グレイ兄さんと私


4::ハッピーバレンタイン!





赤やピンク、そして茶色の広告が溢れるこのころ。
グレイはそんな町並みに目もくれず、今日も今日とて真っ直ぐに妹の待つ我が家へと帰っていた。
帰宅ラッシュの人混みの中、疲労感のカケラも見せないすっと伸びた背筋や、やや硬質に見える整った顔立ちは、すれ違う女性たちの視線を存分に集めていたが、そのことに気が付くわけがない。
彼の頭の中を占めていたのは、携帯に届いていた、「グレイ兄さんへ。今日の夕飯はドリアです。冷めないうちに帰ってくるように!」という愛する妹からのメールだった。
思い出して、ふっと小さく笑う。
すれ違った女性が、偶然目撃した微笑を見て思わず頬を染めてしまったことにも、グレイはとんと気が付かなかった。



アリスはその頃、キッチンに後は焼くだけのドリアを並べて、その横で「基礎から作るお菓子作り」という本を熱心に読んでいた。
何を作ろうか早く決めてしまわなければ、もう日にちが無い。
簡単なクッキーやパウンドケーキはたまに作ることもあるので、もっと特別感があるものを。
トリュフは我ながら上手く出来たと去年作った時に思ったのだが、さすがに今年も同じものというわけにはいかない。
デコレーションケーキは作ってみたくもあるが、スポンジ生地を作るのが難しいと聞く。
失敗をしてしまった際に、やり直す時間はあるだろうか。
いや、失敗する懸念があるのならまた次の機会、もっと時間があるときにするべきだ。
バレンタインは、もう明後日に迫っていた。

「やっぱり、いつも見てる本じゃ選択肢が少なすぎるわよね。本屋で、新しい本を買わなきゃ・・・」

「アリス、ただいま」

「・・!?」

玄関から声が聞こえて、アリスは慌てて見ていたレシピ本を棚の中に押し込んで立ち上がった。
兄が帰ってきたことに全く気が付かず、ドリアはまだ焼き始めてすらいない。

「おかえりなさい、グレイ兄さん!でも駅に着いたら連絡してって、いつも言ってるのに・・・。まだこれから焼くから、もう少しかかるわ」

「気にしなくていい、アリス。楽しみに待っている」

返ってきたタイミングで、お腹がすいているだろう兄にすぐ夕飯を食べさせてあげたいと思っていたアリスは、連絡をちょうだいねと抗議をしながらも気落ちする。
そんなしょんぼりとしている妹に、ネクタイの結び目に長い指を入れて緩めながら、グレイは優しく笑った。
そしてシャツの襟元をくつろげながら、着替えてくるよと階段を上がっていく。
アリスは、急いで夕飯の支度を再開した。
ドリアの入った耐熱皿をトースターに入れスイッチを回し、冷蔵庫からポテトサラダを出して運び、フォークとスプーンとドリアを載せるプレートを、一緒にテーブルの上に並べる。
そしてトースターの前でドリアの焼き加減を見ながら、腕を組んで考え込む。

いつも、自慢の妹だと褒めてくれる兄さんは、自分で言うのもなんだが大分シスコンだと思う。
でも、文句無しに格好良いし優しい兄さんが好きな自分も、十分ブラコンだろう。
そんな兄さんはきっと、今年もいっぱい"義理"と言われて、たくさんのバレンタインチョコをもらうはずだ。

去年のことを思い出す。
甘いものが苦手だから、食べてくれと言ってかばんや手提げの袋から出してきたのは、職場の女性から貰ったと思われる「複数の」バレンタインのお菓子たち。
兄さんは、仕事の付き合いだと、もらったお菓子は全て義理チョコだと決め付けていたけれど。
あんな高価なブランドチョコ、しかも数個しか入っていない個包装を職場の男性一人ひとりにあげるわけがない。
売り物を包みなおしたんじゃないかって言うくらい良く出来た手作りのマドレーヌや、でこペンでハートが乱舞した手作りクッキーを義理として渡すなんて、同じ女性としてはありえない。
なんとなく、思わずむっとして、「もらったのは兄さんなんだから、ちゃんと全部食べてあげればいいんじゃない?」なんて冷たく返してしまったけれど、困った兄さんの顔を見て「食べられないなら、捨てちゃえば?」とまでは、とても口には出せなかった。
仕方ないという気分と、こうなったら兄さんじゃなくて私が全部食べちゃえばいいわ、と、結局は無理やりほぼ全部を食べてしまったせいで、一週間ほど胸焼けが続いた。
兄さんは心配してくれたけど、当分甘いものはいらないと思った、どうしようもなく苦い思い出だ。

それに負けないくらい、何か兄さんが喜びそうなものをあげたいのだけれど・・・。

「・・・アリス。アリス?ぼおっとしてるが、大丈夫か?」

「え・・・!」

不意に兄の声が聞こえてきて、慌ててトースターを開いて中を確認する。
幸い、少し焦げ目がついてちょうどいい具合に焼けたところだった。
ミトンをして取り出して、食卓に運べば夕飯の出来上がりだ。

「今日も美味しそうだな。ありがとう、いただきます」

「召し上がれ」

上手く出来たドリアは、昨日作ったリゾットの残りを応用したものだ。
ポテトサラダはまだ残ってるから、明日の朝食べるかお弁当に入れて持っていけるだろう。
そんなことを考えながら、スプーンを口に運ぶアリスに、ふと思い出したようにグレイが口を開く。

「アリス。悪いが、明日は帰りが遅くなりそうだ」

「夕飯はどうするの?残しておく?」

「ああ・・・いや、会社の新年会で食事も出るから、夕飯も取っておかなくていい」

「そう、分かったわ」

残業か、職場の人と新年会でもあるのだろうか。
でも、アリスにとっては時間に猶予が出来て嬉しい事態だ。
兄にあげるだけなのだから隠す必要もないのだが、むしろ兄にあげるからこその気恥ずかしさもある。
失敗する可能性もあるし、とにかく見られないうちに作りたいという気持ちがあった。
にっこりと頷いてまたドリアを食べだすアリスを、グレイは束の間じっと見つめていた。



「兄さん、先にお風呂入る?」

「いや、いいよ。お先にどうぞ」

じゃあ先に入るわね、とアリスはタオルと着替えを持ってリビングを出て行く。
その後ろ姿を見送ってから、グレイはしばし考えてから棚に並ぶ本に手をやった。
一冊だけ、無理やり収めようとして、はみ出している本がある。
自分が帰ってきたときに、アリスが慌ててしまった本だ。
隠そうとしたものを見ようとするなんて、趣味が悪いと思いつつもつい、気になって手にとってしまった。

「・・・基礎から作る、お菓子作り・・」

そういえば、街中が妙に赤やピンクのハートだらけで、洋菓子店もハート型のチョコレートを盛大に宣伝していた気がする。
そういえば、もうすぐバレンタインだったか。
腑に落ちて、と同時に、手に持ったお菓子作りのレシピ本を無言で眺めてしまう。
帰ってきた自分に知られぬようにか、慌てて本を棚にしまっていた、アリスのあの態度。
まさか。

「・・・・男・・か?」

呟く自分の声が思った以上に低いものになったが、胸のうちは更に暗く濁っていた。
もし、可愛い妹からそういう意味でチョコをもらう奴なんかがいたら、そいつの素行を一から十まで全て調べ上げて、粗を探してしまうだろう。
そしてその粗を理由に手を引かせる。
兄である自分の許可無く、妹の手作りのお菓子をもらうなんて図々しいにも程があるし、そもそも妹をそういう目で見ることすら、我慢ならない。
でも、可愛いアリスのことだ。
きっと本人の知らず知らずのうちに、異性の目を集めてしまっているかもしれない。
妹は恋愛に疎いから、まだ恋人関係になるなんていう事態には陥ってないが。

「いや・・・俺が知らないだけかもしれない・・」

こっそり付き合ってる奴がいるのだろうか。
妹の恋愛に首を突っ込めば、妹から嫌われてしまうかもしれない。
それなら、直接、手を下さなければ良い。
そういうことを専門的に調べてくれる機関ならいくらでもあるし、最悪ばれてしまっても、親のいない妹の行き先を心配しているのだと言いくるめれば、何とか許してくれるだろう。

「グレイ兄さん、お風呂どうぞ」

「・・・ああ」

何事も無かったかのように、位置も角度も同じように本を戻して、グレイは妹に向かって微笑んだ。



バレンタイン前日。
アリスは帰宅途中の本屋に寄って、プリンやチーズケーキのレシピ本を眺めていた。
甘さ控えめなお菓子を探しているが、あまりピンと来るものがない。
ほうじ茶で作るほろ苦いプリンも美味しそうだが、バレンタインにしては渋いだろうか。
普段作り用に覚えておいて、夕飯後のデザートに食べるのが良さそうだ。
料理本コーナーの前に陣取り、眉根を寄せてレシピ本を睨んでいたアリスの視界に、横からすっと別の本が入ってくる。
「珈琲タイムに添えるスイーツ」、お菓子のレシピ本だ。
びっくりしながらその本の持つ相手を見上げれば、茶髪に赤い瞳の青年と目が合った。

「これさ、今日新しく入った本なんだ」

「え、そ、そう・・・」

眩しいほどの爽やかな笑みだ。
例えて言うなら、クラスで人気者のサッカー部の男子というところだろうか。
・・・アリスのクラスにはそんな男子がいたことはなかったが、いわゆる王道のキャラクターだ。
にっこりと笑って、ほらと差し出してくるその本を拒めるはずもなく、アリスは無言で受け取った。
確かに表紙も可愛いし、何より兄は珈琲を良く飲むから、それに合うのなら文句はない。
パラパラとめくっていれば、甘いものが苦手な彼氏に贈る、というページが目に入る。
つい見入ってしまったアリスは、レシピ本を探すのに夢中になっているうちに外が大分暗くなっていたことに、やっと気が付いた。
材料を買って帰るためにスーパーにも寄らなければと、その本を持ってレジに向かう。
先ほど本を差し出してくれた、店員らしいエプロンをつけた青年は気が付けばどこかへ行ってしまって見当たらない。

「あの、茶髪の店員さんに、本を紹介してくれてありがとうございます、とお伝えください」

「・・・ああ」

レジに座っているいつもの髪の長い店長は今日も無愛想だったが、アリスの声はちゃんと聞いてくれたらしい。
藍色の瞳をちらと向けて、頷いてくれた。



帰りに材料を買って、うきうきと家に帰る。
じっくり見たレシピの中で迷った末に最終的に作ろうと決めたものは、柚子とヨーグルトのドーナツだ。
小さなマフィン型で作れば、職場のおやつとしても手軽に食べられるだろうし、爽やかな柑橘系の味は甘さ控えめでとっても美味しそうだった。
今日の夕飯は自分の分だけだからと後回しにして、さっさとお菓子作りに取り掛かった。
柚子のよい香りにうっとりしながら、薄力粉をふるって、溶かしたバターに砂糖と卵を割りいれて混ぜる。
ヨーグルトと柚子、それから薄力粉を少しずつ加えて、ヘラでさっくり混ぜ合わせていけば、綺麗なクリーム色の生地が出来た。
オーブンレンジを温めて、型に流し込んだ生地を焼き始めれば、あとは出来上がりを待つだけだ。
レンジの様子を見るためにキッチンに運んだ椅子に座れば、急に眠気が襲ってくる。
うつらうつらと船をこいでいたアリスは、次第に夢の世界へと引きずり込まれていった。



「グレイさんもどうぞ。たいしたものではないですが」

「あ、私もちょっと買ってきちゃったんです。みなさんも、どうぞ」

「ああ・・・ありがとう」

職場の新年会の席。
グレイは、同じ職場の女性から差し出されたチョコレート菓子を断れずに、笑顔で礼を言いながら受け取っていた。
どうやら、職場で配っていたあの個包装になっている市販のお菓子とは、別物らしい。
一人ひとりリボンの色が違うのも、手作り感があってかわいらしかった。
そう思って、中身の見えない茶色の袋を眺めていると、隣から肘でつつかれる。

「・・・なんだ?」

「お前の、中、見せてみろよ」

袋を指差して、にやにやと話し掛けてきたのは同期の男性だった。

「中身は同じなんだから、自分のを開ければいいんじゃないか」

「本当かあ?良いから、見せてみろって」

「お、おい・・」

わざわざ貰った本人のいる前で開けるというのも、今食べるわけでも無いし、今年も妹に食べてもらおうと思っている身としては、申し訳なさを感じる。
だと言うのに、隣の奴は人の袋のリボンをさっさとほどいて、中を見てしまった。

「!!お、やっぱ違うじゃないか」

配っている当の女性には気付かれぬように、男は自分の貰った袋とグレイが受け取った袋の中を、眼鏡の向こうの目を細めて、わざわざ見せてくる。
確かに、クッキーの個数や形が違うようだが、ほんの少しの違いだ。
そんなに目くじらをたてるような事だろうか。
文句を言う以前に、むしろ全員分作ってくれた彼女の労力を労わるべきだろう。

「出来たものから詰めていっただけだろう?折角作ってくれたんだ。もらっておいて文句を言える立場には無いだろう」

言えば、拗ねていたような顔を一変、こちらを見て呆れたような表情になる。

「分かってないな、お前さん・・・」

馬鹿にしたようにやれやれと首を竦める仕草に、グレイは「何がだ」と若干いらっとしつつ聞いてみたが、聞かれた男は途端に話したそうにニヤニヤし出したので、面倒になってその日はもう相手をしないことにした。




「アリス!アーリースっ起きてくださいよ!!」

眠いんだから、まだ寝かせていて欲しい。
話しかけてくる、少し高い男性の声から耳を遠ざけようと、顔を反対側へ向けた。
起きないアリスにじれたように、男の気配が近くなる。

「起きてくださらないんですか?もう、本当に困った人ですね」

困った人だと言うその声は、苦笑しつつも柔らかい。
許可した覚えも無いのに、勝手に髪をなでるその手がたまに頬にも触れてくる。
手袋、だろうか・・・?
さらさらとした、布の感触。
指先が頬をくすぐり、そして唇へと辿りつく。

「あなたなら寝たふりでも構いませんけど。それなら僕も、好きにさせてもらいます」

寝たふりじゃなくて、本当に眠いんだってば。
きゅっと眉根を寄せるアリスのその頬を、ふっと温かなぬくもりが掠めていく。
驚いてパチリと目を覚ませば。

・・・・ピーッピーッピーッ

オーブンレンジが、完成の合図を鳴らしていた。
甘酸っぱい香りがもれてきて、アリスはそっとオーブンレンジの蓋を開ける。

「わあ・・・・」

柚子の香りがいっきに広がる。
串を刺して中まで焼けているか確認すれば、外側のきれいなきつね色の焼き色同様に、どうやら焼き加減はばっちりのようだ。
取り出して網の上に置き、仕上げに粉砂糖を軽く振りかける。
真っ白の砂糖がふわふわと舞って・・・。

「・・・あれ?」

何か、とても幸せな夢を見ていた気がする。
幸せ、に該当する両親の夢とはまた別の、白と赤のコントラスト。
でもそれしか思い出せなかった。




「そういえば、グレイさんには妹さんがいるんですよね」

「ああ・・・とてもかわいいんだ」

「・・・・」

微笑んで即答するグレイに、周りの男性は少し引くが、女性陣は返答内容<微笑みの破壊力にノックアウトされていた。

「明日はバレンタインだから、彼氏に何か作っていたりするかもしれませんね」

ほんわりした気分のまま、一人の女性がつい口を滑らせてしまう。
馬鹿お前!、空気読めっ、と周囲の男性が身振り手振りで伝えるが、すでに出てしまった言葉は戻せない。
途端に、ひんやりとした空気が漂い始める。
グレイの顔に浮かんでいた笑みは、一ミリとも変化していなかったが、纏う雰囲気が180度変わっていた。
あえて言うなら、ラスボス的なオーラである。
急にしんとなった新年会の会場を見渡して、グレイはおもむろに財布から数枚お札を取り出してテーブルに置く。
冷気をまとった黒い笑みのまま、「お先に失礼します」と立ち上がったグレイを、止められる者は誰もいなかった。



彼氏。
いたらどうしてくれよう。
昨日、遅くなると伝えたときのアリスの笑顔の返事を思い出す。
いつもなら、一人の夕飯になることを寂しがってくれるのに。
あの笑顔は、誰かのためにこっそりとお菓子を作るためだろうか。
隠すようにしまわれたお菓子の本。
間違えたといって、珈琲とかこぼしてみたり・・・しては駄目だろう。
だいたい、自分が珈琲を飲みながらその本を見るタイミングが無い。
料理はからっきしなのだ・・・妹には台所には立たないで!と懇願されるぐらいに。
別の本の間に挟んで紛れ込ませてしまおうか。
いや、そもそもすでにそのレシピでお菓子を作り始めているかもしれない。
当日に渡す予定なら、なおさら兄に隠れて作るチャンスは、今しかないから。
明日がバレンタイン、なのだから。

彼氏。
どんなやつだろうか。
妹が選んだのだから、優しくて妹のことを大事に思ってくれる相手なんだろう。
いや、爽やか系だろうか。
もしくは、意外とどうしようもないやつを好きになってしまっているかもしれない。
早くに親を無くしたせいか、アリスは本当にしっかりした子に育った。
家事もそつなくこなすし、学業も怠らない。
本当に自慢の妹だが、そんな妹は面倒見が良いから、ここぞとばかりに変な奴につけいれられているかもしれない。
例えば、引きこもりの生活能力がゼロの男とか。
ふらふらとしてる男とか。
世話してあげないといけないような、体の弱い男とか。
・・・どいつもこいつも、アリスにはもったいない。
背後に暗いオーラを揺らめかせながら、グレイは悶々としつつ家路を急いだ。



「ただいま、アリス」

帰ってきてから気が付く。
いつもなら、とっくに夕飯を食べ終えて風呂にでも入っている時間だ。
もしかしたら早めに寝始めてるかもしれない、そう思いたいグレイの元に甘酸っぱい柑橘系の香りが届く。

「・・・・・」

無言のまま、そっとキッチンを覗けばちょうど振り向いたアリスと目が合った。

「お帰りなさい、グレイ兄さん!」

にっこりと笑ったアリスの手元には、黄色に白い粉がかかったいくつものドーナツが、お皿の上で崩れないように積み重なった状態で置かれていた。
つい、きょろきょろと辺りを見回してしまう。

「?どうしたの、兄さん?」

「あ、いや・・なんでもない」

多めに作っておいて、他の誰かに上げる分はもうすでにラッピングでも済ませているんじゃないか。
そう思うグレイの視線はまだ辺りをさ迷っていたが、気付いていないアリスはうきうきとドーナツをテーブルの上に運んでから、やかんでお湯を沸かし始める。
思ったより早く帰ってきた兄に驚きつつも、それなら一緒に食べられるかもしれない、とアリスは珈琲の用意をする。

「兄さん、まだ食べられる?」

「ああ・・・えっ」

「あ、もしかしてお腹一杯かしら?」

「いや、大丈夫だ。だが・・・」

それは、誰かにあげるんじゃないのか、とは言い出せない。
口ごもる兄を見て、アリスははっとした顔になる。

「いやっいいのよ兄さん。そうよね。きっと今日は甘いものいっぱいもらっただろうし、また今度でも・・・」

アリスの視線が手元の紙袋から覗く、ラッピングされた袋に注がれているのを見て、グレイはそれを置いて中身を出した。

「アリス。申し訳ないんだが、また今年も・・」

「だめよ。兄さんがもらったんでしょう。一口ぐらい、食べてあげないとかわいそうだわ」

心にも無いことを答えながら、アリスは粉砂糖をはたいた綺麗に焼けたきつね色のドーナツを見る。

「私は、自分で作ったものを自分で食べるし・・・」

うきうきしていた気持ちが途端にしぼんで、美味しそうな香りも少し減ってしまったように感じる。
もらったお菓子を無造作にテーブルの足元に置いて、グレイはそんなアリスの傍に近寄って沸いたやかんを止めて、さっさとセットされた珈琲フィルターの中の粉に、お湯を注いでいった。
微笑んでアリスを見下ろすグレイの顔を、アリスはちらと見上げる。

「兄さん・・・食べてくれる?」

「もちろん。俺は、アリスが作ったものを食べたいよ」

「えっと一応、これはいつも私のためにありがとうって言う、グレイ兄さんへの感謝の気持ちを込めて作ったんだけど・・・その、バレンタインデーだから・・・」

ぱっと笑顔になったアリスは、ちょっと恥ずかしそうにしながらも、ドーナツを一つ乗せた皿にフォークを置いて兄に手渡す。
受け取ったグレイは、そえられたフォークで一口切り取って、食べ始めた。

「ど・・・どう?」

「・・・・美味しい」

優しい兄の笑みと言葉に、アリスはこのお菓子に決めて良かったと満面の笑みを浮かべる。
その目の前に、すいっとフォークが差し出された。
ご丁寧にアリスの口に入るくらい量で、一口分のドーナツが刺さっている。

「ほら。まだ食べてなかったんだろう?・・・・アリス、口を開けてごらん」

「っ・・!?ちょっとグレイ兄さん、私もうそんなに小さい子じゃなっ・・んむ・・」

真っ赤になって抗議するアリスが大きな口を開けた瞬間、ドーナツを差し込まれる。
仕方なくもぐもぐと食べながら見上げれば、満足げな兄の笑顔があって。

「・・・・ハッピーバレンタイン、グレイ兄さん」

「ありがとう、アリス」





◆アトガキ


2013.2.15
15日、です。
過ぎちゃいました・・・・みなさんは、ハッピーしましたか。

何だか、書けども書けども収まらず。
くっこの馬鹿兄妹めっ!と思っていましたが、
あれ・・最後はバカップルデスカ・・・いやいや兄妹ですよ、兄妹。

久方ぶりの「グレイ兄さんと私」はghの史絵那さんからのリクエストでした!
ありがとうございます、史絵那さん。
兄だけでなく妹もだいぶもやもや悶々、させてしまいましたが、
いかがだったでしょうか・・・?

リクエストいただきました史絵那さん、お持ち帰り可でございます。
というか、最近押し付けがましいことこの上ないですね。
こちらの空間に放置でも、全く構いません!
では、また気が向いたならいらしてくださないな。



~オマケ~


「あ、さっきの子どうだった?本、買ってってくれたのか?」

店の裏手で新しい本をダンボール箱から出して並べていた青年は、店内に戻ってきてきょろと店内を見回してから、レジに座って読書に勤しむ店長に声をかけた。
ちらと顔をあげた店長は、頷く。

「お前に、礼を言っておいてくれとな。律儀な客だ」

「そっかー。店長のオススメだって、ちゃんと言えば良かったな」

「そんなことは言わなくていい!」

「えー。だってさー」

「勝手なことは言うな」

「はいはい、てんちょー」


~オワリ~

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