Wishing for all the times.


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カスタードクリームの甘い美味しそうな匂いが漂っている。
チーズの型に、甘い香りを振りまいているたまご色の粉を、乾燥しないように少し水気を足しながら隙間無く詰めていく。
最後に上から押し板を当てて体重をかけてぎゅっと押し込めば、後は乾燥させて取り出すだけだ。
棚に並んだいくつもの型には、作業机に散らばった色とりどりの粉が収まってラッピングされるのを待っている。
ひとまず、ラッピング前の全ての工程を終えて、アリスはふうと息をついた。

乾燥までの間に、料理の方を進めようか。
とはいっても、差し入れ程度の軽くつまめるくらいのものしか作らないから、そんなに手はかからない。
下ごしらえはだいたい出来ているから、後はパンに挟んで食べやすい大きさに切り分けたり、水気を切って持っていく容器に並べて詰め込んだりするだけ。
包む袋に余裕はあったかしらと考えるアリスの元へ、来訪者を告げるチャイムの音が聞こえる。

誰か訪ねてくる予定は無いから、宅配か郵便だろうか。
でも注文して頼んでいた、プレゼントに使う香料などの材料や型はみんな届いているはずだ。
首を傾げながらアリスは作業室を出て、スリッパからサンダルに履きかえた。


----+--+**

しっかり乾燥したのを確かめてから、型からはずす。
作業机の上に敷いた布の上に、ころりと紅い薔薇が転がり出る。
薔薇の紅と言うよりは、深みのある紅茶の赤みを帯びたそれは、香りも紅茶の香りをまとっていた。
頼んだ型の職人が良かったのだろう、美しい繊細な花びらをうっかり崩さないように慎重に手に取る。
丸く平たい銀色の紅茶缶に、クッション代わりにもなる本物の薔薇の花びらを敷き詰めて、その上に先程の紅茶の香りがする薔薇の入浴剤をそっと置いた。
中で動いて欠けたりしないように、隙間に更に花びらを加えて蓋をしてリボンをかける。

その出来に、アリスは満足そうに頷いた。
さっきまで、乾燥中のカラフルな入浴剤が型に入って並んでいた棚は、もうほとんど空になっていた。
残っているものも、アリスが試作として作ったものや、途中で割れた時を考えて作っておいた余分、ラッピングで詰め込めなかった余りだ。
初めての試みにしてはどれも出来ばえが良くて、余った分を自分の入浴タイムに使うことを考えるだけで、何だか楽しい気分になる。

コンコンコン

表の扉を叩く音がする。
訳あって表の扉を新しくすることにした際、チャイムも新しくつけたのだが、表にいる人物はそれに気が付かなかったらしい。

今度こそ、何かの配達かしら。

とはいえ、やはりアリスには、何かが届く予定も何も無いので、自然疑り深くなってしまう。
でも、もし本当に郵便か配達の人だったら申し訳ない。
悩んでいても仕方が無いので、ラッピングしたプレゼントを、他のものと一緒に大きめの袋に入れてから、アリスは白衣についた粉をはたき落として、店の入り口に向かった。
片手をノブにかけたまま、少し上半身を傾けて覗き穴をのぞく。

「!!?」

ガチャッ

覗き穴は、何かにふさがれて真っ暗で何も見えない。
一瞬驚いた後、反射的に仰け反ったが、片手はまだノブを掴んでいた。
まさか、鍵が開いているとは思わなかったのだ。
扉が開いたことによって、ノブごと体が引っ張られ、数歩たたらを踏んだアリスの体が、外にいた何者かによって危なげなく支えられる。
途端に、かおる香りにはっと顔を上げる。

「随分と、無用心だな。お嬢さんらしくない」

にやりと細められる翠碧の瞳と目が合う。
うっかりしがみついてしまったジャケットは、珍しく会合用の黒地のものだったが、それでもあちこちに散りばめられたスートが、彼の服装の奇抜さを物語っている。
慌てて離れようとするが、支えてくれていた腕は、今ではむしろがっちりとアリスを捕らえていた。
そのままお店に押し込められて、後ろ手に器用に鍵を閉めた音がする。
前にもこんなことがあった気がするわ、と全く学習していない自分にアリスは落胆した。
そんなアリスを面白そうに見下ろしていたブラッドは、おもむろにその髪に顔を近づけた。

「なっ何?」

「いや。これはまた、実に美味しそうな匂いをしていると思ってね」

距離をとろうとするアリスに構わず、その首筋にそっと唇を寄せる。
湿った感触が肌に触れて、アリスが小さく悲鳴を上げた。
ふっと小さく笑ったその吐息に、アリスはびくりと震えて、見る間にその首筋が赤く染まっていった。

「本当に、私好みの良い香りだ。食べてしまいたいくらいに、な」

そう言ったブラッドの口元には、ラッピングの時に髪についてしまったのだろう、薔薇の花びらが一枚くわえられている。
思わず見ているアリスの目の前で、ブラッドは花びらをそのまま食べてしまった。
口内に消えるビロードのような薔薇の花びらと、その跡をぬぐうように唇を這う舌先まで見てしまって、アリスは顔まで真っ赤になった。

「何してるのよっ」

アリスの態度も目も困ったように揺れていて、それなのに、言葉はこんなに強気で。
本当にこの少女は面白い、とつくづく思う。
そして、それはブラッドの支配欲も煽ってくる。
なんとか腕から逃れようとするその瞳をじっと見つめて、徐々にアリスの顔に焦燥感が浮かんでくるのを、ブラッドは心地よく眺めていた。
その翠碧の瞳が不意に鋭く、アリスの後方を見遣る。

ヒュンッ

「!!?」

ドスッ

重たいものが何かにぶつかった音がする。
アリスはブラッドによって、強制的にしゃがみ込まされていた。
静かになったので何事かと顔を上げれば、苦々しいブラッドの顔と、先ほどまでブラッドの顔があった辺りの高さで、扉に何かが突き立っているのが見えた。
明かりを落とした店内でも、僅かな光にぎらりと反射するのは、刃物の輝き。
持ち手の部分にハートのマークの入った大剣といえば、ハートの騎士の獲物だった。

「やー、ごめんごめん。うっかり手が滑っちゃった」

「ちょ、ちょっとエース!人の家の扉になんてことしてくれるのよ!折角、最近新しくしたばかりなのに!!!」

大剣が突き刺さって、しかもまだ突き立っているということは、かなり深く刺さっているに違いない。
まだ新品の扉についた傷を思って、先ほどまでブラッドに何かされそうだったことはすっかり忘れて、アリスは近づくエースの襟元を締め付けんばかりに怒る。

「だから、ごめんって」

そう言いながら朗らかに笑うエースが、地面と平行に突き立つ大剣の柄に手を伸ばそうとしたところで、大剣がぽろりと外れて地面に落ちた。

「あれ?」

「ああ、傷が・・・」

嘆くアリスをよそに、拾い上げた剣を見ながらエースは首を傾げる。

「おっかしーな。ちゃんと貫通するくらいの力は込めたはずなのに」

瞬間的に放たれたアリスの肘鉄は、顎に手を当てながら考え込むエースのわき腹を掠める。

「・・・まったく。何故ここに迷子の騎士がいるんだ」

「あ、帽子屋さん、久しぶり。それが、迷子になっちゃってさー」

アリスから目線を移した二人から、殺気の混じったぴりぴりした空気が発せられる。
図らずも、その間に挟まれる形になったアリスは、心底居心地が悪い。
なのに気付けば、ブラッドには腕をつかまれ、エースにいたっては馴れ馴れしく肩に手を乗せている。

「エース。あなた、洗面所借りたら帰るとか言ってなかった?」

「ああ、そうなんだけどさ。洗面所から出たら出口が分からなくって、気付いたら二階にいてさ。あ、ベッド借りたぜ」

さすがにちょっと眠くってさ、あはははと笑う騎士に、アリスは頭痛がしそうだった。
ちなみに、洗面所は1階、アリスの部屋の寝室は2階だ。
階段を上がる時点で気付かなかったのなら、病院で頭を見てもらったほうがいいかもしれない。
どうしたらこんな狭い家の中でも迷えるのだろうか。
くらくらするアリスをよそに、勝手に出て行って構わないって言ってくれたけどさ、とエースは話を続ける。

「俺が出ていったら、鍵が開けっ放しになっちゃうだろう?それじゃ危ないじゃないか」

「一言、声をかけてくれればいいじゃない」

「何度も声かけたぜ。でも聞こえてなかったみたいだ。君は、作業室には入るなって言うし」

だから、これはもう気付くまで警備をかねて、ここにいた方がいいかなと思ってさ、とからっと笑うエースにアリスは脱力するしかない。

「・・・でも、寝てたんじゃない」

それじゃ、全く何の意味も無い。

「迷った末に、勝手に、お嬢さんのベッドで、寝るとは」

半眼で、呆れたようにエースを見ていたアリスの横から、底冷えするような声が発せられる。
ぎょっとするアリスをよそに、片手でおもむろに振り上げられたシルクハットのついた黒いステッキは、瞬く間に薔薇飾りのついたマシンガンへと姿を変えた。
照準はもちろん、アリスの斜め後ろで細めた目で笑う騎士へと向けられている。

「頭の調子がすこぶる悪そうだ。医者に代わって、風穴でも開けて、中を見てやろう」

「・・・ブラッド、撃ったらもう二度と店にも上げないわよ」

痛む頭を抑えて、物騒な目で物騒なものを構えている男と、その今にも引かれそうな引き金を睨みつけて、アリスは低い声で告げる。

「エースも。これ以上、少しでも家を破壊してみなさい。もう二度と入れてあげないから」

「えー」

それはやだなぁと、底の知れない笑顔で頭をかいた騎士は、拾い上げた大剣をおとなしく鞘に収めた。
それを見てアリスは、腕を未だ掴んでいるブラッドにも目で促す。
しぶしぶといった態で、マシンガンをステッキに変えて忌々しげにエースを睨むブラッドに向けて、エースはあはははっとからっと笑い声を上げる。

「まあ、そんな怒らないでよ、帽子屋さん。俺もそろそろ退散するからさ」

「・・・・・」

訝しげに瞳を眇めるブラッドの脇を、ゆうゆうと通り抜けてエースは店の扉に手をかける。
開いた隙間から入り込む冷たい風に、赤いコートの裾が笑うように翻る。

「仕事で呼ばれてるんだ。じゃあまた・・・アリス」

「え、今なんて・・・?」

勝手に押しかけて、勝手にまた出て行くエースの言葉の最後の方が、隙間風の唸る音にかき消されてよく聞こえず、アリスは聞き返した。
だが、エースは意味深な笑みを返すだけで、その姿は扉の向こうに消えていった。

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