*4
一
「・・・・・」
「・・・、見なかったことには」
何処まで行くつもりだあんた、という低い声にハッとなった瞬間には鼻先数ミリのところに何かがあるのが分かった。いや何かっていうかただの壁で顔面スレスレのギリギリで壁に正面衝突するのは免れたが。
「無理だろう」
俺が掴んでるものはなんなんだ、という副音声が聞こえてくるようだ。そうですね、私の襟首ですね。
「お手数おかけ・・、ありがとうございます」
「・・ふん」
それでいい、みたいな感じで鷹揚に頷居ている気がする。気のせいか。
良い人なんだよな。口数少ないけどその無言の時間も意外とそう居心地悪くなくて、第一印象でこれはヤバい速攻バレて本丸裏に呼び出されて〆られると思っていたのは完全なる被害妄想だった。
「あんた、薬研の隣の部屋にでも移った方がいいんじゃないか」
「そんな殺生な」
赴任してきたときこそさすがに女性一人と言うことで離れを宛がわれたのだが、私が日々本殿へ来る毎にこさえてくる生傷の数々にまず離れとの送り迎えが付いて、その後離れの中でも毎度のように鈍い音を響かせていたのを堀川国広に聞かれてからは「主さんを一人離れに置いておいたら、気が付いたら離れの中で倒れているかもしれない」という危機感を持たせてしまい本殿の一応外れの部屋に居を移す羽目となった。
ちなみに薬研の部屋は薬室と続き部屋となっている。つまり、保健室で寝起きしたほうが色々と手早く済むんじゃないかと言う案である。ツライ。
「じゃなきゃ堀川の隣だな」
「ごめんなさい、それだけは後生ですから」
恐ろしい。物音ひとつ立てた瞬間襖の前に正座してそう。あの声で「主さん?」って声かけられるんだ。そっと開けた襖の隙間から笑みを浮かべた堀川くんの気配が・・・――。
「っコワッッ」
「・・・・・」
完全に呆れた目だ。でもそんなん寝返りすら聞かれてそうじゃないか。プライベートな時間とプライベートな空間は大切なんだと人の身を得て初めて知った。常に見られたりしてても平気だった物言わぬ頃とは違うのだ。
相手の顔がある辺りを見上げて、何も言わないが思案しているのは伝わってくる。
「なら、あそこはどうだ。・・執務室の隣の物置」
「・・・ものおき」
最早無駄に身動きなんて取れないように仕舞い込むってことだろうか、とは物だった頃を引きずった感想で、まあ狭そうだな見てないけれど。
「というか、あの部屋には前の主さんのものが仕舞われているんですよね」
「ほとんどガラクタだろう」
「え、そうなんですか?」
「前の主の悪癖が本丸中に広がったからあの部屋に適当につっこんでっただけだ」
まだちゃんと見に行ってはいないが、折角残しているからには何か思い入れがあるんじゃないだろうか。
「邪魔だったからな。だがあんたが捨てたいと思ったら捨てていいんじゃないか」
「いや、それはちょっと。そんな大役、目利きでもいないと私には無理ですって。そうだ歌仙さんとかどうなんですか」
「歌仙はだめだ」
「そんなバッサリ」
歌仙さんは物の価値というか骨董に詳しいから判断してもらって残すものと手放す物を決めればいいんじゃないかと前に山姥切さんも言っていたが、そうもいかないらしい。
「そもそも主の悪癖を助長させたやつで、以前も短刀がぶつかってこけたりしたものを片そうとしたら散々悩んで挙句自分の部屋に引き取っていた」
「なるほど」
「それも1回や2回じゃない」
「う、うーん・・」
もし歌仙さんの目が確かならそれだけ年代物やいいものを前の主さんは集めていたってことだけど、それらを全て歌仙さんに譲り渡すというわけにもいかない。それでは持ち主が変わるだけで最悪置き場はそのままになってしまう。
ここは心を鬼にして手放す方向性で、本丸の中に所狭しと置かれた様々な壺や花瓶やよく分からない彫刻や何をかいたのか分からない絵画などを本格的に片づけていくいいチャンスなのではないだろうか。
「もしあんたが片付けると決めたんなら、呼べ」
それはつまり、手伝ってくれるということなんだろう。
「ありがとうございます。その時は声をかけますね」
「・・ふん」
「と、いうわけなんですが」
「なるほど。・・そうだね、僕もうまく止められなかった責任がある。折角主が決意してくれたんだ、是非手伝わせてくれ」
「ありがとうございます」
目利きの確かさは歌仙には敵わないかもしれないがと薄く微笑む気配は、戦闘時は煌めく黄金に身を包んでいるという誇り高き刀剣男士、蜂須賀虎徹。前の主の初期刀だ。
「歌仙兼定にも声を掛けたのかな」
「いえ・・まずは蜂須賀さんにご相談をと思いまして」
「そうか。気を遣わせてしまったな。だが・・ありがとう」
大俱利伽羅さんが歌仙さん参戦を却下していたとは言わない。どちらにせよ前の主で近侍もよく務めていたという蜂須賀さんに声を掛けないわけがない。彼にとってもきっと大事な思い出の一部だろう。
「歌仙兼定にとっても、これらは手放しがたい大切なものだろうな」
「・・そうですね」
「ふふ、その顔は誰かから何か聞いたかな」
「・・・」
「いや、それも致し方が無いことだ。だが今は君が主だ。主が号令をかけたからにはやらないわけにはいかない」
少しの間と、ふっと漏れる吐息。刀剣男士は吐息すら美しいと聞いた気がするがそんな息の付き方、只者では到底できないだろう。逆に恥ずかしくなるわ。自分だって同じ付喪神だろう?知りませんね。
「いや何、主に損な役回りをさせようっていうわけではなくきちんと話し合って、捨てるのではなく次に望む持ち手に譲っていこうと思うんだ。どうだい?」
「いいですね・・それ、すごくいいです!」
相手の嬉しい気持ちが伝わってくる。私も嬉しい。
ただ場所を追われるのではなく次の手に譲り受ける。大切にしてくれる、愛でてくれる誰かの元へと手渡せるのならそれ以上のことはない。
「主がそんなに喜んでくれるなら、もっと早くに提案すれば良かったかな」
「いえいえ、まさに今が良いタイミングだったんだと思いますよ」
「そうか、ならこの上ないな」
じゃあ早速、話をしに行こうと言って立ち上がった蜂須賀さんが立ち止まってこちらを待っている気配。あれ、これ私も行く流れかな行ってもいいのかな。
「主は、確かまだやることがあると言っていたから、良ければ俺が執務室まで送ろう」
「あ、ハイ」
違った。
「おい、これはどうする」
「大俱利伽羅、お願いだからもう少し丁寧に扱ってくれないか」
見ていてハラハラすると焦るような歌仙さんの声と、ふんと鼻を鳴らす大俱利伽羅さんのやり取りもこれで何回目だろう。
蜂須賀さんと前の主さんが集めていた骨董品の譲渡先を探すことになってから、まずは何があるかを目録にしてから街の懇意にしている骨董屋や信のおける好事家を尋ねようという話になり、現在本丸中の骨董を総ざらいしているところだ。
「主も不用意に触らないでくれ」
「・・・・・」
見えないことが分かってから、厨では刃物はもちろん皿やらの壊れ物にも極力触らせてくれなくなってしまった。朝餉の支度に顔を出せば燭台切さんに味見と称して小さじを口に突っ込まれる始末である。
今は何をしているのかと言えば歌仙さんが読み上げる品物の品目や作品名、作家名やサイズといったものを手元の半紙に走り書きしている。昼頃までは作家名や品目にも詳しい蜂須賀さんが手伝ってくれていたのだが午後は出陣のメンバーだったため、やっとこの場にいるだけの名ばかり監督の汚名返上にさっと手を上げたのだ。
多少の誤字は後で直してもらうので取りあえずの走り書きをしているのだが。
「主様。そこ、字が違っております」
てしてしとふっくらとした肉球にまた直される。後でまとめて見てもらって端末に打ち込めば良いと思っていたのだが、普段から書類の誤字に厳しい我が本丸のこんのすけに横からガンガン赤を入れられている。
「・・残りはまた蜂須賀が帰って来てからにしようか」
余りにも毎度毎度言われている声を耳にして、歌仙さんがそっと提案をしてくれた。さっきちょっと主に対して冷たくないかと思ったけれど、そんなことなかった。
「大俱利伽羅、燭台切にお茶の支度を頼んでくれないか」
無言で立ち去る大俱利伽羅さんの気配と広げた箱やふろしきを畳んでいく音が静かな部屋に広がる。物置と言われていたが、この部屋は普通に広い。物に埋もれてはいたが書棚と文机もあり押入れもある。
執務室の隣と言いここはもしかしたら。
「前の、主さんの部屋ですか」
「分かるかい?・・今じゃすっかり物に埋もれてしまったけれどね」
応える声はどこか切ない。
「とはいえさすがにこれは物を置きすぎだな。・・畳が傷んでしまった」
サラサラと足元を撫でる音につられるようにこちらも座る足元にそっと指先を伸ばした。縁に触れたのだろうか、ざらざらとした刺しゅうのようなものの間につるりとした感触が触れる。もしかしたら金糸か銀糸かが縫い込まれているのかもしれない。
「あっ」
その時手に持っていた筆が手から零れ落ちたのを感じた。ぼてっという重い音の後にころころと転がる音が続き、沈黙。まずい、高そうな縁をした良い畳の上に筆を落としてしまった。歌仙さんも黙っている、これは確実にやらかしたのではとさっと背筋が冷える。
音のした方向へ指先をさっと伸ばしたが、それより早く目の前に影がかかって何かが視界の前を横切っていった。
「後は俺がやっておく」
「あ、でも」
「拭いて取れなくてもどうせこの部屋を片付けた後に畳は変える。・・だろう」
「・・ああ、そうだな。傷んでしまっているところもあるし」
いつ戻ってきたのだろう、大俱利伽羅さんの低い声が同意を求めるように前方へ向けられて、それに止まっていた時が動き出したかのように歌仙さんが答える。
「あの、ごめんなさい」
「問題ない。それより光忠が待ってる」
しっしと追い払うようにする大俱利伽羅は見えないことを知る前と全く態度が変わらない。過保護が過ぎる気がする勢といて、その変わらないところが好ましい。
頭を小さく下げてから部屋を出る。
「え」
ストンと身体が垂直に落ちるような感覚に襲われる。時が止まったかのように思考回路が一時停止した。目の前には暗闇が迫っていて、足の下には固い地面がある。
そう、固い地面だ。さっきいたのは畳の部屋だったけど自分はそこから板張りの廊下へ出たはずだった。そこに突然の浮遊感を経て、今足の裏に感じるのは間違っても本丸の板張りの廊下ではない。
この固さは地面・・いや石、だろうか。
「・・・・・」
見渡しても自分の周囲僅かばかりしか捉えられない。恐る恐る振り向いた背後は行き止まりの壁しかない。もう一度前に顔を向ける。足元にはまた何やら物が重なって置かれている気配がある。両腕を真横に伸ばすのも困難なほどの細長い廊下のようだった。
問題はここがどこで、自分も知らない場所だということだ。
触った壁の感触は石造りの蔵といったところだが、外の気配が全く感じられないのが恐ろしい。まるで箱の中に仕舞われてしまったかのようだ。狭い空間に迫る暗闇の圧迫感、物だった時には何も感じなかったそれが、人の身を取った途端にとてつもない息苦しさを伴うものだと理解した。
このまま誰にも見つけてもらえなかったら。いや、居なくなったことが分かればきっと探してくれるはずだ。こんのすけならきっと”お母さん”にも連絡をとってくれるはず。だが、ここが何処か分からないことには・・・。
「いやいや、弱気になってどうする」
こういうのは迷路と同じく壁に片手を付けて行けばいつか出口に辿り着くはずだ。出口が存在すればの話だが。
思い至る嫌な予感を振り払ってひやりと冷えた壁にぺたりと片手を付けてそろそろと歩き出す。壁際に積み重ね上げられた物を蹴飛ばして崩さないように、足はすり足だ。
「隠されたもう一つの物置・・みたいな?」
歩きながらそっと触れた足元のものは何かの巻物や、紐が巻かれた箱だ。それなら先ほどの部屋にも大量にあったものと何ら変わりがない。
そうやって気が逸れたのがいけなかったのか、壁に添えていた手がふっと宙に放り投げられたのを感じた。
もう一度確かめようと押し付けた手のひらはやはり何も捉えられずに、へ。と漏れた息を置いていくように、体が傾いでいく。慌てて動かした足はもつれてそのまま倒れて言った身体は何かにぶつかって止まった。
頬に触れている物は何やらサラサラとしていて慌ててぺたぺたと触ってみればそれは布で出来た何かだった。
「ん、んん?・・・、」
てっきり箱か何かからはみ出た布だと思ったが、触った先になだらかな凹凸を感じて慌てて手のひらを這わせていけば、目の前の固い何かの脇には2本の棒状の物があって、それってまさかと思いながら辿る指先がチャリと鳴る金属製の鎖とそれが巻き付けられた細いものを辿っていく。
恐ろしいほどの沈黙の中でそっと指先を滑らせた先に、顎であろう鋭角を感じる。ここに至るまでに目の前の何かはピクリとも動かない。
その先のふにと柔らかい・・・やわら、か
「こ、絞殺死体っ」
叫ぼうとした矢先に触れた指先に生温い風が当たる。
ひ、と吐き出される筈の音を喉の奥に無理やり押し込めて見上げた先に、爛々と光るものがあった。
「おい、・・」
ちゃんと主を連れてくるんだよと黒い手袋に包まれた人差し指を立てて言っていたからには、一人で行かせたら光忠が後で煩いのは分かっていて歩き出そうとした主を呼び止めた、つもりだった。
だが、振り向いた先には誰もいない。思い返しても遠ざかる足音を聞いた覚えもなく、自分が呼び止めるまでは瞬きもするかしないかの一瞬だったはずだ。
物置部屋と化していた前の主の部屋を出たはずの、今の主の姿は忽然と消えていた。
2019.5.10
Background by ヒバナ
Icon by kishi