Nightingale doesn't have a Dream of Our Lady's tears.


Mary's tears *5





「ビバルディ・・・」

彼女は全く取り乱した様子も無く、常と変わらない微笑で良く来たと出迎えてくれた。
アリスは、何を言えるわけも無く口を噤んで立ちすくむ。

「何をしておる。こっちへ来るのじゃ」

優美な手つきで招かれて無言のまま後に続く。
赤薔薇で囲まれた広大な庭の隅、ティーセットとお菓子の盛り付けられた皿の並ぶ、白いクロスのかけられたテーブルと椅子。
ハートの女王の催すものにしてはこじんまりとしたお茶会だ。
席を示してから、女王は先に椅子に座った。
椅子の背に手をかけてアリスは俯く。

「アリス」

「・・・ビバルディ、私っ・・」

「今は聞かぬ」

ハッキリと言われて、顔を上げてその静かな面をじっと見る。
自分の顔が、表情が見にくく歪んでいるのが分かる。
どうして欲しかったのか。
怒鳴り散らして欲しかったのだろうか。
いっそ、怒ってくれれば土下座をしてでも謝ることが出来る。
だが、彼女はその先を言わせなかった。

「ここは、ハートの城じゃ、アリス」

言われてはっとした。
ビバルディはここではハートの女王で、ブラッドの姉である彼女はここにはいない。
喉からせり出してきそうな、憐れに許しを請おうとする声を飲み込んで、椅子を引いてアリスは座った。
その様子をちらと眺めて、ビバルディは紅茶を一口飲む。

「あやつが死んで思う存分笑ってやるつもりじゃったのに、忌々しいこと。・・これでまた、ゲームの勝敗は分からなくなってしもうた」

叩きつけるとまではいかないが、陶磁器の触れ合う音がするほどには荒い手つきでティーカップがソーサーに戻される。
紅い液体はちゃぷりと揺れ小さい飛沫を跳ね上げたが、その水面はまた静かになった。

「・・・・・」

アリスは、揺れていた紅茶の液体から、夕暮れに染まる赤い薔薇に囲まれた庭園へと視線を移した。
さっきまでビバルディに対峙して見っとも無いくらいに動揺していたアリスは、今度はまるで自分の殻の中にこもってしまったかのように何も言わずに、ただ座っている。
手元の紅茶のようにその顔も凪いだ水面のようなアリスを、向かいに座っているビバルディはじっと見つめた。
どこを見ているのかなど、問いかけるのも馬鹿馬鹿しい。
その脳裏に描いているであろう姿を同じように描いてしまって、ビバルディは女王らしからぬ舌打ちをして綺麗に整えていた爪を噛む。
その口元から離した指を、先ほど置いたばかりのティーカップへと伸ばそうとして止めた。

「本当に、どこまでも忌々しい男じゃ」

自分が行おうとしていた無意識の仕草に苛立って、食べたい気分でもないお茶請けに用意した菓子に手を伸ばす。

「・・・お前が相手では、わらわも手を出しにくいと知って・・嫌な手札を残していったものよ」

その言葉に、アリスの視線がビバルディの方へと戻される。
口が僅かに開いて何かを言おうとして、そして何も発さずに閉ざされる。
手慰みにつまんだ茶菓子は柔らかく、指の間でぐしゃりとつぶれた。
苛立ち紛れにその指を草の上で払う。

「・・・私は、彼らの役に立てるような手札かしら」

ぽつりと、もしかしたらその言葉を発したことにすら気づいていない様にアリスは遠い目をしている。
ビバルディはきょとんと、目を見開いた。
まるで少女のような幼い表情に、もしアリスが気付いたなら可愛いと笑っていたかもしれない。
だがアリスは今だ、ぼんやりと彼女の心の中を漂っている。
起きてしまった、もう覆せない出来事に懺悔と後悔と贖罪で満たした器の中で溺れている。
憐れなその様に眉を顰めたのも一瞬、ビバルディは眉間に込めた力をふっと抜いた。

「これ以上は無いというくらい、最強の手札じゃ。安心せい」

おまけとばかりに、盛大に溜息を吐いたみせた。
自分でもわざとらしく、大きな声で。
それなら良かったわとアリスは答える。
その手はずっと膝の上に行儀良く置かれていて、菓子はもちろん、紅茶にも伸ばされていない。

「それにしても、わらわのもとではなく遊園地なんぞに先に顔を出すとは」

拗ねたような女王の顔を、アリスは急に我に帰ったような顔で見返す。
それはまるで映画の離れたコマを無理やり繋げた様な違和感があった。
ゆっくりと今にも止まりそうだったオルゴールを、無理やり巻きなおしたかのようにアリスは話し出す。

「ごめんなさい。エリオットに連れ出されて顔合わせだったと知ったのよ。・・・順番があったのかしら」

もしそうなら言って欲しかったと、今この場にはいないウサギ耳の相手を思い浮かべる。
アリスからしてみれば、他所からきたお客さんのような立場だったのが、いきなり輪の中に引っ張り込まれたようなもので、ルールもしきたりもまだ把握しきれていない。

「順番なぞ、無い」

ふいっと視線をそらされる。
単に、先に訪れなかったことを不満に思っているだけ、ということだ。
そのことにアリスの心は和む。
こうして拗ねる彼女は、年上の女性なのにたまに可愛らしい面を見せてくれる大切な友人だ。
甘く美味しそうな匂いを漂わせる上級のお菓子と、彼女も大好きな紅い液体。
ずっと躊躇っていたティーカップに、そっと指を伸ばそうとした。

パンパンッ

その途端、女王の手のひらが打ち鳴らされて、アリスの目の前に置かれたティーカップは取り上げられる。
何事かと思えば、呆れたようなビバルディの瞳がこちらを見ていた。

「すっかり冷めてまずくなった紅茶など、飲むものに値しない」

冷めてしまうまで手をつけなかった自分が悪いのだが、彼ほどには無いにせよ紅茶への拘りを持つ彼女の前で反論は飲み込む。
大人しく新しく注がれた紅茶を待って、やっと僅かに一口だけ口をつける。
この庭園にいても、まぎれることの無い独特の香り、渋みは少なくまろやかな味。

「ディンブラ」

「・・奴の教育の賜物か」

当てればビバルディは、綺麗な赤い爪のそろう手を額に当てて、大げさに嘆いてみせる。
そうやって彼のことを間に挟める彼女と会うのは、苦痛かもしれないと思っていた。
無言でティーカップの中で揺れる紅茶に視線を落とす。
ここで彼女と紅茶を飲めば、もうこの国のどこにもいないブラッドのことを考えずにはいられない。
遊園地でゴーランドに紅茶を出されるのとは、わけが違う。
そしてビバルディとブラッドが揃えば、思い出されるのは薔薇の咲き誇る秘密の場所。
だが、ここではそのことを口には出せない。
それでも無性に、薔薇園のことを話したかった。
もどかしい気持ちが焦りを生み出す。

「・・・・・」

長い沈黙をどう受け取ったのか、ビバルディは小さく息を吐いて一度瞳を閉じて、そのワインのように濃い瞳を細く開いて嫣然と微笑んだ。

「何はともあれアリス、わらわはこの退屈なゲームをお前と続けることに否はないよ。無意味でつまらないものだが、お前と出来るなら少しは退屈もまぎれるやもしれない」

「そう・・・お手柔らかに頼むわ」

これでハートの城との、領主となって初の顔合わせが終わった。
これからも定期的に領主同士の顔合わせは行われるという。
そのときに、どんな話をすることになるかは・・またその時だ。

「そういえば、ペーターは・・?」

城についてからも彼の姿は見ていない。
いつもなら、真っ先に飛んできてまとわりつかれてもおかしくはない。
加えて、今のアリスは帽子屋の領主でありマフィアのボスになってしまった。
ペーターがどんなことを言ってくるかと、少なからず身構えてはいたのだが。

「うるさいので仕事を押し付けてやった」

「そ、そう」

うんざりといった様子のビバルディに、やはりペーターは騒ぎ立てたのだろうと容易に想像できる。
でも、今はビバルディの配慮に感謝している。
想像がつき身構えていたからといって、ペーターに何を聞かれたとしてまともに答えられるとは思えなかったからだ。
なぜ、どうして。
きっと矢継ぎ早に訊かれて、上手く答えられずに困惑するしかないだろう。

「これ以上、奴の錯乱したようなわめき声と銃声を聞かされては敵わん」

「・・また改めて、ペーターのところに顔を出すわ」

そうしてくれと肩を竦める女王様に、ありがとうと礼を告げてアリスは城を出た。


--------------+**


「ちょっと、寄り道してもいいか?」

城を出たところでまた合流したエリオットと帽子屋屋敷の使用人とともに帽子屋の領土内へ戻れば、エリオットが訪ねたいところがあると言い出した。
わざわざ自分に承諾を得るまでも無い。
エリオットなら、まだしばらくは物騒なこの領土内でも自由に動くことは問題ないだろう。

「いいわよ。じゃあ、私は先に戻っているわね」

そう言って、使用人たちと屋敷の方へと足を向ければ、違う違うとエリオットに肩を掴まれ歩き出した足を止めさせられた。

「あんたも一緒に、だ」

「私も?」

「ああ、こっちにも顔を出さなきゃならねえところはまだあるからな」

エリオットが少しだけ申し訳なさそうな顔をする。
そう言うということは、遊園地、ハートの城、と領主として顔を出していたのとは違い、マフィアのボスとしての顔合わせをすべき場所があるということなのだろう。
もちろん、否を言うわけが無い。
納得して頷けば、エリオットの顔がほっとしたようなものになる。

「あなたがそんな顔をする必要は無いわ。自分で引き受けた立場で、私の仕事ならしないわけが無いでしょう」

きっぱりと告げる。

「これからも、必要なことはどんどん言って頂戴。私なんかで出来ることなら・・」

「あんたなんか・・じゃない。あんただから、出来ることだ」

エリオットに言葉を遮られる。
その顔は少し険しい。

「そう・・ね。ごめんなさい」

つい卑屈になってしまった言葉を謝る。
こんなことでは、組織のトップはこなせない。
ただでさえ力も無いのだから、せめて話すことぐらい自信を持たなければ。
そうは思うのだが、そう簡単に生来の性分を変えることはなかなか難しい。

「ありがとう」

謝った矢先に礼を言われて、エリオットの目が戸惑ったように辺りをさ迷う。
元々は客人の扱いだったから屋敷のみんなはもちろん、今の立場になって尚更ハッキリと物を言ってくれる相手はいなくなってしまったから。

「ちゃんと叱ってくれて、ありがとう」

そう言えば、エリオットははっとした顔になって、耳の先がすこし垂れた。
急にしょんぼりとした声で呟く。

「そ、そうだよな。あんたはもう俺たちのボスだ。俺はなんつーことを・・」

「いいのよ。遠慮なんてしないで、違うと思ったことは違うと言って欲しいの。・・・私が、許すわ」

おどけたように言って頼めば、迷った様子だったエリオットも納得をしたようだった。
歩き出した足は屋敷へ向かう道を反れて、街はずれの森の近くまで進んで行く。
こんなところに、何かあったのだろうか。
住宅街を抜けて静けさを感じる耳に、進む先から賑やかな声が聞こえてきた。
騒ぐ声は高く元気が良い、子どもの声だ。

「教会?」

木々に囲まれた先に、縦に細長く正面の窓にステンドグラスを嵌めた建物が見えてくる。
屋根の三角錐の先に付けられた十字架が、そこが教会だと答えている。
そういえば、以前にもマフィアと教会の関係を聞いたことがあると思い出す。
世の中、持ちつ持たれつだとブラッドは話していた。
領土内の教会のほとんどはマフィアである帽子屋屋敷の恩恵を受けて、その見返りにもしもの時には避難場所にもなるという。
ここも、そうだということなのだろう。
更に歩みを進めれば、先に通達を受けていたのか年配の神父が出迎えるように教会の扉から姿を現した。
どこからか穏やかなシスターの声が、子どもたちを呼び集めている声が聞こえる。

「孤児院も、兼ねているの?」

「そういうことだ。・・・おい」

笑顔を絶やさずに、マフィアの訪問を受け入れる神父。
こんな自分がそのマフィアのボスだということも十分変だとは思うが、そういう世界なのだと受け入れればもう疑問に思う気にもならない。

「ようこそいらっしゃいました。エリオット様・・それから、アリス様」

「こんにちは、はじめまして。アリス=リデルです」

右手で握手を交わす。
扉を開いて招き入れられれば、少し薄暗い教会内の木の香りと差し込む陽光に包まれる。
建物の中なのにまるで森の中のようだ。
静けさの中、遠くから子どもの声が聞こえるくるのが意識を現実に連れ戻した。
声が聞こえるほうに顔を向けたからだろう、神父の眉が少し下がる。

「騒がしくて申し訳ありません。どこからかあなた方が来ると聞いてしまったようで」

機嫌を損ねると思われたのだろうか。
ブラッドなら、こういうときどんな言葉を返すのだろう。
子どもの声が聞こえたぐらいで、銃を取り出すような人では無いとは思っているが、周囲の者が不穏な態度を示したことがあるのかもしれない。
でも今は彼のことを考えていても仕方が無い。
・・・それはもう、確かめようも無いことだ。

「元気があって楽しげな声だわ。私は好きです」

嘘では無い笑顔で返せば、神父の顔も優しく緩む。
挨拶も済み、エリオットを通して事務的な通達をすればやるべきことは終わる。
ここに来るまでに遊園地と城を訪れていたのだ。
彼らは良き友人たちとはいえ、今回は気軽に遊びに行ったわけではない。
顔合わせという領主の立場であったことで、気を張るべきところもあった。
その足で教会に来て疲れていないわけもない。
仕事も終わったのなら屋敷に帰って休むだけだ。

「どうした?」

迷っていれば、エリオットに声をかけられる。

「・・・孤児院のほうも、見ていって良いかしら」

言えば、エリオットの顔が嫌そうに歪む。
何だろう、何か悪いことだったのだろうか。

「えー・・ガキどもにもわざわざ挨拶する必要なんかねえよ」

「そういうわけじゃなくて・・いえ、そういうのも必要かもしれないし」

マフィアのボスが、と言いながらもエリオットが嫌がるのには何か別の理由があるように見える。
その顔に浮かぶのは嫌悪ではない、単純に面倒そうなものだ。
これなら、押せば彼も渋々引いてくれるだろう。

「何か問題があるんじゃないのなら、ね、お願い。もしかしたら、またあまり外に出られなくなるかもしれないでしょう」

抗争が激しくなれば、また屋敷内に引き込まざるおえない。
折角久しぶりに外に出たのだからと頼み込めば、やはりエリオットは嫌そうにしながらも了承する。
そのやり取りを見ていた神父の顔は穏やかで、子どもたちの前に顔を出すことには問題は無さそうだ。

「では、こちらへ」

会話が途切れたところで、教会内から別の棟へと移るための扉を開けて案内される。
薄暗くひんやりした廊下はこちらも木の床で、まるで学校のようだと、薄っすらとした記憶の中の思い出を探る。
自分の家柄より低い階級の学校に無理をして入れてもらって、浮いていた頃の自分。
先生へ意見して、いたずらをし合ったことで距離の縮まったクラスメートの男子たち。
自分なりに上手くやれていたと思える、そんな子ども時代だ。

「・・こらっ」

前方からの声にハッとすれば、廊下の先の曲がり角から数人の子どもたちが駆け出してきた。
バタバタと走る子どもたちは背後に笑い声を返していて、こちらを見ていない。
神父が慌てるより先に、正面の子どもがやっとこちらを見て驚いた声を上げるが、勢い良く走ってきた足は急には止まれなかった。
ドンッと正面から思いっきりぶつかられる。
受け止めようと広げた腕の間に収まった子どもと、背後から大きく息を吸う音。
続く怒声から耳を押さえたい両腕は、まだ子どもを支えていて離せない。
とりあえず、ぎゅっと目を瞑った。

「おい!お前らっっ!!!!」

子どもとはいえ全力でぶつかられて倒れないはずも無い自分を、背後のエリオットが支えてくれている。
エリオットの怒声に、こちらを見上げる子と、その背後で何とか立ち止まった二人の男の子はぽかんと呆けている。
エリオットが大股で前へ移動して、腕の中の子どもと立ち止まった二人の子どもの襟元を掴みあげたことに慌てる。

「ちょっとエリオット!乱暴はやめてっ」

相手は門番の双子たちではないのだ。
エリオットが本気で怒って手を上げたら、ただでは済まさない。
背中にかばわれる形になったが、急いでその前に飛び出した。

「だけど、こいつらあんたにっ」

「離して、エリオット」

尚も言い募れば、エリオットは渋々手を放そうとする。
そこにまた別の声がかかった。

「良いんですよ、そのままで。これでちょっとは懲りれば良いんです」

恰幅の良いシスターの格好をした女性が廊下の角から現れて、子どもたちを睨みつけて腰に手を当てる。

「本当に!お客様が来るから静かにしているように言ったのに。言うことを聞かないんだから、この悪い子たちは」

挨拶より先に怒っている様は、子どもたちの母親のようでアリスはついくすくすと笑い出してしまった。
その声に、やっと彼女の顔がはっとする。
慌てたように腰に当てていた手を下ろして、深々とお辞儀をした。

「みっともない所をお見せして申し訳ありません、アリス様」

「・・私の名前を知っているの?」

「領主様の名前を知らない領民などおりませんよ」

そう言って、ふっくらとした頬で微笑む。
安心感と包容力を感じさせるシスターに改めて挨拶をすれば、にっこりとしていた顔は、一変して厳しい顔でエリオットの方へと向き直った。

「エリオット様、申し訳ありませんでした」

「・・ああ、注意しろよ」

次はねえからなとでも言いそうなエリオットを、目線で懇願する。
いかにマフィアとしての威厳があろうが、権力を誇示するためだけに無闇に人を傷つけて欲しくは無かった。
それにそもそも反対していたエリオットに、孤児院を見せて欲しいと頼んだのは自分だ。

「孤児院のほうも見せて欲しかったのですが・・・今は大丈夫でしょうか?」

訪ねれば、もちろんと頷かれる。
解放された子どもたちの背を追いやりながら、神父の後を引き継いで案内をしてくれる彼女に続く。

「ふふふ。みんな楽しみにしているんですよ」

「・・・?」

何が、だろう。
良く分からずについていけば、大部屋だと案内された部屋に通される。
途端に、部屋の隅々に散らばっていた10人程の子どもたちがわっと群がってきた。

「・・・みんなお行儀良くするって約束したでしょう」

少し低いシスターの声に、子どもたちがぴたりと動きを止める。
笑顔で怒る彼女は、やはりみんなの母親代わりのようだ。
体当たりをされなくて良かったと胸をなでおろせば、隣ではエリオットが居心地悪そうにそわそわとしている。

「どうかしたの、エリオット?」

「あー・・やっぱ俺は外で待ってても・・」

言いかけた声に子どもたちの声がかぶさる。

「うさぎのお兄ちゃん、遊んで!」

「ぐるんぐるんてしてよー」

「お耳触らせてちょうだい!!」

思わず目を丸くして、期待に目を輝かせた子どもたちとエリオットを交互に見遣る。
エリオットは嫌そうというより、困った顔で頭を掻いている。
どうやら前にも遊んであげたことがあるらしい。
意外だわと、つい見つめてしまえば、真っ赤になった顔でぼそぼそと言い訳めいた声を出す。

「ブラッドとここの奴が話している間、ちょっとな」

「へえ・・・それは」

さぞ、子どもたちも喜んだだろう。
敬愛するボスの手前、銃を発砲することも手を上げることも出来ずに、纏わりつかれて遊び相手をしてやっていた、といったとこだろうか。
見てみたい。
にっこりと笑顔を向ければ、エリオットはぎょっとした顔で少し後ずさった。

「えっ、アリス」

「遊んできてあげなさいよ。・・ほら、みんな待ってるわよ」

わくわくという表現がぴったりな子どもたちの顔を見渡す。

「うさぎのお兄ちゃんが遊んでくれるわよ。でも、優しくしてあげてね?」

反論するより先に、子どもたちにうさぎ耳のお兄さんを差し出す。

「そんなのってないぜ・・・」

「あら、大有りよ。平和に楽しそうで、何よりだわ」

「・・・・・」

しょんぼりと耳を垂らしたエリオットは、さっそく子どもたちにしがみつかれてあっという間にもみくちゃにされていく。
疲れも吹き飛ぶ微笑ましい光景だ。
ブラッドも、こんな光景を見たのだろうか。

「ありがとうございます」

「え、いいえ・・私も見たかったのよ」

隣で同じようにその様子を見守っているシスターに礼を言われる。
慌てて返せば、一瞬きょとんとした顔がふっと綻んだ。
言わずとも、分かったというかのような彼女の態度に、するりと言葉が口をつく。

「ブラッドも・・・笑っていたかしら」

「それは、どうでしょう。神父様と何やらお話はなさっていたようですが」

「そう・・・」

本当は笑っていたかを聞きたかったのではない。
彼が、ここにいたことを話して欲しかっただけ。
どこにもいないその姿を一人さ迷い求めるのは辛くて、誰かの口から彼の姿を聞かせて欲しかったのだ。

「こうなると長いですよ。・・良ければ庭を案内しても?」

「・・そうね、お願い」

つい、口調がくだけてしまっても彼女は何も言わなかった。
大部屋の外に面するドアを開けて、裏庭に降り立つ。
途端に、むっとした草いきれに包まれた。
少し歩けば森につながるそこには、花壇と畑が広がっていた。

「綺麗ね」

「そんな、立派なものではありませんが」

「あなたが、育てているの?」

嬉しそうに顔を綻ばせているシスターに聞けば、いいえと首を横に振られた。

「他のシスターと子どもたちが自主的に」

なるほど、と頷く。
さすがにこの子どもたちの世話を彼女が一手にやっているわけでは無いだろうと思っていたが、やはり他にもシスターがいるようだ。
それでもきっと彼女が一番の母親だろう。

「ここは、いいところね」

「・・・孤児院だよ。捨てられた時点でいいも何もない」

不意に聞こえた声に反論されて振り向けば、庭の片隅から一人の少年が歩いてきた。
むすっとした顔で、そこを退いてと手を振られる。
思わず身を引けば、大きな如雨露に水を湛えて危なげなく花壇の方へと運んでいく。
慌てたのはシスターだ。

「領主様に何て態度をするの!謝りなさい」

「・・・どうせ、手遊びの暇つぶしだろう」

自分には関係ないとばかりに、こちらを無視して花壇の世話を始める。
呆気に取られて見ていれば、彼の代わりにシスターが謝罪と共に深く頭を下げる。
どうやら、彼女にもこの少年を謝罪させることは難しいのだと知れる。

「頭を上げて頂戴。驚いただけで、怒るものではないわ」

「ですが・・」

「さすが、お偉い領主様は器も大きい。でもその器は・・真っ黒だな」

「!!なんてことをっ」

卒倒しそうな彼女を抑えて、少年に一歩近づく。
相手はこちらを見ようともせずに、葉の裏側を丹念に見ていた。

「随分つっかかるわね。あなた、黒い器は嫌なのかしら?」

これでも、もう自分はマフィアのボスだ。
組織に対する皮肉に、答える必要がある。
嫌だと言われてどうこう出来るわけではないが、こんなにはっきりと言うのだ、何かそう言わせた理由があるなら知りたいと思った。

「・・・・・」

暫し待ってみたが、相手は何も答えない。
単に社会の後ろ暗いものを嫌悪する、純粋な子ども心からくる批判かもしれない。
そう納得して踵を返しかけた背に、静かな呟きが聞こえる。

「黒い器は、嫌いじゃない」

思わず、振り向く。
手を止めてこちらを向いているその顔は良く見えない。
ただ、その黒い髪が森から吹き抜ける風に煽られてなびく様に目を奪われた。

「さすがに力も何も無いのに、生かしてもらう相手に楯突くつもりはないよ。それは無知で、無謀な馬鹿のすることだ。そうだろう」

「そう・・・」

ぼんやりと答えながら、相手の目鼻立ちをよく見ようと顔に視線を走らせる。
だがよく見もしない間に相手はふいと顔をそらして、また花の世話に戻ってしまった。
目をそらされた、そんな気がした。

「おい、アリス!」

室内に続く扉からエリオットが顔を出してこっちを呼んでいる。
そのオレンジ色の髪も服もくしゃくしゃで、散々もみくちゃにされてとうとう我慢の限界がきたのだろう。
これ以上待たせて、銃を取り出されては敵わないとアリスは慌ててシスターに挨拶をして、屋内に戻っていった。
その背中を、少年の目が追っていたことには気が付かなかった。

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