Nightingale doesn't have a Dream of Our Lady's tears.


自分で上り始めたのか、押し上げられたのか。
今ではもう分からないけれど。
どこまでも伸びるはしごを一段、また一段と上がっていく。

どこまで上れば、あなたに会える?
手を伸ばしたら、そっちに引っ張りあげてくれる?

ああでも、うっかり下を見てしまえば恐怖に震えて足を踏み外しそうになる。

『上にいるのは私ではないよ、お嬢さん』

どこからか、声が聞こえた気がした。

『私なら、ほら、君の足元で君が落ちてくるのを待っている。
だから安心して、足を踏み外してくれて構わない』

戻っておいでと君がなくから。 *11  Another





「・・ん・、・・アリス」

緩く肩を揺すられて、意識が浮上する。
自分はいつの間に寝てしまったのだろうか。
薄らと瞼を開けば、覗き込む誰かの気配を感じた。
徐々に焦点が合っていけば、暗がりの中に瞬く翠碧の宝石が見える。

「・・ブラッド」

名前を呼んで、腕を伸ばした。
脇腹が引きつるような痛みに眉根を寄せながら、横になったまま伸ばした腕を相手の首筋に絡めて・・・そして、ハッとした。

「・・・・・」

「あっ・・」

絡めた腕を急いで離した。
無言でこちらを見下ろす相手の姿を今度こそハッキリととらえて、アリスは徐々に顔を真っ赤にした。
腕を伸ばした時の、肩幅の無さと首の細さと。

「ご、ごめんなさっ」

ブラッド、じゃない。
慌てて謝ればずっと無言でいた相手の顔がすっと近づいてきた。

「?あ、あの・・」

急に抱き着いたりしてしまったから、怒ったのかしら。
そう言えば、薔薇園でビバルディにショタコンかとからかわれた時も、ドン引きしていたような気がする。
人違いだと謝れば許してくれるだろうか。
と、いうか・・今は・・・。
意識を失う前の出来事をやっと思い出して、考え込んで俯いていた顔を上げようとする前にその視界にすっと細い腕が差し込まれた。
自分より幾分か小さな手の平が両頬に添えられてそっと顔を持ち上げられる。
「え、・・・ん、む?!」

何事かと思う間もなく近づいてきた顔に、咄嗟に仰け反ろうとするも頬を支える手の平に阻まれている間に、唇が、そっと重ねられた。
ちゅ、ちゅと小さくも柔らかいそれが、自分の口元に何度も啄むように触れては離れていく。
思わずきゅっと目を瞑ったまま、アリスの思考回路は完全に停止した。
されるがままになっていれば、唇が重なる間隔は徐々に長くなり、しまいには上唇と下唇を交互に食んできては舌先がそっと撫でていくようになる。

こんな、こんなこと子どもがするような事じゃ、ない。

まるで、口を開けとでも催促するようなその仕草に、アリスは苦しい息の合間に薄らと目を開く。
目の前の相手はそんなアリスのことをじっと見ていたようで、目の前の翠碧色の目と視線がカチリと合わさった。
その瞳が、うっそりと細められる。

「!!!」

まるで子供とは思えない艶を帯びたそれに、アリスが狼狽して何かを言おうとする前に相手の口角がくっと引き上げられた。

「キスをする時は、目を瞑るものだよ」

少年特有の少し高めの声が、全くそぐわない気だるげさを纏って「お嬢さん」と言葉を紡ぐ。

「あ、あなた、まさ・・んんっ」

驚いて声を上げようと開いた口に、弧を描いた口元が食らいつく。
拒む隙を与えずにぬるりと侵入してきた舌が、咥内を我が物顔で蹂躙していく。
逃げ惑う舌先を、少し小さな舌が捕えて絡みつき舐めあげていく。
酸素を求めて喘ぐアリスの目元に透明な滴が浮かんでやっと、相手の顔が少し離れた。
満足そうにこちらを見て口元を舐め、アリスの涙をその細い指先で拭っていく。
もう、アリスにもさすがに分かっていた。
こんなことする子どもなんていないし、何よりこのキスの仕方は嫌と言うほど知っていた・・いや、知っているものだ。

「は・・はっ・・あ・・あんた、って本当・に」

睨みつけても艶然と返されるしたり顔に、一発食らわせ無いと気が済まずアリスは腕を振り上げようとした。

「っ・・いっ・・」

「!大丈夫か、お嬢さん・・全く、無茶をする・・」
ずきりと走った痛みに、前かがみに体を丸めたアリスにさっきまでの余裕な態度はどこへやら、慌てたように目の前の少年がこちらを呼んでくる。
細い腕、自分より小さな手が伸ばされて、痛む脇腹を労わるように触れて様子を確かめる黒い頭を無言で見下ろした。

「医者に様子を見てもらおう」

「・・ブラッド」

くるりと踵を返してどこかへ医者を呼びに行こうとする相手を、咄嗟に呼び止める。
振り向くその顔に、何だという表情が浮かんでいてアリスは何て言ったらいいか、ちょっと分からなくなった。

「・・・どうした」

開いては閉ざすを繰り返していれば、眉根を寄せた相手に覗きこまれる。
その細い腕を、つい掴んでしまった。

「・・、・・・」

「・・お嬢さん?・・・アリス」

そっと促すように呼ばれた名前に、アリスは傍に立つ相手を見上げた。

「ブラッド・・なのよね」

「ああ」

「・・・ずっと?何で」

「・・・・・」

知らないふりをしてきたの?と問い詰めようとした口をまた、閉ざした。
沈黙したアリスをじっと見下ろしていた相手が動こうとしたのを感じて、アリスは掴んでいた手から力を抜いた。
するりと離れてシーツの上に力なく落ちたアリスの手は、即座に持ち上げられる。
ぎゅっと少し痛いくらいの力を持った両手に包まれる。

「・・離してちょうだい」

「断る」

小さく軋んだ音とマットレスが微かに沈む感覚が伝わってくる。

「こちらを見ろ」

「・・・・・嫌」

「アリス」

少し高い声。
何故、初めて会った時に何も言ってくれなかったのだろう。
何度も会ったのに、声をかけず無視をしたのだろう。
あなたがいなくなってから、この組織は荒れに荒れて。
エリオットや双子たちと一緒に頑張ってきたけれど、しなくてもいいはずの抗争が増えて、味方だと思っていた者たちに裏切られたりして。
それでもボスを辞めようと思わなかったのは、逃げださなかったのは、エリオットが、双子たちが、そして帽子屋ファミリーのみんなが好きだったから。
・・・そして、ブラッドが好きだったから。
それ以外に、無い。

「・・・いや」

そうやって必死にやっていたのを、陰で見ていたのだろうか。


「嫌よ!あんたなんて知らない!あんたなんて、勝手でわがままで気まぐれで、みんなを・・私のことを振り回して・・・こんなっ・・さぞ面白かったでしょうね!!!!」

包むように握られていた手を、力の限りに振り払った。
両手をぐっと握って、喚き散らす。
まるで子どもの様だと分かっていたけれど、もう止められなかった。
これまで何とか繋いできた精神力が、プツンと途切れてしまった。
脇腹が痛んでぐっと唇を噛みしめれば、さっと指先が伸ばされる。

「噛むな、血が出る」

「!っ、触らないで!!」

がむしゃらに振り回した手が、甲高い音を立てた。
衝撃にはっとして、よろめいた相手を凝視した。

「・・・・はぁ」

ふらついた体を立て直した相手は、深い溜息を吐く。
そのことに、自分は今何をしたのだろうとアリスが瞬きを繰り返していれば、すっと上げられた翠碧の瞳がこちらを見た。
たじろぐアリスに構わず、近寄ってくる。

「やれやれ・・君に頬を張られた位でよろけるとは。実に難儀な体だな」

「・・・あ」

ベッドの上で後ずさろうとしたアリスの手に、ブラッドの手がそっと触れた。
咄嗟に引こうとした手は、またぎゅっと握られる。
叩いた衝撃にじんわりと痺れたような熱を持つ手の平を、少し小さな手がそっと撫でた。

「・・・悪かった」

「・・・っ」

「悪いのは私だ。・・だから、そんな顔をするな」

手を撫でた手の平がそっと伸ばされて、柔らかく頬を撫でていく。
その指先が触れて、やっとアリスは自分が泣いていることに気が付いた。
頬を滑り落ちた滴を拭って、更に近づいた相手の腕が耳元をくぐって、気が付けばぎゅっと胸元に抱き込まれていた。

「悪かった」

肩幅も無ければ腕も短くて、記憶の通りでは無かったけれど。

「ぁ・・っふ・・っ、・・」

確かに香るその匂いは、間違いなくブラッドのもので。

「・・・一人にさせて、悪かった」

降ってくる謝罪の声に、アリスは声を殺して泣いた。


--------------+**


「ブラッドは、約束を忘れる奴なんかじゃないからな」

テーブルの向かいでオレンジ色のケーキにフォークを差して、長い耳をひょこひょことさせながらエリオットはにかっと笑った。





「エリオットは、気付いていたの?」

もしかしたら、気付いていたけれど口止めをされていたのかしら。
そう思いながらアリスが聞けば、うさぎの耳を生やしたお兄さんは少し目を丸くして、んー、とその視線を宙に漂わせてからキッパリと答えた。

「いや、知らねえ」

「・・・・・え」

では、動物的な勘でも働いたのだろうか。
襲撃後の孤児院は散々な有様で、新たな場所に生き残ったシスターと子供たちを移すとなった時に、彼を引き取ると言い出したアリスに対してエリオットは何も言わなかった。
だから、てっきり・・もしかして、と思ったのだが。

「ボスの命令は絶対、だ」

「・・・なるほど」

エリオットらしいといえばエリオットらしい、疑問を挟む余地も無いといった回答に少し脱力する。
目の前の少年が組織の元ボスだと言われても何ら驚きはしなかった。
留守の間、よくやってくれたなとだいぶ小柄な少年に言われた時も、おかえり、ブラッド!と眩しい笑顔を向けられて、むしろブラッドの方が対処に困ってたじろいでいた。
何で怪しまなかったのかと問えば、冒頭の回答だ。
目の前のオレンジ色のプディングには手を伸ばさず、アリスも大人しく紅茶に口をつける。

「・・・ああ、忘れてなんかいないさ」

目の前の色彩から目をそらして、でもしっかりとブラッドは答えた。
そして、静かに紅茶を口に運ぶ。
その足が地面に届かずに少し揺れているのがおかしい。

「・・・何かな、お嬢さん」

「・・・いいえ、何も」

つい口元に浮かんだ笑みを、じろりと見咎められる。
そのことにまた、笑ってしまった。
ふんと不機嫌そうな顔がそらされる。

「・・・・・」

あれから、ブラッドが戻ってきたと組織の内外は騒然とし、でもボスはアリスのままだ。
ブラッドの見た目が見た目なこともあってなのだが、色々な判断や書類の処理を手伝ってはくれている。

「・・・ボスには、戻らないの?」

「帽子屋ファミリーのトップは君だろう」

すげないとも言える応えに、アリスの口元は正直にとがる。
視線をこちらに向けて、そんなアリスの様を愉しげに見る男は、でも今は少年の姿で。

「・・・何で元の姿に戻らないのよ」

つい、不満を口にしてしまった。
・・いや、別に元の姿が好きだとそう言いたいわけでは無い。
ただ、子どもの姿であることを口実に、まるで双子のようにボスに戻ることを避けているように見えて、ちょっとむっとしただけだ。
だが、言われた相手は暫くきょとんとこちらを見てから、ふっと艶然に笑んだ。
その顔は、薔薇園での再会を果たした赤い女王のものとそっくりだ。

「そうだな。・・・まあ、まずは君がショタコンになってくれ」

「は・・はあ?!」

何言ってるのよあり得ない、とアリスが反論してもどこ吹く風と言った表情でブラッドは続ける。

「組織の長である君と結婚すれば、私もまた無事にボスの座にに返り咲くわけだ」

何でも無いことのように、さらっと言われたことを何とか解釈してアリスは動きを静止させた。
・・・結婚?今、結婚とか言っただろうか。
この見た目少年、中身18禁の男が・・?

「・・・・ない・・それこそあり得ないわよ!!!」

「では、現状のままだな。せいぜい後継として盛り立ててくれ」

しれっとのたまう相手に、アリスはぐっと拳を握った。





-------------- End ?







「・・・・、んっと、くっだらねえことしてんじゃねえよ!」

「ええ、たまにはいいじゃないか」

暗い石造りの壁に響いた怒声に、どこかのんびりとした声が被さる。

「これでまたゲームは分からなくなったし?新たな要素も加わって面白くなってきたじゃないか」

帽子屋の枠に半端者が二人なんて、と道化の格好をした男がくすくすと笑う。

「黙りやがれ!そもそも、何でそんな賭けなんざしたんだよっ」

弱いくせに、しかも俺にも何の断りも無く!と苛立つ黒尽くめの男は手に持った鞭をふるう。
振った鞭の先が空気を裂くのを目の端で捉えながら、道化の姿をした男はその瞳を笑みの形にうっすらと細める。

「帽子屋かアリス、どちらかが死に瀕した時、失った記憶を元に戻す・・・・。悲劇的でロマンチックだと思わない?」

うっとりと呟く相手を、ゴミを見るような目でもう片方が見遣る。

「考えてもみなよ。死の間際に記憶が戻って、相手を名前を呼びかけて死ぬとか、・・・・・より絶望的で愉しそうだと思ったのになぁ・・あーあ、ロミジュリ・・・」

そんな相手を見ているのも不愉快なように、片方は視線をそらして盛大に舌打ちをする。

「それで二人とも生き返りやがってりゃ意味がねえじゃねえかっ・・・ったくゴキブリ並みの生命力だぜ」

吐き捨てるかたわらに、道化の男も深々と溜息を吐いた。

「そーうなんだよねー・・・二人ともピンピンしちゃってさ。それじゃあ悲劇も何もあったもんじゃないよね」

「・・・・・んなこたぁどうでもいいんだよ」

あーあーと呟く背中を、もう一人の影が容赦なく蹴り出す。

「うっとおしいんだよ、てめぇ・・・おら、さっさと仕事してきやがれ」

はいはい、と思いっきり蹴られた腰元をさする男はいつの間に着替えたのか、鞭を振った男と全く同じ服を纏い、瓜二つの顔に浮かべる表情以外には、もう見分けがつかなくなっていた。




--------------+** Another End **



◆アトガキ



2014.8.27



Nightingale doesn't have a Dream of Our Lady's tears.
(ナイチンゲールは、鈴蘭の夢は見ない。)

パスワードが分かりにくいもので大変申し訳ないです。
完全なる自己満足なのですが、パスワードを含め副題の説明を。

鈴蘭の花言葉「幸福の再来」の由来として、鈴蘭が咲くまでナイチンゲールは森に戻ってこないとする伝説や、鈴蘭の精霊がその甘い香りで美しく鳴くナイチンゲールを呼び寄せて伴侶にした、という伝説を知って、ネタとして使いたいと滾ったわけなのです。

最終的にブラッドが鈴蘭?そんな可愛い奴じゃないだろう、みたいな解釈になってしまいましたが、ナイチンゲールと鈴蘭の間柄(?)を絡めたかっただけで、二人のどちらがどちらとは決めていません。
なので、副題に紛れ込ませた鈴蘭の別名も、アリスことを表現していたり、ブラッドを指していたりします。

副題の一覧はコチラ。

1:ナイチンゲールの見る夢は。
(残されたアリスの夢か、死んだブラッドの夢か)
2:物騒な世界の一輪の花
(マフィアの世界に咲く脆弱な花:アリス)
3:君の影を偲ぶ。
(ブラッドのことを思う)
4:駒鳥のために鐘がなる
(死んだブラッド、雀もしくは夜鳴鶯のアリス。マザーグース'Who Killed Cock Robin'より)
5:Mary's tears
(ビバルディと教会)
6:光のパイプオルガン
(ヤコブの階段の別名より)
7:天使と金色の花
(庭弄りの少年、みどりのゆびより)
8:散るのを恐れ、咲くのを拒んだ
(薔薇園での邂逅、別名の臆病な花より)
9:忘れられない緑、そして青と赤
(別名の緑の衣より)
10:皇帝陛下の小夜啼鳥
(死神を追い払う、本物の歌を歌う。アンデルセン「ナイチンゲール」より)
END:戻っておいでと君がなく(鳴く&啼く&泣く)から。


ややこしくて綺麗にまとめられなかったのが心残りですが、小ネタを盛り込めたことと、やっぱりハッピーエンドが良いよね!っていう。
ブラアリ、好きですよ。

PAGE TOP