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一
「あー重い、寒い、疲れた・・吐血しそうだ・・・」
「ナイトメア様っ!しっかりしてください」
「はははっ!本当に夢魔さんは貧弱だなぁ」
街を行く役持ちの面子に、街の人達は自然と道をあけるが、それは相手が役持ちだからという理由だけではなかった。
「芋虫…お前が持っているものが、一番軽いんだからな」
半眼でへろへろでふらふらのナイトメアを睨む、ユリウスのその両手には折り畳める木製の椅子が二脚ある。
しっかりした木材の椅子は、持ってみると意外と重い。
ユリウスは寒い冬の領土だというのに、慣れない重労働で寒さを感じないほどだった。
「そうですよ、ナイトメア様。先程は、それくらい持っていけるとおっしゃっていたじゃないですか」
ちなみにナイトメアが持っているのは、一抱えの紙袋だ。
決して軽くは無いが、ユリウスの持つ椅子の一脚よりも軽いのは確かだ。
芋虫にはこれも無理なんじゃないかと冗談で言ったユリウスに、馬鹿にするんじゃないとナイトメアは息巻いていたが、まさか冗談が本当になってしまうとは。
ユリウスはため息をついたが、あいにく両手はすでに塞がっているし、そもそも助けてやるつもりもない。
持てると言ったんだから、這ってでも持って行けと思うくらいだ。
ただし、中身が駄目になるなら、一度椅子を置いてきた後に戻って来るくらいはするつもりでもある。
「血をかけるんじゃないぞ、芋虫。我慢しろ」
「申し訳ないですが、俺も手が塞がっているので持ってあげられません。もうすぐですから、後しばらくは辛抱してください」
そういうグレイの手は、片手にユリウスのものと同じ椅子を一脚、もう片手は太い木の上の部分の幹を支えている。
視界は木の枝や葉で、半分遮られている。
「おい、騎士。もう少しゆっくり歩け」
グレイがナイトメアを気遣って、前方の木の根本部分と、それが収まった大きな植木鉢を持つ、赤いコートのハートの騎士に言えば、笑い声が返ってきた。
「そんなこと言わずにさ、後ちょっとだからこのまま行こうぜ!寒いし、早く行っちゃった方が夢魔さんにも良いって」
そういいながら、幹が埋まっているでかい植木鉢をかついで右に曲がろうとする。
「おいエース。そっちじゃない。アリスの店は左だ」
手を離せないグレイに代わって、戦力外なナイトメアは放っておき、ユリウスが慌ててエースの方向転換をするために、木の枝を除けながら前に走る。
その間にも、自分の方向を疑わないエースは、すたすたと進んでいる。
何とか追いついて、ユリウスはそのわき腹を、持っている木製の椅子で強引に方向転換させた。
「絶対あっちだったと思うんだけどなぁ。ひどいぜ、ユリウス」
ぐりぐりと容赦なく押し付けられた、椅子の角がめり込んだわき腹をさすりながら、エースがぼやく。
とはいっても、全くダメージは負っていないので、痛そうにするのはポーズだけだ。
すでに右へ曲がっていたエースは、グレイに声をかけて少し下がってもらう。
そうしないと、元の道には戻れないからだった。
エースとグレイの二人が担いでいる木は、クリスマスにかかせない緑の葉を繁らせたモミの木だ。
ただ、その長さは立てれば家の2階に届くほど長い。
店が並ぶこの道は決して狭くは無かったが、約3メートルもあるモミの木を旋回させられるだけの幅はなく、行き過ぎれば少し戻らなければならなかった。
「騎士、少しはまともにやれ」
グレイは、前方に苛立った声を投げつける。
グレイもアリスの店には来たことがあるので、エースが道を間違えるたびに元の道に誘導させようとは思っているのだが、エースは木の幹を担いだままさっさと行ってしまう。
重い根本を軸に引っ張られれば、グレイは立ち止まるわけにも行かず、何度となく踏ん張ろうとしてきた足も、さすがに少し疲れてきた。
最初に誰がどれを持っていくかを決めたときから、エースが前に立つのはまずいとは分かってはいたのだ。
けれど、代わって前を歩けば、抱える大きな植木鉢と茂る葉で、後方が完全に見えなくなってしまう。
それに、今だったら片手の椅子をどこかに立てかけてでもして手放せば空く手は、完全に塞がってしまうので、何かあったときにすぐに対処できない。
上司の護衛も兼ねている身としては、それでは困るのだ。
今だって、すでに青い顔でふらふらと歩いているナイトメアの足は遅れ気味で、後方にいなければその状態を確認することもできない。
もう騎士の軌道修正は時計屋に任せて、さっさと目的地についてしまうに限ると、グレイは肩にかつぐモミの木の先端部分を抱えなおした。
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「こっちは、もう焼けたようよ」
「んじゃあ、このソースかけなよ。絶対合うからさ」
にしゃりと笑う猫の顔は得意げだ。
アリスが受け取った小さめのボールには、各種調味料と柑橘系の果物の果汁が混ざった、明るい黄色の液体が入っている。
ちょっと舐めさせてもらえば、さっぱりとした味と香りの、酸味のあるソースで、焼いた鶏肉に付けたらこれは美味しいだろうと確信する。
「本当にボリスは料理が美味いわね」
「普段はまあ、もっと素材の味を楽しむのが俺流だけど、特別な日にはいつもとちょっと違う、特別な味付けもいいよね」
空いたオーブンに入れるのは、シフォンケーキの生地だ。
焼きあがったら生クリームを塗って、ブルーベリーとラズベリーを乗せて、アラザンを散らせば完成だ。
オーブンの扉を閉めて立ち上がったアリスは、ふと目の前の台所の窓に、見覚えの無い木が立ちふさがっているのを見た。
「え?木?!」
「ん?」
台所のある窓は、店の入り口と同じ向きだ。
つまり窓の真下は店の入り口なのだが、何故かそこに木が生えている。
まさか、そんなはずはない。
木が一日で伸びるわけが・・・・あった。
「ちょっとブラッド!!」
かき混ぜ途中の生クリームのボールを抱えたまま、ラグの上で優雅にブランデーを傾ける男に近寄る。
ボールを片腕に、泡だて器を片手に構えてビシッと指差せば、生クリームがぴっっと飛び散る。
それにも気付かないまま、アリスはブラッドに詰め寄る。
「家の前に、何あんなでかい木を生やしてるのよ!あれじゃ扉が開けられないかもしれないじゃない。何にせよ、邪魔だから元に戻してちょうだい!!」
「・・・・お嬢さん。残念だが、私はそんなことはしていない」
アリスがびしっびしっと泡だて器を動かすので、飛んでくる生クリームを無言でふき取っていたブラッドだったが、話を聞いてやれやれといった態で答える。
「だってあなた・・!」
「まあ、お嬢さんがそう考えるのも無理は無いが」
秘密の薔薇園でのことを、勢いで話してしまいそうだったアリスの言葉を先取りして、ブラッドは泡だて器を持つほうのアリスの手を引き寄せた。
引っ込める間もなく、生クリームが飛んでいたらしい、指先をぺろりと舐められて、アリスはびしっと固まった。
その様子を面白そうに眺めつつ、ブラッドはしっかりと告げる。
「私はそんな面倒ごとはしない」
「そ、そうよね・・・」
ブラッドがそういった理由で答えるなら、そうなのだろう。
沸騰しかけた頭を、深呼吸してなんとか覚まし、アリスは抱えていたボールと泡だて器を、傍のテーブルの上に置いた。
「ボリス、ちょっと下を見に行くから、ケーキの様子を見ていてくれないかしら?」
「りょーかい」
振り向いて頷くピンク色の猫に台所を任せて、アリスは店の入り口の様子を見に行くことにした。
----+--+**
「よしっ!ここでいいかな」
「良いわけあるか。これでは、扉を開けないだろう」
やっとたどり着いたアリスの薬屋の前で、ふうやれやれと額の汗をぬぐうのは、エースとナイトメアだ。
エースはポーズだけで全然疲労を感じさせない明るい声だったが、ナイトメアの顔色は真っ青だった。
「もう少し、端に移動させるぞ。持て、騎士」
仕方ないなあと言いながら、エースはでかいモミの木が植わった植木鉢を、ずりずりと移動させた。
「・・・どうして、こんなにでかいモミの木にしたんだ・・」
見上げて呆れた声を出すユリウスは、モミの木を選んだ相手が、冬眠中のかえるのように、足元で蹲って震えているのもさりげなく無視をした。
もちろんその理由は、「領主たる偉い私からの贈り物は、大きくて立派なものがいい!」とかいう、ぶれないナイトメア的な発想からである。 弱りきった上司の傍にグレイが慌てて駆け寄り、その背をさする。
「これでいいか!んじゃあ、アリスに声かけるぜ」
「待て。確か扉を新しくした時に、チャイムを取り付けたはずだ」
「・・・ああ、そういえばさっきどこかにあったなー」
りりりん
エースが、目の上に手をかざして探し出すより先に、ユリウスが、目に付いた押しボタンを押せば、旧式の黒い電話のような音が、建物の中から聞こえる。
「チャイムっていったらピンポンだろー。だめだなぁ、トカゲさん」
「・・何がだめなんだ」
「じゃないと、ピンポンダッシュができないじゃないかっ」
長身の二名は、聞かなかったことにした。
長身からもれた残り一名は、ひたすら入り口脇に蹲って、深呼吸を繰り返して、吐血しそうなのをこらえている。
グレイは、くだらないエースのたわ言に気を取られて、反応が遅れた。
ドガッ
「ぐえっ」
冬眠中のかえるは、背後から急襲した扉によって、あえなく口から鮮やかな鮮血を吹き出すこととなった。
「ナイトメア様っ!!」
グレイが伸ばした手は、後ちょっとのところでナイトメアを掴みそこね、、ナイトメアは雪に顔から突っ込んで、ぴくりとも動かない。
辺りの雪が、白から赤に染められた。
扉を開けたアリスは、届いた衝撃に慌てて扉の裏側を覗き、死にかけのナイトメアを見つけて抱え起こした。
「ごっごめんなさい、ナイトメア。まさか扉の裏にいるなんて、思っていなかったのよ」
「い、いいんだ。私は大丈夫だ。それよりこれを受け取ってくれ・・・これは」
「ナっ、ナイトメア!?グレイ、店の中に入れてあげてくれる?薬と、後お湯を持ってくるわ」
「これは、ツリーのオーナメントだ・・」と遺言のように伝えて、アリスの腕の中でがくりと意識を飛ばした夢魔を、グレイが抱えあげて店の中に運ぶ。
アリスに声をかけられて、疲れきったユリウスと笑っているエースも、店の中に入った。
「毛布をありったけ持ってきたわ」
「助かる」
常日頃から病弱な上司を看ているグレイと、薬屋であるアリスがナイトメアの看病を始めたので、何もすることが無いユリウスは、手持ち無沙汰に店の上がりかまちに腰をかける。
「・・・」
「お、帽子屋さんとこの双子くんたちじゃないか」
階段から睨みつけるディーとダムに、エースが笑って手を振っている。
「アリス、上には誰がいるんだ」
「えっ、そうね・・・」
しばし考えて、来訪順に名前をあげていけば、グレイとユリウスは眉根を寄せる。
「はあ・・・。エースに無理やり引っ張り出されたが、お前は何かパーティでもする予定でもあったのか?」
「違うのよ。それに近いことはしたかったけど、ここでやる予定はなかったのよね」
それなのに、何故だかみんな続々と集まってきてしまっている。
もう傍を離れても大丈夫そうなナイトメアの世話はグレイに任せて、アリスは明かり とストーブをつけた店内を見渡した。
その目が、あるものを捉える。
「それはどうしたの?」
「ああ、これは見ての通り、椅子だ」
「アリスの部屋には、椅子が一脚しかなかっただろう?だから、いるかと思ってさ」
持って歩いた疲労感が蘇って、遠い目をするユリウス。
エースに、はいと渡された三脚の木製の椅子は重かった。
確かに今回のような状況もあるし、もらって嬉しいことには嬉しかったが、受け取って、一瞬アリスは困った顔をする。
一脚ずつだったら、何とか抱えて上に上がれるかもしれない。
「グレイ・・私はいいから。椅子を二階まで持っていってやれ」
アリスの心情を読み取ったナイトメアが、毛布に包まったまま、傍のグレイに指示をする。
グレイは、受け取った三脚の椅子を持て余すアリスに気が付いて、急いでそれを受け取った。
「上に運べばいいか?」
「え、ええ」
見上げれば、階段の上からじっとこちらを見ている、むっつりとした顔の双子。
椅子を上に持っていくのはさておき、上にいる面子と一緒にしていいものか、アリスは迷う。
このまま塔のみんな(とエース)も二階にあげるのは、まずいかもしれない。
特にユリウスと帽子屋のメンバーは、あまり一緒にしてはいけないだろう。
葛藤するアリスのことを暫く見ていたユリウスは、さっさと立ち上がった。
そのまま出て行こうとするユリウスに、慌ててアリスは声をかける。
「え!ま、待ってユリウス」
「お前が察しているように、上の奴らと私は仲が悪い。疲れたし、まだ仕事が残っているから、私は帰る」
「・・・・」
気を使ってくれたユリウスにそう言われては、アリスも強く引き止められない。
けれど折角、料理やお菓子も作っていたのだ。
重い椅子を持ってわざわざ訪ねてくれた相手を、もてなしもせずにただ返すなんて、とアリスの顔は曇る。
「ディー、ダム。新しいケーキが焼けたぜ。お前ら、食ってこいよ」
不意にボリスの声が聞こえて、階下を覗いていた双子は、ちらとこちらに目をやってから顔を引っ込めた。
その後から、大きな皿を器用に三つ抱えたボリスが表れる。
ピンクの尻尾を揺らめかせて降りてきたチャシャ猫は、戸惑うアリスにウインクして、その皿を蹲るナイトメアの横、木の床の上に並べた。
「食べて行きなって、時計屋さん。これアリスが作ったんだぜ。美味そうだろ」
いくつかの料理を器用に取り分けて、更に作りかけだったケーキも、完成させてくれたらしい。
本当に器用な猫だ。
猫に促されて皿を受け取ってしまったユリウスは、仕方なく近くの棚にもたれる。
フォークで刺して口に運んだケーキは、ふんわりと甘く、疲れた心を癒していく。
無言で食べ続けるユリウスの横で、エースがサンドイッチに手を伸ばす。
と、それが合図だったかのように、みなそれぞれ料理を食べ始めた。
「美味いな。君は本当に器用だな」
感嘆したようなグレイの言葉に思わず笑顔になったアリスは、グレイがまだ腰の辺りで椅子を支えたままなのに、気が付く。
「その椅子、上に上げるのはまた後でにして、座ってちょうだい」
椅子を広げて、立ったままのユリウスとエースに勧める。
もう一脚は壁にたてかけて、グレイは毛布にくるまるナイトメアの隣に座った。
「ありがとう、ボリス」
「んー、何のことかな?」
とぼけたボリスに残りの食材のことを聞かれて、アリスは後について二階に戻っていった。
続いて届けられた、暖かいスープを飲んで、ナイトメアはほおと息をつく。
そして、はっと傍においていかれた紙袋を見る。
スープを届けた後、アリスはまた料理の続きに戻ったようだ。
「よし、今のうちにモミの木を飾り付けして、次に降りてくるアリスを驚かそうじゃないか!」
建物の中で、暖かいストーブと毛布に包まって、スープを飲んでいるナイトメアは宣言したが、冷たく厳しい視線が帰ってくる。
「・・・お前は雪を赤く染めるのがおちだろう」
「倒れたばかりなんです、大人しくしていてください。飾り付けなら俺がやりますから」
「だっ!でも・・・」
「ナイトメア様・・?」
「ぐっ!分かった、分かったから、その恐ろしい考えはよせ!」
頭を抱えて、病院で入院で点滴で・・・とぶつぶつ暗い顔で呟くナイトメアは、外に出る気は失せたらしい。
「あ、じゃあ俺も手伝うぜ!」
「・・・・」
元気に名乗りを上げる騎士を、グレイは胡散臭く見ながらも、上司が大人しくしているならとりあえずはそれでいいかと、飾りの入った紙袋を持って店の外に出る。
その後ろから、赤いコートをひらめかせた騎士と、何故か無言の時計屋もついてきた。
「じゃあ、分担するぞ。騎士は電飾、時計屋はちまちましたやつを」
「トカゲさんは?」
「上からリボンをたらして、最後に星を取り付ける」
高過ぎて下からはどうしても届かないので、グレイは二階の窓の縁に立とうと考えていた。
「そんなの、木にのぼっちゃえばいいじゃないか」
「騎士・・・お前が登ったら、折れるに決まってるだろう」
「・・・・」
言い合う二人の横で、ユリウスがもくもくと丸いボールや、人形やらを下げていく。
その頭の中では、いかにバランスよく配置し、色合いを偏らせないようにするかの、設計図が描かれていた。