一
ジリリリン
「アリスっアリス、いらっしゃいますか?」
玄関のベルの音の後に聞こえてきたその声に、アリスはそろりと扉を開けた。
まじまじと相手の顔を見つめてみる。
きょとんとした顔でペーターはされるがまま、じっと見られていたが、徐々にその顔に赤みが差す。
目がうっとりとしてきたのを見て、アリスは相手が口を開くより先に無言で店の中に入るように促した。
顔だけ出して周囲を見渡してから、きっちりと鍵を閉める。
「アリスっ僕の顔をそんなに見つめてくださるなんて、あなたの瞳が熱すぎて僕は溶けてしまいそうです」
「そう。じゃあ溶けたらいいんじゃない」
冷たく切り返す。
それにもダメージを与えられた様子は全くないペーターに、さすがエースと同僚できるだけあるわよねと、妙なところで納得する。
二人とも物理的か精神的かによる違いはあれど、生半可な攻撃ではダメージを与えられないところが全くそっくりだ。
そのくせ、相手にはその倍以上のダメージを与えるのだから、たちが悪い。
「どうしたんですか、何だかやけに警戒しているようですが・・・はっ、誰かよからぬ者に付き纏われているんですか!そうなんですか、そうなんですねっ」
「いや・・・今ね・・」
「ああっそうですよね、あなたは素敵な人だから頭の悪い低俗な連中に付き纏われてしまうのもおかしくはないですっ!何て可愛そうなアリスっ!!でも僕が来たからにはもう安心ですよ!」
いつもながら電波なうさぎは、どこからか受信している電波とのおしゃべりに夢中で、目の前にいる自分の言葉なんて聞こえていないようだ。
いつも通りとはいえ、いつまでもそうされていられるのもたまらない。
さっさと用件を促せば、不満そうな顔で内ポケットから一通の封筒を取り出した。
裏返して押してある封蝋を確認すれば、それが城からの、そして親しくしている友人からのものだということがわかった。
少しドキリとしながら封を開けて綺麗に畳まれた手紙を開けば、彼女がいつも纏っているふくよかな薔薇の香りが漂った。
中に目を通していく。
「・・・・アリス?」
無言で読み続ける彼女に、遠慮がちにペーターが声を掛ける。
「もし、陛下が何かあなたを不快にさせるようなことを書いたのなら・・・」
続く言葉は、おそらく「あなたの代わりに報復を」といった内容だろうが、読み終えたアリスの心は不快さとは全く正反対のものだった。
手紙から顔を上げて、不安そうに様子を見守っていたペーターに笑顔を向ける。
「ビバルディは、良い返事をくれたわ」
「・・・?良くわかりませんが、あなたが嬉しそうなので僕も幸せです」
アリスへの手紙の中身を読むなんて無作法なことはしない白いうさぎさんは、よく分からないなりにも微笑み返してくれた。
本当に、幸せだという気持ちが伝わってくるような、満たされた笑顔。
こんなにも幸せそうな笑顔を彼に返したことは無いというのに、彼は惜しげもなくアリスにそれをくれる。
自分にだけ向けてくるこの笑顔に、アリスは弱い。
本当に顔がいい奴は、と心の中で思ってみても頬に血の気が上がるのはとめられない。
「返事を書くわ・・・少しだけ、待っててもらっても良い?」
「アリスのためなら、いくらでも」
アリス至上主義のうさぎさんは、二つ返事で頷いた。
戸締りを再確認してから、ペーターを伴って2階に上がる。
恐縮しきりだったが、プライベートスペースにあげてもらえたことが嬉しかったらしい、きょろきょろと忙しなく辺りを見渡すペーターに椅子に座るように促した。
やかんでお湯を沸かして紅茶を淹れれば、慌てたように立ち上がって手伝おうと近づいてきた。
「アリス!紅茶を淹れるなら僕がやりますよっ」
「そんなことを言っても、カップがどこにしまってあるかとか分からないでしょ。座って待っていて」
「でも、僕のためにそんなことしなくても良いんですよ」
「・・私も飲みたいのよ。付き合ってちょうだい」
勝手が分からず手も出せないまま、ペーターはうろうろと所在無さ気にしている。
心なしかちょっぴり垂れ下がった耳の先を背伸びをして撫でて、アリスは苦笑した。
仕方なく席に着いたお城の宰相様の前に、ティーカップをそっと置く。
「って言っても、味はお城のものとは比べ物にならないから。食器もね」
ペーターがあまり食事をしているところは見たことはないが、ビバルディが催すお茶会の席にも何度か同席しているし、紅茶を飲んでいるところは見たことがある。
お城の紅茶はビバルディの趣味嗜好にあったものだが、薫り高い高級品であることは間違いなく、いつ招かれてもため息が出る美味しさだ。
それに比べれば香りも味も格段に落ちるが、庶民用にある一定の美味しさを保った上で、値段もお手ごろなこの紅茶も嫌いではない。
だが、そう言えば弾かれたようにペーターは顔を上げて、真摯な顔でのたまった。
「あなたの淹れて下さったものなら、それが例え泥水のようであったとしても僕は飲みますよ!」
そういうのはいらないんだけど、と毎度ながら思う。
いじわるだか嫌がらせだか知らないがそんなことをする自分は幻滅しそうだし、私がそんなことをしそうだと思っているなら、ペーターの見ている自分の姿は実は相当ひどいもので、ペーターの目は眼鏡を掛けてもぼやけてよく見えないほど視力が悪いんだろうと思わざるをえない。
とにかく、泥水だったら捨てるべきだ。
自分の分の紅茶を一口飲んでから、用意した便箋にペンを走らせた。
【女王陛下の場合】
女王陛下からの返答は、随分と面白いことをしていると、近くで見ていることができないことを心底残念がり、そういうことなら仕方がないが終わり次第お茶会に参加することと、どうだったか報告をせよ、といった内容だった。
そして、わざわざ詫びの手紙をよこしてまで、対象に含んだということに対しては、非常に愉快で良い、許すと躍るように美しい文字で返された。
零れ落ちる笑みさえ見えるような、その場にいなくても嫣然と微笑む彼女の顔が思い浮かぶような内容だ。
流麗な字を横目に書く自分の返事はなかなか美しさが無いのが悲しいところだが、感謝の意とお茶会には喜んで参加させてもらうと記す。
良い結果がでるかどうかは分からないが、何か良いことがあればいいなと、そのぐらいの気持ちだ。
サラサラと他にも近況などを書いていると、ふと思い出したかのようにペーターが声を上げた。
「そういえば」
「どうしたの、ペーター」
「陛下が何やら、さっさと次号を出させるように圧力をかけようかどうか、と・・」
「・・・・・」
テーブルの上の手紙と、ペーターの顔を交互に見る。
この手紙を書いたときからペーターに持たせるその合間にも、もう彼女の機嫌は変ってしまったらしい。
気まぐれな女王陛下のことだ。
口を開いてペーターに伝言を頼もうかと思い、何も言わずに口を閉じる。
このまま、手紙に書いてしまったほうがいいだろう。
ペーターがたとえアリスの頼みだとしても、ビバルディにしっかり告げてくれるかは分からない。
言い方によっては、彼女の不機嫌度を増させることになるかもしれないし、それは避けたい。
アリスは無言で、手紙の末尾に追伸を付け加えた。
圧力をかけるのはやめてちょうだい、と親しい友人に向けて、はっきりと書く。
それまでと違い、そこだけやけに筆圧が高くなってしまったのは致し方ないだろう。
◆アトガキ
2013.6.27
女王陛下自身は出てきません。
楽しみにしてらっしゃった方がいましたら申し訳ないですが。
ただ、ビバルディの存在はそれなりに重要です。
ビバルディにだけは理由を述べて謝罪の手紙を書くアリス。
他の人物に対してはわざわざすることでは無いですが、女王陛下にだけはさすがに手紙のひとつも送っておかないと、です。
・・・そして、先の二人と違い店の中に入れてもらえるペーター。
これに関しては、私の勝手なポジショニングによる結果です。
人によっては、居留守にしてでもアリスは中にはいれないはずよ!となる方もいらっしゃるかもしれません。
が、申し訳ないですが、私からはこちらです。
何しろ彼は、ピュア、だから!
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