3::日曜の夜のヒトコマ
一
「ふわぁ」
「・・アリス、眠いならもう寝なさい」
思わず出てしまったあくびに、呆れたようなグレイの声がかぶる。
「んーでも、あとちょっとだし・・・」
アリスはグレイの座っているソファの足元に寄り掛かって、クッションを抱えながらテレビを見ていた。
今日のサンデーナイトロードショーは、和製ホラー映画だ。
アリスはだいたいのスプラッタものはたんたんと見れるくらいには平気だが、この手の精神的にじわじわとくるホラーは苦手だった。
だが、好奇心に負けてついつい観てしまう。
「確か録画して見ると言ってなかったか。明日も朝早いだろう?」
仕事を持ち帰ったのか、グレイは眼鏡をかけて膝の上でノートパソコンを開いていた。
その打ち込んでいた指を止めて、心配そうにアリスに聞く。
「録画はしてるんだけど・・」
そう、夜に観るのは後々後悔しそうだから、休日の明るい昼間にでも観ようと、わざわざ録画を予約していたのだ。
なのに、ちょっとテレビをつけたらちょうど話が始まったところで、少しだけと思いながら、そのままズルズルと観つづけてしまって。
そして話は今、まさにクライマックスを迎えている。
迫りくる恐怖にアリスはドキドキしつつも、テレビを観つづけた疲労感がその瞼を降ろさせようとしていた。
ふっと一瞬意識が落ちては、後ろのソファやグレイの足に頭をぶつけて、意識を取り戻している。
そうまでして観たいのだろうかと、ホラーに全く興味のないグレイは思いつつ、たまに足に来る軽い衝撃に笑みを零しながら、キーを打つ手を再開させた。
「アリス・・・ほら、アリス」
映画はすっかりエンディングロールも終わり、来週放送する映画の予告を流している。
アリスは、恐怖が過ぎ去ってほっとした主人公を襲う、次なる恐怖の予兆を感じさせるシーンを観た後、グレイの足に寄り掛かって完全に寝てしまった。
映画は終わったならちゃんと部屋で寝なさいと、その頭をぽんぽんと叩くと、アリスは目をこすりながらも何とか起き上がった。
「ああ・・私、寝ちゃってたのね・・・やっぱり今度、ちゃんと録画したのを見直そう・・」
寝ぼけた思考で呟きながら、ふらふらとした頭を抱えて風呂場へ向かう。
その姿を苦笑しながら見ていたグレイは、ノートパソコンを膝から下ろして珈琲を入れ直すために立ち上がった。
結局、主人公はどうなったのかしら。
最後に観たシーンからすると、まず生きてはいなさそうだった。
服を脱ぎつつ、映画の最後を振り返っていた時、ふと脱衣所の鏡に映る自分が目に入って一瞬ぎょっとする。
いやいや、何を驚いているのかしら。
自分よ、じ、ぶ、ん。
わざわざ言い聞かせて、ガチャリと風呂場の扉を開ける。
鏡の前に座って、何となく背中がそわそわするのを気のせいにして、洗顔料を手にとって泡立てる。
「・・・・・」
少し考えて、片目を開けつつ、もう顔の片側だけを洗うという面倒くさい方法で、洗顔を終える。
髪を洗って流すときも、石鹸が目に入らないようにしながら、両目を開けて流す。
ふと、何となく流れていく泡を目で追った先、排水溝の暗がりが目に入って、そろりとまた目をそらした。
いつもなら、この後、体を洗って浴槽につかって、のんびり体をほぐしながら、十分温まってアリスは風呂を出る。
だけど、今日に限っては、鏡やら排水溝やら、はては浴槽の暗がりやら、ぼやけた半透明の扉の向こうまで気になって、とてもゆっくり浸かれる気分ではない。
アリスは極力鏡を気にしないようにしながら、ささっと風呂を済ませた。
いつもなら、グレイはアリスがお風呂に入ってる間に、部屋に戻っている。
仕事をしているのか寝ているのかは分からないが、とにかく、風呂から出たアリスを迎えるのは、一度照明が落とされた暗いリビングだ。
けれど。
「・・・アリス、髪はちゃんと乾かしてから、寝なさい」
とりあえず、濡れた髪をタオルで水分を取りつつ、リビングに戻ってみると、そこは予想と違って風呂に入る前と変わらず明るかった。
グレイは、珈琲片手にノートパソコンに向けていた顔を上げて、アリスを見て顔をしかめる。
「グレイ兄さん・・まだ起きてたの?」
暗いリビングだと思っていたそこに、グレイがまだいてくれていたことが、暗がりに恐怖心を煽られていたアリスの心に暖かい火を灯す。
何だか、ちょっと嬉しい気持ちで、何の仕事をしているのかグレイの元に近づけば、グレイはノートパソコンを閉じて脇に置いた。
そのまま手で呼ばれて、肩に手を伸ばされて、ソファの空いているスペースに座らされる。
その手に従って、大人しく背を向けて座る。
「いつも、生乾きで寝ているんじゃないだろうな」
「そんなことしないわ、風邪を引くもの」
しっかりした妹の言葉にほっとしながらも、グレイはタオルの上からわしわしと、その頭を拭く。
その振動で頭がぐらぐらとしながらも、グレイの大きい手が暖かくて、アリスは小さい時もこんな風に髪を乾かしてくれたなと、昔を思い出していた。
「グレイ兄さんったら、ドライヤーは重くて手が疲れるっていって、自分こそ生乾きで寝て、風邪をひいてたわね」
「・・・昔の話だ」
むっと、ぶっきらぼうな声が後ろから返ってくる。
そう、もっと子どものときの話だ。
父も母もいて、風邪をひいたグレイを笑いながら看病していた頃の話だ。
「・・・・」
思い出して、何だか寂しい気持ちになるアリスの頭を、相変わらずごしごしわしわしと拭いていたグレイの手が、ふと止まって、タオル越しにぽんと頭に手が乗せられる。
「アリス、きれいになったんだから、髪もちゃんと乾かして、痛めないよう。大切に」
母さん似ねとよく褒められる、きれいな金茶色の髪。
その裾を優しく梳かれて、アリスはこくりと頷いた。
「さあ、早く髪を乾かしてこい」
タオルだけで乾かすのには限界がある。
アリスの背を押して、腕と手首を軽くもむグレイに、分かったわと笑顔を向けてアリスは洗面所へ行った。
ほどなくして、ドライヤーの音がして、歯磨きをする音がして。
「グレイ兄さん、お休みなさい」
「ああ、お休み」
ノートパソコンから顔を上げて、ちょっと手を振るグレイに、アリスも手を振って部屋へ戻っていった。
パタンと扉の閉まる音がする。
グレイも、ノートパソコンをパタンと閉じた。
「・・・・ふう」
本当は、持ち帰った仕事なんかない。
昔から、怖い映画を見た後は、トイレにも風呂にも行くのをしぶって困っていたアリスのことを思い出していたのだ。
珈琲のマグカップを手早く洗って、グレイも寝ることにした。
◆アトガキ
2012.12.11
ホラー苦手だけど、好奇心に負けたときのあるある話。
・・・ないですかね?
グレイが、仕事をするふりをしてノートパソコンを開いて何をしていたのか。
ネットサーフィンか、はたまた妹の写真を整理していたのか・・・。