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一
「忘れ物はない?」
心配そうに問う声に、ハンカチもティッシュも持ったと答える。
「お守り袋もちゃんと首から掛けてるし。大丈夫だって!」
そうして私は”顕現してくれた”女性に向かって笑顔で「行ってきます、お母さん」と手を振った。
今日から私は「審神者」になる。
私は人間ではない。鏡の付喪神と言われるが神なんてそんな大それたものではない。ようはただ長く在ったがゆえにうまれたあやかしの類だ。
そんな長く在った鏡に宿る私の意識を人の身形で顕現した女性の元で半年、人間の生活や仕草を学んだ。お母さんと呼んでと言われたのでそう呼んでいるが彼女が私の主人だ。
私がお母さんから頼まれたのは主が大往生した本丸の引継ぎの審神者となること。主であった人間が審神者になったのはすでに退職して老後を送るような年齢であったため、任期もそう長くはなく刀の付喪神様であるところの刀剣男子様の数も多くない。今、本丸に残された刀剣男子様はほとんどが短刀、脇差、打刀の方ばかりだという。
実を言うと、これは同じ付喪神である私が審神者を担えるかという実験である。付喪神を顕現する審神者の力を当たり前だが私は持ってはいないけれど、自前のものがなくてもお母さんからもらう力がある。それを自らの特性である鏡の中で増幅させ、それを刀剣男士様に供給することで審神者の業務を行えるかどうかというものだ。
だが所詮は私も付喪神、私なんかより長く在った付喪神様はそれだけ力が強い。つまり即身バレなんてのもあり得るのだ。コワイ。騙すようなものだからバレたら「なんでお前を主と従わないといけないんだ」とかいって真っ二つに割られたりしちゃわないだろうか。
打刀より強いとされる太刀の方の中には千年生きたものも在るとか。私なんて赤子の手を捻るかのようにバッサァされると思う。だからこそこのほぼ打刀以下で、前任も特に問題なしの比較的穏やかであろう本丸が選ばれたのだけれど。
「わあ、これが武家屋敷?・・すいません、ごめんくださーい」
それにしてもこの日本家屋、威圧感凄いな。石垣に囲まれた玄関から少し離れて見上げた先の、そのどっしりとした張り出した屋根部分とか醸し出されるすごいお屋敷感に少々尻込みしていたが今更尻尾を巻いて逃げるわけにはいかない。
「はいはーい」
「こんにちは、本日からこちらの本丸を担当することになりました。審神者の”水面(みなも)”と申します」
「こんにちは、ようこそ本丸へ。僕は脇差の堀川国広です。皆さん大広間に集まってますのでご案内しますね」
細身で小柄な刀剣男子様に明るい声をかけられて、こちらもついにへっと笑い返してしまう。よし、ファーストコンタクトはばっちりだ。それ以上特に何も言われず案内されているってことは、バレてないってことだろう。良かった!まずは第一関門突破・・、いやそれはまだ気が早すぎだけど、でもさっきの明るい声の後にバッサリ切り捨て御免されることも想定に入れていたから即痛い展開にならなくて良かったとは思う。
私もきっとちょっとやそっとの怪我でどうなることはないと思うし、欠片を除いた本体は主人であるお母さんの手元にあるから異変が起きたらすぐに気付いてくれると思う。でも人間のフリをしなくてはならないから、手当は少しずつ調整をして行うという話になっている。つまり痛くてもすぐに直してもらえない。考えるだけでつらい。
「新しい主さんは小さいですね」
「えっ」
大広間への道のりであろうきれいに磨かれた木の廊下を滑らないようにすり足で着いていきながら前を行く姿を追えば、不意にまた声をかけられて驚いてその顔を見上げる。
いや、確かに見上げてはいるがそんなに変わらないと思うんだけどと考えていれば、小さく笑ってすぐに謝られた。
「すいません、いきなり失礼でしたよね。・・主さん、あ、前の主さんは人間でいうところの高齢だったけど、背筋がピンと伸びていて背も高かったものだから。さすがに兼さんほどではなかったけど、うーん・・陸奥守さんぐらいはあったんじゃないかな」
正直、カネさんとやらの身長もムツノカミさんの身長も知らないので反応に困るが、見上げて接していた前の主と違って見下ろすことになった新しい主・・・つまり私に対して少し接し方に戸惑っているように感じた。
「そうだったんですね。でも、どうぞ気負わず、楽になさってください」
「なんだか早速気を使わせちゃいましたね」
「いえいえ、とんでもないです。会ったばかりなんですから。これからですよ、これから」
大広間の前に来たのだろう、止まった足に並んで戸を開けようとする眼前に手を差し出す。
「案内をしてくださってありがとうございます。至らぬところばかりだとは思いますが、これからどうぞよろしくお願いします!」
「・・うん、よろしく。主さん」
きゅっと握られた感触に、なんだか不思議な心地がした。
新しく来た主さんはちょっとおかしな女性だった。最初の主さんより小さくて、正直こんな女の子が主なんて大丈夫かなと思ったのは内緒だ。
内緒だけど、兼さんが「主が女ぁ?」と言ってしまったので広間の空気が凍ったのも記憶に新しい。すぐに陸奥守さんがにこにこ笑って「こげな可愛いおなごが来るとは思わんかったぜよ」と続けてくれたおかげで、新しく来た主さんも何とかその相好を崩してくれた。曖昧な笑みではあったけど気まずくならないで本当に良かったし兼さんにはその後説教した。
短刀くんたちは早速主さんを遊びに誘っていて、最初は戸惑いつつも短刀くんたちに紛れて遊んでいるうちに彼女はすっかり笑顔になっていた。主さんと遊ぶっていうことは最初の主さんが高齢だったために出来なかったことのひとつだったから、短刀くんたちは本当にうれしそうだったし主さんにも良いとっかかりになったんじゃないかな。
最初の主さんほど的確な指示や戦の采配は出来なくとも、畑仕事や台所にも立ったりと前任との違いを主さん自身もいろんなところで感じつつも日々は穏やかに過ぎている。
・・・彼女が極度のおっちょこちょいなのを除けば。
「おっと、・・大丈夫かい、主」
「わ!あ、ありがとうございます」
廊下の先で大きく体勢を崩した主さんを丁度通りかかったのだろう、片腕にたたんだ洗濯物の山を抱えた歌仙さんが支えているのが見えた。
「主さん?」
「あっ、堀川くん・・」
さっと身体を起こした主さんから歌仙さんが手を離したのを見てから声を掛ければ、ぱっと振り向いた主さんがこちらを見てしまった!という顔をした。わたわたと身振り手振りで何かしら伝えようとしてくるのをただにっこりと見ているだけなのに、その眉は困ったようにハの字に下がりつられたようにその両手も力なく下がった。
「み、見てました?」
「うん。急に足を振りかぶって勢いよく下ろしてましたよね」
「う・・」
「見てましたよ」
にこにこと笑ってそういえば、気まずそうにその顔が反らされた。その一連のやり取りを見ていた歌仙さんも苦笑をもらしている。
「随分いい音がしていたけど、足は大丈夫だったかい?」
「あ、はい大丈夫です。本当にありがとうございました」
丁寧に頭を下げる彼女に、歌仙さんは気を付けるようにと伝えて去っていく。その背を目で追う彼女の姿を視界に入れつつため息を零せば、それに反応して主さんの肩がびくっと震える。何を言いたいのか分かっているみたいだけど、なら言わずに済ますという手はありませんからね。
「主さん」
「は、はい」
「今回は歌仙さんがいたから良かったけれど、・・どうしてひとりでいるんですか?」
「血の気の多い旦那方並みに生傷が絶えない」との言は、本丸の医療担当たる黒髪の短刀のものだ。最初こそ誰も禁止することなく、新しい主としてひとりで本丸を自由に歩いていたのだが。 何も無いところで転ぶのは序の口、壁に顔面から突っ込む、曲がり角に膝を殴打する、縁側から転げ落ちるのも日常茶飯事で、その先で庭の石に足を取られてはまた転び、最終的に庭の池に突っ込むこと数回。
その度に増えていく細かい傷を難しい顔で処置していた薬研藤四郎がぼやいた言葉に、主を除いた刀剣男子一同が難しい顔で話し合った結果、部屋の外は見張りという名の付き添いをつけて歩くこと、厠や風呂は中までは付き添えずとも中で何かあった時にも備えて外で待機していることとなった。
主さんの反対?知りませんね!
「近侍は兄弟でしたよね」
「山姥切さんはその、休憩のためにお茶を取りに行ってくれていて・・」
「なんでひとりで出歩いているんです」
「そういえば、この前買ったお茶菓子が戸棚にしまってあったのでそれをみなさんにもどうかと思って」
伝えに行こうと思ったのですが・・・と声は尻切れとんぼのように萎んでいった。
彼女はとても良い主だとおもう。手入れも丁寧で、優しく細やかなその女性らしい気遣いに男性だった前任とは違い戸惑いながらも悪い気はしない。理由も聞けたから、とりあえず今日は説教はなしにしてあげようかな。
「・・主」
廊下の先から兄弟がこちらに向かってくるのが見えた。白い布に隠れ気味のその表情には出てはいなくとも、廊下にいた主さんの姿を見て少し足早に向かってきたその姿を見て、僕は主さんを兄弟に任せることにした。
短刀くんたちは言わずもがな、この本丸のみんなは新しい主である彼女のことを快く思っているのは確かだ。うん、僕も好きだなと思う。
馬の大きさには怖がっていたけれど、植物の世話が好きなようで遠征帰りの短刀たちの土産の花を喜んで活けているし、歌仙さんもそのセンスには雅を感じているのか前任へ向けていた凛としたものとは違い見守る視線は随分と柔らかい。
長谷部さんは少し物足りないようだけれど、目を離せない主さんに対してそこもまた前任へ向けていた者とは違う使命感を感じているような気がする。主に過保護な方向へ。
兄弟のひとりは、何故だかはよく分からないけれど前まで確かにあった卑屈さが鳴りを潜めているのが分かる。主さんといる時はあまり態度には現れなくとも、とてもリラックスしていて居心地が良さそうだった。優しくないわけではなかったけれど厳格な時はびしっとしていた前の主さんとは違って、辺りが柔らかい女性の主さんだからかな。
もうひとりの兄弟や陸奥守さん、粟田口の脇差二振りは特に前と変わらない。兼さんと同田貫さんはいまだに主さんが女性だってことにたまに戸惑っているから見習ってほしいな。 そういえば、にっかりさんがたまにじっと主さんを見ていることはあるけれど何を考えているのかはよく分からないな。目が合うと笑って流されてしまうから聞いたことは無いし、主さんに何かしようとしている雰囲気はないから放っているけれど。
「あ、堀川ー」
主さんと兄弟と分かれて廊下を行けば、向かいから赤い首巻をした加州くんが歩いてきた。主を亡くしたことには大和守くんと一緒になって随分と意気消沈していたけれど、戸惑いつつも新しい主さんと徐々に距離を掴んでいる気がする。この前、主さんの爪が可愛いピンク色になっていたのも、きっとそういうことだろう。
「戸棚にあった菓子って食べていいやつ?」
「主さんがみんなにって。さっき言っていたから開けて配っていいと思うよ」
「そっか」
そう言って笑う加州くんに僕も笑みを返す。沖田くんの刀である二振りも概ね新しい主さんとの仲は良好だ。
厨に向かいながら夕飯の下ごしらえのために頭を切り替える。今日は確か大俱利伽羅さんが手伝ってくれるはずだけど、伊達繋がりの燭台切さんも畑仕事が終わったら顔を出すと言ってくれていたから、きっとスムーズにいくだろう。
「・・、あれ?」
今、一瞬何かが引っかかった気がしたけれど、瞬きの間にそれはするりと抜け落ちてしまった。頭を掠めた何かがあった、というただそれだけのこと。きっと大したことでは無いのだろう。
2019.2.19
Background by ヒバナ
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