光のパイプオルガン *6
一
一段、また一段と階段を上る。
エリオットは怒っているだろうか。
「・・・・久しぶりに上るときついわね・・」
誰にとも無く呟いて、ひんやりと冷たい石の壁に片手をついて立ち止まり、しばらく息を整える。
螺旋階段はまだ上へと続いている。
そして、手をつく壁と階段の上からカチコチと響いてくる音。
幾つも幾つも重なり合って、それでも規則正しく少しの乱れも無く調和を保ち続ける。
まるで、この上にいつも一人でいる彼のようだ。
見上げて、その姿を思う。
遊園地と城に領主の顔合わせとして出向いてから、数時間帯がたっていた。
抗争が勃発したということも無いのに、結局エリオットには声をかけられず一人で出向くことにした。
まだ顔を合わせていない領主がいる、時計塔。
エリオットはユリウスを憎んでいるから、いくら領主同士で必要なこととはいえ、会いに行こうなどとは言わないだろうし、言いたくも無いだろう。
「・・・ユリウス」
この世界に来て、初めて会った相手だ。
嫌味と皮肉交じりの冷たい言葉、すげない態度。
でもそれは全てではなく、知り合えば知り合うほど分かる不器用な優しさに何度救われたことか。
本当に困ったときは何も言わず、何も聞かずに迎え入れてくれる。
人付き合いが苦手で口下手で引きこもりの、でも尊敬できる職人で、ゴーランドと同じくこの世界では珍しくまともな人間だ。
「・・・・・」
階段を上がりかけた足を、無言のまま下ろす。
開口一番、マフィアのボスなんかになってしまった自分は何を言われるだろう。
皮肉でも構わない。
どんな言葉でも、構わないから何か言ってほしい。
何も言ってもらえず、部屋にももう入ることが出来なくなる可能性だってある。
彼の仕事を増やすだけの地位だ。
これからは、もう気軽に遊びには来れない。
これからは・・・どうしたって仕事として顔を合わせることになるだろう。
それを思えば、この階段を上っても、迷惑を持ち込むなと扉さえ開けてもらえないかもしれない。
そこまで脳内でぐちぐちと悩み、そしてそんな臆病な自分自身に呆れて溜息を吐いた。
「・・・・よし」
頬を小さく叩いて、気合を入れる。
迷っていても、領主の顔合わせをするなら会わなければならない相手だ。
いつまでも避けてはいられない。
エリオットにも黙ってここまで来たのだ。
手ぶらなんてあり得ない、しっかりこなして帰るのだ。
・・・自分の領土に。
「そんなところで立ち止まって、どうしたんだ?」
「!!・・・エース」
会うかどうかの確立は半分。
会いたくないと思う気持ちもあった。
「顔色が悪いぜ。もう少し上がればユリウスのところに着く」
いつもどおりの爽やかな笑顔で、階段の上から赤いハートの騎士に行こうぜ、と片手を差し伸べられる。
・・否、茶色いフード付きのぼろぼろのコートを羽織る彼は、今その役割ではない。
そう考えれば、まるで罰を受けるために行くみたいだと、その手に自分の手を重ねながら心の奥底で思う。
処刑人である彼に手を引かれて行くなら、そこは処刑台に他ならないだろう。
私は、罰を求めているのだろうか。
「?・・・・・!?」
片手を預けていた石の感触が消えて、冷えた金属を手のひらに感じる。
曲面を描く棒状の金属。
ケケケッと甲高い笑い声が、薄暗い天井に反響して耳の中で不協和音をえがく。
「罪深きこそ、囚人にふさわしい」
看守服の男が暗褐色の瞳を向けて、笑う。
「・・ス、・・・アリス?」
「っ・・!?」
力強く手を握られて、ハッと瞬きを繰り返す。
見渡せば、そこは時計塔の内部であって、牢屋の並ぶ薄暗い監獄ではない。
おかしな仮面をつけた男とは違う、血の様な赤い瞳の騎士が顔を覗き込んできていた。
「あ、・・」
開いた口から、意味の無い音が漏れる。
エースは何も言わない。
少しだけ痛ましげに眉を顰めたように見えたが、瞬きする間にその表情は溶けて消え、いつもどおりの中身の無い透明な笑顔が浮かんでいる。
ほら、と掴んだ手を力強く引っ張って階段を上がっていく。
足がもつれそうになって、慌ててその後を追った。
--------------+**
「こ、こんにちは。・・ユリウス」
例によって例のごとく、入室の許可を取らない内にエースが開け放った扉の中にアリスは一歩足を踏み入れた。
カチャリ、カチャカチカチ・・・。
「・・ユリウスー」
「・・・・・聞こえている」
カチャカチャ・・カチリ・・。
時計の中に部品が嵌め込まれてカチリとはまる音を最後に、ユリウスの手は止められてその顔が少し上向く。
長い藍色の髪で出来た影の中で、同色の静かな瞳がこちらを見た。
知らず、ドキリとしたアリスを見てどう思ったのか。
無言のまま、ユリウスはまた別の時計を手に取ろうとした。
「・・離せ」
「それはこっちの台詞だよ、ユリウス」
にこにこと笑うエースの手が、時計を持ち上げようとしたユリウスの手を押さえている。
時計に触れている以上、振り払うわけにもいかずにユリウスは舌打ちをした。
笑みを浮かべてはいるが異様な威圧感を放つエースと、眉間にしわを寄せてその顔を睨みつけるユリウスの静かな怒気が、広くも無い部屋に満ちていく。
アリスは居たたまれなくなって、目をそらした。
こんな二人の姿は見ていたくない。
自分が会いに来れなくても、この二人には親友でいて欲しいのだ。
まるでペーターと自分のように、計り知れない絆のようなものがそこにはあるような気がしたから。
「あの・・ごめんなさい、私、帰るわね。また、出直してくるわ」
「そう「その必要は無いぜ、アリス」」
そうか、と言い掛けたユリウスの声をかき消して、エースが笑顔を向ける。
押さえ込んだままのユリウスの手を解放して、何を思ったのか簡易キッチンの方に鼻歌を歌いながら歩いていく。
「何をする気だ、余計なことはするな」
「余計なことじゃないぜ。折角来てくれた親友には珈琲の一杯も入れてあげなきゃ駄目だろう」
「っ・・いい、よせ触るな!・・・私が淹れる」
ユリウスはガタリと立ち上がって、時計を手放し大股で簡易キッチンへと歩いていく。
作業机の上では彼が手放した工具がコロリと転がって、動きを止めた。
ええー、と不満げな声を出しながらも、追い出されたエースが戻ってくる。
目が合った瞬間、小さくウィンクをされた。
「!!」
エースも、何の件で自分がここを訪れたのかは分かっているようだ。
顔を合わせたからといって、領主の顔合わせが済んだわけではない。
事務的ではあるが今後のことについても話し合う必要がある。
避けられない決まりで、この世界のルール。
今ここで帰ったとしても、どの道また顔を合わせなければいけないことに変わりはないのだ。
一度避ければ、次はもっと来にくくなる。
それも分かっているから、アリスはエースに小さく礼を伝えた。
「礼なんていらないよ、アリス。そんな気弱な君を見るなんてな、あはははっ」
「でも・・」
何が楽しいのか、エースは嬉しげに笑っている。
そして、ピタリと笑い声を止めたかと思えば、意味深に微笑んで静かに付け足した。
「いいんだよ。だって今のは完全にユリウスが、悪い」
「え?」
「・・何をつったったまま喋っている。・・・ほら、これでいいだろう」
どういう意味なのかを聞き返す前に、珈琲を持ったユリウスが戻ってくる。
湯気のたつカップを差し出されて受け取れば、むすっとした顔で上から見下ろされてつい萎縮してしまった。
「ユリウス。弱いものいじめなんて良くないぜ」
「!!なっ・・私は、別に・・弱いものいじめなど!」
「してるだろう?あーあ、これでアリスはもうここに来てくれなくなっちゃうなー」
珈琲カップを片手に大げさに落胆して見せるエースを忌々しげに睨んで、ユリウスはふんと他所を向いた。
「塔が静かになって良いことだ。何の問題も無い」
「あるだろう?嘘も良くない。はぁあ、ユリウスってば本当に往生際が悪いぜ」
「なっ!!?」
やれやれと額に手をあてて天を仰いでみせるエースの方を、ばっと振り向いてユリウスは口をパクパクと開いては閉じた。
言いたいことはあるが、声に出ないらしい。
アリスは受け取った珈琲を一口飲みながら、その少し赤くなった横顔を見つめた。
ユリウスの淹れてくれた珈琲は変わらず美味しい。
「・・・・・」
もう珈琲の匂いをまとって帰ってきた自分に嫌味を言う、彼はいない。
以前に何度か繰り返したあのやり取りは、もう出来ない。
これで心置きなく珈琲も飲めるわと思えば、美味しいはずの味が急に苦味を帯びたように感じられて、そっと口を外した。
「ごちそうさま!それじゃ、俺はもう行くよ」
「えっ・・」
たん、と小さく音を立てて空になったコップがテーブルに置かれる。
その手を辿った先のエースの顔を思わず見つめれば、困ったように笑い返される。
「そんな捨てられた子犬みたいな顔、しないでくれよ。・・・ここから先は君とユリウスの話だろ」
「!・・そうだけど」
「じゃあ、またな!」
何をしに来たのか、珈琲を飲むためだけに来たのか。
エースは爽やかに笑ってまた勢い良く扉を開けて出て行った。
部屋に沈黙が落ちる。
その矢先、エースの悲鳴と階段を転げ落ちる音が聞こえてきた。
ユリウスが溜息を吐く。
「はあ・・本当にあいつは何をやってるんだ」
「・・相変わらずね」
つい呆れた声で同意してしまってから、ユリウスの視線を感じた。
立ったまま飲んでいたカップを作業机の端に置いて、ユリウスはその角に腕を組んで寄りかかる。
アリスもテーブルの上に珈琲を置いて、静かに深呼吸をした。
「遅くなってごめんなさい。新しく帽子屋屋敷の領主になりました、アリス=リデルです」
今更ながら、挨拶をする。
だがユリウスは少し意外と言いたげに、眉をぴくりと動かす。
「リデル?・・私はてっきり・・」
「?何か変だったかしら」
「あ、ああいや。何でもない」
「そう・・?」
「ああ。・・・分かってはいると思うが、ここは中立地帯だ。定期的に領主の顔合わせは必要だが、ここはその限りではない」
「そうなのね」
淡々と説明をするユリウスに頷いて、質問も挟み言葉を交わす。
その頃には、二人きりになってしまった時の居心地の悪さももう忘れてしまっていた。
「・・・ということだ。お前か、無理なら代理でもいい」
「出来る限り、私が来るわ」
「・・・そうか」
話が途切れて、部屋が静かになる。
不意に、エースに会いたくないと無意識に感じたことを思い出す。
会ったら会ったで、珍しく気を利かせてくれたりして助かったのに、何故会う前はあんなにも会いたくない等と思ったのだろう。
「ところで、アリス」
考え事に没頭しそうになった頭に、冷や水を浴びせかけられたような錯覚。
驚いて相手の瞳に焦点を合わせれば、静かに冷気を纏う青い瞳と目が合う。
暗く冷たい海の底に覗き込まれる。
「お前・・・帽子屋の時計はどうした?」
「え・・・・!??」
何故、そんなことを聞くのだろう。
ブラッドの時計。
彼は、自分に代わって銃弾を受けて命を、時計の針を止めた。
ブラッドは、時計だけになった。
なったはずだ。
「あ・・・え・・」
愕然とした。
どうしてそこが思い浮かばなかったのだろう。
アリスはブラッドが時計になったところを、見ていない。
彼の時計も、見ていない。
ではいったいブラッドの・・・ブラッドであった時計はどこにいったのか。
衝撃が強すぎて、そのことを考える気持ちの余裕が無いままだった。
無いままでいてしまったせいで、無意識に止まった時計は時計屋であるユリウスの元へ運ばれたのだろうと、何も見もせずにそう思い込んでいた。
「・・・どういう、こと・・?」
ユリウスのこの口調。
ブラッドの時計は、ここに運ばれたわけでは無いのだろうか。
「私が聞きたい。・・・どこへやったか、知らないのか」
静かに詰問される。
時計はこの世界にとって重要なものだ。
もうその事実を、知らないわけが無い。
時を、その時計の針を止めたブラッドであった時計は、時計屋であるユリウスの元で修理され新しく生まれ変わる。
ブラッドではない、別の者の時計として。
・・中身の違う、別人となった帽子屋の新たな心臓としてまた動き出すのだろうか。
それとも、他の誰かが何かしらの役持ちに任命されるのだろうか。
・・・何れにせよ。
「まさか・・」
「・・・はあ。・・最悪、だな」
そのはずだった時計がここに無いということは。
ひとつの可能性を思い浮かべて、顔が青ざめる。
嫌悪感と怒気を放つユリウスが思い浮かべているであろう人物に、アリスも心当たりがある。
むしろ、ありすぎるぐらいだ。
ブラッドを敬愛して止まない、帽子屋ファミリーのNO.2。
「エリオット・・・そんな・・」
「奴ならやりかねない。ちっ、あの××××××のうさぎめ」
ユリウスの口から、罵倒がもれる。
アリスはテーブルに額をぶつける勢いで、頭を下げた。
「ごめんなさいっユリウス!!!!」
「・・・・・」
「私、私がっ・・ちゃんとしていればっ」
「お前がちゃんとしていようといなかろうと、なってしまったものは仕方が無い」
「でもっ!!!」
ブラッドが時計になるところなんて見たくないと思った。
それが、この結果をまねいたのだ。
ちゃんと目をそらさずに見届けるべきだったのだ。
どんなに辛くとも・・。
「・・・お前を責める気は無い。分かったら、顔を上げろ」
「でも・・でも」
「いつまでもそうしていられても鬱陶しいだけだ。いいから顔を上げろ。お前の謝罪は受け取った、これでいいだろう」
重苦しい溜息つきで言われてもと、のろのろと顔を上げる。
眉間の皺は深いがユリウスはそれ以上は何も言わずにいる。
責める気は無いというのは本当なのだろう。
「そうなら、そうで私はやるべきことが出来た。忙しくなる。だからお前は用件が済んだのならさっさと帰れ」
「・・そうね。エリオットに・・」
「奴と、帽子屋の時計のことについては、これ以上首を突っ込むな」
「!・・何で・・」
「・・ここからは、私とあいつの問題だ。お前には関係ない」
「でも、私が命令して・・」
「関係ないと言っただろう、何度も言わせるな。これは、私の仕事だ」
強い口調できっぱりと言われては、アリスには返す言葉は無かった。
一度深呼吸をするかのようにして、一転静かな声音でユリウスは続ける。
「どうせ、今から吐かせたところで粉々に壊されたであろう時計は、もうどうにもならない。・・作り直すしか、無いだろうな。お前の相手をする暇は無いから当分ここには来るな」
そんなことが出来るの?と聞きそうになった口を閉ざす。
ユリウスがそう言うからには出来ることなのだ。
だがその悲痛な顔を見れば、それは容易いことではないのだと分かる。
すでにこの間も惜しいとばかりにさっさと追い出そうとする。
いつもの修理とは訳の違う、そのための特別な作業にでも入るのだろうか。
これまでの、作業をしながらもアリスの話を聞いてくれるような、そんな余裕も無いということだ。
取り返しのつかないことをしてしまったと気が付けど、遅い。
「・・・帰るわね、ユリウス」
「ああ、そうしろ」
そっけなく言ったかと思えば、本棚から何冊もの本を取り出してテーブルに乱雑に積み始める。
いつになく慌しく動き出すその背中を最後にちらと見て、アリスはそっと扉を閉じた。
トントン、と階段を下りていく。
ぐるぐると壁沿いに回っていけば、思考はエリオットとブラッドの時計のことで頭が一杯になった。
エリオットは、ブラッドが生きていた頃に話していた。
「俺が死んだら、ブラッドが時計を壊してくれる、そういう約束なんだ」と嬉しそうに、何度も話してくれた。
でも、ブラッドはエリオットより先に死んでしまった。
約束を果たさぬままに。
だからといって、エリオットがブラッドを恨んでいる様子は微塵も無い。
そんなこと想像も出来ないが。
だがエリオットが、自分が相手に願ったことを逆にしてやったというのは、おそらくは間違いないだろう。
「・・エリオット・・」
このことには首を突っ込むなと、ユリウスには釘をさされた。
時計塔に来てユリウスに会っていたことにも、きっと難色を示すはずだ。
加えてブラッドの時計について聞けばどうなることか。
ユリウスにその所在を探られていることに苛立ちを示し、最悪銃を出すかもしれない。
自分は撃たれずとも、腹いせに周囲の誰かを撃つことも考えられる。
ユリウスはその危険性を感じて、アリスに無闇につっつくなと警告したのだ。
ブラッドの時計は・・・一体どうなったのか。
聞きたい、でも聞けない。
そして、もうひとつ。
「新しい・・時計・・」
ユリウスが時計を作り出せば、順番待ちをしている残像の誰かが蘇る。
だがそれは、もはやブラッドではない、誰かだ。
ブラッドであった彼は、残像としてどこかにいるのだろうか。
私はその残像に会うことはあるのだろうか。
だが、残像に意思があるとはとても思えない。
記憶は・・?
・・・残っているとは到底思えない。
では蘇るといっても、この世界を回り続けるといっても、やはり自分と彼はもう会うことは無いんじゃないか。
これからずっと、帽子屋の領主として彼の面影だけを抱えて生きていくなんて。
そんなことは、考えたく無い。
今は考えたくなかった。