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一
誰かしら。
アリスの視界から人影は見えなくなったが、店の入り口の前に行った様な気がする。
今日は本当に訪問者が多い日だ。
アボカドの種をくりぬいていた包丁を置いて、手を洗って部屋から出て行こうとするアリスに、ブラッドがちらと視線を向ける。
ゴーランドも不思議そうに声をかけてくる。
「どうかしたのか?」
「ええ、誰か来たみたいだから、ちょっと1階に行ってくるわね」
「ふうん。俺も行く」
アリスの言葉に、特に約束も無い人が訪ねてきたことを察してか、エリオットが立ち上がってついてくる。
本当に得体の知れない相手だったらアリスには対処しようがないし、女性の一人暮らしだと思われるより、男性がいると知らせる方が防犯になるので、アリスはありがたく同行してもらうことにした。
薄暗い店内に小さく明かりを付けて、アリスは部屋履きからサンダルに履き替えて、扉に近づく。
と、外からの声が聞こえてきた。
「あ、明かりがついたよ、兄弟」
「・・おい、お前らーチャイムあるぜ」
「そうだね。いるみたいだから呼んでみようか、兄弟」
りりりん
「あっ、ボリス何してるのさ!」
「何してるのって、チャイムあるのに大声で叫ぼうとしてるから、先に鳴らしただけだろ」
「あることを教えてくれればいいだろ!」
「・・・俺はちゃんと教えたんだけど」
「だとしても、僕たちに押させてくれたっていいじゃないか」
「そうだよ!ボリスはもう来たことあるんだろ。だから、今回は僕らに譲るべきだ」
外でわめいてる声と、呆れたような声には聞き覚えがある。
思わず背後を振り返れば、エリオットは険しい顔をしている。
これ以上、外で騒がれても困るので、アリスは覗き窓で確認するまでもなく、扉を開けた。
「こんにちは、ディー、ダムとボリス」
「お姉さん!こんにちは」
「こんにちは、遊びに来たよーお姉さん」
「やあ、アリス」
遊びに来たと嬉しそうに言う双子は、やはり帽子屋屋敷の門番、ディーとダムで、その後ろで苦笑しているのは、鮮やかなピンク色のもこもこファーと髪の毛をした、遊園地の猫だった。
挨拶をするアリスをひょいと横にのけて、後ろからぬっとエリオットが顔を出し、双子の顔がげっと引きつる。
「おーまーえーらー!仕事ほっぽって、何が遊びに来ただぁ?」
「何でお姉さんの家から、ひよこうさぎが出てくるんだよ!」
「何やってんのさ、ひよこうさぎ!それから、言っておくけどぼくらは今有給だから、さぼりじゃないもんねっ」
エリオットの怒声とぎゃんぎゃんと反論する双子に、ボリスと顔を見合わせてアリスは嘆息した。
寒いのもあって、とりあえず全員店の中に入れる。
扉をしめて鍵をかけて、ちらと見ればまだエリオットと双子は言い合っていた。
どうしたものかと呆れるアリスの耳に、階段を降りる足音が聞こえる。
「・・・お前たち。仕事はどうした」
「げっ、ボス?!」
「なんで、ボスもいるのさ」
聞いてない、とわめく二人を見て、ぱんっとステッキを手のひらで叩く。
二人はむすりとしながらも大人しくなる。
「まあまあ、NO.2さんも帽子屋さんも落ち着いて、さ」
「そうよ。寒い中折角来てくれたんですもの。今ちょうどお菓子が焼けるところよ。良かったら上がっていって」
「・・・お嬢さん。あまりこいつらを甘やかしてくれるな」
「そうだぜ、アリス!こいつらすぐにつけあがりやがってっ」
まあまあとなだめるアリスと猫に、「仕方ない、今回だけだ」と告げて、ブラッドは階段を上がっていく。
ブラッドの言葉に、双子を睨みつけてからエリオットも続く。
「ボスのお許しが出たよ、兄弟!」
「やったね、有給だよ兄弟」
「あなたたち。この家では暴れてものを壊さないこと。いいわね」
アリスが言えば、無邪気な顔で「はーい」と良い返事が来る。
作業室のことを言おうとしたが、下手に入るなと伝えたら、逆に入りたくなってしまうだろう。
双子に先に階段を上がるように言って、アリスは作業室の扉にしっかり鍵がかかっていることを再確認した。
そして、音もなく背後にしのびよっているボリスに気が付く。
「ボリス・・・」
「ん~?アリス、甘くていい匂いがする」
瞳は暗闇の中で瞳孔が広がってちょっと可愛かったが、細められれば危険な香りがする。
作業室の扉に張り付いたまま、背後にいるボリスによって動けないアリスの腰辺りを、ピンクの尻尾がさわさわとなでていく。
くすぐったくてみじろぎすれば、すんすんと匂いをかぐボリスの鼻先が、アリスの首に触れる。
そのひんやりした鼻は、冬の領土で外にいたからだろう。
「ボリス!上の方が暖かいから、上に行きましょう」
「ん~。俺はこのままでもいいけど」
早く離れたいアリスは、寒いわと訴えるが、その顔はちょっと赤い。
ボリスは、アリスがちょっと熱くて離れがたいと、にやにやしている。
「~~~っ!!」
気合でべりっと引き剥がして、アリスはささっと階段を上がって逃げていく。
にやりと笑ったボリスは、音もなく作業室の中に滑り込んでいった。
----+--+**
赤い顔を見られないように早足で部屋を横切って、台所に立ってタルトタタンの様子を見る。
うまく焼きあがってるのを見て、ほっとしながら取り出せば、生地の香ばしいにおいとりんごの甘い香りが広がった。
人数分に切って小さな皿に取り分けて、フォークをそえる。
振り返れば、待ちきれない双子がきらきらした目で、覗き込んでいた。
苦笑して、その手に先に一皿ずつ渡す。
「わあ、りんごだよ、兄弟」
「赤くてきれいで、うんすごく美味しいね、兄弟」
歩きながらもう食べ始めているのか、嬉しそうに頬張ったまま、ラグの上に移動して、クッションの上に座り込む。
ブラッドとエリオット、ゴーランドにもお皿を渡してから、ふと階段を見遣る。
まだ、ボリスが上がってきていない。
さーっと顔を青くして、アリスは急いで階段を駆け下りていった。
不思議そうにそんなアリスを見た双子は、目を見合わせた。
皿のタルトタタンを食べ終えて、階段を降りようとするが、一足早く立ち上がったエリオットにその襟首を掴まれた。
「何するんだよ、ひよこうさぎ!」
「離せよ、馬鹿うさぎ!!」
「うるせー!アリスの家で勝手なことはするんじゃねえよ。あと、俺はうさぎじゃねえって何度言ったら分かるんだ!馬鹿はお前らだろ!!」
また始まった、ぎゃーぎゃーと騒がしい三人を無視して、ブラッドは黙々と食べ物をつまんでいる。
タルトタタンをたべながら、あぐらをかいてその様子を見て、ゴーランドは笑っている。
「本当、お前んとこの連中は賑やかだな。だが、賑やかさなら遊園地のほうが上だぜ」
「・・・欲しいなら、くれてやろうか」
喧しい3人を見て、ブラッドが半眼で呟く。
そんなマフィアのトップを見て、またゴーランドは笑った。
----+--+**
「ボリス!!!」
バーンと開けた作業室の中、予想通りいたピンクのチェシャ猫の尻尾をむんずと掴んで、アリスは怒った。
びくーっとしたボリスは、そろりと振り向くが、その手にあるものを見てアリスは、はぁあと額に手をあてた。
「これってさ、もしかして・・」
「そうよ!そうだけど、こんな勝手なことをする悪い猫にあげるものは無いわ」
さっさとそれを置いて、出て行きなさいとしっしと追い払う動作をすれば、ボリスはちょっと後悔した顔をしている。
耳が横向きになって、しょんぼりしているようだ。
「アリス、ごめん」
「泥棒する猫のことはもう知らないわ」
「・・・アリス」
尻尾から手を離してふんっと顔を背ければ、手に持っていたものを元に戻して、ボリスは立ち上がった。
そのまま腕を伸ばして、アリスの腰元にからめて、顔を覗き込んでくる。
「離してちょうだい」
「悪かったからさ、アリス」
元の世界で家で飼っていた猫のダイナも、いたずらをして叱れば、視線をうろつかせて不安そうにした後に、足元にすりすりと寄ってきた。
悪いことをしたと分かっていたのかどうかは分からないが、怒らないでと訴えるその瞳にほだされることもしばしばだった。
今も、項垂れる耳と尻尾をみれば、そのことを思い出さないわけがない。
「もう、勝手に入らないと約束して」
「分かった。約束する」
アリスの腰元でゆるく手を組んで、その額をこつりとアリスの額に重ねる。
尻尾がゆるりと、腕を組むアリスのひじを掠めていく。
「ばれちゃったから、あなたには先に渡しておくわね」
折角作ったプレゼントだ。
渡さずに手元に残るのも悲しいので、アリスは青い小さなプラスチックのバケツをボリスに渡した。
中にはラッピングされた、魚型のカラフルなバスボムと、砂浜に見立てたバスソルトが入っている。
「これって、入浴剤・・?」
「そうよ。夏の領土のあなたは、あまりゆっくりは湯船につからないかもしれないけれど、メントールが入ってるから、上がった後もさっぱりして、すーっとするはず」
それを聞いて、ボリスはにしゃっと笑顔になる。
「あんたが俺のこと考えて作ってくれたって思うだけでも、すっごい嬉しい。ありがとう、アリス。ちゃんと使う」
「無理しなくてもいいわよ。石鹸も入ってるから、そっちを使ってくれるだけでも」
暑くて倒れたボリスを思い出して、やっぱり石鹸だけにしておけばよかったかもしれないと、アリスは後悔する。
そんなアリスを見て、ボリスは笑顔で片手でアリスの髪を梳く。
「もし、熱くてダメそうだったら、冬の領土で使わせてもらうから問題ないよ」
話しながら作業室を出て鍵を閉めて、二階へと戻る。
戻ったとたん、双子がしがみついてきた。
「お姉さん、遅いよ」
「ボリスの分のタルトタタンは食べちゃったから、もう無いよ」
「えっ?あなたたち、食べちゃったの??」
驚いて聞けば、双子はボリスに向かって舌を出している。
台所の上を見れば、確かにあったはずの残りのタルトタタンも無い。
仕方が無いから、他のものを用意しようと台所に立てば、ボリスが隣に並ぶ。
「ボリスは座っていていいわよ。あなたたちも、何か飲み物を出すから、とりあえず座って待っていてちょうだい」
双子は大人しく離れたが、何やら持ってまた戻ってきた。
「お姉さん、これお土産だよ」
「そうそう。さっき渡し忘れちゃったんだけど」
「ありがとう。何かしら?」
受け取った袋の中には、何やら重い箱が入っている。
取り出して箱の蓋を開ければ、きれいな透き通った細長いグラスのセットが入っていた。
驚いて双子を見る。
「どうしたの、これ」
「遊園地でとったんだよ。ね、兄弟」
「うんうん。射的の景品だったんだよね、兄弟」
どうやら、遊園地で遊んできてとった景品を、アリスに届けに来てくれたらしい。
それにしても、双子ならもっと違うもの、武器やおもちゃや、そういったものを取りそうなのに、まさかこんな大人っぽい景品のグラスとは。
驚いたまま、まじまじと二人の顔を見れば、アリスのその戸惑う理由が分かったらしいボリスが、横から補足をしてくれた。
つまりは、うっかり的を撃ち間違えたのだと。
「ボリス、余計なこというなよ!」
「そうだよ。折角お姉さんが喜んでくれてたのに」
確かに、ちょうど今必要だと思っていたものだ。
足こそ無いが、この細身のグラスだったら、ワインを飲むにもそこまで違和感は無いだろう。
それに、ジュースを入れてもきれいに見える。
早速、双子のためにジュースをそそいで、二人に渡す。
だが、二人は拗ねたような顔をして、受け取らない。
と、思えば瞬時に大人の姿になる。
「・・お姉さん、僕たちもお酒がいいな」
「グラス、喜んでくれたよね、お姉さん」
少し低くなった声が、左右からアリスを捕らえる。
背が高くなって見上げる形になるアリスの手から、二人はそれぞれグラスを受け取って、一気に飲み干す。
冷蔵庫の脇に置いてあった、ゴーランドからもらったいちごのリキュールに、ディーが気付いて手を伸ばす。
「甘いのなら大丈夫だよね、兄弟」
「美味しそうだね、兄弟」
「ちょ、ちょっとあなたたち」
アリスが止めるまもなく、勝手にあけて勝手にそそいでしまう。
そのまま飲みそうな双子のグラスに、横から伸びた手が白い液体をそそぐ。
いつの間にか冷蔵庫から出したのか、ボリスが牛乳を出してそそぎ、もう片方の手でマドラーをかき回している。
「ほら、これで牛乳割りのイチゴミルク。これならまあ、大丈夫なんじゃないかな」
いつもは子どもの特権を主張する双子が、大人扱いを要求していて。
見た目は大人になっても、中身が子どもならやっぱりお酒はダメなんじゃないかと、アリスは慌てる。
その双方の主張の、ちょうど中間辺りを演出して、双子もなだめてみせたボリスに、アリスは何とかほっとする。
まあ牛乳で割ったから、そんなにアルコールもきつくならないだろうし、1杯なら大丈夫だろう。
上司であるブラッドとエリオットを見れば、ブラッドは何ら気にしていない様子で、エリオットはちょっと苦い顔をしていたが、一杯だけだぞと、許可を出してくれた。
双子が大人の姿になってしまったので、台所が狭くてこれでは何の作業も出来ない。
二人には残りのグラスを配るように指示を出して、ラグの上に戻ってもらう。
ボリスはまだ横に立っている。
「どうかしたの?」
「他に何を作る予定なのかなーと思って」
「このアボカドを刺身にしようと思ったけど・・・切ったまま放置しちゃったから、色が変わってきちゃったわね」
「じゃあ、ディップにしちゃおうぜ」
「そうね、それがいいわね。クラッカーもあったと思うわ」
ディップなら多少色が変わってしまっても構わないだろう。
さすが、料理が得意な猫だ。
ボールと調味料とついでにクラッカーを取り出せば、ボリスはまた冷蔵庫の中身を覗いている。
「おっ、おさかなさん!これはどう調理すんの?」
「カルパッチョにしたらいいかなと思ったんだけど」
「ふーん。じゃあ、これ俺が調理してもいい?」
「えっ!いいわよ、ボリスもお客さんだし」
「俺は料理すんの好きだから、手伝わせてよ、アリス。プレゼントのお礼だと思ってさ、ね?」
「そう・・?じゃあお言葉に甘えて、手伝ってもらおうかしら」
「了解」
にしゃりと笑う猫は、早速まな板の上に乗せた魚に包丁を入れている。
アリスは、アボカドのディップを作って、ラグのみんなのところに運ぶ。
ボリスが作ってくれるなら、きっと美味しい魚料理ができるだろうと、ちょっとわくわくする。
アリスは焼き菓子を作るために粉をふるいながら、ボリスは魚を焼きながら、料理の味付けや過去の失敗談を楽しく話しつつ、台所に立っていた。
「なんだよ、ボリスばっかりお姉さんとずるい」
「僕たちだって、お姉さんと遊びに来たのにさ」
「お前ら今は、大人なんじゃないのか?」
大人なら、余裕の態度ってのも必要だぜ、とゴーランドが笑う。
「大人ってつまらないね、兄弟」
「そうだね、兄弟」
飲み終えたグラスを持って、瞬時にまた子どもの姿に戻った双子は、台所に立つ二人の元へまとわりつきに行ってしまった。
エリオットは全くあいつらは、と双子を睨みつけている。
ゴーランドは頭の上で手を組んで、壁によりかかり、いっそう賑やかになった台所の会話を笑顔で聞いている。
ブラッドは静かにワインを味わいながら、近づく気配を感じていた。