*3
一
「きみなあ」
「なんです。今私、心底落ち込んでるんで優しい言葉は諦めてくださいね」
「随分とやけっぱちになっちゃあいるが、まだ詰んではいないだろう」
「……」
「まあ、そうだなあ。俺のことをこれっぽっちも当てにしてなけりゃ、実のところ全く信用していなかったきみからすればそう考えても仕方が無いだろうが、なあ?」
耳元でひくーい声が威圧してくる。ネチネチと言われるが全くその通りなので言い訳のしようもない。
「もしゲートに何か仕掛けられてたらどうするところだったんだ?」
「その節は勝手な行動をいたしまして大変ご迷惑をおかけいたしました」
ん?と金の瞳が視線をそらすことを許さぬ力でこちらを覗き込んでくるのに負けて、大人しく謝れば大きなため息が降ってくる。
「ま、得体のしれない俺ともうしばらくこの本丸で一緒に過ごすことになったんだが」
「あの、はい」
「そんな恐怖に打ち震えているきみにひとつ朗報がある」
「本当に申し訳ありませんでした」
「三日月についてちょっと思い出したことがあってな」
「えっ、本当ですか!」
油汚れのようにしつこい鶴丸国永に米つきバッタのようにぺこぺこ謝っていたが、そんな下げた視界に一本の白い指が入ってくる。その手を辿って上げた視線の先で得意げな笑みと共に金の瞳が煌めている。
「さて、どうしようか」
「え、」
簡単に教えてやるのもなあと勿体ぶる白い神さまに、一瞬殴りたい気持ちもぐっとこらえてさらに深く頭を下げる。もはや畳に頭をめり込ませる勢いだ。
「どうかこの矮小な人間にも教えていただけませんでしょうか…」
「冗談だ」
余りの打ちひしがれ具合にさすがにこれ以上の追い打ちはやめてくれたらしい。感謝の意と共に再度畳に額を打ち付ければ、「やめてくれ顔をあげてくれないか」と困った声が降ってくる。
「きみ、性格悪いな」
意趣返しが成功した気持ちが表情に漏れていたらしい。じとっと睨みつけるような瞳がこちらの視線の少し上を見て、その白眉が微かに下がった。
「ああ、赤くなっているじゃないか。畳の目の跡もついているぞ全く」
伸ばされた指先がこちらの額を労わるように触れる。曇った顔にこちらもどうにもやり過ぎたかと思うが、まあこれで痛み分けだ。
「大丈夫です。放っておけばその内消えます。ところで、思い出したことを教えていただきたいのですが」
「本当か?冷やさなくてもいいのか?そうか。…人の身体は不思議だよなあ。ああ、三日月のことだが」
ゆるゆると跡を伸ばすように撫でる指先が優しい。
「俺は三日月と約束をしていたらしい」
「約束」
「ああ。『どうしようもなくなったら破壊してくれ』とそう頼まれて、俺はそれに応えた。だから、」
まただ。また、表情が波に溶けるようにゆらりと無になった瞬間を見る。思い出そうと記憶を遠く追うように、蜜色の瞳はうっすらと陰っている。
「俺は、三日月を折らなきゃならない…俺は、そのために…」
「ちょっと待ってください」
ぼんやりと呟く様がどうにもおかしくて、というかこのままだと自分が来た意味もなく三日月宗近が破壊されてしまいそうで慌てて待ったをかければ、金の瞳がふっと焦点を戻してこちらを見た。
「ん、うん?」
「もしかしたら前任の呪いを解いて、三日月宗近様を助けられるかもしれません」
「何か手があるのか?そういえば、きみは三日月の様子を調べに来たと言っていたな」
「それなんですが」
三日月宗近様には現在、前任者の呪いがかかっていること。行動、自由を全て奪い、前任者以外が解呪のために触れることを拒む結界のようなものを重ね掛けされていることを伝える。
「それで、その怪我か」
痛まし気に眉を顰める視線の先は鶴丸国永様が直々に手当てをしてくれた包帯の巻かれたこちらの手だ。
「大丈夫ですよ。手当てをしてくださったおかげで今はそんなに痛くはありません」
「なら、いいが…いや良くはないな。傷が残らなければいいんだが」
「ええと、それで三日月宗近様の呪いなんですけど、政府の者の見立てだと前任者以外の人に触れさせないというのがひとつのポイントらしくて」
「ぽい、んと」
「んー、重要なー…要点?」
「ああ、分かった。その重要なぽいんと?とやらをどうにかすれば、三日月攻略の道が拓けるってわけだな」
「だといいなという期待を背負って私が本丸に遣わされたわけなんです」
ほお、と瞳をまあるくしているところを見ると、純粋に驚いているらしい。
「きみが?その打開策を持っていると?」
「ええ。あ、いや上手くいけばいいなって話なんですが」
「いいや、いい。まずはその作戦を聞かせてくれ。そして俺もその作戦に是非とも参加させてくれ。共に三日月を助けよう!」
三日月を折りたくはない、と意気込み若干前のめりになっている鶴丸国永をどうどうと抑える。
「俺は何が出来る?何かさせてくれ」
「いや、何も」
「ん?」
「特に何をするってわけではなくて、ですね」
「んん…?」
首を傾げる動きに合わせて揺れる真白い髪を見ながら、申し訳なさが募る。
「いや、本当に何をするってわけではないんです。私がただ三日月宗近様の傍で過ごすってだけで」
「……それだけかい?」
「ええ。あとは特に何も」
指示されてませんし、と胸の中で続ける。私の漂白の力は別に力んだところで強化されるようなものでもない。ただ、居るだけだ。
居るだけで、そう、なってしまう。
「どうした、きみ。具合が悪いか?」
「いえ。あと、鶴丸国永様は出来れば私から距離をとってお過ごしください。端末が繋がるか、もしくはゲートが直り次第救援を呼びますのでそれに従って…」
「何できみから離れなきゃならない?」
何故そんなことを言うんだ、と非難めいた瞳に嘆息する。
「ここの主は危険なやつだったと言ったろう?」
「ええ、それでも」
「理由を教えてくれ」
「…きっとあなたにも影響を与えてしまうからです」
「俺に?」
言おうかどうしようか、逡巡する。
思い返すのは真っ白い姿、失ってしまった笑顔たち、戸惑う顔…。
「!な、んですかいきなり」
「すまない」
びっくりしました、と言おうとした声を遮って視界が陰り、謝罪の言葉が降ってきた。優しい力で温かいものに包み込まれて、触れた白い布地に小さなしみが出来た。
あれ、と目元を軽く擦れば触れた水滴を感じると同時にそっとその手を掴まれる。
「言いたくないことを聞くつもりは無かった」
「あ、いいえ…私も泣くつもりなんて無かったんです。つい、すいません」
そう言って軽く笑って見せたのだが、肩口にそっと引き寄せられた頭を柔く撫でられれば、その白い布地にこみ上げる記憶がふつふつと雫となって目の淵から溢れて転がり落ちていく。
「きみも、つらいことがあったんだな。こらえることも無理に笑う必要も無いさ」
「すいません、濡らしてしまいました」
「すぐに乾く」
審神者のいない本丸は火が消えたように薄暗い。暑くは無いが寒くもなく、そして風も吹かない。
時間が静止したような場所で、白い衣をぱたぱたと翻して何てことは無いと笑う白い太刀の笑みに釣られて笑みを浮かべれば、金の瞳は穏やかに微笑む。
「それにしても、主の部屋も端末も駄目となると次は厨か。俺はともかく人の子は食べなけりゃなあ」
ふうむ、と柳眉を潜めて神妙な顔付きをされれば、答えるようにお腹がくうと小さくなって顔と耳に熱がこもる。
そっと横目で伺えば、腕組みをして唸っていた相手はきょとんと金色の瞳を丸くしてこちらを見下ろしていた。
「こいつは急がないといけないな」
「あ、いや、まだ大丈夫で」
「ちょっと大人しくしててくれよ」
「いえあのお構いな、あああぁあぁぁ」
私の嘆きが暗い廊下にこだまする。
一声掛けたからなとばかりにひょいと身をかがめたかと思えば、いともたやすく片腕に抱え上げられそのまま廊下を疾走しだした。足袋をはいているとはいえ、音も立てずに軽やかに駆け抜けていく視界で、廊下を何度か曲がり幾つかの部屋を過ぎて、そして急停止する。
「んー、俺はあまりここには立ち入らせてもらえなかったんだが」
よいしょ、と降ろされたのは何故か作業台の上だ。大人しくしててくれと言わんばかりに頭をぽんぽんと軽く撫でたかと思えば、片っ端から戸棚を開け始めた。
目を離すとどこかに行きそうだとでも思われているのかもしれない。刀剣男士用に設えられた台所の作業台は少し高めだが降りてくじくようなやわい足首はしていないと、よいしょと両手で縁を握って床に降りたらすかさず金色の瞳がこちらを射抜く。
「降りてもいいが、勝手にそこらに触れんでくれよ」
何が彼をそうさせるのか、ひどく過保護だ。
だが私だってそこまで守られる気は無いとばかりに無視して、彼のいる場所とは反対側の壁に近寄って戸棚を開ける。
「あ、おい」
「大丈夫ですよ」
何かあれば札が発動するはずだと、パタンと開けては閉め開けては閉めと中身を改めていれば、鶴丸国永は溜息ひとつついて「危ないと思ったら絶対に触るなよ」と念押ししてからまた黙々と作業に戻る。
結果、目に入る棚にはお茶の入った缶と少量の米と酒の瓶しか見つからなかった。
生ものは無いだろうと思ったが、もう少し保存食があっても良いじゃないか。
ひとまず折角見つけたのだ。お茶でも入れようと見つけたやかんに水を溜めてコンロの火を付けた。
「な!危ないだろう!!!」
「えっ!!?いや、ただお湯を沸かすだけですって」
火をつけるパチッという音に過敏に反応した鶴丸国永によって、一瞬の内にコンロから遠ざけられてしまったが、幸いやかんからは手を離していたので、持ち上げられた瞬間に水を盛大にぶちまけることはなかった。
猫の子を持ち上げるように両手でひょいと持たれていたために、視界が高い。ついでになにか棚の上に無いかと見渡せばちょうど真横の棚の上に籠が置いてあった。
何か入っているなとひょいと手を伸ばす。
「ひっ」
ガラス瓶のように見えたそれを片手で持ち上げれば、中に沈んでいたものに驚いて手から取り落してしまった。あっと思うまもなく、鶴丸国永の耳元を微かに掠めたガラスの瓶は床にぶつかって甲高い音を立てて割れた。
ぶちまけられたのは鮮やかなまでに赤い液体と、割れたガラスの破片の中からころりと転がり出たのは人の指ほどの丸々と太った芋虫だった。
2021.4.15
Background & Icon by ヒバナ