ける風に吹き散らされていく。
強い風に煽られる髪を片手で押さえれば、目の前にいた姉が翻るカーテンの裏に隠れて見えない。

「姉さん・・?」

舞い踊るカーテンの裏で紫色の姉の服が見えたと思った一瞬、その影が形を変えた。
背の高い、シルクハットのシルエット。
ふんわりとした姉の影ではない、別の者の形。
見たことがあるはずのその影、だが分からない。

「・・・誰?」

ガウンガウンッ

「!!?」

今度こそ、はっきりと聞こえた銃声にはっとして、転げるように窓に近づこうとする。
その体が、カーテンから伸びてきた白い手袋に掴まれる。

「誰、とはつれないな、お嬢さん」

白い手袋につながるのは、トランプのスートが散らばるおかしなデザインのジャケットと大きなリボン。
薔薇の花と羽と値札があしらわれた、黒いシルクハット。
黒い髪に縁取られた、整った容貌の中で不敵に光る、翠碧の瞳。
不意にその瞳が剣呑に眇められ、アリスを掴んでいた手と逆の手がすっと伸ばされる。
金の羽とシルクハットの飾りがついたステッキが、一瞬のうちに姿を変える。
耳元で響く銃声。
思わず、掴まれていない方の手で片耳を押さえる。

「・・・・ふん」

背後で誰かが倒れた音がした。
静かになった室内で、耳に当てていた手を外して恐る恐る振り返る。

「・・ジョ・・ジョーカー・・?」

「まったく。わざわざ来てやった私ではなく、奴の名前を呼ぶとは」

やれやれとわざとらしくため息をついてみせる、男の手にはマシンガンが握られている。
帽子と同じ、羽飾りと薔薇のあしらわれたデザイン。

「ブラッド・・・?ここは・・どういうこと?」

「・・・・・」

庭から聞こえてきた銃声に、窓に近寄ろうとしたアリスの体がふわりと浮かんだ。

「ちょっ、ちょっと何してるのよ!下ろして!!」

「時間が無いんだ、お嬢さん」

「時間って・・・」

「小さいと移動が楽で良い」

えっと驚いて慌てて見下ろせば、体は小さく縮んで手足も短くなってしまっていた。

「な・・何してくれてるのよ!!!」

「そうなったのは、私のせいじゃないぞ。まったく、手のかかるお嬢さんだ」

驚き暴れるアリスの体を軽々と抱えあげて、アリスの怒鳴り声に答えながらその足は部屋の扉に向かっている。
その足取りに急いで身を乗り出して、その腕の脇から見た庭の風景。

「ペー、ター・・?ペーターっ!」

赤いジャケットを着た、白く長い耳のウサギ。
銃を向けているのは、サーカスの団長の格好をしたジョーカーで。
大声で呼べば、いつもはアリスの言うことなんてさっぱり聞かないその耳が、ぴくりと動いた気がした。
こちらを一瞬見上げて、微笑む白いウサギ。

「ペーター!ペーター!!」

「暴れるんじゃない」

すたすたと歩く足取りは速く、もう窓の外は見えない。
振り返る部屋の中には、もう1人のジョーカーが倒れている。

「なんで・・?ってそれより、ペーターがっ」

「はあ・・・宰相殿はおとりだ」

部屋の扉を抜けて、勝手知ったる足取りで廊下を進む。
暴れるアリスに観念したように説明するブラッドの声は、淡々としている。

「おとりって何よ!」

「君を閉じ込めた道化から、君を助け出しに来た」

「閉じ込めていた・・・?」

「気付かなかったのか。君はつくづくトラブルメイカーだな」

「・・・・・」

いつの間にか、自分の記憶にはない廊下を歩いている。
こんなところに曲がり角なんてあっただろうか。
こんな扉なんて。

「まあ、宰相殿も簡単にやられる様なやつではないし、ジョーカーを殺すわけにはいかないだろうから、適当に痛めつけたら戻ってくるだろう」

「でも・・」

あなたは殺してしまったじゃない、とは言えなかった。

静かになったアリスを抱えて歩くブラッドは、無言で廊下の先の扉を開けた。
上へと伸びる階段。
やっぱり、こんな扉もこんな階段もあるわけが無い。
無意識に眉根を寄せていたアリスを見下ろして、ブラッドはふっと笑った。

「お嬢さん、君はいつも考えすぎだ」

そっと、瞼の上に添えられる白い手袋をした手。
さっきまでいたはずの姉さんがしてくれていたように、優しい手つき。

「眠ってしまえ」

階段を上がる振動が響く。
一段上がるごとに、反対に意識は底の方に沈んでいった。





◆アトガキ



2013.3.11



今回は、ジョーカー(ブラック)さんだよ!
最近やっと藤丸さんのジョーカー本デビューをしたせいか、
どうも話が引きづられてかぶっていってしまいました。
でも、やっと戻ってきたよ!

次回予告。
「 魔法使いのオネーサンから買った、1粒5万円の“恋がかなうアメ”
 なんとしてもこれを、憧れのアリスに食べてもらわなくっちゃ!
 ブラッドが勇気を出して渡したのに
 アリスはアメをエリオットにあげちゃったからさあタイヘン!

 どうなる?ドキドキブラッドの恋☆
 オウエンしてねっ!」

・・・いきなり次回予告(http://runagate.dyndns.biz/flash/ikinari)に
協力していただいたら、こんなひどいことに・・・。

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