クリーニング屋の漂白さん


*5





景趣こそ未設定ではあったが、本丸内には電気水道ガスがちゃんと通っていた事は本当に不幸中の幸いだった。おかげで風呂を沸かして入ることも出来たし、暗闇に包まれた本丸を彷徨うことは避けられた。

「曲がる角を間違えたな」

確かこっちの方だった、と当てずっぽうで曲がるのは地図の読めない迷子常習犯の悪い癖だ。 廊下に囲まれた坪庭から見上げた空には薄灰の天井が広がっている。



一人と一振りでお茶を飲みながら話していれば、「そろそろ人の子は寝る時間じゃあないのかい」と首を傾げて聞いてきた鶴丸国永に尋ねられ、未だ圏外のままの端末を確認すれば午後9時を少し回っていたところだった。
空が見えないのはこんなに不便だとは思わなかった。
時間が立つのを目に見て感じればお腹がくうと鳴る。

「腹の虫は元気だなあ」

くすくすとおかしそうに人の腹を見て笑う白い刀の付喪神の顔を見て、ひとまずお粥でも食べようかと考える。
お米が少ないためにできるだけふやかしたいが、食べた気にならないのも意味はないと悩んだ末に五分粥を作った。

「きみなあ、俺の分はいらないぜ」
「え、でも」

お茶碗を棚から取り出してふたつ並べれば、ひとつをそっと棚に戻される。

「いつまでこの状態かは分からんからな。だが、きみの気持ちは汲ませてもらおう」
「あっ」

よそおうとした匙を掴んだと思えば、止める間もなくぺろりと一口食べてしまった。

「…何も入っていない白粥ですが」
「ああ、米の味がする。甘いんだなあ」

匙を持ったまま頬を緩めて、くふふと漏れ出たような笑みを浮かべる。
この鶴丸国永はものを食べたことが無いようだった。それならばとやはりもうひとつの茶碗を出そうとするが、特徴的な指ぬきのグローブを嵌めた手にそっと止められる。

「俺はこれで十分だ。あとはみな、きみが食べてくれ」
「でも、」
「明日は外の森を探索してみようと思うんだ。もし良い食材が手に入ったら、一緒に食べような」

そうまで言われて押し切る事もできない。
にこにこと笑ってお茶を飲む鶴丸国永に付き添われて、1日目の夕飯を終えた。



風呂場へと向かう道すがら、なんとなく気持ち的に電気を点けていたくて通る廊下の電気を点けて回る私に首を傾げていたが、人気のない広い屋内に不安を感じていることを悟った鶴丸国永は、それならばと風呂に入っている間に他の部屋の電気を点けに行ってしまった。
風呂を出るのを待っているとも、待ち合わせをしたわけではない。どこからか借りてきてくれた手ぬぐいで髪の毛を拭いつつ長い廊下を歩けばどこもかしこも光が灯っていて少しばかり安心して、大丈夫だろうと歩き出せばあっという間に迷子がひとり。
これはいっそ外周を回ったほうがいいかもしれない。三日月宗近がいた部屋は庭がきれいに見えていたから外側の廊下を歩いてその庭が見えるところまで回ればなんとかなるだろう。 そうしてまた安直に動き出して外側の廊下を辿り庭先を注視しながら歩いていたら、曲がり角で突然現れた影に思いっきりぶつかってしまった。

「うぷ」

白い塊に顔面から突っ込んだが、思ったより厚みのあるそれに埋もれて一瞬息が出来なくなる。なんだこれはと両手をついて離れようとすれば、勢いで背後にたたらを踏んだ背中を伸びた手に支えられた。

「おっと、すまん」
「何ですか…布団?」
「ああ」

何で布団を持ってうろついていたのかはともかく、三日月宗近様の部屋の場所を聞けばその金の目がきょとんと丸くなる。

「何ですか?」
「いや、…きみは客間で寝るよな?」
「いえ、三日月宗近様の隣の部屋を使わせてもらおうかと」
「え、」
「え?」

何故かとっても驚いた顔をされたが、出来るだけ三日月宗近の近くで過ごしたほうが良いのだと伝えたはずだ。
だが、布団を抱えて狼狽えたようにする相手を見上げていれば、観念したかのように肩を落とした。

「きみはその、客間で寝るのだと思ってだな、その…布団を…」
「え、わざわざ運んで頂いてたんですか?それは申し訳ありませんでした」

なんと、その両腕に抱えていた布団は私に貸してくれようとしたものだったのかと一人納得して両腕を差し出せば、何故か遠ざけるように布団は離される。え?と再度見上げれば、困ったように白い前髪の下で眉根が下がっていた。

「違う」
「違う?何がですか」
「これは、その、俺の布団だ」
「はあ、え?何故?」

てっきり自分の分を運んでくれていたのかと前に伸ばしていた両腕をそっと下ろして訝しげに見上げれば、そらされた視線と覗く耳が仄かに色づいている。

「何かあったときのために、その隣で寝たほうがいいと思ってだな」
「あ、ああー成程」

確かにこれまでの言動を考えれば想定できないことはない。

「では三日月宗近様の隣部屋に私、その隣に鶴丸国永様でいいですか」
「えっ」
「え?」

布団をぎゅっと抱きしめている鶴丸国永は本当に驚いているようだった。何故?

「いいのか?!」
「ぅぎゅ」

かと思えば、布団ごと飛びつくように抱きついてくる。
圧死だ。いや、見事に口元と鼻が塞がれているから窒息死だろうか。

「嬉しい、ありがとう」

布団で両腕ごと包むように抱きしめられて身動きも出来ない私が、申し訳無いと思いつつ背に腹はかえられぬとその脛を思いっきり蹴ったのは仕方がないことだった。



「隣って、隣に並べられるとは思いませんでした」

温泉旅行中の夫婦よろしく、隣同士に並べられた布団を見て若干よろめいたが、敷いた布団のしわをぽんぽんぎゅっぎゅと叩いて伸ばしている鶴丸国永は、なにかおかしいところでも?とでも言いそうな顔でこちらを振り仰いだ。

「ん?どうかしたか」

どうかしてますね、と即答しそうな言葉を既で飲み込んだ。

「隣の”部屋”で寝るんですよね」
「ああ、三日月の隣の部屋でな」
「いや、それは私で、あなたはもう一つ隣の部屋で寝てください」

あっちです、と三日月宗近のいる部屋と反対側の壁を指差せば、金の瞳が丸く見開かれる。

「え、何でだ」
「いや、むしろ何でここで寝る気なんですか」
「隣でいいと、きみが言ったから…駄目だったか?」

廊下を行くときも部屋に入ったときも嬉しげに綻んでいた顔が、一気に意気消沈したものになった。
耳としっぽがあれば力なく垂れているに違いないしょんぼりっぷりに、顔に手を当てた。またこの顔だ!ずるい。
だがここで折れたら、同じ部屋で寝泊まりする羽目になってしまう。

「鶴丸国永様がいると緊張して寝られません」
「……」
「何かあったら呼びますので」

ね、と出来る限り申し訳ない顔で頼み込めば、折角敷いた布団をそっと片手で撫でて鶴丸国永は溜息を吐いた。

「分かった。きみの眠りを妨げたいわけじゃあないからな」

言って、下がった眉の下でにこりと笑う。その寂しげな顔にぐ、と拳を握る。ここで揺らいだら負けだ。
しばらくそんなこっちの様子を窺っていたが、意見を変えるつもりがないことを見ると敷いた布団を乱雑に折って持ち上げた。
部屋の戸を開ければ一言礼を言って隣の部屋に入っていき、どさっとこれまた乱暴に下ろす音がする。
そしてすぐにひょいと廊下に白い面が覗く。

「何かあったら、絶対に呼んでくれよ」
「分かりました」
「名前だけでも、どんなに小さい声でも駆けつけるから」
「頼りにしてますから」

言えば、まだ少し下がっていた眉があがり、口角に笑みを浮かべる。

「ああ、任せてくれ。…おやすみ」
「おやすみなさい、鶴丸国永様」

ひらひらと振られた片手に、ひらひらと返して部屋の戸を閉めた。



真っ暗だ。
周囲は黒い闇で、持ち上げたはずの手はもちろん、いくら視界を下げたつもりでも身体も足元すら何も見えなかった。
ここはどこだろう。
声を出そうとして逡巡する。
周囲は静かで、静かすぎて耳鳴りがするほどだった。自身が動く度に多少の音くらいするだろうにそれすら聞こえない。自分の身体はそもそもちゃんとここにあるのだろうか。
持ち上げる手の感覚すらなければ、触ろうとした体や顔の輪郭もつかめない。

「っ」

不意にどっと冷や汗が流れた気がした。
まるで真っ暗な箱の中に自分の思考だけが漂っているようだ。
身体は、無いのではないか。
このままずっとこうしてひとり思考を紡ぐ以外に何も出来ないとしたら。
いつまで、こうやって。
まさか、ずっとこのままなのでは。

不安と焦りで胸が塞がれて、していたかも分からない呼吸すらもできなくなって喘ぐ。

黒黒とした闇の凝る水槽の中で、このまま溺れて孤独に死んでいくのではないか。
嫌だ、と叫んだ気がした。声も音も何も出ない、聞こえない。
もがき苦しむものが水面を乞うように見えない手を伸ばした。


その手首に絡みつくように何かが触れた、気がした。



「―――、っ!」

力強く握りしめられる感覚に、意識がぐんと引き寄せられてパカリと瞳が開く。

「きみっ!おい!」

揺さぶられる感覚に見開いた目の焦点がやっと合えば、泣きそうに歪んだ金色の瞳がこちらを覗き込んでいる。

「しっかりしてくれっ、俺の声が聞こえるか?!」
「ぁ、」

小さく漏らした声を拾ったその顔が近づいて、驚く前に抱きしめられた。
気がつけば中途半端に伸ばした手が相手の白い手に痛いほど掴まれている。

「、えっと…どう、して」

布団に中途半端に起こした身体は、そっと離れた紺色の和服に身を包んだ鶴丸国永によって支えられている。

「叫び声が聞こえた気がして、なのにきみは目を覚まさないし」
「え、すいません起こしてしまって」
「そんなことはどうでもいい。…手を、伸ばしてくれただろう」

きゅとまた手を握られた。

「引っ張り上げられて、良かった」

心底ほっとしたように言って、またゆるゆると肩を引き寄せられてその紺の布地に顔を押し付けられる。
細身だがしっかりとした体躯の胸元に押し付けられれば、鼓動が早く聞こえた。




2021.5.25







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