Nightingale doesn't have a Dream of Our Lady's tears.


忘れられない緑、そして青と赤 *9





進んでは戻るおかしな世界。
そうは言っても、失った存在は戻っては来ない。
そして少しずつ、それでも着実に日々は進んでいく。

「何よこれ。・・馬鹿にしてるのかしら」

イライラしながら持ってこられた書状を握りつぶさんばかりに睨みつける。
持ってきた構成員は涼しげな顔で机の脇に立って返答を待っている。
やはり、自分という器ではこの程度が限界か。
でもみんなよくやってくれているし、少し減ってはしまったがファミリーの力は思ったよりは衰えていない。
だというのに、こんなこちらを見下したかのような書面。

「分かったわ。直接会うと伝えて頂戴」

返事を待っていた部下は一礼をして部屋から出て行った。
入れ替わるように慌しげな足音が二つ。

「お姉さんっ」

「交渉に行くなんて、本当?!」

やっぱり来たかというよりも、そこで盗み聞きしていたという方が間違いないだろう。
来るのが早すぎる。

「あなたたち・・」

苛立った気分のまま、行儀悪くも頬杖をした姿勢で睨み上げれば、飛び込んできて机に乗り出さんばかりにしていた双子の門番は、はっとした顔でそろそろと少し後ずさった。

「だ、だってお姉さん・・」

「放っておけばこの案件・・・」

しょんぼりしたようにうな垂れる二人の顔を見て、はあっと息を吐く。

「・・抗争になるわね」

明後日の方向を見て呟けば、うな垂れていた顔がぱっと上がる。
キラキラと子犬のような瞳を輝かせて、うんうんと大きく頷いているその顔に浮かんでいるのは、紛れも無い期待、だ。
思わず額に手を当ててしまった。

「そうだよ!放っておいても片付くんだよ!?」

「・・あなた達が、片付けるってことよね?」

「もっちろん!すぐに一掃してピッカピカに片付けてあげるよ」

「・・・・・」

「「大ー好きな、お姉さんのためにっ」」

ね?と懇願するように見られても、駄目なものは駄目だ。
アリスは暫くそんな双子を見てから、静かに頭を振った。

「・・・私が、行きます」

「「ええーっ?!」」

今は大事なときだ。
出費や人員の減りを出来るだけ避けたい。
そのためなら、狸だろうが鯰だろうがハゲだろうがなんだろうが相手してやろうと、アリスは明後日の方向を睨みつける。
鼻息荒く言い切ったアリスを見て、ディーとダムは力なく二人してソファに座り込んでしまった。

「ボス、そんなに頑張らなくてもいいのに・・」

「ボスって言わないでちょうだい」

「ボスー、もうちょっと僕たちにスカッとするような仕事を回してよ」

「あなたたち、仕事なんて好きじゃないでしょ。好都合じゃない?」

「「ボスー・・」」

「・・・門はどうしたのよ」

低く呟けば、急にきりっと立ち上がってきびきびとした動作で動き出す。
この分だと門は今、無人なのだろう。
机の脇を通り過ぎようとしていたディーが、急に立ち止まる。
ひとつに束ねた髪がふらりと揺れて、とまった。

「お姉さん・・」

「何?どうした・・」

言いかけた唇に長い指先がちょんと触れて、アリスは目を丸くした。
気が付けば、椅子の片側に赤いヘアピンのダムが立っている。
椅子を引こうとする前に、覗き込んだダムの指先がするりと目尻を撫でる。

「ねえ、お姉さん」

「だから・・何っ」

双子はちらと視線を交わして何かを考え合っているようだが、アリスにその思考が読み取れるはずも無い。
机の向こうからアリスの頬を撫でたディーが、少しだけ首を傾げてその青い瞳を細めた。

「ちゃんと、休んでる?」

「・・・ええ」

「嘘」

「っ・・」

答えたものの、ディーに即座に切り返されて言葉に詰まる。
耳元にふっとかかった吐息に慌ててそちらを見れば、ダムが少し怒ったような顔をしている。

「僕たち、ボスよりお姉さんが必要なんだよ」

「そうだよ。他の誰でもない、お姉さんが大事なんだ」

急に真剣な顔で言い寄る双子に何も言い返せないでいると、双子は急に何かを思いついたかのように目を輝かせた。
あまり、碌な事を考えているようには見えない。

「よし、お姉さんも今から休憩にしよう!」

「そうだねっ、さすが兄弟!」

「・・いきなり何を言い出すのかと思えば・・・しないわよ」

休憩になんて、と言おうとした体にぐっと細いながらもしっかりした両腕を回されて、驚いて小さく悲鳴を上げる。
横から抱きすくめるかのようにされたかと思えば、腰に回された腕に軽々と持ち上げられる。

「ちょっ!いきなり何するのよ下ろして、ダム!」

足のつかない浮遊感に慌ててその首元にしがみつきながら怒っても、ダムは笑うだけで下ろしてくれない。
ディーが先導して扉を開けて、抱えられたまま執務室を出てしまう。

「あっ・・アリス様、どこへ・・」

扉の両脇に立っていた見張りが、双子によって連れ去られそうなボスの姿にうろたえている。
アリスが何かを答える前に、ディーによって突きつけられた斧に小さく仰け反る彼らの姿を見て、アリスは慌てて暴れた。

「ディー、何してるのよっ」

「何って・・口封じ?」

「~~~っ、分かった!分かったってば、休憩にするから!その斧を下してちょうだい!!」

肩の上から喚くように言えば、ちょっとだけ不服そうな顔をしながらもディーは斧を己の元に引き戻した。
脅えたように身を引く部下に、苦笑してアリスは大丈夫だと手を振った。

「戻ってくるまで、ここをお願いね」

言えば、ほっとした顔で身を正した彼らにその場を任せて、アリスは再開した歩みに諦めて身を任せた。
頭を預けたダムの背中からは外の日差しの匂いがした。
最近、お姉さんが交渉を繰り返すせいで抗争が減って体がなまっちゃうよとつまらなそうに話す双子からは、血と硝煙の匂いが少しだけ薄れていた。
遊園地を訪れてから、彼らにも休暇を何度か与えたからボリスの元にも遊びに行ったのかもしれない。
そうなら良いのだけれど、と思いながらアリスは規則的な揺れに意識を浚われていった。


--------------+**


ふんわりと香る、花の香りに鼻先をくすぐられてアリスはそっと目を開いた。
暗く陰った視界の中で、こちらを覗き込む赤と青の瞳と目が合って、びっくりして体を起こそうとした。

「っ!!~~ったぁ」

「ちょ、お姉さん・・それはひどいよ」

「っつ・・」

ガツンと実に重い音が額に響いて、3人3様に呻いてぶつけた箇所を抑えて蹲る。
涙目になりながらもアリスが辺りを見渡せば、そこは裏手の広い草地だった。
目を、見開いて体を強張らせたアリスに気付いた双子が、すぐに左右に寄り添ってくる。

「お姉さん」

「そんな怖い顔、しないでよお姉さん」

怖い顔を、していたのだろうか。
風に浚われそうになった花を掴もうとした己の手。
真っ青な空に散った、それとは違う赤い花。
銃声が鼓膜の奥で幻聴のように鳴り響く。
そんな光景を回想し続けるアリスの見開かれた目が、そっと左右から覆われる。

「お姉さんのせいじゃないよ」

「もう、忘れちゃっても良いんだよ」

「・・忘れられるわけ、無いじゃない」

掠れた自分の声が、自分の意思を無視して勝手に答える。
そして銃声に被さって、ねっとりとへばりつく様な女の声。

『・・・・お前が死ねば良かったのに・・』

「・・・・・」

門の前で打たれた女性の、憎悪に染まった瞳。
その通りだ。
本当に・・・。

「お姉さんはやらないよ」

不意に響いた声は、聞いたことも無いほど低く冷たくてアリスは暗闇の中で瞬きを繰り返した。
誰かに向かって放たれたようなその声は、まるで空間に反響するように辺りに響いていた。
膝に乗せていた手を足の傍に下す。
足に感じていた、ひんやりと冷たい石の感触にぞっとした。
いつのまに、ここは・・・。
周囲を確認しようと頭を振って目を覆う手から離れようとすれば、それは力を込めて振りほどかれんと抵抗した。

「ディー?ダム?!手を退けて」

「駄目だよお姉さん」

「うんうん。お願いだからちょっとじっとしててね」

アリスに答える声はいつも通りだ。
だが、後ろから目を覆われたアリスの傍からどちらかが立ち上がる音がした。
カツンと鳴る靴音とガチャリと構える、斧の音。
対峙するのは誰か・・・。

「罪に自ら囚われるなんて、囚人にふさわしくないか?・・ねえ、アリス?」

くすくすと笑う声。
どこか記憶の彼方で聞いたことがある、声。

「・・・ジョーカー・・」

「大当たり」

笑みが零れている様も思い出せるような、嬉しそうな声。

「お前なんかにお姉さんはあげないよ」

「それは君たちが決めることじゃないし、俺だって、ほら何もしていない。俺はただ、彼女が自分から足を運ぶのを待っているだけだよ」

「黙れよ」

タンッと軽く地を蹴る音、続いてヒュンと風が唸る音。

「ディー!」

後ろから回された腕が、アリスの動きを封じている。
それがダムの腕だと分かって、アリスは抜け出そうともがいた。

「駄目だよお姉さん。行かせない」

そうじゃない、ディーが危険に晒されているのだとしたら。
いてもたってもいられなくて、叫ぶ。

「離して、ダム!!」

見えない視界の代わりに研ぎ澄まされる耳に聞こえてくるのは、斧が空を切る音と鞭のしなる音、ピシッと何かに亀裂が走る音とディーの小さく呻く声。
気が変になりそうだ。
止めて、どうしてこんなことに。
違う、・・・分かっている。
自分のせいだ、自分がうつうつと考えていたせいで、彼らを危険に晒している。
嫌だ、離してともがく体を抑えていた腕が、不意に離れた。

「ちっ・・迷子の・・邪魔をしないでよ!」

少し焦ったようなダムの声と共に、開けた視界に赤い色彩が映り込んだ。
苛々したようにダムが斧を振りかぶる。
止める前に振り切られたそれを余裕で交わして、エースはからからと笑った。

「嫌だなぁ。こっちこそ双子君たちと遊んでいる暇なんて、本当は無いんだ、ぜっ」

血の様な赤い瞳が象られた笑みの中に沈んで、陰がかかる。
声と共に振り上げられた大剣が、重さなど感じさせない軽さでダムに迫っていた。

「エース!?・・っ駄目、やめっっ・・」

ガキンと固い金属音を響かせてダムの斧がそれを受け止め、しかし力に押し任されて足が後ろに滑りダムが歯ぎしりする音が聞こえた。
細い腕が重圧に押し負けて細かく震えているのが見えて、アリスの顔から血の気が引いていった。

「エース!!!」

「やあ、アリス。駄目じゃないかこんなところに来ちゃあ」

近所でバッタリ会って、手を挙げて挨拶をするような、そんな気軽さを伴った明るい声が牢屋の並ぶ監獄に響く。
その背後では、ディーとジョーカーが遣り合う様が見え、響き渡る銃声にびくりと大きく肩を震わせた。
今にも力が抜けてしまいそうな足を叱咤して立ち上がり、拳をぐっと握る。
細かく震える息を吐き出して、キッと睨みつけた。

「エース、今すぐ剣を下して」

「ええー?って言っても、そっちから仕掛けてきたんだぜ?」

「ダムも、斧を下してちょうだい」

「・・お姉さんっ」

ダムの方もきつい目で睨み据えるようにすれば、渋々といった風に斧を相手から離すも、警戒するようにエースを睨む目は変えない。

「・・・・・おい。ジョーカー」

睨みつけるダムと微笑むようにこちらを見ているエースが束の間静かになれば、ディーとジョーカーが遣り合う音が空間を支配して慌ててそちらに近寄った。
それと同時に、その廊下の先の暗がりから低い静かな声が近づいてきた。

「そんなことをしている暇があるなら、大罪人でも探しに行ったらどうだ」

「ユリウス・・忙しい筈の君までこんなところに来るなんてね」

「分かっているなら、私の手を煩わせるな」

「嫌だな。そもそもその仕事は俺の仕事じゃない」

落ち着いたユリウスの声に苦笑したジョーカーの赤い瞳が、ちらとこちらを向く。
その先にいるエースの笑みは、ちらとも揺らがない。

「君の仕事だろ、エース」

「はははっ!分かってるって。ちょっと迷っちゃったんだ、・・大目に見てくれよジョーカーさん」

エースが大剣を腰の鞘に戻して、笑いながらそっちに歩み寄った。
ディーを牽制しつつ、ジョーカーはやれやれと鞭を片手に首を振る。

「君のそのくせも、いい加減そろそろどうにかした方が・・」

ザシュッ、と前触れもなく空気と何かを切り裂く音が聞こえた。
途切れたジョーカーの声、再び訪れた暗闇。
開いた自分の口から、掠れた息がひゅっと鳴るのがどこか遠くに聞こえる。

「おいおい、騒がしくしてんじゃねえよ・・・ったく、仕事も増やしやがって」

舌打ちと共に足元に転がるものを蹴る音。 呆れたような心底嫌そうな声が、いつの間にか増えている。
ごめんごめんと、軽く謝るエースの声にその誰かは盛大な溜息をついた。
それもまた聞き覚えのある・・ブラックさんの声だ。

「お前ら二人揃って暇ってわけじゃねーだろーが・・っち、・・おいっ」

「・・・・・」

「邪魔なんだよ、さっさとそいつ連れて出てけ。ここはお前らの遊び場じゃねーぞ」

寄り添うもう一人の気配と共に、冷たく薄暗いその場所から切り離されるのを感じる。
瞬きをすれば、もう辺りに漂うのは夜のしっとりした空気と草原の緑の匂いだった。
どこかで虫が鳴いているのが聞こえてくる。

「・・・・・」

「・・・はーぁあ」

どさっと座り込む音。
ディーの疲れ切ったような声が聞こえて、今度こそアリスは視界を覆う手を退かしてその身に詰め寄った。
名前を呼んで慌てたように、傷が無いかとあちこち見回すアリスにディーが小さく笑う。

「お姉さん、心配し過ぎ・・・」

「そうそう。折角思う存分暴れられると思ったのに・・・」

「あそこで、迷子が邪魔に入らなきゃなぁ・・・」

「折角の休憩が・・あーあ」

ほっとして座り込むアリスの膝に、全く嫌になっちゃうと呟きながら、図々しくダムが頭をのせてくる。
途端にディーがズルいズルいと文句を言い始めて、アリスはやっと表情を緩めることが出来た。
擦り寄ってくる二人の頭を両手で撫でていれば、ぼおっとするアリスの手がディーとダムに掴まれた。
ハッとして見下ろした視線の先で、赤い瞳と青い瞳が真剣な光を灯してこちらを見上げている。

「お姉さん、どこにも行かないでね」

「僕たち、ちゃんと良い子にしてるからさ」

「・・どこにもなんて。そもそもここ以外に行く当てなんて、もう他に無いわよ」

不安げな二人に微笑み返せば、さっきまでの出来事が霞がかったようにどこかへと消えて行く。

遠ざかりかけた記憶の中で同じようで少し違う青と赤の色彩が、かたや笑みを浮かべ、かたや苦虫を潰したような顔でこちらの肩をその手でトンと押したように感じた。

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