Wishing for all the times.


...3





3人を2階にあげたのはいいが、椅子は相変わらず1脚しかない。
コートや帽子を受け取りながら、足元に広がる落ち着いた黄緑色のラグを指し示す。

「自分で家に上げておいて申し訳ないけれど、椅子は1脚しかないの。でもこのラグは毛足が長めだから、直座りでも寒くないわ。・・・それで大丈夫かしら?」

「俺は全然、構わないぜ」

「おっ結構ふかふかだな」

ゴーランドもエリオットも全く何も気にしない様子で、早速あぐらをかいて座り込む。
エリオットは、ふわふわの起毛が気に入った様子で、わさわさと手で触れた後、更にそばにあったオレンジ色のクッションを抱え込んだ。
カメラが欲しいくらいに、その様子は可愛い
あなたの長いお耳も十分ふわふわよ、と言って、思う存分その耳を触りたい衝動が沸き起こるが、コートを持つ手で何とか押さえ込む。

「・・マフィアのボスに床座りさせるつわものは、お嬢さんくらいだな」

「あら。文句があるなら、今すぐ帰っていただいて結構よ」

「そんなことを言えるのも、お嬢さんだけだ」

笑顔でブラッドに微笑みながら、アリスが渡されたシルクハットを返そうとすれば、片手で結構だと押しとどめられる。
おかしそうにくつくつと笑いながら、奥の壁にもたれるように、片足を曲げて座り込む。

「おっ、そうだ。あんたに手土産があったんだ」

ゴーランドが持っていた手荷物から、ブランデーのボトルと鮮やかな赤いリキュールの入ったお酒の瓶を出して、アリスに手渡す。
赤いリキュールには、可愛らしいいちごの絵が書いてあった。

「いちごのリキュールなの?」

「ああ。あんたはそう飲まないだろうから、甘めのやつな。んで、ブランデーも比較的飲みやすいものにしたが。まあ、そのままじゃなくても、他の飲み物に足したり、お菓子とかに使ったりするだろ」

「ええ。ちょうど空にしてしまったから。ありがとう、いただくわ。・・・3人とも紅茶で良いのかしら?」

「いや、俺たちで飲む分は他に持ってきてる」

ニカッと笑ってゴーランドは、さらに2,3本のブランデーと、ワインを取り出した。
他の二人も、それで異存はなさそうだ。
アリスは頷いて、グラスを3つ取り出して、見せる。

「これでいいかしら」

「ああ、いいぜ」

自分で好きにそそぐといって、ゴーランドはグラスを受け取る。
アリスは、何かつまめるものを出そうと、台所に立つ。
その後ろに、エリオットが寄ってきた。
何やら、上着の内側をごそごそと探って、エリオットは懐からオレンジ色の紙袋を取り出した。

「アリスっ!俺も土産を持ってきたんだ。・・ちょっとしわになっちまったかもしれねぇけど」

受け取って中を覗けば、中身も見事なまでにオレンジ色、一色だった。
だが、エリオットともそこそこの付き合いがあるアリスには、そこに詰め込まれているオレンジ色の食べ物が、オレンジ味でないことぐらいよく知っている。
エリオットの背後で、座っていたブラッドが、さっと目をそらすのが見えた。

「にんじんクッキーとにんじんフィナンシェと、あとにんじんマカロンだ」

「あ、ありがとう」

アリスは、即判断した。

「折角だから、みんなで食べましょう」

「いいのか、アリス!あんたへの土産だと思って我慢してたんだけど、ずっと食べたくてさー」

アリスの言葉に、ブラッドがぎょっとしたようにこちらを見る。
エリオットはといえば、その長い両耳がぴこんと立ち上がって、表情と共に全身で喜びを表しているのが分かった。

「エリオット。それはお嬢さんへの土産だろう。お前ががっついてどうする。お嬢さんだけのときに、ゆっくり一人で味わって食べてもらうべきじゃないか?」

低めの声で、ブラッドが静かにエリオットを諭す。
ブラッドの叱るようなその言葉に、エリオットもはっとしたような顔になって、ついで耳がしゅんと垂れた。

「そ、そうだよな・・・。悪いな、アリス。後でゆっくり食べてくれよ」

項垂れてはいるが、ブラッドの言葉には忠実なエリオットだ。
おそらく、食べたいのをすごく我慢しているのだろう、アリスの手元をちらと見るが、諦めたように戻って座ろうと、背を向けた。
だが、アリスにはブラッドの真意が分かっているので、戻ろうとするエリオットを引き止める。

「いいのよ、エリオット。みんなで食べた方が楽しいし、その方が、きっともっと美味しく感じるわ」

「・・・お嬢さん・・」

「贈り物を受け取ったのは私なんだから、どう食べようと私の自由だわ」

ブラッドは、目で勘弁してくれと全力で訴えているが、目の前に立つ項垂れたうさぎさんと比べて、どちらの味方につくかなんて、そんなこと考えるまでも無い。

「ね、エリオット。今、お皿に盛るから、持っていってくれる?」

「アリスっ。あんたって本当にいいやつだ!」

微笑んで言うアリスに、エリオットは感極まった様子だった。
アリスだって、後で一人でこれを全部食べきれる自信は無いので、エリオットの純粋な感謝を受け取るのに、ちょっと罪悪感も感じなくも無い。
だが、オレンジ色のお皿を、きらきらした目で受け取るエリオットの背後で、こちらを睨みつけているブラッドに対しては、強気でいることができた。

「ブラッド。ここはあなたの屋敷ではなくて、私の家よ」

「・・・・」

ブラッドは、目の前に運ばれるオレンジ色の群れから、そっと目をそらした。
ゴーランドは、興味深げにそのやり取りと、目の前に出されたにんじん味のお菓子を見て、手を伸ばす。

「へえ・・・にんじん味のお菓子か。・・・む、これは確かにすごいな」

「そうだろ、そうだろ!ここの店のは特に美味いんだぜ。あ、あとはにんじんパフェとにんじんプリンが美味い店があってな」

「ふ、ふーん」

ゴーランドは一口かじって、そのにんじん味の濃さに驚いたようだったが、続くエリオットのにんじんトークに少々引いている。
ゴーランドと反対側に座っているブラッドは、もはや目だけでなく耳も閉ざしているらしい。
遠い目をして、ひたすら手酌で酒を飲み干している。
アリスはとりあえず、そんな3人を置いておいて、つまみの用意をはじめた。
トマトとモッツァレラチーズとバジルを重ねて並べ、オリーブオイルと岩塩と黒コショウをかける。
薄くスライスしたパンに、ガーリックバターを塗って焼く。
ピクルスとオリーブを小皿に持って、ピックを刺しておく。
出来上がったものをトレーに乗せて運び、食べやすい位置に置けば、ゴーランドもエリオットも嬉しそうな声をあげた。

「美味そうだな、あんたが作ったのか?」

「たいしたものじゃないけど。どうぞ食べて」

「腹が減ってたんだ。ありがとなアリス!」

「これ美味いなー。アリス、あんた良い嫁さんになるな」

まるでピクニックみたいだ、と早速手を伸ばす二人と違って、足を組んで壁にもたれたまま、ブラッドは皿を見遣っただけで動かない。
先ほどまでの態度とは違って、その視線はひどく冷ややかで、アリスは首を傾げる。
何か、ブラッドの嫌いなものでもあったかしら。
でも、オレンジ色のアレ以外に、ブラッドが特に何かを苦手としている様子は無かったのだが。

「どうかしたの、ブラッド?」

「・・・アリス、君は一人酒でもするのか」

声をかけてみれば、どこか苛立ったような低い声が返ってくる。
その不機嫌の理由が分からなくて、アリスは戸惑うが、答えを返さない間にもブラッドは言葉を続ける。

「随分と用意もよく、料理の下準備も出来ていたようだが・・・誰か呼ぶ予定でもあるのか?もしくは、酒飲みの男でも出来たか」

冷ややかな目線が、どこか小馬鹿にするような、嘲るものに変わる。
アリスは、ブラッドの言っている意味が分かって、びっくりする。

「は。なに言ってるんだ、帽子屋。ただアリスの手際がいいだけだろ」

そういいながらも、ゴーランドは戸惑ってその手をとめた。
エリオットはよく分かってないのか、きょとんとした顔でもぐもぐとしている。

「だが、酒飲みでもないのに、酒のつまみになる材料ばかり買わないだろう。それにこの量だ」

どこまで勝手な憶測をすれば気が済むのだろうか。
もし、ここでアリスが「その通りよ」と告げたら、どんな反応が返ってくるのか、考えただけで疲れて、アリスは心底呆れたため息をついた。
そのアリスの態度が、ブラッドを更に苛立たせたらしい。

「・・・・誰だ」

その相手を言え、と冷たい翠碧の瞳が睨みつけてくる。
アリスは、冷蔵庫からパプリカといんげんを巻いた生ハムと、後は焼くだけのタルトタタンを取り出した。
タルトタタンをオーブンにセットして、生ハムロールをお皿に盛って、3人の元に運ぶ。
そんなアリスの様子を、3人がそれぞれの心情と共に目で追う。
無言で皿を置いてから、アリスはブラッドの目の前で立ち止まり、その手を腰に当てる。

「ブラッド。あなたのそれは完全な勘違いよ。私はもともと誰かを誘う予定も、ましてや酒飲みの友人もいないわ」

「・・・・」

「これはもともと、みんなと食べる予定で作っていたの。あなたも、もちろんその中に入っていたわ」

「え。これは、俺らと食べるために用意したのか?」

「でも、俺たちあんたんとこに行く予定は、もともと無かったぜ?」

ゴーランドがちょっと驚いた様子で繰り返す。
エリオットは訝しげだ。

「色々と準備して、それから各領土を訪ねる予定だったのよ。まさか家に来るとは思って無かったわよ」

おかげで、色々と考えていた段取りは、全て無駄になってしまった。
ため息をついたが、アリスは顔をあげて笑顔になる。

「でも、そういうことだから、遠慮せずに食べていってちょうだい。今、お菓子も焼いてるところだし」

そう言えば、ゴーランドは「じゃあ、遠慮なく」と、再度つまみに手を伸ばす。
その手が掴もうとしていた生ハムロールが、横からのびた手がさらっていった。

「・・・おい」

睨むゴーランドを無視して、ブラッドは無言でもぐもぐと食べ続ける。
その様子では、なんとか納得してくれたようだ。
アリスは、ブラッドのそばにあったブランデーの瓶が、空になっていることに気が付いた。
もしワインを飲むことにするんだったら、ワイン用のグラスが必要だ。
だが、アリスはブラッドがさっき言ったとおり、一人でお酒を飲むことはほぼ無い。
だから、ワイン用の足のあるグラスなんて、買い揃えてはいなかったのだ。
丈が短めで幅が広いグラスは、ブランデーを飲むにはそこまで支障は無いが、ワインを飲むには合わない。
買いでもしない限り、他に用意が無いので、仕方が無いがその時は今飲んでいるグラスを洗って、それで飲んでもらうことにしよう。
徐々に、タルトタタンが焼ける甘く香ばしい匂いが漂ってくる。
アボカドを取り出して切りながら、アリスが考えていると、台所の正面の窓の中で、何か鮮やかな色彩が動いたのが見えた。

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