2::夕飯後のひととき
一
「アルバイト?」
夕飯の後には珈琲を飲みながら、その日あったことをアリスが楽しそうに話すのを聞くのが日課だ。
今日は、友人がバイト先でしでかしたというおかしな大失敗を、くすくすと思い出し笑いをしながらアリスが話すのを、グレイは微笑ましく見ながら聞いていた。
そのあと、しばしの間を空けておずおずと切り出されたのが、私もアルバイトをしたいという話だった。
「ええ。この本屋だったらよく行くところだし、家からも近くて良いかなと思ったんだけど」
アリスがアルバイトをしたいと言ったのは、今回が初めてではない。
おこづかいが足りないわけじゃないわ、私も家にお金を入れたいし、将来を考えて貯金もしたいの。
真剣な顔で話す内容は、別段おかしな話でもなく至極まっとうな意見だし、先のことをしっかりと考えられる妹は、周囲に自慢してもしたりないくらいだが。
「あそこの本屋は・・・だめだ」
「何で?この前言っていた飲食店じゃないわよ?」
ちなみに、この前提案されたのは駅前のカフェだった。
すぐさま見に行った先では、制服として、白いブラウスと黒いスカートに茶色ベースのチェックのエプロンを着用することが決まりのようだった。
基本的には落ち着いた雰囲気もあり、客として探りを入れたグレイに対する応対は丁寧で好印象ではあった。
しかし、なにぶん駅前ということもあり、夕方近くになると会社帰りや学校帰りの者で、だいぶ混雑していた。
だから時給が良いのよとアリスは言っていたが、あんなくたびれた親父や頭の軽そうな男子の応対をアリスが笑顔でやる光景なんか見たくない。
あの大人っぽい制服を着たアリスを、見せることすら嫌だ。
と、あからさまに言いはしなかったが、閉店時間の遅さや付近の裏通りが昼間から薄暗いことなどをあげ連ねて、強引に却下した。
兄に心配をさせるつもりはないアリスは大人しく従ったが、アルバイトをしたいという考えは変わらないようだ。
本屋を提案したアリスの顔をちらと見れば、またも却下されて不満な顔をしている。
確かにその近所の本屋なら騒がしくもないし、店員も制服というか私服の上にエプロンを着用しているだけだったから、見た目には問題ない。
閉店時間もそんなに遅くなかったはずだ。
折角、心配性の兄に合わせて、友人に聞いたりと時間をかけて色々調べ、問題がなさそうで比較的良い時給のところを探してきたというのに。
再びの駄目だしに、アリスはちょっとご機嫌ななめになった。
むすっとした顔で席を立ち、飲み終わったマグカップを無言で洗う。
グレイはアリスの様子をそっと気にかけながら、静かに珈琲を飲んでいるふりをしていた。
もちろん愛すべき妹を不機嫌にさせたいわけではなかったが、グレイとしては却下したい理由があった。
アリスもたまに使うというその小さい本屋。
グレイも会社帰りにたまに寄っていたが、グレイの知る限り、女性の店員がいるのを見たことがただの一度も無い。
よく見るのは、カウンターに座る、男にしてはやけに髪の長い、眼鏡をかけて無愛想で神経質そうな店員。
それと、いかにもスポーツ系といった感じで、茶髪に爽やかな笑顔を浮かべている店員が、大量の本を一度に抱えて棚に並べている光景。
そして、ごくごくたまに、すごく顔色の悪いひょろりとした細身の男性がいることもある。
とにもかくにも、その三人の「男性」の店員しか見たことがないのだ。
そんな男性だらけの中に、かわいいアリスをアルバイトに行かせられるわけがない。
「・・アルバイトは大学に入ったらにしなさい。今は、学業に専念してほしいんだ」
両親が残してくれたお金はもしものために貯金しているため、家のお金はもちろん、学費もお小遣いも、グレイが働いたお金から出してくれていた。
そのグレイに学業と言われれば、アリスは弱い。
「・・・・はあ。分かったわ、グレイ兄さん」
しぶしぶながらも頷いて、アリスはお休みなさい、と階段を上がっていった。
大学に入ったら今度はどう言ってアルバイトを阻止すべきか、グレイは一人静かに珈琲を飲みながら考え始めた。
◆アトガキ
2012.12.4
アリスの提案後、カフェに自らチェックしに行き、注文の際にさりげなく探りを入れるグレイ。
いつも忙しそうだが店員は全部で何名ぐらいかとか、きみたちは休憩をちゃんと取れてるのか?とか、気を使う振りをしてさりげなく聞きだしてそう。
あ、ちなみに本屋の店員は、おそらくみなさんのご想像通りの人員配置です。