The chain not appearing was fragrant with roses.


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鳥の囀る音とさわやかな風が部屋に入ってきて、アリスは目を覚ました。


そこは屋敷の自室で、ぼおっとした頭のまま緩慢に上半身を起こす。
何か悪い夢を見ていたような気がした。
昼間の日差しを感じながら、自分はいつの間に寝ていたのだろうと考える。
起き上がって着替えていると、徐々に頭が覚醒していく。
と、同時にハッキリとその光景を思い出した。

エプロンドレスのエプロンをつけずに、青いワンピースだけで廊下を走り抜ける。

まさか。
いや、あれはただの悪夢だ。

自分に言い聞かせながら、ブラッドの部屋を目指して走る。
きっとアリスがこんなに息せき切って部屋に走りこんだら、いつもみたいに人の悪い笑みを浮かべてこちらを見て、「おやおや、こんな真昼間から、走ってまで私に会いにきてくれるとは」とか何とか言うに決まってる。
そしてエプロンも付け忘れたアリスをひとしきり眺めて、一人納得したようにうなずいて手招きをする。


「そんなに私に会いたがっていたとは知らず、ただいまの一言もなしに部屋に戻って悪かったな。なんせ、お嬢さんがあまりにも気持ちよさそうに寝ていると、部下に聞いたものでね」


でもたまには、帰りを待っていてくれてもいいじゃないかと詰るその瞳が、次第に妖しげな光を灯しはじめて。
不用意に近づいたアリスの腕に、白い手袋が絡み付いて、あっと思うまもなくブラッドの膝の上に、倒れこんでしまう。
覆いかぶさってくる黒い影の中、翠碧の瞳が暗く瞬いて、アリスの視界と思考がブラッドに染まる。


バタン!


開け放った屋敷の主の部屋。
ソファ、執務机とその姿を探すが、見当たらない。

そして、窓際の寝台の上。

悪夢がそこに横たわっていた。


「あ、アリス。大丈夫か?」


少々乱暴に部屋の扉を開けたため、その音を聞きつけてやってきたようだ。
エリオットが少し垂れ下がった耳を揺らし、こちらを窺うように見ながら部屋に入ってくる。


「私・・・」

「ブラッドが倒れたって聞いて駆けつけてきたんだろう?で、あんたも倒れたんだ」


大きな手がそっと頭に乗って、そのままやさしく頭を撫でられる。


「ブラッドは大丈夫だ。医者が、後は目を覚ますだけって言ってたからな」


そう言ってにっと笑いかけてくれる。
ブラッドの姿を見て倒れたアリスを気遣ってくれていると分かる。
それでも、いつもはピンとしているその両耳が、今は萎れているから、エリオットも不安で仕方がないらしい。
思わず暗くなりかけた思考を吹き飛ばすため、アリスは自分の両頬を思い切り叩いた。
ピシャリと響く痛みを伴った音に、エリオットの目が真ん丸くなる。
その顔を見て、アリスはやっと少し笑った。


「目が覚めたら、散々文句を言ってやればいいんだわ」


そして心配させた分だけ、その頬にもお見舞いしてやるんだからと息巻くアリスの、その赤くなった頬を見て、エリオットも今度は本物の笑顔を見せた。


--------------+**


それからは慌しい日々が続いた。


エリオットの指示で、ブラッドが負傷したその場にいたものは、ファミリーを除き、全て闇に葬られた。
一般人の目撃者もいたようだったが、帽子屋ファミリーというマフィアのトップが負傷したという噂がたつ方が、非常にまずいからということだった。
アリスはそのことを知っても、何も言わず口をつぐんだ。
顔も知らない街の人よりも、今は屋敷のみんなと、何よりもブラッドが大切だ。
その順番はどうあっても変えられない。


トップ不在を隠し通すために、ブラッドの分も休みなく奔走しているエリオットや、その部下である幹部たちが慌しく屋敷を出入りしている。
その騒がしさからは遠く、むしろ何事もないような平穏を保つ、静かなブラッドの部屋で、アリスはかいがいしく意識のないブラッドの世話をしていた。


着替えさせて、出来る範囲で体を拭いて、シーツを取り替えて。
その必要がないと分かっていても、何もせずにただ目覚めるのを待つだけなんて、到底無理だった。


その他にも、構成員たちの食事作りも手伝うし、今まで通り使用人たちと共に屋敷の掃除洗濯もする。
いつブラッドが起きてきてもいいように、良い茶葉とそれに合う茶菓子も取り寄せる。
ティーセットを、曇りひとつなくピカピカに磨き上げる。
いつも着ている、おかしなジャケットやおかしなシルクハットや高価な革靴の手入れも、かかさずに。


とにかく体をうごかしていないとやっていられなかった。


「お姉さん、休んだ方がいいよ」

「僕たち、ちゃんと働くから。お姉さんは休んでよ」


廊下で会ったディーとダムが、おかしなことを口々に言う。


「僕たち子供だから、休まなくてもまだまだ元気だし」

「そうだよ、お姉さん。給料が出ない・・のはあれだから、えっと少なめでも構わないから、残業もしたい気分だし」


こちらを見上げて、何故か悲痛な顔をしている。


「なあに、おかしな子たち。変なものでも食べたんじゃないわよね」


変な二人の変な言動に思わず笑みがこぼれて、そういえば最近あまり笑っていなかった気がするわ、とアリスはふと遠い目をした。
そんなアリスの状態に、双子はチラリと目を交し合う。
最近のアリスは無表情でただ黙々と仕事をしていた。
ブラッドの部屋から出てきたときには、たまに微笑をこぼしているのを見たという使用人の話も聞くが、それも何だか怖い。
何しろアリスの顔色は悪く、笑顔はおろか、ろくに眠ってもいなかった。


「お姉さん、ごめん」

「悪気は無いよ。先に謝っておくから許してね」


ぼおっとしていたアリスの耳に、少し低くなった双子の声が聞こえてくる。
はっと目の前に立つ大人になった双子に注意を向けた瞬間、アリスの視界は闇に包まれた。

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