15.無邪気な子猫
一
闇の中に閉ざされた部屋。
狂い咲く緋色の薔薇。
床に降り積もる天鵞絨の花びら。
「・・・長い、な」
待つのに飽きてしまいそうな程、長い眠り。
いくら愛らしい寝顔だとしても、微動だにしないそれをずっと見ているのは徐々に退屈してくる。
寝台の上の眠り姫は一体、その夢を何章まで見続けるつもりなのか。
「本を読んでばかりで、私を無視してくれるな」
読書好きな少女の顔を、そっと覗き込んだ。
「おはよう、ブラッド」
「ああ、おはよう、お嬢さん」
起きたら借りていた部屋で寝ていて驚く。
いつの間に、自分の部屋に戻ったのだろう。
用意されていた新しい服に着替えて、滞っているだろう実験の続きをしに、屋敷の廊下を歩いていると向かいから屋敷の主が歩いてきた。
「ふむ。その服も、実に君に似合っているな」
「あの、ブラッド。何度も言ってるんだけど、これ以上新しい服はいらないわ」
起きるたびに、新しい服が用意されていて、以前着ていた服はどこにも無い。
今日用意されていたのは、少し艶のある生地のアッシュモーヴのワンピースだった。
スクエアカットの襟元とパフスリーブの袖口には黒のレースの縁取り、リボンで少し引き締められた腰元に、咲き始めの薔薇のコサージュがついている。
可愛いとは思う。
用意されている服を客観的に見た感想では、だ。
だが、自分で着るとなるとそうも言っていられない。
似合うとも思えないし、もうそろそろこういったフリフリした服から離れたいと思っていた矢先だ。
水色のエプロンドレスでさえ、律儀に着てしまっている自分に遠い目になることもある。
とはいえ、着ないことには部屋から出られないから、仕方が無くそれを着るしかないのだが、何度言っても同じ服が用意されていたことは一度も無い。
じきに元の背丈に戻る予定で、そうなれば用意した服は着られなくなってしまうというのに。
「君がお茶会にも出てくれないからな」
「えっと・・それは、まあ悪かったと思っているわ」
じっとりとした目から、視線をそらす。
「私は退屈で死にそうだ。それくらいの楽しみは奪わないでくれないか」
お茶会に強制参加をさせられるか、着せ替え人形となるか。
時間が惜しいアリスの結論は早かった。
「分かったわ。だけど、汚しちゃうかもしれないから、エプロンか何か無いかしら」
実験中に扱うものは、衣服につけば色が取れないものもあるし、匂いや場合によっては煤もついてしまうかもしれない。
・・・というか、この格好は間違いなく実験向きではない。
何やってるのかしら、と己の姿を見下ろして沈黙したアリスを、ブラッドは愉しげに眺めている。
「分かった。フリル付のエプロンを用意させておこう」
「・・・・・・・・」
確実に嫌がらせだろう。
息を吐いて、気持ちを切り替える。
さっさと倉庫に行こうと下ろしていた髪の毛をまとめ上げて、リボンで1つに結わきながらふと見上げたまま、アリスは動きを止めた。
その様子をじっと見つめていたブラッドは、一度瞬きをした。
「何かな、お嬢さん。・・口からリボンが落ちそうだが」
結わえるために口にくわえていたリボンは、伸ばされた白い手袋が掬い上げていく。
それよりも、身をかがめた相手の顔をじっと見ていたアリスは、ようやっと口を開いた。
「ブラッド・・・あなた、何か変」
「・・・・・いきなり、失礼だな」
「何かしら、何かおかしいんだけど・・」
「・・・・・・」
首を傾げて考え込むアリスに一歩近づいて、身をかがめる。
結わきかけで止まったままの両手から、髪の毛を掬い取って手を回して器用にひとつにまとめていく。
片指に軽く巻いて引っ掛けていたリボンを解いて、くるくると巻いて最後にリボン結びをする。
バランスも完璧だが。
「出来るなら、もう少し飾りを」
「・・あなた、疲れてるんじゃないの?」
不意に、得心が行ったように顔をあげたアリスと間近に見詰め合って、ブラッドは暫く静止した。
「髪飾りも汚れるかもしれないから、いらないわ。ねえ、それより・・」
尚も何事か言い募ろうとする彼女の髪に、自分のシルクハットから薔薇を1つ外してくくりつける。
「おかしなことを言っていないで、お嬢さんはもう実験の続きとやらをしに行ったほうがいいんじゃないか。・・・ああ、それとも、今日こそお茶会に参加してくれるのかな」
「リボンありがとう。あなたって本当にこういうところ器用よね。・・・・じゃあ、失礼するわね」
早口で言い切って、背を向ける。
これ以上話を続ければ、お茶会に強制的に参加させられかねない。
それでも、では次の機会にと笑って別の方向へ歩き去っていくその後姿をそっと振り返ってみる。
何がおかしいのか考えて、屋敷の廊下に落ちる自分の影を見つめる。
そして窓の外を仰ぎ見た。
眩しいほどの、昼の陽光が降り注いでいた。
「お嬢様は、まだ起きてこないですか~」
「この先はどうしましょうか~」
あれから数時間帯経って、アリスは再びその瞳を閉ざした。
倉庫で共に実験を手伝っていた部下が、倉庫の傍で困ったように話しているところに近づけば、一斉にこちらを向いて指示を待つ顔になる。
「ボス~、お嬢様が寝ている間に、進めちゃってもいいでしょうか~」
確かに、時間が惜しい。
頷いてから、一枚の紙を渡す。
数人の白衣を着た部下が、覗き込むようにしてその紙に書かれた事項を読む。
「クローバーの塔の方での実験の経過報告も届いた。次に目が覚めたときに、それとなく誘導させれば良い」
「了解しました~」
だるそうに倉庫内へ戻っていく部下を見送って、忌々しい夕日を仰ぎ見る。
疲れているのかと、アリスは聞いた。
そんなはずは無い。
寝る間もなく抗争に明け暮れた時もあったし、それに比べればたいしたことではない。
顔色もおかしなところはどこにもない。
おそらく、彼女の気のせいだろう。
「やっぱり、ブラッドあなた疲れてるんだわ」
「ああ、確かに疲れているのかもしれないな」
そう言ってこちらを見上げてこようとする頭を強制的に前に戻して、まくったシャツの袖がずり落ちてくるのを鬱陶しげに銜えて引っ張りあげる。
「アリス、あんまし爆発させるんなら、やっぱり危ねえっつって触らせてくれなくなっちまうぞ」
「それじゃ、ここにいる意味が無いじゃない」
倉庫から聞こえてきた爆発音に、庭でお茶会をしていたブラッドとエリオットが様子を見に来れば、アリスは笑っていた。
その小さな鼻は煤に汚れて、細く柔らかい髪はもつれてくしゃっとしてしまっていたが、同じく煤で顔を汚した部下と顔を見合わせて笑っていたのだ。
部下の誰も緊急事態を告げないから大丈夫だろうとは思っていたが、さすがに脱力してしまった。
そして嫌がる彼女を風呂場に引っ張って、髪を洗ってやっている。
疲れているかはともかく、マフィアのボスともあろう自分が何をやってるんだとも思うが、隣で何故か羨ましそうにしている部下に譲ってやる気にはなれなかった。
「実験を失敗させちまうなんて、疲れてるんじゃねえか?疲れた時には甘いものだぜ。なあ、ブラッド?」
「・・・あ、ああそうだな」
手持ち無沙汰だったエリオットは、誰に頼ませたのか小腹が減ったと皿に盛ったオレンジ色の固形物をもりもりと食べつつ、あんたも、とアリスの口元に運ぼうとしていた。
餌付けをしようとしているのだろうが、アリスはそれを心底困ったようにかわし続けている。
それでもあまり断りすぎるのも悪いと思っているのか、10回に1回くらいは仕方が無さそうに食べているが、そういうところが彼女は甘い。
視界の端にチラチラと入るそれらをなるべくなら遠ざけたいが、残念ながら今は押し付けるほどの仕事もない。
そして、一歩間違えれば自分もその餌食になりかねないので、慎重に答える。
頭上の会話を聞いていたアリスが、ぽつりと口を開く。
「疲れているっていったら、ブラッ・・」
「あんまり喋ってると、泡を食べることになるぞ」
がしがしがしがし、と少し力を込める。
泡だった石鹸が飛んできたのか、わぷと小さい声がしてその声は途切れた。
「ちょっとブラッド!だから、こんな洗わなくたってこの世界じゃそのうちきれいになるって言ってるじゃない!なのに、何でこんな・・」
洗う振動で、どうしてもぐらぐらと頭が揺れてしまうのを抑えていることが出来ないらしい。
それもそのはずで、彼女の首もまた小さな子どもの、片手で折れそうに細い首だからだ。
少し気持ち悪げに呻いて、アリスは口を噤んだ。
自分にもかつてあったはずのその時期は、とっくに忘れ去った過去の時間でしかない。
こんな細い首で、よく頭を支えられるものだと思うばかりだ。
「そうだな。だが、お嬢さんもよく知っているだろう。私はしたい時にしたいことをする。・・・流すぞ、口を閉じていなさい」
指先で地肌を撫でるように泡立てたシャンプーを、まとめて絞って払う。
シャワーのコックを捻って、指先の泡を落としながらお湯の温度を確かめた。
最初は毛先から、徐々に生え際まで移動させていく。
お湯をかけられてはたまらないと大人しくしていたアリスの、その寄せられていた眉根は徐々にほぐれていく。
「・・・・・・」
まるで借りてきた猫のようだ。
泡を落とし切って軽く絞り、用意しておいたタオルで包む。
「お嬢さん。・・・お嬢さん?」
「・・・・・」
まさか、このタイミングで眠ってしまったのだろうか。
包み込んだタオルでわしわしと髪を拭いていた手を止めれば、暫くしてくすくすという笑い声がタオルの下から聞こえてきた。
目を瞑ったまま、何やら楽しそうに笑っている。
「ふふ、ブラッド」
「・・・何だ?」
訝しげに聞き返せば、アリスはタオルをひらとめくって下から見上げてきた。
いたずらを考えている双子ほど邪気は無いが、一緒に遊び転がっている遊園地の猫ほどには愉快気な光が宿っている。
「あ、からかうつもりじゃないわ。ただ、あなたって本当に器用で・・」
そう言ってまた、ふふふと口元に片手を添えておかしげに笑う。
憮然とした表情をしてしまったのが、自分でも良くわかった。
無言で、止めていた手を再開させる。
「美容師でも目指してたことがあるの?」
「・・・・・」
「すごく丁寧で・・心地よかった」
ぴくりと、自分の指が反応してしてしまったことに舌打ちする。
こんな、どうということは無い言葉。
女性を気持ちよくさせる手には事欠かないし、気持ち良いと言わせることも容易い。
「・・ブラッド?」
だが、これは違う。
そういった意味ではないことぐらい分かるし、それより何と純粋で幼い意味合いの言葉だろう。
それに動揺するなんて。
・・・・なんて自分らしくない。
「・・・・・」
見上げてきたアリスは、何故かこちらを見て目を見開いて、そして赤面してパッと顔を背けた。
「どーしたんだよ、二人とも。何か、顔色が赤いぜ?」
「「!!!」」
思わず振り向いた二人の視線を不思議そうに見返しながら、手を手の平にポンと打ってウサギ耳の部下は屈託無く笑った。
「あ、分かった、のぼせたんだろ?そうだろ。結構湯気でくもってるからなあ」
「・・・エリオット」
「あー、俺のにんじんクッキーがしけっちまう」
「エリオット」
「ん?どうしたんだ、ブラッド。あ、もしかしてあんたもにんじ・・」
「いや、私の分も全部食べてくれて構わない。むしろ食べながらでも構わないから、お前は倉庫にいる連中にもうすぐお嬢さんを返すから、実験再開の準備をしていろと伝えて来い」
「!屋敷の中で食べ歩きだなんて行儀悪いこと、許してくれるなんて・・・俺が腹減ってるを分かって・・・あんたって本当に、本っ当に!!!」
感無量といった態のエリオットは、急いで伝えてくるからな!と皿を片手に勢い良く風呂場を出て行った。
安堵のため息を吐く。
そのまま暫く無言のまま、タオルを動かし続けた。
「・・・ありがとう、ブラッド」
「どういたしまして。お嬢さん」
ふんわりと乾いた髪を指先でつまんで、アリスが伏せ目がちに感謝の意を述べてくる。
使い終わったタオルを使用人の一人に渡して、その様子を見るともなしに眺める。
「何?」
目線に気がついたのか、アリスが顔を上げる。
廊下の壁に腕を組んでもたれかかる。
「・・・・・」
「エリオットじゃないけれど、どうしたのよ本当に」
首を傾げるアリスの小さな肩を、さらさらと乾いたばかりの細く柔らかな髪が滑っていく。
元からそんなに無かったとはいえ、小さくなったことで女性らしさが消えたことで、少しはアリスに関わる気持ちは冷めるのだろうかと思っていた。
だが、つい動いてしまった。
中身は変わらぬ彼女のままのはずだが、見た目の効果のせいだろうか、いつになく幼さと純粋さが上がっている気がする。
そんなものとは対極の位置にいる、自分。
「まったく、忌々しいな」
「・・・え?」
正反対だから余計に、だろうか。
少しばかり、彼女に引きずられているような気にさえなる。
自分というものの形を変えられてしまう、不快さ。
ただでさえ無意味な存在である中で、自分のしたいようにすることを信条にしている、その意思すら勝手に変容させられてしまえば、後に残るものはなんだろうか。
・・・自分と呼べるのだろうか。
退屈でたまらないこの世界で暇つぶしを探していたのは確かだが、自分自身を変えて欲しいなどと願ったことは一度も無い。
そんな気色悪い願い事などしたくもないし、勝手に変化させられることを許せるわけが無い。
「・・・何か、気に障ることをしたみたいね。ごめんなさい」
「・・・・・」
「えっと、じゃあ・・」
「お嬢さん・・アリス」
こちらの様子を窺いつつ踵を返そうとする、その肩をつかんだ。
いつもだったら腕を掴むだろう、その位置は今では低すぎる。
それに腕は細くて折ってしまいそうだ。
そう思ったが、掴んだ肩も本当に小さくて思わず手を離しそうになってしまった。
「今回の礼にと思って、次のお茶会には参加して欲しい」
「・・・・ええ、分かったわ」
しばし考えた後に、彼女は小さく頷いた。
ころころと表情を変えるその顔は、少し暗い。
その姿には似つかわしくない表情に、普段の彼女の姿が浮かんだ。
自分は、何をそんなに考えていたんだか。
ふっと笑みが漏れる。
「・・・?」
肩を掴まれたままのアリスの、その訝しげな顔を覗き込む。
いきなり近づいた顔に、驚いて離れようとしたその後頭部をがっしりと掴む。
「ちょっ、ちょっと何しようとしてんのよ!」
「さあ・・・何だろうな」
にやにやと笑えば、赤面して口をぎっと引き結んだ。
睨みつけてくる、その光の灯った瞳を見つめる。
ああ、本当に馬鹿げたことを考えていたものだ。
今は少し幼くなった分だけ小さく淡く感じられるかもしれないが、普段の彼女も、今の彼女も浮かべる光の煌きは変わらない。
同じように、ただ惹かれているだけだ。
ただ、こちらだけその光に狂うのは性に合わないから。
「何を、しようとしたのか聞きたいか?お嬢さん」
「いいっ、いらないわ。だから早く離れてちょうだい!」
小さな両手でぐいぐいと押しのけようとするその姿は、いつになくいじらしい。
残酷で血にまみれた後ろ暗いものばかりの自分が言えることではないが、悪いことをしているような気がする。
常とは違った意味の、悪いこと。
全く、可愛らしくて敵わない。
そういった趣味は無かったはずだが、これではトカゲを馬鹿には出来ないかもしれない。
それでも。
どこにでも、例外というものはあるものだ。
「・・・やられっぱなしと、いうのもな」
「は?一体何の話よ!お茶会を断り続けたのは謝るわ。次はちゃんと出るから・・って、っ!?」
その赤く染まった目元に口付ける。
眠っていたときとは違い、零れそうなほど目を見開いて、何か言おうと口を開いては閉じてを繰り返す。
「次のお茶会が、実に楽しみだ」
「!!!キャンセルよ、そんな約束っ!ばっくれてやるから!!」
真っ赤な顔で叫ぶ、その顔にかかる髪を梳いて耳にかける。
耳元にも口付けを落とせば、猫の子のように悲鳴を上げて飛び退って、そのまま走り去ってしまった。
思わず零れた笑みは、どんどん体中に広がっていく。
彼女の姿がなくなった誰もいない屋敷の廊下で、壁にもたれかかって久々に腹に手をあてて漏れる笑みに全身を震わせる。
そう、その調子だよ、お嬢さん。
早く狂ってしまえ。
◆アトガキ
2013.6.24
ブラッド、連投です・・・動かしやすくてつい。
(2回目)
やりたかったネタ、ブラッドに髪を洗ってもらうを無事達成。
次こそは、場面が移る・・はず!