Nightingale doesn't have a Dream of Our Lady's tears.


それは、きらきらとして。

自分でも恥ずかしいくらいの、少女の瞳で。

恋と愛を手に入れた、身悶えするほど愛おしい・・・。

ナイチンゲールの見る夢は *1





遠くから自分を探している声が聞こえて、書類をめくっていた手をとめた。

「おーい、アリス」

「ここにいるわ、エリオット」

自分を呼ぶ彼ほどに声は上げなかったが、向こうはすぐに気付いてくれたようだ。
その長いうさぎの耳をひょこひょこと揺らしながら駆け寄ってくる。
そんなところは相変わらず、かわいい。
手で掴んで思う存分撫でまくって、頬ずりしたい。

「ア、アリス・・?」

鋭い獣の勘が危機感を察知したのか、走ってきた勢いが途端に弱まってこちらを窺うようにそろそろとした足取りになる。
いけないいけない、つい暴走してしまうところだった。
ストレスが溜まっていたからといって、暴力はいけない。
いくらここが物騒なマフィアの巣窟だとしても、自分はそこまで染まってはいない、はずだ。
・・・それがいいことかどうか、もう分からないけれど。

「どうしたの、エリオット」

気持ちを切り替えて明るく声をかければ、エリオットもはっとしたように近寄ってきた。

「どうしたっていうか、あんたこそ・・・なんでこんなところでそんなことしてんだよ」

話しているうちに、徐々に声が不機嫌さを増していく。
こんなところ、というのは帽子屋屋敷の門柱の裏で、そんなこと、というのは自分の手元にある書類やら、それにサインするペンやら何やらといったところだろうか。
確かに、こんなところでする作業ではないのは分かっている。

「でも、結局ここの方が都合がよさそうでしょ?」

書類を持ってきてくれたり、処理し終わった書類を持っていってもらうことに手間をかけさせるのは申し訳ないが。
エリオットにそう苦笑して、門の外側を見ればタイミングよく二つの顔がこちらを覗いた。

「こんなところって何だよ、馬鹿うさぎ」

「それに、僕たちがいるのにお姉さんに怪我をさせるわけがないだろ、ひよこうさぎ」

赤と青の瞳のブラッディ・ツインズ。
帽子屋屋敷の門番が斧を構えて、上司であるはずのエリオットに噛み付いていく。

「当たり前だろうが!アリスに怪我なんてさせてみろ!100時間帯は休み無しでタダ働きをさせてやる!!」

「それじゃあ、僕たちがいない間にお姉さんに何かあったら、ひよこうさぎはその耳を切り落しなよ」

「僕たちがじきじきに切り落としてあげるよ、ねえ兄弟」

「減らず口ばっかり叩きやがって!大人しく仕事しろ、このくそがきどもっ」

ガウンガウン キンキン

鳴り響く銃声、甲高い金属音。
門柱に身を潜めたまま、我関せずと書類の処理を再開する。
こんなことは日常茶飯事過ぎて、以前ほど止めに入ることは少なくなった。
毎回止めに入っていたら、それこそ命がいくつあっても足りない。
それでも本当にひどく、周囲に被害が出るようだったら仕方が無く止めに入るしかないのだが。
そういうとき、以前だったら・・・。

「きゃあっ」

銃声の合間に女性の悲鳴が聞こえて、はっと顔を上げた。
見れば、門の前の道端に女性が座り込んでいる。
エリオットの銃は、双子ではなくその女性に向けられていてアリスは慌てて立ち上がった。
これは、傍観していいことではない。

「エリオット!銃をおろして」

「でも、アリス・・」

「下ろしなさい」

しぶしぶといった態で、エリオットが銃を下ろすも射殺しそうな視線で彼女を睨んでいる。
彼女がどうしてここに現れたのかは見ていないし分からないが、ただ迷ってここまできてしまったのかもしれない。
かつての自分を思い出す。

「ディーとダムもよ。ちょっと下がってちょうだい」

「でもお姉さん、怪しいやつかもしれないよ」

「そうだよ、兄弟の言うとおり。何かある前に殺しちゃった方がいいよ、お姉さん」

なおも斧を構えようとする双子を、視線で黙らせる。
二人はむすっとした顔で、それでも仕方無さそうに少し後ろに下がった。
二人の間を縫って前に出る。
しゃがみこんでガタガタと震える女性に近づいて、微笑んでみた。
いきなり近くまで寄ったら自分が同じ女性であっても怖がらせるかもしれない。
笑顔を見せたせいか、彼女はあからさまにほっとしたように、安堵のため息を吐いた。
それを見て、もう少し近づいてみる。
自分も最初にここに来たときはそんな気持ちだった。
いきなり襲われて殺されそうになって。
でもあの時は、彼がいたから。

「あなた、大丈夫?」

だから、私は死なずに済んだ。
頭の隅で回想していた記憶を断ち切って、目の前の彼女に右手を差し伸べる。
小さく頷いた彼女は、まだ震えるその手をこちらに伸ばして。
そして、手を掴んだままいきなり引っ張った。

「!!」

思いがけない力にバランスを失って、体が傾く。
引っ張った女性のほうに倒れこみそうになって、空いていた左手で無意識に体を支えるものを探そうとして、そちらの手も掴まれる。
間近に迫った彼女の顔を覗き込んで、声を失った。
彼女は憎悪に染まった目でこちらを睨み、そして口元は歪んだ笑みの形を象っていた。

「「お姉さん!!」」

「アリスっ!!」

彼女が何事か呟きかけたその時、銃声が響いて掴まれていた手が離れる。
目の前で、額から血を流して虚ろに倒れていく姿が、まるでスローモーションのように見えた。
駆け寄ってくる双子の気配を感じる。
けれど、目の前の光景とあのときの光景が重なって。

「お姉さん、大丈夫っ?!」

「何もされてないよね?!」

ぎゅっと二つの腕に抱き寄せられて、その場から引き離される。
エリオットが倒れた女性を蹴って、死んでいるか確認しているのが分かった。
彼女は血だまりの中にうつぶせに転がって、ぴくりとも動かなかった。
私の目の中には、青空の中に舞った鮮血の軌跡が、いつまでも消えずに残っていた。


--------------+**


嘘みたいに晴れた空とはよくいったものだ。
この世界には、忌々しく晴れた晴天と血で染め上げたような夕日、そして闇で塗り固めた夜しか存在しない。
眩しく、暑苦しい陽光。
それを嫌う自分にとっては、夜の時間帯こそが活動するべきときなのだ。
他の時間帯にわざわざ動き回るなど、とんでもない。
だと、いうのに。

「お嬢さん・・・お嬢さん」

この少女は、夜に寝て日のある時間帯に行動するという。
理解できないが、自分とは全く逆の生活を好む。
だが、それをそのまま許してしまえば、彼女と自分の行動時間が全くかみ合わない。
それではすれ違ってしまう、つまらない。
だから、夜の時間帯に無理やりお茶会に誘ったのだ。

「・・そんなに眠かったのか、アリス」

声をかけれど、起きる気配は全くといって無い。
そよぐ風が広い草原を撫でていく。
彼女の寝顔を覗き込んで、なるほど確かに寝心地は良いようだと苦笑した。
読書をするといって本を借りて出た姿を暇つぶしに探してみれば、帽子屋屋敷を出て、まさか裏手の草原のど真ん中で見つけるとは思っても見なかった。
これでは、いくら探しても見つからないはずだ。
風に揺れて顔にかかる彼女の髪を、指先ではらう。
晴れて陽の光が存分に注いでいる。
いつもなら忌々しいと思うところだが、彼女がいるだけでこんなにも静かな気持ちになるのだから、全く不思議なものだ。

いつになく、穏やかだった。

「ん・・・・」

「起きたか?」

眉を寄せて小さく喉の奥を鳴らす。
ぎゅうと体を丸めて、それから薄っすらと目を開けた。
猫のような仕草は、いつもふらりと出かけてきては帰ってくる彼女らしい。

「?・・・ブラ・・、ド?」

まだ視線が定まらないのか、ぼんやりとした視線を向けてくる。
眠気で少し舌足らずな様と相まって、まるで無防備な幼子のようだ。
それでも、引き寄せられるように顔を近づけた。
薄く開いた口元に、自分のものをそっと重ね合わせる。
ひくりと震える身体に誘われるように、更に押し進めようとすれば。

「んんっ・・ちょ!何してるのよ、あんた」

すっかり目が覚めてしまったらしい。
怒ったアリスに顔を押しのけられてしまった。
真っ赤な顔で睨んでくる。

「お嬢さん、そういう顔は、誘っているとしか言い様が無いんだが」

「寝言は、寝て言いなさい」

ぴしゃりと撥ね付けられる。
拒まれてしまったというのに、機嫌は悪くなるどころか上がる一方だ。
高揚感で口元に笑みが浮かぶのを止められない。

「・・何よ。にやにやして・・気色悪い」

「ひどい言い草だな」

アリスはさっさと起き上がって、傍に置いていた本を持ち上げて軽く汚れを落とす。
そして、はいと渡してきた。
無言で受け取る。

「地面に置いちゃってごめんなさい。でも、本当にそれ面白かったわ。一気に読んでしまったもの」

さっきまで怒っていた気持ちはすっかり切り替えてしまったらしい。
それはそれで物足りない。
そう、思っていたのに。

「また、良い本を貸してね」

ああ、彼女は本当に人を弄ぶのが上手い。
言えば、また怒るのだろう。
弄ぶだなんて人聞きが悪い、あなたじゃないんだから!と。
そう言うだろうことも予想がつく。
それでも言いたい・・怒らせて、もっとその瞳の輝きが増すのが、見たい。

「アリス・・・」

声を掛けて、彼女がこちらを見上げるのと同時だった。
草原の先、木々の間に何者かの気配がする。
彼女の手を引いて自分の後ろに回そうとした。

「っ!」

陰の中で金属質の何かが、日の光を反射する。
何かだなんて、見ずとも分かる。
バランスを崩したアリスが、地面に倒れこむような形になって小さく非難めいた悲鳴を上げる。
それに構わず、ステッキをマシンガンに変えた。

「あっ!」

暗がりの中、何人集まったか分からない。
だが、全て仕留めることは造作もない。
そう思いつつ、アリスがあげた声にそちらを向けば、彼女はあろうことか邪魔だったので手放した本から落ちた何かを追って駆け寄ろうとしていた。

銃声が響き渡る。

小さく舞い上がる、花びら。

彼女の指先がそれを摘んで。

こちらを見た目が驚きに見開かれる。

だから、陽の光は嫌いだと胸の中で毒づいた。

熱い。

「ブラッド・・ブラッド!?!!」

叫ぶ彼女の体を抱き寄せて、片腕を背後に伸ばす。
残さず全ての弾を撃ち切った。
草原の上を、風と共に静寂が覆っていった。

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