クリーニング屋の漂白さん


*4





「…勝手に触るなと、俺は伝えたはずなんだがなあ」

足元を赤く染めた液体と派手に割れたガラス片を見下ろして、数秒の沈黙。持ち上げられている相手からの、下からの睨めつけるように眇められた眼と目が合って首を竦める。

「きみはもうそこで大人しくしていてくれ」

溜息ひとつついて、またもひょいと作業台に降ろされてしまった。無視して動いた挙げ句にしでかしてしまったことにはさすがに反省しているが、それよりもだ。

「あの、それ…げっ」
「ん?」
「いやいや、素手でそんな気持ち悪いもの、触って大丈夫なんですか」

破片の間に散らばるぷりっとした物体を指先で直に摘んで拾う鶴丸国永にぎょっとして声をかければ、小首を傾げている。

「これかい?…ああ、成程なあ」

言いながらもひょいひょいと拾って、破片と共にかけてあって布巾で見えないように包んでしまった。

「虫は苦手なのか」
「尺取虫とかならギリギリ、カブトムシの幼虫とかはちょっと無理です」
「ははっ、まああれはあれで可愛げがあるとは思うがなあ」
「どこがです」
「ちなみにこれは違うぜ」

もうひとつ布を手にとって、濡らしてさっさと床を拭いていく。それらをまとめて隅のくずかごに入れて手を洗い、そうして湯の湧いたやかんから急須にお湯を注ぐ背中を見つめる。

「違うとは?」
「きみ、チョロギって知ってるかい?」
「?わかりません」
「そうか。さっきのは芋虫じゃなくて植物の根だ。あんな見た目だが縁起物でな、正月料理にも入れられる」
「見たことないです」
「というのはまあ、受け売りだが。チョロに長老という漢字を当てて長生きを願うものだから」

そこまで言って、鶴丸国永は茶葉が開くのを待つように湯気の上がる急須の中に視線を落とす。湯気を見つめはたはたと瞬きを繰り返す白いまつげが、そっと伏せられた。

「たぶん、誰かが主のために見つけてきたのを漬けていたんだろう」

主であった男はこれを食べたのだろうか。目に触れないように籠に入れられていたのがその答えのような気がした。

「あんな珍妙な見た目だが食感が良いと聞いた」
「ごめんなさい、私が落とさなければ」

食べてみたかったのだろうか。それとも、かつての仲間に思いを馳せているのだろうか。それとも主だった男に。 なんにせよ、貴重な食べ物…とても直視して食べられそうにはないが、を駄目にしてしまったことも重ねて謝れば首を振られた。

「でも、良いことに気付けた。ゲートは使えんが外になにか食べられるものがあるかもしれない」
「あ、ありがとうございます」
「熱いからな。火傷しないように…冷ましたほうがいいか?」

片手に持った湯呑の湯気を神妙に眺めてからふうふうと息を吹きかけ始める鶴丸国永を制止しようとしたが止められないままにすっかり湯気が収まったと思った頃、鶴丸国永はおもむろにそれに口をつけた。

「え」
「あ、すまん」

まぬけな声を上げる間に、一口ごくんと飲んでからはっとしたような顔をして謝られる。
てっきり、もう一つの湯呑を出してお茶を入れ直して渡されるものかと思ったが、何故かその湯呑をそのまま手渡された。思わず湯呑と鶴丸国永の顔を交互に見てしまう。

「つい、一口もらってしまった」
「あ、えっと…はい」

入れ直してくれとも言えず、反省を込めて作業台に座っているところから降りて新しい湯呑をこれみよがしに出すのも気が引けて、うっかり受け取ってしまった飲みかけの湯呑を見つめてしまう。
きっとおそらくこの鶴丸さんは少し抜けてるだけで何の意図もないのに、自分ばかりが意識するのもなんだか気恥ずかしい。それでもそっとその口元が触れたであろう場所を、そっとそうっと避けてえいやっと湯呑に口をつけた。
「…はあ、お茶美味しいですね」
「そうだなあ」
「………」
「どうかしたか?」
「…、いいえ」

温かいお茶が身にしみる。やっとひと心地着いた気がして、肩の力が抜けてふうと息をついて湯呑を下ろせば、なんてことはない、鶴丸国永ももうひとつ湯呑を出して自分の分をなんてことない顔をして飲んでいた。



「私の霊力は特殊なようでして、色を落とすように相手を漂白してしまうんです」
「漂白?」
「ええ。色味をただ抜くだけではなくて、今までで分かった範囲では、積み重ねてきた記憶、技術、そういったものを拭い去ってしまう、みたいなんです」
「そいつはまた、」

言いさしてその口を噤む。何事かを考える鶴丸国永に、自重するように目元を伏せた。
記憶が薄れ、磨いていた技を忘れ、良いことなんて無いだろう。私だって知っていたら審神者なんてやらなかった。本丸を持つ前にちゃんと知っていれば。

「実に俺にぴったりの霊力じゃあないか!」
「ふあっ?!」

急にがしっと両肩に両手がかけられて、後悔の念にかられ落ち込んでいた顔をあげればそこには満面の笑みがあった。

「これ以上白くなるなんて驚きだ。どこが白くなるんだかわくわくしてきた」
「いやいや、聞いてました?記憶や練度が無くなっていくんですよ??」
「聞いていたとも。俺の練度はそもそもそんなに高くはない。それに下がったらまたその分鍛えればいい話だ。記憶は、まあ良いものもあったが辛いこともあったからなあ」
「でも、失くしてはいけないものだってあるでしょう」

良い記憶だってあったというならば、それこそが今の彼を作り上げている欠片であるはずだ。仲間のことは大切に思っている節もあるし、それが消えて辛い記憶ばかりになってしまう可能性だってある。
だから不必要に近寄らないように距離を取ろうとしているのだと諭すが。

「俺のことを心配してくれているんだな、ありがとう」
「むしろ私こそ拒否されてもおかしくはないのにこんなに良くしてもらっていますし」
「そんな卑下するようなこと言わんでくれ。。…それに、あまり言いたくない事だったんだろう?」
「いいえ、説明はちゃんとすべきだとは思ったので」

作業台に行儀悪く座ったまますっかり冷めてしまった湯呑を持つ手を、肩から離れた大きな両手がそっと包み込む。

「俺は、きみに気をかけてもらえると嬉しいんだ。例え、本丸でのことがつらいものだけとなっても、それを含めて顕現してこれまでの記憶がなくなろうとも、今のきみとの思い出が残ればいい」
「どうなっても知りませんよ」
「上等だ、俺を驚きの白さにしてみせてくれ!」




2021.5.6







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