終わりは、始まりの予感を伴って END
一
「っアリス?!君は、何を・・っ」
「止めても無駄よ」
ナイトメアによって、何度かジョーカーに捕まることを避けられたのは幸運だった。
そのおかげで、時間を稼ぐことが出来たのだから。
膨大な量の本を読み、部屋中を紙の束で埋めた。
定理を頭の中に詰め込んで、思い描く式にたどり着かせるために、あらゆる記号と文字を書き連ねた。
どれだけの数式を書き連ねただろう。
ペンを何本も消費して、この手首は震えが収まらなくなるほどになった。
今も少し痙攣している。
だが、これで最後だ。
「まさか、君はこの瞬間を待っていたというの?」
「・・・・・」
「こうなることが、分かって・・」
「そうね。・・・・ここに、この瞬間に連れて来てくれた事には感謝しているわ」
そちらをちらとも見ずに、頭の中から膨大な数式を引きずり出していく。
慌てたように駆け寄ろうとするジョーカーの前に、影が立ち上がった。
「・・・来たのね」
横目だけちらとそちらに向ければ、同じように横顔だけを向けてにっこりと、いつものように中身の無い笑顔を浮かべる。
看守の服でも処刑人の服でもない、それは赤い騎士の服。
「処刑人のくせに、また邪魔をするのか・・エース!」
「ああ、もちろんするさ。もう一人のジョーカーさんと違って、俺はジョーカーさんが大嫌いだから!」
あははは、と高らかに笑って腰に佩いた長剣をずるりと抜き出す。
ガチャリと鳴く重い音とは裏腹に、軽々とそれを片手で相手のほうへと向けた。
まるで握手をするかのように、真っ直ぐに。
「彼女の邪魔は、させないぜ?」
「何を言っているの、君はこっちの側なはずだろう?それに、彼女が行おうとしていることは、君の大事なユリウスに関することじゃないか。・・・勝手なことをされて良いの?」
向けられる刃を警戒しながらも説得を試みるジョーカーに、エースは乾いた笑いを返した。
「ああ、そうだ、ユリウスのことだ。だからジョーカーさんには手出しをして欲しくなんてない」
「君が全てを投げ打って、・・・ユリウスにもあんな無体を強いたのに、まだそんなことを言うのか」
聞き分けのない子どもに対するように、ジョーカーがあざ笑う。
そのことにはエースは何も返さなかった。
沈黙が草原を揺らしていく。
「それともその子が何をしようとしているのか、分からないのかな?ああそうだよね、君はユリウスと違って頭はそんなに・・」
「ジョーカーさんに、ユリウスを語られるのはすごく・・・気持ちが悪くて反吐が出そうだ」
遮るような明るい声が言い切るか否か。
ザッと草を蹴る音と、ザシュっと何かを切り裂く音。
数秒送れてジョーカーのうめき声が被さる。
「・・・あの子が、失敗したら・・どうすr」
「そうだな・・・その時は、その時だ」
そう。
失敗したら、死しかない。
その死が、エースによってもたらされるものなのか、それともこの世界の理からもたらされるものなのか。
それは見えない。
「・・・・・っ・」
書いて、書いて、書いて、埋め尽くす。
凍りついた湖の上にしゃがみ込んで、指を動かし続ける。
刃で切った指先から止め処なく、赤い血が滴り落ちていく。
ここにはペンを持って来れないから。
血が固まって止まり始めるのと同時に、クリスタルの鋭い切っ先で新たな傷を刻む。
溢れ出る血に、続きを書けるとただ安堵する。
冷えて張り付きそうな湖の表面を滑らせていた指先にはもう何の感覚もない。
ただの棒のようだ。
そう、ただの赤いインクを垂らし続ける、これはペンだ。
「・・アリス」
その手を後ろからふわりと握られる。
握った手は灰色の手袋をしていたのが、黒に見えるほど赤に染まっている。
ジョーカーは殺してしまったのだろうか。
いや、今はそんな余計なことを考えている余裕はない。
端から書き上げた数式は、歪みながら湖の真ん中へと達していくところだった。
「絶対に、成功させてみせる」
「・・・うん。見せてよ」
見せて、君の描くその世界を。
ユリウスが笑っている世界。
そうであるなら、もう何も言わない。
穏やかな声。
汽車の中で確かにあったはずの彼の過去を、まるで他人のように眺めていた時と同じ静かな声音。
「・・・・あなたもよ」
「え・・?」
指先にクリスタルの鋭い先を突き刺す。
痛みを微かに感じる。
でも背後に立って肩を抱いている男が抱えるほどの痛みじゃない。
痛みも積み重なっていけば、何も感じなくなるだろう。
痛みさえも虚ろにしたエースの、それでも暖かい体温を感じる。
「・・・・一人では、笑えないのよ」
「・・・・・」
人は一人では笑えない。
誰かがいるから、笑うのだ。
「これで、・・・・最後」
頭の中、記憶の中で積み重なった紙の山の、一番上に書かれた文字列。
一文字も書き忘れが無いように、書き損じが無いように、殊更に丁寧に。
そして、指先をそっと湖の表面から離した。
「・・・終わったんだ?」
「ええ、始まりよ」
エースの赤い血のような瞳を見つめる。
一瞬、きょとんと見開かれたそれが、三日月のように淡く歪む。
ふと、眼前が暗くなった。
・・チュ。
「・・・!?」
びっくりして、キスされた額を手で覆った。
この騎士にして、あるまじき可愛らしい戯れ。
ありえないと驚愕して見つめ返す間にも、顔に血の気が上ってくる。
「なっ・・な、な」
「何でかな。・・・こうしたくなったんだ」
親愛を込めて、と穏やかな声を聞かせてくる。
書き上げたばかりの数式の上に倒れこみそうな気分だ。
慌てて体を支えた手の下で、ピシリと鈍い音がした。
「!!」
「・・・離れたほうが、良い」
さっと立ち上がったエースが手を差し伸べてくる。
その手の平に自分の手を預けて立ち上がろうとした。
分厚い氷が張ったような湖の表面に亀裂が走って、一気に砕け散る。
急に足元が崩れ落ちて、エースの手を掴み損ねた。
「!!!・・・アリスっ!」
エースの乗った部分の氷は無事だ。
数式を粉々にして、亀裂は私の体だけを飲み込んだ。
驚いて吐き出した気泡は、水に落ちた衝撃で巻き上がる水泡に紛れていく。
高い金属音を 打ち鳴らしたように、クワンと全身に響き渡る。
それは音ではなく、冷たさだった。
どこまでも鋭く身の内を穿ち体がしびれていく。
輪郭が、おぼろげになっていく。
(・・・失敗してしまったのかしら)
息も出来ない中をただ沈みながら、ぼんやりと思う。
自分の苦労もエースの助けも、まさに全てが水の泡ということだろうか。
体の周囲を、氷の破片が共に沈んでいく。
血で書いた数式がその表面で光るように揺れている。
(・・・?)
ここが水中なら血など流されてしまうはず。
ましてや自分の流した、ただの血が光るわけが無い。
(なるほど・・・答え合わせは、これからなのね)
くるりくるりと数式が光る。
破片だけを足元の闇の底へ落として、いつしか周囲を淡い朱色が飛び回っていた。
無言でそれを見つめる。
肺が押しつぶされそうな息苦しさに、目の前が光とは別に赤く染まっていく。
自分という存在はここで消え去るのだろうか。
この世界が出す答え、結果が見たくないはずがない。
だが自分の選択すべきこの瞬間を勝負の場にしたのは自分だ。
私は、私自身の選択は何もしなかった。
ならばその行き先は、無に等しい。
私のために用意されたもの、全てをつぎ込んだ。
引き換えに、失われても、良い。
「あ、あれ?」
「?・・何だ、どうした・・エース」
扉を開けて、ユリウスのいる部屋に駆け込んだ。
机に向かっていたユリウスは、顔を上げてこちらを見る。
「あ・・いや、何でもない」
不思議そうに見られて、エースは取り合えず笑い返した。
僅かに首を傾げていたユリウスも、それ以上エースが何も言わないのでまた机上に目線を落とした。
「変な奴だな。・・ああ、そこの戸棚に菓子が入っている」
「お、やったー!さんきゅ、ユリウス」
外から帰ってきて、腹がぺこぺこだったこともお見通しらしい。
戸棚を開けてクッキーが入っている丸い缶を取り出して、ユリウスの隣に椅子を引っ張ってきて座る。
「今度は、何を書いているんだ?」
「・・・・ん?ああ、今度はな・・」
話しながらもユリウスの目線は机に置かれたノートから離れない。
手に持った万年筆は、少し几帳面な字をさらさらと書き続けている。
見る間に、紙はインクで埋め尽くされた。
「・・・あ」
ユリウスが書く文字、インクは黒のはずだ。
だがそれが一瞬、真っ赤に染まった気がした。
パチパチと瞬きを繰り返す。
今のは、一体なんだったのか。
もう何度目を凝らして見ても、インクの色はやはり黒にしか見えない。
「・・・・・」
何か、ひどく大切なことを忘れている気がする。
そう。
何かが物足りない。
手の中のクッキーの入った缶を眺めて、そして部屋の中を眺めた。
「おい・・さっきから、そわそわしてどうした」
万年筆を動かす手を止めて、ユリウスが訝しげにこちらを見ている。
ユリウスは、ここにいる。
では他に何が足りないというのだろうか。
ユリウスは、ここにいるのに。
「ごめん、ユリウスっ」
「!?・・お、おい、何だいきなりっ」
クッキーの缶をその手に押し付けて、椅子を蹴倒す勢いで立ち上がる。
部屋の中のあちこちを見て回って、そこが自分とユリウスの部屋で、二人の持ち物しか無いことを見て回る。
だが、他にも何かがあるような気がしていた。
「・・・・・っ」
あって欲しい、と願っていた。
何か、二人のものではないものが、この部屋にあって欲しかった。
大好きなユリウスと暮らしている、二人の部屋。
間違いなんてない、これが正解で・・・間違ってなんかない。
「ない・・はずなのに」
何でだか、喪失感を感じている。
意味も無く苛立って来る。
「何か、あったのか?」
静かに立ち上がったユリウスが、真剣な顔をしてこちらを見ている。
心配をさせている。
「話なら聞いてやるから」
取り合えず落ち着けと、また椅子に座らされた。
書くときだけ付けている眼鏡を外して机の上に置いてから、こちらを向いて腕と足を組む。
さあ、話してみろと声に出さずに言われて、エースは言葉を探して目を瞑った。
「・・・あの、さ」
「・・・・・」
「最初に言っておくけど、変なこと言ってごめん」
「・・なんだそれは」
「いや、俺も良く分からないんだ・・・だけど、何か」
「・・・・・」
「何か違うような気がしてるんだ。・・・俺たち、最近ずっとこうだよな」
「お前のいう最近がいつのことかは良く分からないが、特に真新しいものは無いな・・・この世界では、そうおかしなことじゃないだろう」
溜息を織り交ぜつつ、相槌を打つ。
ユリウスの組んだ足元に視線を落とす。
「・・・ずっと、俺がユリウスに連れてこられたときから、ずっと・・」
「・・・・・」
「なのに、何か間違っているような気がしているんだ」
「・・・・どういうことだ」
「ここに・・いや、俺たち以外に、誰かがいなかったか?」
「この部屋にか?いない、誰も呼んではいないしな」
眉根を寄せてきっぱりと言いきる。
そうしてユリウスの口は閉ざされようとして、途中で止まった。
エースの方を向いていた青い瞳が、ふと横に滑って斜め上の方を向いた。
「・・・ユリウス?」
ぼんやりと、部屋の隅を見ているようなユリウスに、おそるおそる声をかける。
その焦点がふっと合って、視線がゆっくりと降りてくる。
「・・・違う・・いや、・・そうだな」
「???」
何を否定して、何を肯定しているのかよく分からない。
ユリウスはそっと瞳を閉じた。
開かれたそこには、真夜中の海のような静かな瞳がある。
「私も、何か・・違うことをしていたような気がした」
「ユリウスが・・?違うことって・・」
「そうだな、もっと・・寝食を忘れて何かに没頭していたような気がする」
「・・・それ、今と何も変わらないぜ、ユリウス」
呆れたように言えば、ユリウスの顔が険しくなる。
「・・違う」
「・・・・・」
二人して黙り込む。
こうしてきたはずなのに、何か違うものが混ざりこんでいる。
別の記憶が混ざっているかのように、違和感が胸を締め付ける。
胸を・・・心臓では無くなった、時計のある位置。
服の上から、無意識にそこをぎゅっと握りこんだ。
どこかで、懐かしいその心音を聞いた気がした。
カチリ。
大きな針が動いて、長針と短針が重なり合う音。
はっと、目を見開いた。
腰に佩いた長剣の形が、ぐにゃりと歪む。
ユリウスの目が見開かれる。
お互いにその瞳の中に答えを見つけて、口を開いた。
「あいつはどこだ・・?」
「君はどこにいったんだ・・?」
そよりと、風が撫でる。
違う。
頬に触れている何かが、さらりと頬を撫で上げているのだ。
心地よい眠りについていたというのに。
そこは冷たく暗くても、静けさに包まれた眠りの底。
「・・・、・・」
起きたくない。
寝ていたい。
起きては、いけない・・・。
「・・・ス、・・ア・・」
頬を撫でていたものは、頬を包み込んで軽く力が込められる。
何かを言っているみたい。
でも、何も聞こえない。
もし動かすことが出来るなら、両手で耳を塞いでしまいたい。
・・・ちゃんと、自分の両腕が存在するなら。
「起きないのか?・・・へえ、そっか」
頬を包み込んでいたものが、さらりと顎を伝って首筋を這っていく。
くすぐったさと、その動きにぴくりと動いてしまう。
その振動が伝わって、腕も手もあることに気が付いた。
呼んでいた誰かの微笑を、耳元に感じる。
くすぐったい。
「まったく・・君は頑固だよな」
くすくすと笑うその声に、にやにやとした顔がぼんやりと浮かんでくる。
「あ・・・エー・・」
エース・・・?と、そう呟こうとする前に。
さわり。
「・・っ!!?・・・エ・・ん、んっ」
首筋を撫でていた手が体の上を這って、胸元へ。
柔らかく包み込まれて、力を込められて驚いて声を上げようとした。
塞がれている。
生暖かく柔らかい感触に包まれて、上げようとした声は吸い取られてしまった。
今度こそぱっちりと目が開いた。
暗い、そう思ったが違う。
外界を遮るように茶色の髪が顔の上に垂れ下がって、細められた赤い瞳がその中でこちらを見ている。
ク、チュ
「っ!!!?!」
唇の上にぬめった感触が触れて、今度こそ弾かれたように起き上がって、転がるようにその場を離れた。
「なっ・・なな、な、何してんのよエース!!!!」
乱れかけたエプロンドレスをかき集めて、真っ赤になって叫ぶ。
にこにこと笑ってこちらをみているのはエースだ。
「何って、眠り姫には目覚めのキスだろう。ああ、ごめんごめん、俺は王子じゃなくて騎士だったや!」
あはははっと笑う相手を、何してくれてるのよと睨みつける。
「起こしてなんて、頼んでないわよ!」
「・・・・・」
キスで起こせなんて誰が頼むものかと怒鳴りつければ、エースは口を閉ざす。
急に気配が変わる。
真っ直ぐな赤い瞳がこちらを見ていて、訳も分からず取り合えず見つめ返す。
一拍置いて、エースは静かに口を開いた。
「起こすよ」
「・・・・・」
エースのこんな真剣な顔なんて、見たことあっただろうか。
いつも時計塔で胡散臭い笑みを振りまいているばかりだ。
いつも、そうだったはずだ。
「あ・・・・あ、あ!」
違う、それはもう超えてしまった過去のことだった。
その後に起きた目まぐるしい変化、引越し、そして別の時間軸へのまた引越しが起こって、自分は。
「・・・起こさないわけが、無いだろう」
「そんな、え・・じゃあここは・・」
見渡せばそこは、時計塔の最上階の展望台。
足元は石の床、辺りは夕方の時間帯が朱に染めている。
愕然として、目の前に立つエースを見つめる。
失敗、したのだろうか。
エースの瞳には何も浮かんでは居ない。
ああ、なんていうことだろう。
ユリウスに会って彼を失うことを避けられたなら、こんな瞳ではなくもっと安らいだ瞳をしていておかしくはない。
なら、やはり。
「エース・・・ごめんなさい」
うな垂れた。
結局どうすることも出来なかったのだ。
そして、ここにエースといるということは、自分はエースに殺されるのだろうか。
だが、それでももう構わない。
この世界に反旗を翻すような、謀反を起こすようなことをした。
自分は罪人へと堕ちたのだろうか。
「・・・謝るのは、エースの方だろう」
カツリと、足音が響く。
展望台の石壁の縁に寄りかかるように立ち上がった、赤いエースの目線を辿って振り向く。
風が藍色の長い髪を揺らして、巻き上げている。
「・・・・・ユリウス」
分からない。
それ以上の言葉が出てこない。
口を開いたまま、近づいてくるその姿を見上げる。
怒ったように眉根を寄せて、近づいてしゃがみ込んで目を合わせてくる。
「・・・馬鹿者め」
低い声にびくりと肩を竦める。
海のように青い眼差しの中で、雷のような光が走った気がした。
目をぎゅっと瞑る。
「お前は・・馬鹿だ」
ふわり。
重みとぬくもりに包まれる。
そっと目を開ければ、ベスト姿のユリウスが心底呆れたような顔でこちらを見ていた。
体を覆うように掛けられた黒いコートは、ユリウスのもの。
大きなコートにすっぽりと包まれる。
「エース!!!」
耳元でユリウスが叫んで、またびくっと首を竦めた。
「ユリウスが来るの遅かったのが悪いんだろう?」
「お前が汽車を迷わせようとしたからだろうが!!」
「ふうん、そこに怒っているんだ?ユリウス・・本当は違うんじゃないか?」
「・・っ」
ぐっと詰まったようにユリウスは黙り込む。
それを見てエースは、ははははっと楽しげに笑っている。
「あははっ・・ユリウスってば、本当に正直だよな」
「・・・黙れ、エース」
「いやあ、王子様の役目を譲ってあげなくて、ごめん」
「!!!」
蚊帳の外のように二人のやり取りをぽかんと見ていれば、ふっとエースがこちらを見て言った。
王子様。
眠り姫に目覚めを促す、王子様。
エースの言っていることが分かって、ぐわっと顔に血の気が上る。
ちらと横目でユリウスを見れば、その瞬間こちらを見た相手とバッチリ目が合ってしまう。
「っ~~~~!!!」
穴があったら入りたいくらいに、恥ずかしさが半端無い。
エースにキスされてしまったことを、謝るべきだろうか。
いや、それも何だかおかしい気もする。
「・・・・エース」
思ったより、暗い声音が出た。
「ん?何何?あ、気持ちよかったとか?君が望むなら、続きも・・」
パンッ
「・・・・・」
「あっ、ぶないな、ユリウスひどいぜ」
ごおごおと何かが周囲で吹き荒れているような錯覚を感じる。
見えなくとも、真横に居る自分は寒気で肌が総毛立ってしまった。
ユリウスを中心に、ブリザードが巻き起こっているようだ。
「・・・途中で引きずり落としてやるべきだったな」
「え?汽車から?そんなことされたら俺、迷って戻って来れなくなっちゃうぜ」
いつの間にかユリウスが銃を構えている。
エースの脇の柱には銃弾が打ち込まれてひびが入っていた。
「ちょ、ちょっと」
慌てて止める前に、エースが剣を腰から抜いて構えた。
無表情でユリウスが撃つ銃弾を楽しそうに剣先で弾いている。
「何だよユリウス。鍛錬したかったならそうはっきり言ってくれれば良いのに」
「お前と鍛錬などしている時間は無い」
そう言いながら、エースに向けての発砲は止めない。
耳元で銃声が響き続ければ、どうしていきなりこんなことになっているのか良く分からない頭も、考えることを止めたいぐらいに軽い頭痛を感じる。
「・・・・・」
額に手を当てて俯く。
自分の下げた頭で出来た影に、更に影がかぶって頭上が暗くなった。
少し顔を上げれば、心配そうな顔と愉しげな顔がこちらを覗きこんでいる。
いつの間にやら銃声は止んでいた。
「・・おい、大丈夫か」
「・・・・・」
「アリス」
エースに腕を掴まれてぐいっと体を引っ張り上げられる。
驚く間もなくそのまま腰元を抱き上げられて、地面から足が浮いた。
「やっ何?!エースっ?!」
悲鳴を上げてその肩に伸ばした手も届かないほど、高く持ち上げられる。
まるで小さい子になったかのように高い高いをされて、どんだけ力持ちなのよと睨むように下を見下ろせば、エースは笑っていた。
陽だまりのように、和やかに笑うエースの笑顔から目が離せない。
「君ってば、本当に・・まいったぜ」
「・・・ここは、どうして・・あの後どうなったの?」
眼前に見下ろすエースと、その傍で仏頂面で腕組みをしているユリウス。
二人して時計塔の展望台の上にいるということは、ここはハートの国なのだろうか。
ダイヤの国で見たエースとユリウスの過去。
エースが死人となったユリウスを、最後の一人になったとしても消えずこの世界に繋ぎとめるために選んだ役人という道。
それらをひっくり返す賭けに出た、はずだ。
ユリウスが死人となる要素を取り除き、エースが別の時間軸のユリウスを殺してまで、二人が役人となる道を選ぶことの無いように、湖の氷の上に数式を書き連ねた。
「・・・・・」
見下ろした自分の指先は、クリスタルで何度も裂いた傷跡も何も無い。
「失敗なんて、してないぜ」
「・・え?」
抱え上げているエースが明るく声を上げる。
「君は失敗なんてしていない」
「でも・・何も変わってない、ユリウスも・・」
ただ、ハートの国に戻ってきてしまっただけで、世界は何も変わっていないように見える。
ユリウスの耳と胸元から下がる時計が、その役割を告げている。
「間違いなんてない、これが答えだ。君と俺と・・そしてユリウスの正解だ」
エースの見上げる瞳が、赤くやわらかく和む。
動揺してさ迷う瞳が、横で見上げるユリウスの瞳と合う。
ユリウスは小さく頷いた。
「だって君は、この時間の俺たちと会ったんだ」
「・・・エース」
「君の式がどういうものだったのか俺には良く分からなかったけど、君ってば本当に天才なんだなっ」
言うな否や、ぐるぐると振り回される。
抱えられたまますごい勢いで振り回されて足が浮く。
「ちょ、それってどういう・・・エース!!いい加減下ろしてちょうだい」
「あははっ、もうちょっとだけ!」
恐怖で顔が青ざめた。
ここは高い時計塔の上だ。
振り回されてその手を離されたら、遠心力で飛んでいってしまいそうだ。
・・・展望台の外へ。
しゃれにならない。
「・・エース」
本格的に悲鳴をあげ始めれば、溜息交じりのユリウスの声が聞こえてくる。
そちらを見たくともぐるぐる回る視界を下に向ければ、気持ちが悪くなりそうだ。
それでもどこら辺かにいるユリウスの、その青い色彩を視界の中で捜し求めれば、不意に体がふっと後方に引き寄せられるように感じる。
「!!?!」
驚愕に声も出ないまま手を前方に伸ばすが、エースは手を離した姿勢のまま笑っている。
ボスンと背に何かが当たった。
振り向く前に、後ろから伸びた手が受け止めるように前に回される。
顔の脇を、風にあおられた藍色の髪が流れていく。
後頭部が当たる胸元から、カチコチと規則的な時計の音が聞こえる。
「大丈夫か」
ぶっきらぼうな低い声。
耳と、それと押し付けてしまった背中から直接響くその声が、とても近くて それだけで切ない気持ちになる。
「ユリウス・・」
「お前は、本当に大馬鹿者だ。・・湖の底に沈んだなどと聞かされて、私は生きた心地がしなかった」
ぐっと抱き寄せられる。
耳元に囁くように落とされた声は掠れて震えている。
「どれだけ探させたと思っている」
「・・・ごめんなさい・・でも」
「もう、そんな無茶は絶対にするな」
「・・・・・」
しない、とは言えなかった。
もし同じ選択を迫られたなら、何も躊躇せずに同じことをするだろう。
答えないことにじれたように、胸の下で組んだ両手に力がこもる。
「私なんかのために自分の道を捻じ曲げるな。そんなことをする馬鹿は一人で十分だ」
視線を向けた先で、エースはにっこりと笑っている。
「それに、な」
「・・・?」
「どうやら・・私はもう死人ではないらしい」
「っ!!?」
驚いて見上げようとする前にくるりと体を反転させられて、前からぎゅっと抱きしめられる。
されるがままにじっと顔を埋めていれば、ユリウスの両腕に力がこもる。
「だから・・・もう馬鹿な真似はするな」
ぐっと一瞬込められた腕の力がふっと抜けて、腰の後ろと背中を支えるように移動する。
促されるように、少し仰け反るようにして見上げれば、藍色の静かな瞳に見下ろされていた。
「分かったな」
言って、後はもう返事も聞かずに降りてくる口付けを、目を閉じて受け止める。
啄ばんで、離れる。
額にまた舞い降りる。
「なあ二人とも、俺も混ぜてくれよ」
「!?なっ」
「?!!」
エースは剣に顎をのせてしゃがみ込み、にやにやとこちらを見ている。
「俺もここが家になるんだしさ。な、いいだろ?」
「は?お前何を・・」
「よ、よくないわよ!!」
言ってから、その言葉を反芻して改めてエースの方を見る。
にやけたその顔はともかく、服装だ。
「ここが家って・・どういうこと?」
いつも目に痛い、ハートの騎士の服装ではない。
今着ているのは赤いコートを脱いだ黒い上下だけだ。
首を傾げれば、エースはにこにこと近寄ってきた。
「君が、この世界の数字の流れを変えたからかな」
「・・・?」
「俺は、もうハートの城の所属じゃないんだ」
「・・・・・」
どういうことかと見上げれば、ユリウスの眉間にくっきりと皺が寄っている。
「お前まで住まわせる場所は無い・・・野宿でもしていろ」
「ええ、ひっどいなあユリウス。今の俺は時計塔所属の、時計の番人の守護者、なのに」
「え?番人の守護者・・?」
驚いて二人の顔を見つめる。
ユリウスはむっつりと黙って、嫌そうに視線をあさっての方向にそらしているが、エースはうんうんと嬉しそうに笑っている。
「そうなんだ。つまり、ユリウス専属の、騎士って感じかな」
「専属の犬なんぞ、いらん」
「ええー。でもこれで仕事の指示がすぐ出せるぜ?」
「どうせ、そこらをほっつき歩いて、任せる仕事がある時に限っていないのだろう」
言い合う二人は今までどおりで、見た目にはあまり変わりは無い。
エースが赤いコートを着ていないのは、そういうことだったようだ。
「赤いコートも見慣れてしまっていたけど・・じゃあ別のコートを着るの?」
「黒は重たそうで好きじゃないんだけどなあ」
「お前と同じ色のコートなんて、私だってごめんだ」
「・・・じゃあ、水色か灰色とか?」
ダイヤの国のエースの格好を思い出して、別のコートを着るエースのことをあれやこれやと考える。
ユリウスは嫌そうだが、エースがユリウスの傍にいられるようになったなんて、喜ばしいことだ。
クローバーの時のように引越しでそれぞれの領土が離れて、エースが焦燥に荒れることは無くなる。
居候でもなく所属になったのなら、私のように弾かれることも無いだろう。
「んー、でもなあ」
「どうしたの、エース」
「やっぱり、3人で寝るにはあのベッドは狭いだろ?他に部屋を作って、そうしたらキングサイズのベッドを買って来よう、うん、そうしよう」
「え?!」
「じゃあ、俺は先に町に行ってベッドを探してくるから、ユリウスは部屋、よろしくな!」
「おい、誰がそんなことを・・・待て!!」
ひらひらとエースは手を振りながら展望台の入り口へと向かい、慌てたようにユリウスが後を追いかけて行く。
そして入り口脇でエースが振り向いた。
「アリス、君も行くだろう?」
笑顔のエースとエースに追いついたしかめっ面のユリウス。
着いていってもいいものかと躊躇していれば、少し怒ったように踵を返して大股で近づいてきたユリウスに手を取られる。
「ああもう、お前も来い」
笑顔でエースに手招きをされて、繋がれた手に引かれてアリスも堪え切れない笑みを浮かべて歩き出した。
◆アトガキ
2013.8.18
えっと、初期設定が途中でどこかにぶっ飛んでしまいました。
途中、あれこれグレアリ?と思った方、すいません。
・・・ユリアリです!
ちなみにENDだけタイトルが違うのは、書き間違えたのではなく意図的に、です。
自分の頭は良くないくせに、こんな話を書こうとしたからでしょうか。
物理とか数式とか、本当に分かりません。
憶測で書くなよ、曖昧すぎるだろと思った方、ごめんなさい!
何と言う、雰囲気小説。
良く分からないけれど勢いで書いてしまいました、でも自分は結構満足です! ←
ネタとしては、最近ある魔法少女アニメを1~10話見てしまった影響もかなり大きいです。
あのエンディングソングとか、黄色い方のテーマソングとか好きです。
ミラーで語られる、エースとユリウスの過去話は衝撃的でした。
ダイヤの段階ではエースはそんなこと言わなかったし、死人もジェリコしか取り上げてなかったのに、まさかユリウス・・・!という気持ちでいっぱいです。
ダイヤでは一緒だったエースを遠ざけたのも、そういった理由があるからで。
でも大人のエースからすれば、ミラーのエースも駄目だと言う事で。
何だよ、それならこんなところに居ないでハートの国のユリウスの元にちゃんといてくれよ、エース!といった気分です。
ハートの国のユリウスは、エースが違う軸のエースで、その軸の自分が死んでしまっていることと、それが理由で自分が今時計屋となっていることを知っているのでしょうか。
ミラーのユリウスは、「誰かが自分を時計屋にしたのだから、そいつのためにもこの役割を果たす」といったようなことを言っていたと思うので、知らないのかなとは思うのですが・・・。
それから、・・・ハートの国の軸には元々エースはいたのかどうか、など。
いたのなら、まさか殺して成り代わった・・なんてこと考えたくは無いです。
・・・そして、大人のエースに自分の軸のユリウスを殺された、子どものエース。
この先、全く出てこないことも無さそうですよね、間違いなく関わってきそうで す。
とにもかくにも、ユリウスを殺されたエースの出した決意を、翻したくて書いてみたパロディでした。
ここまで、読んでいただきありがとうございました。