ラッキーガールになるために






リリリン

店を閉めて二階に上がり薬学書を開いていた耳に、来訪者を告げるベルの音が届く。
台所の窓から下を見下ろして、ちらと揺れた赤茶の三つ編みを見て急いで階下へ下りた。



【侯爵の場合】

鍵を開けて扉を開く。

「ゴーランド!」

寒い冬の領土にも関わらずいつもの黄色いジャケットのまま片手をあげて笑う相手を、アリスは慌てて店の中へと招く。

「こんにちは。寒いでしょ、上がってちょうだい」

「ああ良かった、いたんだな。でも良いのかよ、店閉めてるんじゃないのか?」

「大丈夫よ」

少し遠慮がちに暗い店内を覗く相手に笑顔を返せば、白い息を吐いてにかと笑い返される。

「悪いな、じゃあ邪魔させてもらうぜ」

薄い小包を小脇に抱えたゴーランドを二階にあげて椅子をすすめる。
クリスマスをみんなで過ごしたときに、クローバーの塔のみんなから送られ木製の椅子。
そのままだと少し冷えるので、店にこもっている間に毛糸で簡易的な敷物を作ったところだった。
温かみを帯びたオレンジ色の布を掛けた椅子に座るゴーランドに、振り向いて声をかける。

「紅茶と珈琲だったら、どちらが良いかしら」

「お構いなく・・と言いてぇところだが、さすがに寒かったな」

「ゴーランド、ここは夏じゃないのよ」

笑って言う相手に、戸棚からカップを取り出しながら呆れた顔をする。
椅子に座ったゴーランドはきょろきょろと辺りを見回して、目を少し細めて空気を嗅ぐような動作をしている。

「何だかやけに珈琲の匂いが漂ってんな。この香ばしい香を嗅いだら飲みたくなってきたぜ、珈琲を頼む」

「そんなに?」

「ああ。こりゃあ、あいつが来ても上がり込めないな」

にやにやと笑う顔に、ブラッド避けに玄関に珈琲豆を入れた布袋をつるしていたことを思い出す。
ゴーランドもそういうのだから、この前エリオットと共にいたであろうブラッドはさぞ嫌な顔をしたんだろうと思う。
勝手に店に入り込むばかりの相手だ、こんな機会だし少しくらいやり返したって罰は当たらないはずだ。
ふんわりと漂う香ばしい香りと湯気を連れて、カップをテーブルの上に置いた。

「ありがとな」

礼を言ってからゆっくり一口飲むゴーランドの前に座って、自分の分のカップを両手で包み込んだ。
じんわりとした暖かさを感じつつ、カップを置いてひと心地ついた様子のゴーランドに改めて声をかける。

「ゴーランドが一人でここに来るなんて初めてよね。私に何か用かしら」

「そうだった。これのことを伝えに来たんだった・・前にちょっと話しただろ」

言いながらテーブルの端に置いていた茶封筒を開けて、中から一冊の雑誌を取り出した。

「前に話したことって・・あの、取材のこと?」

「ああ。やっぱりあんたの写真も載せたいって話になったみたいでな・・・この記事のこの部分だ」

満面の笑みで、雑誌を差し出してくるのを少し困った顔で受け取る。
以前、夏バテしたボリスのために作ったアロエジェルは、香りやボトルの形などの改良を加えて真夏の遊園地で大ヒットしたらしい。
とはいえ、最後の方はほとんど専門家に任せていたし、冬の領土に住むアリスには必要の無いものだと、製造方法ごとゴーランドに全権を移譲したはずだった。
それが、あまりの売れ行きの良さに雑誌の特集の一部として取り上げるという話が出たそうだ。
その記事の担当編集者が、発明者としてアリスにも取材したいと言っててなと、前回遊園地に顔を出した際に間に立ってくれたゴーランドから聞いた。
でも、自分はただの一般人だ。
取材なんてとんでもないわと、辞退を伝えたつもりだったのだが。

「コメントも一言で良いからって言ってたぜ。どうだ、折角の機会だやってみないか?」

やけに薦めてくる相手を、不思議に思って見つめ返す。
ゴーランドは、この不思議な世界においては、だいぶまともで信頼できる大人だ。
一度辞退したものを、また勧めてくるとは思ってなかった。
余程訝しげに見ていたのか、少しテーブルに寄せていた体を引いてゴーランドは苦笑した。

「いや、まあお前さんがそんなに嫌がるなら、無理にとは言わねえよ」

「嫌って言うほどでは無いのだけど」

「何だ?何か不安か」

「そういうんじゃないのよ。ただ・・」

真っ直ぐに見てくる暖かい緑色の瞳から目をそらして、手元の黒い液体に視線を落とす。
自分はそんな取材を受けるような、雑誌に載るような人間ではない。
ただ、ひたすらに恐縮してしまうだけだ。

「じゃあ、いいじゃねえか。大丈夫だって。それにあんたのこの店の宣伝にもなるだろ」

びっくりして顔を上げる。
そんなこと考えもしなかったのだ。

「何だよ、何かおかしなことを言ったか?」

アリスの驚いた顔に、きょとんと緑の瞳を瞬かせる。
そんなことまで考えてくれていたとは。
頼もしいというか、実に商魂たくましいというか。
出歩いては面白そうなものに目を向けて、遊園地にどうやって取り入れるかを考えているゴーランドの姿を思い出す。
侯爵だなんて偉い地位を持って、お金もあるだろうに、遊園地のオーナーとして楽しそうに経営をしている姿はまるで少年みたいだ。

「いいえ・・そうよね、ありがとう」

「礼は、この件を快く引き受けてくれてから、だな」

「そうね。引き受けようかしら」

「よし、そうこなくっちゃな」

嬉しそうに破顔して、膳は急げとばかりに珈琲の残りを飲み干して、ゴーランドはさっさと立ち上がった。
それを目で追うアリスを見下ろして、雑誌はまだ作り途中の見本だがあんたにやると差し出される。

「じゃあ、俺から記者の方に話とくぜ。何時間帯後だったら空いてるか?」

「いつでも、大丈夫よ」

受け取って立ち上がり、見送るために階下に下りる。

「じゃあ、3時間帯後には向かわせるようにする」

扉に手をかける相手に店内からポケットに入る大きさのカイロを差し出せば、笑顔で断られた。

「急いで帰るし、俺んとこは今夏真っ盛りだからな」

こっちにもまた遊びに来いよと手を振る相手を見送って、アリスは扉を閉めた。
そして閉めた後に思い浮かんだことに、しまったと焦る。
取材と言っても、何をしたらいいのだろう。
どんな格好をしていれば良いかなど、もっとしっかり聞いておけばよかった。
取り合えず3時間帯後なら、まだ余裕がある。
まずはシャワーでも浴びて服を着替えようと、アリスは自分の部屋へ向かった。



【眠りねずみの場合】

「あれ、何だか良い匂いがする」

鼻をひくりと動かせる。
この辺に新しい珈琲屋さんなんて出来たかな、と思い浮かべて見たがわからない。
まあいいか。
もし運良く見つけて美味しくって良いお店だったら、その時は彼女を誘って行こう、そうしよう。
考えながら、低く薄暗い雲に覆われた冬のクローバーの塔のてくてくと歩く。

「ピアスさん、何だか楽しそうですね!」

「え、そうかな・・?」

雑誌の取材をする顔なしと、ゴーランドに頼まれた遊園地の従業員たちに混じって歩くピアスは、元気の良い声をかけられて首を竦めてうろたえた。
冬の領土を歩いている一行は、アリスの薬屋に到着する。
きょろきょろと辺りを見回しながら歩いていたピアスは、立ち止まった顔なしにぶつかって止まった。
少しぶつけた鼻の頭をさすって、ぼけっと首を傾げる。

おかしいな、おかしいよね。

目の前のお店は美味しい珈琲を出してくれるカフェではなく、余所者の彼女、アリスが開いている薬屋さんだ。
あったかそうな色の電球に照らされて、でも店のドアにはCLOSEDの看板がかかっている。

「俺たちが来るのに、出かけちゃったのかな」

おじさんが、この時間帯に行けよと言っていたから来たんだけど、でもいないなら仕方が無い。
そう思う間もなく、従業員がさっさと扉に近づいてベルを鳴らした。

リリリン

黒電話のような音が、扉の向こうからくぐもって聞こえてくる。
続けて返事をする声が被さり、扉を開けてアリスが顔を出した。

「こんにちは。わざわざ来ていただいちゃってごめんない。どうぞ、上がって頂戴」

申し訳無さそうに眉根を下げて、アリスは開いた扉を片手で押さえて一行を店の中に招いた。
取材をする記者とカメラマン、遊園地の従業員2名とピアスで、広くない店内は一杯になってしまった。

「ほお、ここがアリスさんのお店ですか」

「かわいらしいですね!でももうちょっとこう華やかにしても良いと思いますよ!!」

見渡して賑やかに喋る相手に笑って、アリスは2階に上がるよう促す。

「アリス、アリスっ」

「いらっしゃい、ピアス」

従業員の後からひょっこり顔を出したピアスを見て、アリスはにっこりと笑う。

「あなたも一緒だったのね」

「うん!おじさんに頼んで、俺もアリスと写真を撮らせてもらうんだ」

きょとんとしたアリスは、カメラマンさんが頷くのを見て嬉しそうにする。

「私にもその写真、1枚もらえるかしら」

「ええ、もちろんですよ。その前に何枚か撮らせてもらいますけどね」

「えっと、この格好でいいかしら」

2階のテーブルにみんなを座らせて、淹れた珈琲を持ってきてテーブルの上に並べてから、アリスは自分の服装を見下ろした。
迷いに迷ったアリスは、結局実験をする時のいつもの格好にすることにした。
髪をひとくくりにし、白衣を羽織っている。

「いいですね、薬屋さんって感じです!」

ぐっと親指を突き出す遊園地の従業員を見て、ほっとする。
ピアスは嬉しそうに珈琲を飲んでいた顔を上げて、首を傾げる。

「でもアリス、いつもの格好かわいいよ?」

何の他意も無い、ストレートで純粋な褒め言葉にアリスは言葉につまった。
顔に赤みが差して恥ずかしげに、でも困ったようにそんなこと無いわと首をふるアリスを、ピアスは不思議そうに見つめる。
たまに、本当に食べちゃいたいと思いたくなるくらい、アリスはかわいい。
一口だけ、齧っちゃ駄目かな?

「これで、これでお願いします!」

それ以上何か言われる前にと、アリスは妙に切羽詰った顔をしている。
記者もカメラマンも笑って、こちらこそと握手をし合った。
そのまま、珈琲を飲みながら取材を受ける。
作ることになったきっかけや、失敗談。
時折たかれるフラッシュに目を細めて、傍で珈琲をちびちびと飲みながらピアスも興味深深にその話を聞く。

「じゃあアリスはあのお薬、ボリスのために作ったの??」

「ええ、そういうことになるわね。薬って言うか美容液に近いわね」

「やりますね、ボリスさん!隅に置けないなぁもうっ」

「いやいやピアスさんも、まだまだいけますって!折角こうして来たんですから頑張ってくださいね!」
「えっ、いやいやそんなんじゃないわよ?!」

キラリと目を輝かせる遊園地の従業員たちに、アリスは慌てて両手を振る。
取材はそこで終わって、写真を撮ることになった。

「店内か、実験用の作業室で撮るほうがいいかしら?」

アリスの提案にみんなで階下に下りて、写真を数枚撮る。
店内と、作業室に立つアリス。

「俺も!俺もアリスと撮ってくれるんだよね」

「雑誌用にはいくつか撮りましたし、ピアスさんと並んで撮りましょうか。どこにしますか?」

「じゃあ、ピアスも白衣とか着てみる?」

「えっえええっ」

ちょっと悪巧みをしているような顔で、アリスは作業室の奥から洗ってしまっておいたもう一着の白衣を持ってくる。
押し付けられて戸惑いながらピアスが袖を通していると、パチンと手を叩く音がする。

「ジャーン!こんなところに伊達眼鏡がありますよ!!」

大げさなポーズで、遊園地の従業員がどこからか取り出したのは、赤いフレームの眼鏡と黒いフレームの眼鏡。
俄かにコスプレの様相を呈してきた。

「ど・・どうしてこんなものが」

「遊園地のステージで使う小道具なんですよ!」

「だから、なんでそんなものがここに・・」

困惑するアリスに、いいじゃないですかさあさあ!と強引に赤いフレームの眼鏡を押し付けて、ピアスには黒フレームの眼鏡を手渡してくる。

「いいですね。じゃあ、こんなポーズどうですか?」

「お、いいんじゃないかな」

何故か、雑誌のカメラマンと記者も乗ってきて、言われるがままに二人はポーズをする羽目になっていた。

「いいですね!アリスさんは出来る研究者!ピアスさんはちょっとどじな感じで!」

「眼鏡をちょっと鼻から落としかけた方が・・・よし、これでいきましょう!」

「「・・・・・」」

腰に手を当てもう片方の手に試験管を持ったまま、その中指で眼鏡の位置を直す ポーズのアリス。
その足元で分厚い辞典を持たされ、眼鏡を故意にずらされて呆然とした顔のピアス。

「ゴー!」

「はい、撮りますよー。3、2、1、ハイッ」

パシャッと軽いシャッター音が、狭い作業室に響いた。

「お疲れ様でしたー!いやあ、良い写真が取れましたねっ」

「良い仕事しました!」

「こちらこそ、ご一緒に仕事をさせていただけて嬉しいです」

ガシィッと握手しあう遊園地の従業員たちと雑誌の記者たちの顔は、良い汗かいたといわんばかりにキラキラとしている。
妙に眩しいそれを、アリスは少し遠い目で見た。



「では、出来たらすぐにこちらにも最新号の見本をお届けしますね」

「ありがとうございます」

「こちらこそ引き受けてくださってありがとうございました。アリスさん、お疲れ様です」

疲労感に溢れた気持ちを何とか笑顔で隠して、店の入り口前で見送る。
お辞儀をした後に、仲良く仕事談義をしながらまるで十年来の付き合いのような従業員と記者たちは去っていく。
それとは逆方向に歩き出そうとするピアスに、アリスは思わず声をかけた。

「ピアスは、遊園地に帰るんじゃないの?」

まさか、赤い騎士のように迷子では無いだろうと思いながら聞けば、こちらもアリス同様少し疲れた顔をしたピアスが、ううんと首を横に振る。

「俺はこの後お仕事だから」

「・・・・え?」

「ボスに呼ばれてるから、行かないと」

「・・・・・」

ボスに呼ばれていくお仕事は、マフィアのお仕事。
物騒な彼らの中で、ピアスが何の仕事を担当しているかも、アリスはもう知っていた。
それに対して、アリスが何かを言える訳も無く。
それでもいつもなら、無茶はしないで気をつけてねと続けるのだが。

「えっと・・・もしすごく急ぎじゃないなら、もう少し後にした方がいいわよ」

思わず呼び止める。
何しろ、今のピアスは珈琲の匂いを纏わりつかせすぎている。
店の外に出て、冬の冷たく清浄な空気を吸ってから、アリスはその漂う匂いの強さに改めて気が付いた。
思えば、取材中もピアスは何倍もお代わりしていたような気がする。
仕事中に寝ちゃうとすごく怒られると良く言っているから、眠気覚ましにカフェインを取ることを止めたりはしなかったが、さすがにこの匂いはまずいだろう。
何しろ、彼のボスであるブラッドは、紅茶の香りを駄目にする珈琲が嫌いだから。

「出来れば一度帰ってお風呂に入った方がいいわ」

じゃないとブラッドに怒られるわよといえば、ピアスはぴっと青ざめて小さく肩をびくつかせた。

「う、うんうん分かった!アリスがそういうなら、そうするね」

ぶんぶんと首を縦に振って、心配そうに見送るアリスに手を振り返して遊園地へと方向転換させる。
アリスの淹れてくれた珈琲は美味しかった。
アリスがもっともっと珈琲好きになってくれたら嬉しいなと思う。

「珈琲が飲みたいなあ」

美味しかったからたくさん飲んでしまったけれど、それでもカフェインはすぐには効いてくれない。
もっともっと飲んでおけばよかったと思った。
もし仕事中に眠くなっちゃったら、怖い双子に斧をつきつけられたり怒鳴られたりしちゃう。
エリーちゃんは双子よりは優しいけど、やっぱり怒ると怖いし。

「そんなに匂いするかなぁ」

袖口を掴んですんすんと匂いを嗅いでみる。
アリスは心配していたけれど、そんなにではない、気がした。
それに考え事をしながら歩いていたら、時間帯が変わってしまっている。
夕方から朝へ、朝からまた夕方へ。
今回の朝は短かったらしい。

「やばい!これじゃあ遅刻しちゃうよ!」

遅刻をしてもやっぱりこっぴどく怒られると、ピアスは珈琲の香りのことはすっかり忘れて帽子屋屋敷へと方向転換した。
仕事には間に合ったが、ピアスから漂う香りにブラッドの機嫌が氷河期を迎えるまで後ちょっと。



◆アトガキ



2013.6.16



この二人も出さなきゃと思いつつ、どう絡めて行こうかずっと迷ってました。
ゴーランドもピアスもすんなりお店にあげてもらっています。
これはきっとみなさんも同じより分けをするはずだと思いつつ。
えっと二人とも、ごめん。
とはいえゴーランド好き、ピアス好きの方からはやっぱり「違うよ!アリスは会わないはずだよ!」と思われそうです。。。
何かちょっと文章が荒くってすいません。
書きたい気分はあるのに、言語能力と指先が追いつかないと、何だか会話と描写だけのつまらない文章になってしまいますね・・・。
いつか、見直して書き直す日が来るかもしれませんが、取り合えず今回はこれにて。

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