クリーニング屋の漂白さん


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「漂白さーん」
「はいはい」

浄化担当が所属する通称クリーニング屋。
ここで私は漂白さんと呼ばれている。

広いオフィスの廊下側の窓口から顔見知りの職員に呼ばれて立ち上がる。カウンター越しでクリップで留められた書類を受け取れば、いつも困った顔の人の好い彼の眉は今日も盛大に下がっていた。

「すいません、ちょっと面倒な案件持ってきちゃいました…」
「いつものことですのでお気になさらず。あ、いえ本当に大丈夫ですよ」
「もう本当、毎度すいません…洗濯だけじゃ無理そうだったんで先に漂白させるしかないって話になりまして」
「了解です」

大丈夫だと毎度伝えてはいるのだが、本当にすまなさそうな顔をしてぺこぺこと去っていく職員の胃が逆に心配になる。人が良いというのは本来プラスではあるのだろうが、良すぎるというのも問題だ。
受け取った紙をふんふんと読みながらペラリとめくっていく。

「課長、漂白行ってきます」
「ん、気を付けろよー」

営業担当のような身軽さで、端末と書類を入れたショルダーバックを肩から下げてデスクから声をかければ、傍でデスクトップに向かっていた上司から気安い返事が返ってきた。”漂白”の仕事は入ってきたら優先事項として良いことになっているが、いつ何時飛び込んでくるものかは予想が付かないのでそれまではオフィス常駐として机仕事をしている。
隣の席の同僚から大丈夫かという心配げな視線と個包装されたチョコレートという名の栄養補給食をありがたく頂戴をしてオフィスを出た。



「すいません、漂白担当です」

コンコンと叩いた戸を開いた先では、洗濯担当のみなさんが今日も今日とて弱冠青白い顔をで出迎えてくれる。次から次へと何かの紙の束ににょろにょろと筆を動かしていく者、水晶玉を覗いてうんうん唸っている者、端末片手に手元の書類を見ながら通信相手に何やら必死に指示を出している者、謎の液体と謎の物体を混ぜ合わせて首を傾げている者。正直怪しいものしかいないが、これで彼らは与えられた仕事を真面目にこなしているだけだ。
ここが通称クリーニング屋さんと呼ばれている部署である。

「あー!漂白さん、待ってました!!」

先ほどまで何事かを必死に通信相手へと伝えていた女性が、端末片手に立ち上がってすごい勢いで寄ってきた。え、コワイ。とか言ってはいられない。

「洗濯じゃあ無理そうなんで、漂白をという話だったんですが」
「そうです、もうそうなんですー!」

肩に手を当ててガックンガックン揺すられる、その目の下にはくっきりと黒いくまどりかと思うほどの憔悴の跡がある。優秀な職員である彼女をここまで追いつめた案件となると。

「…平安刀とかですか」
「さすが漂白さん分かってらっしゃる!ズバリ三日月様の染みがひどくってもう!」
「ははは」

単なる呪いだけならまだましだと思うのにそこに最低な本丸運営とさらに三条派、または平安という要素が増えるだけで事態はまさしく惨状、いともたやすく大惨事に成りかねない。
例え複数顕現されるとはいえ希少価値が下がるわけでもなく、強さも美も十分の兼ね備えた刀、三日月宗近と言えば巻き込まれる率は半端なく高いお方だからこういった事案の常連ではあるのだけど、そんなお方が”ひどい染み”とか言わせてる対象ともなれば彼女がこうも憔悴していることも納得だ。と思いつつ、その事案のお鉢が回ってきたことに大変気が重くなるがそこはお仕事だと思って気を取り直す。
ついでに同僚にもらったチョコバーを横流しして落ち着かせて詳しい話を聞くことになった。

「夜伽、ですか…」
「暴力と夜伽、刀剣破壊あり、呪いあり」
「ああー」
「この呪いがくせものでして、術者以外の力を結界のようなもので弾いてるらしいんです。手が出せなくては解呪はもとより何もできません」
「え、私出る幕あります?」

そんなのかけた元審神者犯罪者野郎を引っ立てて、強制的に解呪させてしまえばいいのではなかろうかと思ったがそこで職員の目が死んだ魚の目になった。おっとこれは。

「自殺しました。重ね掛けしたあとにスヤァと」
「そんなお布団増やしたみたいな軽いノリで…いや、ごめんなさい」
「よっぽど他の者に触れてほしくなかったんでしょうけど」
「大迷惑」
「本当に!おかげで刀解はもちろん、こちらからは触れることも話すことも出来ず、三日月宗近様も話すことも動くことも出来ず、今も暗い本丸に置き去りなのです」
「それは…」

ただの置物だ。人形のように暗い室内にただじっと座っているその姿は容易に想像できて、思わず顰め面になる。というか、怖っ。

「えっと、でもそこで私に話が来たということは」
「そうです。漂白をしてみたらどうかと・・」
「そんな無茶な」

クリーニング屋の仕事内容は洗濯と掃除、つまりは浄化である。ひとによってそれは場に対してだったり個人だったり、物に対してだったりと様々だが、その名の通り穢れを纏ったり良くない気を放つものを無害にすることを主としている。他の部署と連携して解呪も行っているが、そんなスペシャリストたちを持ってしても解けない案件がまさか回ってくるとは。

「私が出来るのは漂白ですよ?」
「その特殊さで対抗してもらおうかと」
「何に」
「クソ野郎の呪いに」
「……」

目がすわっている。この案件でどうやら相当神経をすり減らしてしまったようだ。殺気を放っているような気さえしてきたし、どうやら自分に拒否権はないようだなと遠い目になる。というか今までも拒否権などなかったわ。

「つまり私はその前任…クソ野郎の色抜きをすれば良いと」
「それから残念なお知らせが一つ」
「すいません、聞きたくないです」
「いつも護衛を頼んでいる方が現在別の案件で昏倒中でして」
「え、それは大丈夫なんですか?お見舞いとか」
「穢れに触れすぎただけで洗濯担当がひとり付き添いに行きましたし大丈夫でしょう。というわけなので、今回は護衛なしです」
「おっとぉ」

へへ、と引きつったような笑い顔の彼女の言葉に、突然のひとりで買い物できるかなミッションの開始を告げられて私の顔も引きつるのが分かった。

「とはいえ、三日月宗近様は動けず話せず、また本丸内に他の刀はいないとのことなので大丈夫かと」
「いや、えっと私が行って万が一この作戦が上手くいったとして、三日月様が急に覚醒してバッサァいく可能性もありますよね」

いく、って逝くってことですよと目で訴えれば、またもへへへと笑い返されぞっとした。つまりこの案件で他に増員が見込めないということだ。

「通信端末はつけっぱにしておいてくださいね。命綱超大事」
「知ってます?呪いと穢れと電波関係は相性最悪なんですよ」
「って言われると思ったので、こちら!今回は特別にこちらがつきます!!」

はい、と押し付けられたのはクリーニング屋御用達のお札数枚で、和紙だか半紙だかの少しごわごわした紙の表面にはうにょうにょろとした文字が並んでいる。何の効果があるのかも正直あまり使ったことが無くて見分けがつかずに読めない文字を必死に読み取ろうとしているのを見て、向かいから指がすっと伸びてきた。

「結界札、身代わり札、気配消しはこれです」
「完全防御振りですね」
「ちなみにこれらは全て単体用です」
「空間とか部屋ではなく、私だけということですね」
「ええ、肌身離さず持っていてください。持っているだけで自動発動ですよ」

確かに受け身のひとつもとれない運動能力鈍の自分では切りかかられたら身動き一つとれないのでこれはありがたい。

「え、つまり全部持っていて有事が起こったとして、どの札から発動されるんですか」
「おそらくは対処するものとの距離によって決まると思います」
「おそらく」
「すいません、何分精密に作っている時間が無くて。本来なら所持者の力によって発動のタイミングを変えたり量で時間をコントロールできるんですが」
「成程」

申し訳なさそうにしゅんとしてはいるが、少ない準備時間で用意をしてくれたのだろう。そのことに感謝を述べる。
時間が無いというのは、あまり一つの案件に時間を割けないということだろう。力づくで解決する方法ならいくらでもあるのだ。最悪上からの指示で有無を言わさず本丸ごと放棄することも手段としては選ばれる。
それをしたくないから、出来る限りの時間と手段で事に当たるのだ。

「よし、行ってきます」
「三日月宗近様を、よろしくお願いします」



という話だったのだが、これは一体どうしたことだろう。

「ちょっと待ってくれ、確かここに…いや、こっちだったか」
「いや、あの大丈夫です取りあえず手を洗ってくるので」
「いやいや、他にも何かあったらいけない。目の届く場所にいてくれ」

目の前では箪笥の引き出しを開けては閉め開けては閉め、しまいにはこっちだったかと押入れを覗き込む真っ白い背中がある。
言わずもがな太刀の刀剣男士が一振り、鶴丸国永様なのだがそもそもここには三日月宗近様しかいないと聞いていたはずなんですけど。手持ち無沙汰と少しの警戒心でもって離れてその様子を観察する。

「お、これだこれ。良かった、まだ残っているな」

どこに頭を突っ込んだらそうなるのかという程にさらさらの白銀の髪を鳥の巣のようにした顔が何かを見つけてこちらを笑顔で振り仰ぐ。こいこいと手招きをされたが、すぐに応じるわけもなくその顔と小さな小箱を持つ手元を順に見遣る。
嫌な気配はどちらからも感じられないが、正直まだ得体が知れない。
何しろ三日月宗近様に続くと言っても過言ではないほど、その刀もまた希少価値や見目故に様々な案件に巻き込まれる問題刀だ。そのからっとした笑顔に騙されると痛い目を見るという話もしばしば。

「……きみ、」

しばらく無言で見あっていたが、最初こそ見えない尻尾を振っていたそれが明らかにぺたんと力なくなり終いには見えない耳もしゅんと萎れた辺りで、白旗を振った。駄目だ降参だ。

「くっ、…」
「どうした、痛むか?ほら早く見せてくれ」

自分はいったい何と戦っているのか、どうにも抵抗できずにしぶしぶ近寄れば伸ばした手がこちらの手を掴んで引き寄せるのに合わせて、ぺたりと畳に腰を下ろす他ない。
結界とはどんなものか、どこまでなら大丈夫そうかと三日月様に近寄り思い切り弾かれた手は赤くじりじりとした熱を発していた。
きっと火傷のようなものでとあとは少し血が出ているくらいだと思っていたが、バチンッと思った以上に響いた音に思わず部屋から後ずさった身体が何かとぶつかった。直前まで何の気配も無かった背後の存在に声も無く驚いていたが、ぶつかった相手も随分と驚いた顔でこちらを見下ろしていた。
その金色の瞳は今、真剣な眼差しを赤く染まった手にじっくりと注いでいる。

「血は止まり始めてるか」
「そうですね、え?や、待ってくださっ」
「ん、」
「ひっ」

まじまじと見たかと思えばおもむろに口元に引き寄せるのにまさかと慌てて手を引き戻そうとしたが、力の差に到底かなわない。その形の良い薄い唇が開いてぱくりと柔く食まれて思わず上げた悲鳴に、伏せられていた白く長いまつげがふわと持ち上げられて金の瞳がこちらをちらと見上げた。一瞬丸くなったそれが、ゆったりと弓型にしなる。おそらく私の顔は真っ赤だろう、耳まで熱い。
引き抜けない指先のあるかどうかよく見てもいなかった裂傷にぬるりと舌が這わされる感覚に、喉の奥からせり上がる声を抑えるためにもう片方の手を口元に当てたが、いつの間にやらこちらの背を引き寄せていたもう片方の手にそっと握って外される。やんわりと握られて長い指先が悪戯に手の甲をするするとなぞり、その合間にも指の腹から指の股へと濡れた感覚が移動していく。

「っ、ああの!も、もう大丈夫なのでっ、!!!」
「ん、、…んー、でも痛いんじゃないか?震えてる」
「いえ!あとはもう自然に直す他無いと思いますので!!」

くちゅと水音を残してやっと口元から離れた己の指先がてらてらと光っていて、声にならない悲鳴を上げて身悶えしそうになる。出来るなら一人にして欲しい。畳の上でごろごろと転がさせて欲しい、じゃなければ大声で叫ばせてくれ。
さっきの子犬みたいな目にどうか戻ってくださいと肉食獣みたいな金の瞳に慄いていたが、しばらく口から離した指先とこちらを順繰りに見つめた顔がやっと離れたことにほっとした。

「人の子は手入れでは治らんからなあ」

言いながらこちらのもう片方の手をすりすりしていた手が離れて、あぐらの足元に置かれた小さな小箱を片手で器用に開ける。白い指先が掬ったのはねっとりとした緑色のものだった。

「前にもらったものだが、まだ大丈夫だろう。あまり使わずとって置いて正解だったな」
「あ、ありがとうございます」

おそらく塗り薬であろう手作りの軟膏のようなものが塗られていけば、じりじりと熱を放っていたところが空気から遮断されてか少し落ち着いたようで、思わず息をつく。
さっきのセクハラはとりあえずこれで帳消しということにしておこう。余計なことを言って藪蛇に金の瞳を向けられるのはごめんだ。




2020.4.15







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