*2
一
ぺったぺったと軟膏を塗られその上から丁寧に白い布を巻かれていく。
「こんなもんだろう」
その頃には上がっていた心拍数も熱かった頬も何とか落ち着いてきて、再度礼を言えばどこかくすぐったそうに笑う鶴丸国永をもう一度注意深く眺めた。
だがやはり、見た目にも気配にもおかしなところは何も見つからない。おかしなところが無いという点が逆に警戒心を煽る。なんたってここは聞いた限りでは暴力、夜伽、刀剣破壊に呪いというオールスターな本丸だ。普通なら堕ちていてもおかしくない。
「あの、鶴丸国永様はどこか怪我とか…」
「俺かい?それよかきみ、そんな毎度毎度長ったらしく呼ぶのも面倒だろう。鶴丸でもなんでも言いやすいように呼んでくれていい」
もっと気楽にしてくれというが、これははぐらかされたのだろうか。ちらりと視線を走らせても服の上からは何も分からない。
「何だい、心配してくれてるのか?きみは優しい人の子だな」
こちらの視線にすぐに気が付かれたことにまたじりじりと脳内でアラートが鳴るが、内心びくつくようなこちらに気が付いているのかどうなのか、鶴丸国永は笑って頭を撫でてきた。
「…まあ、そうだな。こんな本丸だ、きみがそう警戒するのも無理はない」
「鶴丸国永様は…」
「せめてその『様』っていうのはよしてくれないか。俺はそんなきみに敬われるようなもんでも無いさ。自分じゃよく分からんがきっと俺は…、穢れてる」
「!そんな」
「ははっそんな痛ましい顔してくれるな。だからといってどこか具合がおかしいって感じでもない。本当だ。怪我も何も、きみを心配させるような不具合は感じてない」
両腕を開いてちらりと己の身体に視線を流してからこちらを向いて、からからと笑う。その腕はそっと力なく両足の上に下りて、そっと白いまつげが伏せられた。
「もう、終わったんだろう?」
「ええ、まあ…」
「だよなあ。他にだーれもいないようだからな。きみと…三日月以外は」
怪我もおかしなことも何もないと自己申告をしたその顔が俯いて、暗がりではあと深く息を吐いてから、あぐらをかいた上に頬杖をついた。
「それにしたって、三日月のアレはなんだ?」
「鶴丸国永様も知らないのでしょうか」
「俺は三日月がいることは知っていたが、さっきまでその姿を見たことは無かったからな。大方、あの元主だった男が術のひとつでも使ってどっかに幽閉していたんだろうと思っていた」
「そうですか」
「ところできみは、新しくここに来た審神者って感じじゃあ…無いよな」
不意に頬杖をついて前髪のかかった影から金色の瞳がひたとこちらを見据えてくる。
「違います。私は政府の人間で三日月宗近様の様子を調べに来たんです」
「そうかそうか。…元主はどうなった」
正直に答えてもいいのだろうか、一瞬答えに詰まれば金の瞳が鋭さを増した。思わず懐の札の在り処を脳内で確認してしまう。
「生きてるのか、死んでるのかだけでもいい」
「…死にました」
「……そうか。他の連中は」
「保護したと聞いていますが、その先はまだ。皆様の希望を確認しているところだと思います」
小さく頷いて聞いている様子から、首を傾げる。
「あの、」
「ん?」
「その間、鶴丸国永様はどこに…?」
政府の人間が事後処理で何人も出入りしていた筈だ。感知に長けた者がいただろうにその網をかいくぐって回収を免れ今ここに居る。その間、彼はどこにいたのだろう。
そも事が起きたことも何も知らない様子なのもおかしい。本当に何も知らなかったのか、他の刀剣男士の誰からも何も知らされなかったのか。一振り、どこにどの状態でいたのか。
当たり前の疑問だろうその問いに、琥珀のような艶とした瞳の輝きがゆらりと揺れて、ほんの一瞬その表情がかき消されるように消えたのを見た。ごっそりと感情を失くしたような能面のようなそれに背すじがひやりと泡立った。
「すまん。俺は刀に戻されて眠っていたようだ。急に意識が呼び起こされて、変な音がしたと思った場所に向かったら、きみがいた」
瞬きの間にカシャンと表情が切り替わって、目の前では心底済まなそうな顔が返事を返す。
パッパッと照射される映画のフィルムの別々のシーンを繋ぎ合わせたような奇妙な違和感は、会話をする間に少しずつ慣らされていたその存在がまた得体のしれないものだと思い起こさせるような気味の悪さを感じさせる。そうして瞬時に呼び起こされたこちらの警戒心さえ、じっと見られているようで居心地が悪い。
「あ、すいませんあの…」
「ん?どうした、何でも聞いてくれ。俺が答えられるものなら何でも答えよう」
「ありがとうございます。でも続きはまた後程。ちょっと席を立っても良いでしょうか、すぐに戻りますので」
「?どこに行くんだ」
三日月宗近しかいないはずの本丸にどうして鶴丸国永がいるのか、そろそろその謎も含め今起きている事態を一旦報告するために端末を使って連絡を取りたいが、信用できない相手の前で不用意に使用したくない。だが下手に動こうとすればここまでの行動からして鶴丸国永は、着いてくるか、そうでなくとも理由を問われるだろう。
「…ああ、手洗いか?」
「えっ、と」
「場所が分からないようなら案内をするが」
一人で行動して尚且つ得体のしれない鶴丸国永と距離を取れる手段となればここは手洗いが妥当だろう。と、思った瞬間にその思考を読み取ったかのように声をかけられうっかりどもってしまったが、鶴丸国永はそれを単に言い出しづらかっただけと受け取ったようだった。
「いっいえいえ、分かりますので」
「まあ、そうか」
これは幸いとその手に乗っかって立ち上がれば、部屋を出た背後にしっかりとついてくる影に胡乱気な目を向ける。
「あのな、変な意味はないぞ。さっきも言ったろう?他にも何かあるかもしれないと。元主は呪術に長けていたからな」
手洗いまで付いてくる気の相手をこれ以上邪険にしても逆に怪しまれるかと、ため息ひとつで了承すればぽんぽんと頭を軽く2回叩かれる。
「きみにとって俺は主もいない刀だからな。気持ちは分らんでもないが俺としてはもう少しきみと話したり触れ合ったりしたい。…肩に力が入っている」
「う…、」
「大方、俺が堕ちていないことでも疑っているのだろう?お、肩が跳ねたな。ははっ」
「すいませんね、根が正直者なんで」
「いやいや、か弱い人の子なんだ、そのくらいの警戒心があった方が良い。大丈夫だ分かってる。俺は…刀だからな」
怖がられて当然だ、そうぽつりと呟かれた言葉にうっかり振り返ってしまった。眉根を下げて寂し気に笑うその表情に、つい心が動いてしまう。
「あんな男の元に来てしまったのはもう仕方が無いことだが、人の子を皆嫌いになったわけじゃないってことは覚えておいてくれ」
くしゃくしゃと頭を撫でられて、ほだされないぞと警鐘を鳴らす脳内とは裏腹に彼の目の前でも構わず連絡を取って「今すぐ保護してあげてください」と報告したがる自分がいて内心頭を抱える。だめだ、慎重にいかなくては。
「覚えておきます」
「ああ。…ありがとう」
一言、そう答えれば花が綻ぶように笑う。ずるい、顔が良い!思わず速足で目に入った手洗いに逃げ込めば、また笑い声が背後で響く。
「何かあったらすぐにでも呼んでくれよ」
さすがに中にまで一緒に入ってくることは無かったことにほっとして、個室に入ってカギをかけそこでやっと一息付いた。指摘された通り警戒しっぱなしで身体が強張っていたのだろう。肩や首筋を回しながら、そっと取り出した端末を見て思わず「げっ」と出かけた声を何とか飲み込む。
圏外。その無情な二文字にくらりと眩暈を感じて洋式の便座に力なく座り込む。ここに来る前のクリーニング屋での自分の発言が脳内を駆け巡る。
”呪いと穢れと電波関係は相性最悪”、あれは何だフラグだったのか。いやいや、まだこれの原因が呪術の類とは決まっていない。見たところ鶴丸国永様にも彼が言うような穢れとやらは感じていないのだから。まあ、あれは、たぶんそういう意味ではないのだろうが。
それより端末がこうなったからには、もうひとつ確認しなけらばならないものがある。
取りあえず水を流し、何でもないふりをして手を洗って鏡を見る。強張った自身の顔と目が合ってげんなりしたが覚悟を決めて手洗いを出、…そのまま走り出す。
「お、…ん?おいきみ、顔色が悪い…っておい!どこに行くんだ?!」
後ろから迫る足音を無視して脳内に展開した本丸の地図から最短距離を測り、廊下から部屋をつっきり縁側の戸を音を立てて開いて外に飛び出す。広い敷地内を斜めに横断して、目指すはこの本丸と外を繋ぐ場所だ。
「きみっ!何があった!?」
靴を履くのも惜しんで靴下のまま地面を蹴っていた体が、後ろに引っ張られてがくんとつんのめる。玄関脇を越えたところで追いかけてきた相手に片腕を掴まれ、勢いで大きく振られそうになる身体もまた抱きとめる形で抑え込まれた。
外と繋がる赤い鳥居を目の端に映して思わず出そうになる舌打ちをこらえる。上から降ってくる視線の強さに耐えかねて目を反らせば、強引に顔を持ち上げられた。
「何かあったのなら俺にも言ってくれ!急に走り出されたら心配するだろうっ!!」
こちらを見ろと言わんばかりの強いまなざしに観念して視線を寄こせば、その顔は心底心配して焦ったと言わんばかりだった。少しだけ毒気が抜ける。
「きみ、門に向かっていたな。何故だ?門に何か…いや、」
「!ぅわっ」
行った方が話が早そうだと呟いたかと思えば、ひょいと体が持ち上げられて簡単に小脇に抱えられてしまう。指先がぶらんと地面に着くか着かないかという高さと自分の状態に思考が停止した瞬間、耳元で風が唸った。
慣性の法則で後ろに持っていかれそうになる体をぐっと引き寄せられれば、胴回りを圧迫されひどく苦しい。そう思ったときにはぶらんとまた身体が大きく揺れていた。のろのろと上げた視界にさっきまで視界の端にあった筈の門が聳え立っている。
「急にすまんな、よっと。立てるか?…おっと」
「く、…気持ち悪」
腹を圧迫された苦しさと気持ち悪さで差し出された腕に是も非も無くしがみついてその場にぺしゃりとしゃがみ込む。これはあれだ、船酔いに似ている。いや刀剣男士酔いっていえばいいのだろうかとぐらぐらと揺れる視界を遠くに向けて、深呼吸を繰り返した。
「よしよし。…こりゃ、見たことないな。きみ、読めるか?」
悪かったと中腰で背中を撫でてくれる元凶は、何かを目にして声を低くした。たぶんそれは私が確認したかったことだ。座ったまま首を伸ばして見てみようとしたが少し高さが足りないなと思った瞬間、身体がまたひょいと持ち上げられる。
「…鶴丸国永様、持ち上げる時は一言ください」
「悪い、ついつい。きみの大きさがなあ、抱えるのに丁度いいんだ」
なんだそれは。
先程とは違って、今度は座った姿勢のまま腕に引っかけて胸の前で抱っこされているため、顔の位置が近いが聞こえてくる不穏な言葉はひとまず流して眼下に表示されているものを確認する。何度見ても同じだ。手を伸ばして操作しても何も変わらない。
「文字化けしてますね」
「文字ばけ」
「エラーコードすら出ない」
「…つまり?」
「詰んだってことです。私たち、ここから出られません。閉じ込められました」
2020.5.14
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