Nightingale doesn't have a Dream of Our Lady's tears.


教会の鐘が鳴り響く。

巡らない季節に、夜明けは永遠に訪れない。

鐘の音が雀の胸を深く穿つのは、駒鳥のためかそれとも夜鳴鶯のためか。

駒鳥のために鐘がなる *4





「今回は、あんたにも一緒にいってもらいたい」

「えっ」

申し訳なさそうに伺いを立てるように見えて、その実決定事項なのだろう、語尾を強めに言ってくるエリオットを書類を受け取った姿勢のまま仰ぎ見る。
驚きと、発した自分でさえ分かる程の、嬉しそうな声が出てしまった。

「良いの?」

むしろ、是非行きたい、ご一緒させて欲しいといった具合だ。
アリスの目はいつになく輝いていて、エリオットは鼻の頭をかいて苦笑した。

「むしろこれは、あんたじゃなきゃ駄目なんだ」

と、いうことは領主にしか出来ない仕事なのだろうか。
それとも、マフィアのボスとしてだろうか。
それでも外に出られるのは嬉しい。
もうずっと、外での重要な仕事はエリオットが肩代わりしてくれて、自分は当分の間と言われて屋敷で留守番をするだけだった。
それはもちろん、自分の安全を考えてくれていたからだと分かっている。
だからこそ不平も不満も言わず、屋敷の中に缶詰にされていたのだけれど、さすがに外が恋しくなってきた。
ずっと、帽子屋屋敷のみんなとしか会っていない。
同じハートの国の中にいる友人たちは、どうしているだろうか。

「・・・・・」

会いたいような、会いたくないような。
今の自分を見て、何と言うだろう、何を思うのだろう。
そう思うと会いたいと膨らんでいた気持ちが、しゅっと空気が抜けたように萎む。

「じゃあ、2時間帯後にまた声かけにくるからよ」

「分かったわ。書類の方やっちゃうわね」

「よろしくな!・・あ、後」

「?」

エリオットが部下に言ってどこからか白い箱を用意してきた。
受け取って開ければ、少し大人しめの黒いワンピースが一着。
袖口と裾に淡いグラデーションが入り、さらりとした生地が触れた手に心地よい。

「それ、着ておいてくれ」

「スーツじゃなくていいの?」

「ああ。そういう相手じゃないからな」

意味深に言うエリオットに首を傾げるも、渡された服のデザインは悪くない。
最近はずっと動きやすいパンツにシャツという服装だったから、久しぶりにスカートをはくのだと思うと、おしゃれをしている気分になる。
行き先は仕事の用事だとしても、だ。
外に出るということで、心が浮き立っているらしい。
じゃあ、また後でな!と言ってエリオットは部屋を出て行った。
静かになった部屋の中で、箱の中のワンピースの横に添えられていた黒いリボンを手に取る。
エプロンドレスを着なくなったときから、髪もずっと無造作にまとめただけだった。
それでも覚えている慣れた手つきで、髪を少し持ち上げてリボンを通す。

「・・さすがにこの服装には合わないわね」

鏡を覗き込めば、実にミスマッチな姿に笑う。
少し悩んでリボンをほどき、クローゼットを開ける。
部屋の元々の主がいつもかぶっていた、おかしなシルクハット。
汚れても綺麗になる世界だけれど、どうしても手入れをさぼることが出来ないそれは、埃ひとつ無く綺麗に保たれている。
まるで、ついさっきまでブラッドが被っていたかのようだ。
鏡の前に立って、そっと頭にかぶせてみた。

「・・ふふっ」

分かってはいたけれどやはり少し大きくて、手で支えでもしていないと顔もすっぽりと入ってしまいそうだ。
手でかかげたまま鏡を覗き込んで、思わず笑ってしまった。
このへんてこな帽子を被れば、ぱっとしない黒いパンツに白いシャツの自分でも、何だか少し魅力があるように思えてしまうのだから。


--------------+**


「ねえ、そろそろどこに行くか教えてくれない?」

自分は上司なのに、とふてくされた気分だ。
周囲をエリオットと部下たちに囲まれて、実に仰々しい一行はついに領土を抜けて森へと入っていった。

「着いてからのお楽しみだ、と言いたいところだが・・もうすぐ分かると思うぜ」

久しぶりに外に出たからと言って道を忘れたわけではないが、今は危険度が高いという理由で普段は使わない道を通って目的地に向かっているらしい。
アリスにはさっぱり、この道がどこに向かう道なのか分からない。
けれど、エリオットが言葉の最後で指で指し示した先。
森の木々の合間に、何やら色鮮やかな建物が見えてきた。
とてもカラフルな建物の天辺と、・・・そしてレール。

「遊園地!」

思わず、声をあげてしまった。
本当に久しぶりだ。
ゴーランドやボリスは元気にしているだろうかと、真っ先にその領地に住む友人のことを思う。
レールの上を轟音と悲鳴と共に走り抜けるジェットコースター。
くるくるといつまで続くのかと思わせるほどよく回るコーヒーカップ。
園内を駆け巡る、暴走ゴーカート。
思い出せば出すほど、色鮮やかなその記憶に顔がほころぶ。
考えている内に道は折れ、木々を抜け出れば賑やかな入場ゲートが目の前にあった。
そして、こちらに気が付き色めき立つ従業員たちの姿。
脅えたように、遊園地に行きたいと駄々をこねる我が子を引きずって、入り口に行きかけた足を引き返す親子連れ。

「・・・ねえエリオット。裏口とか、無いの?」

思わず聞いてしまったのも無理は無い。
自分のためとはいえ他領土の、言わば敵であるマフィアがこんなに大勢で来たのだ。
何かある、撃ち合いに巻き込まれると恐れられても仕方が無い。
だからといってわざわざ自分を連れ出してまで、営業妨害をしに来たわけでは無いはずだ。
アリスとしては穏便に済ませられるのだったら、それに越したことは無いと思ったのだが。

「はあ?何言ってんだよ、アリス。俺らが裏口からこそこそ入る必要なんてねえだろ」

そして、このエリオットの答えだ。
思えばブラッドも堂々と正面から入っていた。
そもそも裏口から入る彼らの姿など想像も出来ない。
分かりきってはいたが、アリスは溜息をついた。
こういうことにも慣れないといけないのかと、遊園地の従業員と遊びに来た客たちに向けて心の中で謝罪して入場ゲートをくぐった。

「よう」

くぐった瞬間に、目の前から声をかけられてびっくりして足を止めてしまった。
エリオットが一歩前に立ち、警戒心を露にした部下に周囲を固められる。
緊張が走る周囲の空気をものともせずに、実にのんびりとした声がかけられる。

「おいおい、そんなに警戒すんなって。何もしねえよ」

黄色いジャケットを来た相手は、何も持っていないことを示すように両手をひらひらと動かす。
それでも相手の様子をそれとなく窺うエリオットの前に、アリスは我慢できずに飛び出した。

「ゴーランド!!」

「よう、アリス。久しぶりだな、元気にしてたのか?」

茶色の三つ編みを揺らし、緑色の瞳をにかりと笑みに崩した相手は、遊園地のオーナーで領主のゴーランドだった。
思わず、駆け寄ろうとした体をエリオットに留められる。
そんなに、警戒が必要な相手だとは思えない。
だって、帽子屋領に住んでからだって彼は良い友人だったのだ。
そう思い睨みつけても、阻むように目の前で真横に伸ばされたエリオットの長い腕は退かない。

「何の用で来たのかは、分かってるんだろうな」

「分からないわけがねえだろう」

「じゃあ、余計なことは・・」

「変なことは言わねえよ。まあ、そうカリカリしなさんなって」

けんか腰のエリオットの声に落ち着いた声音で返したゴーランドは、動けないままのアリスを見て苦笑する。

「今日あんたらが来たのは領主の件で、だ。そうだろ、アリス?」

「・・・知ってるのね」

どうやら今日ここに連れてこられたのは、領主としての役割を求められてらしい。
この世界の仕組みやルールはいまだよく分からないことが多いが、領主が変わるということは元の世界でももちろん、こちらの世界ではそれ以上に大きな出来事だろう。
他領土だからといって、同じ領主で役を持つゴーランドが知らないわけも無い、そういうことなのだろう。
そして領主が変わったということ、すなわちブラッドのことも勿論知っているのだろう。

「大変だったな」

「心にもねえこと言うなよ」

「あのなあ、俺は確かにお前さんたちとは敵対する関係だが、個人としてはそう嫌いでも無かったんだぜ」

吐き捨てるように言って冷たく睨みつけるエリオットに、さすがのゴーランドも眉間にしわを寄せた。
アリスは、何と言って答えたら言いか分からず黙っていた。
そうねと頷いて肯定出来るほど軽い出来事ではなく、その言葉に込められた労りに礼を言えるほど、まだ自分はその事態を飲み込みきれずにいる。
まるでずっと喉に引っかかった小骨みたいに、消えずにそこに存在し続けている。
すでに過ぎ去った過去の出来事になりかけているのに、そうしたく無いと無意識に思っているからかもしれない。

「アリス」

「・・・・」

ゴーランドの呼びかけに、知らず俯きかけていた顔を上げる。
こちらの表情を見て、ゴーランドの顔がしかめられた。

「まあ、なんだ。立ち話で話すような内容でもねえから、続きは屋敷でどうだ」

「・・ここで済ませられないのかよ?」

「俺は、あんたと話てんじゃねえよ。・・アリス」

「・・そうね。お邪魔させてもらうわ」

ゴーランドに促されて、その後を着いていく。
一瞬そんなアリスに腕を伸ばしかけたエリオットは少し口をつぐんでから、また帰りに迎えに来る、と短く一言伝えて部下を引き連れたままどこかへと去っていった。

「大事にされてるようで、俺は少し安心した」

「勿体無いぐらいだわ」

長いうさぎ耳が遠ざかって行くのをアリスは振り向いて眺め、それに気が付いて足を止めたゴーランドは、アリスと去っていくエリオット見てそっと話しかける。
小さく呟いて返すアリスの遠い瞳は帽子屋が生きていたころの明るさを失くして、まるで深い水底に沈んだような、何かを秘めた目をしていた。
その姿が余りにも切なく、ゴーランドは暫しの間、強く目を瞑った。
そして無言のまま、歩みを再開させる。
暗い嫉妬の炎が胸の奥でチリチリと燻り始めている。
それは、無意味なものしかないと言えるこの世界で、唯一の彼女の記憶に死して尚も居座り続け、大切にその存在を守られようとしている男に対して湧き上がったもの。
結局最後まで自分のやりたいように振舞い続け、自分の記憶を抱く彼女を周囲に見せ付けることで、忘れられない存在感を見せ付けた。
もしこんな彼女の姿をあの男が見られたとするならば、実に満足そうに笑むのだろう。
嫌なくらい不敵に笑って、上出来だと褒めてやっていたんじゃないだろうか。
ドアノブを握る手に、不必要なほどの力が入った。

「あいつはほんっと、どこまでもむかつく野郎だぜ!!!」

「?!!ゴ、ゴーランドいきなりどうしたの?」

アリスが驚く目の前で、ゴーランドは入ったばかりの屋敷の扉を勢い良くバンッと閉ざした。
考え事をしながらも屋敷にはちゃんと着いていたが、アリスの存在をうっかり忘れてしまっていた。
扉を閉めた姿勢のまま、びっくりした顔で傍に立つアリスを見下ろす。
見たことの無い少し大人っぽい服に身を包んで、でも驚いた顔で見上げるその顔は以前となんら変わらないように見えて、いらついていた気持ちが少し落ち着く。

「悪い。何でもねえさ。それとその服、似合ってるぜ」

急に優しげな目で褒められて、アリスは白黒させていた瞳を更に開く。
それは自分でも思っていなかった程、嬉しい言葉だったのだろう。
途端に緩みそうになる頬を何とか保って、でも気恥ずかしさに顔に赤みが差す。
そんなアリスの背に手を添えて、ゴーランドは応接室へと案内した。

「あんたんとこの屋敷とは比べちゃいけないんだろうが」

言って、用意させた紅茶をテーブルに置く。
アリスは小さく首を振って、礼を告げてからティーカップを持ち上げて一口飲んだ。
暖かい紅茶の匂いと香りに、体は和むが心は小さく軋む。

「・・やっぱ、コーヒーにしときゃ良かったか」

少し体を強張らせてしまったアリスの様子を見逃さず、ゴーランドは自分の気の利かなさを謝る。

「いいえ、紅茶がいいわ。・・・ありがとう」

久しぶりに、屋敷の人間がいない場所だ。
暖かさが体に染み渡るにつれて、ほぐれていくものがあることに気が付く。
気を、張っていたのだ。
ずっと・・親指に血を浴びたあの時からずっと。

「もっと、くつろいでくれて構わねえよ」

ゴーランドの声に今だけはと、甘えることを自分に許す。
静かに息を吐いて、座り心地の良いソファにもたれかかる。
しっかりとしたクッションが体を包み込んで支えてくれる。

「・・・落ち着いたか?」

「ええ、とても」

走っているほどではなかったが、ずっと止まることを忘れて歩き続けていたような気分だ。
ボスと呼ばれるようになって、みっともないところはとても見せられないと常に周囲の目を気にしていた。
今は、この静かな応接室にゴーランドだけだ。
彼は自分より大人で、落ち着いていて安心感がある。
今もソファで勝手にぼんやりと考え事にふけってしまっている自分を、何も言わずにそっとしておいてくれる。
たまにとてつもなくうるさくて騒がしいときもあるが、この世界の住人の中では割とまともな方だ。

「そういえば、ボリスは?・・元気にしてるかしら」

「いつ、聞かれるかと思ってたぜ。答えはいつ聞かれても同じ、相変わらず、だ」

困ったように苦笑する顔を見れば、ボリスがふらふらと園内を出歩いてはアトラクションを勝手に改造して、彼やここの従業員を困らせている姿が容易に想像がつく。
そういえば、余りに忙しくてディーとダムの休みも余り取れていなかった気がする。
ボリスは彼らと仲が良いから、もしかしたら退屈させてしまっているかもしれない。
自分の仕事の手際の悪さに、申し訳なさが募る。
双子は、以前であれば給料アップだの長期休暇だの、休日出勤なんて児童虐待だと散々訴えていたのに私にはそういうことは言わない。
エリオットには文句のひとつも言っているのだろうか。

「そう難しい顔してても、なるようにしかならないことだってあるだろ。あんたも、もっと気楽にやればいい」

あんた、も、と言った。
自分を、誰とまとめて指しているのか分からないわけが無い。

「でも、まだ気楽に出来るほどの余裕は無いのよ」

「あー・・あんたは自分で抱え込んじまうんだよな」

アリスと同じようにソファにどさりともたれかかって、ゴーランドは後ろ髪を意味も無くわしわしとかき混ぜる。
それからまた身を起こして、開いた膝に両肘を乗せて片手で顎をかく。

「まあ、何だ。俺が言うのもおかしいが、屋敷の奴らが信用出来るなら、もっと頼って・・・何だ?」

不意にくすくすと笑い始めたアリスに、怪訝そうにゴーランドは話を止める。

「ふふ・・ごめんなさい、ゴーランド」

口元に手をあてて何だか楽しそうなアリスを見ていたが、ゴーランドはしばらくして脱力した。

「俺が折角こう、いつになく真剣になあ・・」

「ええ、本当にごめんなさい」

謝る傍から笑うのでは、意味が無い。
すっかり気が緩んでしまった。
手持ち無沙汰に目の前の少し冷めた紅茶を飲んでいると、アリスはやっと笑いを収めたらしい。
もうすっかりくつろいだ様子で、微笑んでいる。
それは、まあ良い。

「で、何だったんだいきなり」

「あ、うん。嬉しかったのよ。あなたが真剣に考えてくれて」

「・・だったら笑うところじゃねえだろ」

呆れた様子のゴーランドにそうよねと笑顔で相槌を打つ。
何だか上手くいえないが、嬉しかったのだ。
嬉しいと思う気持ちは、自分のために真剣に考えてくれたことにも勿論ではあるが、それだけではなくて。
やはり久しぶりに会えたのが大きいのだろう。
目の前で無意識に行っているのだろうその仕草に、ああ、ゴーランドだなあと不意に思ったのだ。
そうしたらもう嬉しくなってしまって、こみ上げてくる笑みをこらえる事が出来なくなってしまった。 ・・・・おじさんくさいとは、言わないでおく。

「ありがとう」

「・・・はあ」

「実はエリオットにも言われたのよ。もっと自分たちを頼れって」

「・・・そうか。良かったじゃねえか」

ええと言う代わりに、頷いて目を閉じた。

「あんたは要領も良いから慣れればすぐにコツを覚えて、そしたらもっと他を見る余裕も出来るだろう」

他を見る余裕・・・。
そんなものいらないと、心の中で誰かが答える。
きっとゴーランドはそういう意味で言ったのではなく、単に一生懸命になりすぎて視野が狭まっているから、もっと肩から力を抜いて仕事以外のことで息抜きすることも大事だと諭しているだけだ。
だが、他と言われて真っ先に思い浮かんだのが、ブラッドの顔だった。
彼といることを選んでこの世界に残ったのに、他に何を・・誰を求めれば良いのだろう。
全く・・・結婚をしたわけでもないのに、気が付いたら未亡人になっているような妙な気分だ。
いつまでもいない相手を想って鬱々とするなんて、全く持って生産性の無いことだと分かっている。
こんな狂った時間の世界でも、それでもどこかへと進んでいるのだ。
そんなことを考えている余裕があるならば、もっと先を考えなければならない。

「もっと自分を褒めてやれ。・・あんたは、良く頑張ってる」

あんたがマフィアの仲間に入るなんてな、と困ったように笑うゴーランドの言葉は心の内側をざらりと撫でていく。

「マフィアの女ボスだなんて、間違いなく私の人生設計には無かったわね・・」

つい、ポツリと零してしまう。
頑張ってなんて、いない。
褒められるような人間ではない。
何故ならこれは・・・。

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