一
ぬいぐるみのような体でその手足の動かし方を確認する。
山猫とのキメラとはいえ、ずっと人として生きてきたのだから4つ脚で歩行することはなく、どうしても人形の兵隊のような動きになってしまう。
「どうせなら人型の・・人形とかにしとけば良かったんじゃねえの?」
「ユーリ、お人形さん持ち歩きたい?」
そういう趣味?と言えば、あー、という気の抜けるような声で窓の向こうを向いてひらひらと片手を振った。
そういうことだ。
右前脚、左後ろ脚、右脚、右後ろ脚・・?
ぎこちない動きを壁にもたれてじっと眺めているユーリ。
「・・・、2本足じゃ立てねえの?」
「立てるけど、ずっと2本足で動き回っているわけにもいかないでしょ」
一度立って見せれば、ぉお、と小さな拍手と驚いた声と共にまじまじと興味深く見られる。それにすくっと立った足をまたベッドに戻した。
「ユーリの前でならともかく、知らない人の前で2本足で歩く猫はだめでしょ」
言いつつまた不器用ながら何とか少しずつテンポをずらして足を運ぶ。
部屋の扉が押しあけられて、ラピードが入ってくる。
「お、おかえりラピード」
「わんっ」
一言鳴いて入ってきたラピードについ動きが止まる。
向こうもベッドの上にいる見知らぬ存在に気が付いたようにその脚が止まった。
「ラピード、ちょっとこっち来い」
ちょいちょいと背後のユーリが手招きをし、そっとラピードが近づいてくる。
その警戒心が少しだけむき出しのラピードに固まった身体が動かない。
のしっと今の自分からしたら大きな獣の顔が目の前に来て、思わず肩がびくついた。
「だーいじょーぶだって」
そう言ったユーリは、あろうことか背後から前足の脇を両手で掴んで持ち上げ、そのままラピードの前にずいっと差し出される。
「っ?!」
本能か自分の尻尾にあたる部分がぶわっと膨らみ、全身の毛がざわっと逆立つのを感じる。
「ほれ、ラピード。こいつは」
分かるだろ?と言っているが、匂いもない謎のぬいぐるみ猫だ、分かるわけが無い。
恐怖と焦りで膨らんだ尻尾をぶんぶんと振って背後にアピールするが、バシバシ腕やら胴やらに当たっている筈のユーリは、構わず更にラピードに近づけた。 目の前に大きくてきりりと鋭い隻眼の片目が迫る。
冷や汗が出そうな気分で対峙していれば、不意にその口がガバッと開かれた。
「っ」
ずらっと並んだ鋭い犬歯に仰け反ってぎゅっと目を瞑る。
齧られるか、吼えられるか、噛まれるかどれがくるかと衝撃に備えて体を強張らせてみたが、暫くたっても何も起きないことに気が付く。
暗闇の向こうで微かにワフッと小さく鳴くラピードの声が聞こえて、恐る恐る目を開いた。
「ほら、大丈夫だったろ?」
何でも無いことのようにいうユーリの声が上から降ってくる。
目の前のラピードは興味深げにこちらをしげしげと見て、くんくんと鼻を動かしてはみるが何も分からなかったらしい。
また、どこか呆れたようにワフゥと呼気を発してその場に落ち着いてしまった。
まるで呆れたようなその声にこちらも何だかほっとして強張る身体から力が抜ける。
「さすがはラピードだな」
「分かってくれなかったらどうしてくれたの」
頭から齧られて余所にぽいっと放り出される自分を想像して恨めしい声を上げるが、抱き上げられて近づいた顔は満足げに笑っている。
そんなことにはならなかったろ?と言っている瞳と目が合って、思わず嘆息した。
「んじゃ、ラピードも帰ってきたことだし。フレンのとこにでも行くか」
「え」
そんな急に、まだ猫歩きすらマスターしていないというのに。
焦る身体をまたひょいと持ち上げられて、流れ作業のようにそのままラピードの背中にぽすっと乗せられた。
「え、え?ユーリが持っていくんじゃなくて?」
「猫抱えて行けってか」
「さっき人形よりは猫で良かったってなったじゃない」
「今はラピードがいるだろ」
落ちないように鎖掴んどけよ、という声と共に鞘に繋がる紐をぶら下げてさっさと歩き出してしまう。
「ちょ、ちょっと・・」
本気かと思う間もなく、一声鳴くラピードに急かされるように慌ててその毛並みを急いで掴み鎖にしっぽを巻き付けた。 ラピードの動きを見て練習すればいいんじゃないかとユーリは言ったが、この身体ではラピードの背中は案外広すぎて足元なんて覗き込む余裕が無い。
落ちないようにバランスを保っているので精一杯だ。 それでもラピードが少し加減をして足運びをしてくれているのは良く分かった。 いつもは軽快な足音が少し静かに石畳を鳴らしていく。
紳士なラピードの背中にぬいぐるみのような猫がしがみついていたら、間違いなく目立つだろう。 案の定、道行く子供たちには興味津々に見られ、危うく手を伸ばされそうになるところをラピードが吠えたり、ユーリに片手で追い払われたりして事なきを得た。
おばさんには野良犬に絡まれている子猫を保護したとの賞賛を得ている。 何でもいいから、早くこの悪目立ちしている状況から逃げ出したい。
「止まれ」
そう思っている間に城に着いたらしい。 門番に立ち塞がれて面倒くさそうにユーリが対応している。
「そこでナーニをしているのであーる!」
「・・出たな、暇人デコボココンビ」
鬱陶しそうにしながらも鞘を握る手に力が込められたのが見えた。
「え、まさかここでやるの?」
「相手してやらねえとうるせーからな・・、悪い、ちょっと離れて待ってろ」
そっと声をかけたこちらをチラと見たユーリは、ラピードの頭を少し撫でて顔を寄せて返事をした。 私とラピードの両方に向けられた言葉に、ラピードはすっとその場を離れる。 それを見てから、ユーリは前を見てデコとボコと改めて対峙する。
そうしてユーリの鞘が勢いよく飛んで行った。
「そこで何をしているんだ、ユーリ」
「っフレン隊長殿!」
「よっ、と。騎士団長様じきじきのお出迎えか」
「部下から報告があって急いで来てみれば、また君は」
「ちっと遅かったんじゃねえの、っと!」
近づくフレンを視界の隅に入れながらも、目線は前のままユーリの最後の一振りに残っていたアデコールが吹っ飛ばされた。
「まぁたこいつら腕が鈍ったんじゃね・・」
大丈夫かよ、今日日の騎士団はよ、と皮肉をもらしつつ鞘に戻した刀を肩に乗せて振り返れば、フレンはやれやれと溜息をついた。
「彼らはよくやっているよ」
君が強いんじゃないのか、と言いたくは無さそうな顔をしたフレンがラピードに気が付いて、その顔を和らげた。
「やあ、ラピードも久しぶり」
そういて近づいてきたフレンの青い瞳が、こちらの姿を見つけて少し丸くなる。
「?その子猫はどうしたんだい?」
「ああ、そいつのことでちっと用があってな。今、時間あるか?」
「ああ。・・僕の部屋の方が良さそうかな」
ユーリの少し難しい顔に、きょとりと瞬きをしたフレンが身を翻して静かに答える。 鮮やかなブルーの隊長服のマントが風に舞った。
「こんにちは」
応接室に落ち着けば、座るラピードの斜めになった背から救い上げる様にその膝の上に抱き上げられた。 そいつのこと、と話をふった筈のユーリがじっと黙ったままなので、自分から話した方が良いかとちょっと迷っていれば、頭と背中を撫でてこちらを見ていたフレンが先に口を開く。
「君の瞳は・・と同じ色をしているね」
寂しげに言われた己の名前と、抱きしめられた手にぎゅっと小さく込められた力にハッとした。 急にいなくなったことで、フレンにはきっと心配をさせてしまっている。 目の前にいる、今、この瞬間にもだ。
優しい彼のことだからもしかしなくとも、すごく探させてしまったのかもしれない。 それでも、アメストリスに戻ってしまった自分が見つかるはずもない。 今回の偶然が無ければ、こうやってずっと気に病ませてしまっていたのだろう。
意気消沈した様子で項垂れたフレンと部屋に落ちる沈黙に思わず名前を呼びかけようとする前に、フレンがさっと顔を上げた
「もし君さえ良かったら、僕のところに来るかい?」
柔らかな眼差しがこちらを見つめていて、開きかけた口が止まる。
「は・・、いやおい」
思わずといった風に声を出したユーリの方を見て、フレンは真剣な顔で続けた。
「ユーリはギルドの仕事で家を空けるだろ。まさかこんな小さい子猫をギルドの仕事に連れまわすつもりはないだろう?この子の里親に困っているというなら・・僕が」
「待てって、話を聞けっての」
「・・君はどうかな?」
何故かちょっと焦った様子のユーリの声を聞かずに、またその顔がこちらを見下ろす。
抱きしめられて頭をそっと指先で撫でられた。 額をくすぐるように撫でられて、眉間をほぐすような心地よさに瞳がうっとりと細まってしまう。
は、と思った瞬間には近づいたフレンの顔が、ちゅっと額にキスを落としていった。 呆気にとられて呆然とその顔を見上げてしまう。
「ごめんごめん、驚いたかな。でも君はとても大人しいね」
言われて、抱えられたまま頬ずりをされる。
一言も発さぬままにされ放題触られ放題のままで、確かにこれが本当の猫なら大人し過ぎるだろうが、中身が中身でただ急な展開にぽけっとしてしまっているだけだ。
何故だが初対面でかなり気に入られてしまっている状況についていけないまま、随分ご機嫌な様子のそんなフレンに気を取られていれば向かいのテーブルからガタンっと音がする。
「おい、フレン」
言いつつ片手を伸ばすユーリに、フレンが小さく首を傾げる。 どう見ても返せと言わんばかりの手とそしてユーリ顔のを見て、フレンは眉間に皺を寄せた。
「まさか本当に連れまわす気か?それとも・・もう引き取り手がいたのかな」
落ちてくる少し寂しげな声に、我慢の限界が来た。
「・・ごめん、フレン」
「え・・」
急に聞こえた第三者の声に、どこから声がしたのかとフレンが動きを止めて辺りを見回す。 どう見ても、ユーリとフレンと後は人の言葉が喋れるわけも無い犬と猫しかいないこの部屋の中をキョロキョロと見回すフレンを、その手をそっと自分の手で叩いて注意を引く。
ハッとしたように驚いてこちらを見る、その丸く見開かれた青空を真っ直ぐ見上げる。
「まさか、」
「心配かけて、ごめんなさい」
信じられないようなものをみる目で見下ろす相手に、重ねて謝った。
心配をかけたこと。 会ってすぐに自分がそうなのだと言わなかったこと。
色んな気持ちを込めて言って、そして小さく頭を下げた。
「その声・・・・か?」
「うん。すぐ名乗れ無くてごめんなさい」
「ほん、とうに・・本当に君がなのかい?」
「本当だよ、ここにい、?!」
ここにいる、と言おうとするより早くぐんと視界が上がり、さっき以上に近づいた青い瞳がこちらの瞳を覗き込む。
その青空が見る間に水気を帯びて、そして一粒雨が降った。
「良かった・・・もう、君には会えないのかもしれないって・・」
泣き笑いの顔をして、そうして首筋にぎゅっと抱え込まれる。
ちょっとだけ強すぎる力が込められて少し苦しいけれど、深く深く息をするフレンにかける言葉が見つからない。 顔にかかるふわふわとした金髪は、以前と変わらずどこか日向のような匂いと温かさがある。
「・・おかえり、・・おかえり」
「フレン、ありがとう。・・ただいま」
「どうしてすぐに言ってくれなかったんだ」
ユーリ、とキッとフレンが睨む。
「オレが何か言う前に、そいつにばっか声かけてさっさと話を進めてたのはそっちだろ」
しれっとした顔でユーリはソファに寄り掛かる。
私はといえば、手を出したユーリの元・・ではなく今だフレンの膝の上にいた。
「・・はぁ。それにしても、まさか猫になって戻ってくるなんて思ってもみなかったよ」
ユーリに対して溜息をついた後に、こちらを見下ろして苦笑する。
最初はユーリの体に同居しそうな感じだったことは伝えずにいた。 説明が面倒だし、何だか余計なことは言わないに限ると本能が伝えているし、これ以上心配をさせたくはなかったというのももちろんだ。
「その・・答えたくないなら無理に答えなくてもいいんだけど・・」
頭を撫でていた手を止めて、どこか言いずらそうにフレンに話しかけられる。
その歯切れの悪さに首を傾げるも、先を促せばフレンに座っていた前足をそっと握られた。
「もう・・その人型にはなれないのかい?」
「あー・・・今のところはあの姿に戻る術が無い・・かな」
体ごとこっちに来てしまった前回と違って、今回は本体がない。 意識が、魂があるなら命はこちらにあるといえるのだろうが、心臓そのものもない。
詳しく話せば、それはそれで心配させそうなので黙っていたが。 そうか、と眉を下げるフレンに、詳しく言おうが言うまいが結局気に病ませてしまったと落ち込んだ。
「まあ、いいじゃねーか。会えなくなるよりかはな。・・だろ」
どんよりと落ち込む2人にユーリが呆れたように口を挟む。
「君は、またそう何でもない事のように言うけれど・・っ」
「だから、俺たちがついてる。そうじゃねえの?」
「!もちろん、僕も君の力になるよ。何か困ったことがあったらすぐに言ってくれ」
「うーん・・」
答えを待ってじっとこちらを見る2対の瞳を交互に眺めて、首を捻るも今はまだ何が困ると言えるような段階に無い。
「しいて言うなら、まだ猫らしく出来ないことに困ってる」
「・・、それは・・」
「大丈夫、これはフレンにどうにかしてもらおうなんて思ってない」
むしろ頼まれても困るだろう。 その答えにそれでも何か手を貸したいと思ってくれているフレンは、何かいい案が無いかと悩み始めてしまった。
「本当、大丈夫。ラピードの動きを参考にさせてもらおうと思ってるし。・・ね、ラピード」
「・・・わふっ」
問いかければそれまでソファの足元で丸くなっていたラピードは、頭を微かにこちらに向けて仕方が無いと言わんばかりの声で、でも返事を返してくれた。
さすがラピード、頼りになる。
「食事は猫用の方がいいのかな」
「・・食事は、いらないよ」
「え?」
猫の飼い方の本だったらエステリーゼ様に相談してみようかと動きかけたフレンがまた驚いたようにこちらを見る。
「この身体は本物の猫じゃないし、食事はとれないの。だから必要ない」
「そう・・なのか」
私が甘味やら何やらを作ったり食べるのが好きなことも知っている。
ユーリは黙っている。
フレンはもう一度、そうか、と呟いてそうしてから立ち上がった。
「フレン?」
「エステリーゼ様にも、伝えてもいいのかな」
「忙しくないなら、是非」
まだユーリとラピード、フレンにしか会えていない。 エステルにも、リタやジュディス、カロルやレイヴンたちにも会いたかった。
「そうだな、全員集めっか」
視線のあったユーリには何が言いたいのかすぐに分かったみたいだった。
にっと笑って言う。
「そうだね。みんなもとても心配していたから」
「早い方がいいな。ジュディに頼んでバウル呼んでもらうか」
「それじゃあ、ちょっとエステリーゼ様のところに行ってくるよ」
「きっとすっ飛んできそうだな」
待っててくれと言って部屋を出て行ったフレンをソファの上で見送っていれば、傍に立ったユーリの腕が伸びてきて掬い上げられる。
「ユーリ?」
「んー、おっさんはダングレストだったっけか・・・?ボスもたぶんそうだよな」
「ギルド、ちゃんとお仕事してるんだ?」
「地道に、な」
片腕に乗せられて、左手の指先で顎下をくすぐるように撫でられる。
「ん、くすぐったい」
「猫とは感覚が違うのか?」
「中身が違うでしょうが」
「そーいうもん?」
言いながら耳の後ろを悪戯に撫でる指先を軽く噛む。
「・・・いたくねぇの」
「布製だからね」
じっと瞳を覗き込まれる。
「?ユーリ?」
「あー・・何でもねえ」
何か言いたそうにした口は閉じられて、すっとその瞳が窓の外を見る。
広い青空には、いつか見慣れていた結界の輪っかはもう無かった。
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