輝く星の、その光は






「ユーリッ」

叫んだ声は、落ちてきた魔核が床を破壊する轟音にかき消された。
落ちていくその身体を、その夜の瞳が星の光を失っていくのを見て、床を大きく蹴る。
ここがどの程度の高さだとか、彼の傷が致命傷だろうかとか、そんなことは何も考えられなかった。
青い海に落ちていく黒い影を追って、自分の中で錬成陣を死ぬ気で構成する。
いつかエドに頼み込んで見せてもらった、彼の手帳。
全ては解読できなかったが、それと彼の弟の命を繋ぐ血文字の錬成陣、それらの情報を解読して解釈して、自分の必要な要素だけ抜き出していく。
腕を伸ばしても、身長も体重も上のユーリの方が先に落ちていくのは止められない。

彼の体が先に叩きつけられる音が無情にも響く。

「っっぅっ!!!!」

自分も衝撃に耐えるように身体を捻る。
出来るだけ水面に叩きつけられる面積を減らす。
それでも、バコンと打ち付けられる衝撃に、肺から一気に空気が漏れ出た。
盛大な泡が周囲を覆い、目の前が真っ白に染まってどちらが上か下か分からない。
痛みと肺が軋む音を立てるのを無視して、視線を巡らせる。
白い泡の中に混じる、黒い影。
腕を、めいいっぱい伸ばした。
触れる、布の感触。
力ずくで引き寄せる。

『ユーリッ』

黒い髪が波の間に海藻のように揺れて、彼の白い肌をいっそう青白く見せていた。
開いた口元からはもう、泡さえ出ていない。
固く閉じられた瞳。
紫色の宝石をその裏に隠して、ピクリとも動く様子が無い。

『だめ、だめだって・・・』

お願い、死なないで。
ここで死ぬなんて、そんなこと。
泡が途切れていってその隙間から、巨大な星喰みに覆われていく傍にまだ残っているフレンの瞳のような青い光が届く。
片腕を伸ばして、その光に手を伸ばす。
不意にその青空さえ陰って、何かがこちらを覗き込んだ気がした。
白と赤のコントラスト。

「・・・っ」

デューク、と呼んだはずの喉からは何の音も出てこない。
咳き込んで、どうにか残っていた酸素を全て出し切って、そして目の前が暗転した。





「・・・・・」

ハっとして体を起こす。
外は夜なのか、部屋の中は薄暗かった。
窓から漏れる星明りに、浮かび上がるのは白い面で。

「・・ユーリ」

「そこで、何をしている」

扉が開く音がして、低い声が静かな部屋に響いた。
振り向かないで、そのままベッドに横たわる黒い影へと歩み寄る。
背後の気配は、それ以上動こうとはしない。
視界の中に、ペンやらインク壺を探して、馬鹿らしくなって目を閉じて頭を軽く振った。
眩暈がして、倒れ込むようにベッドの端に両手を付く。
重さを受け止めて軋むマットレスにも、反応する気配は、無い。

「ごめん。ちょっと借りる」

「・・・・・」

無言を了承だとかなり勝手に決めつけて、傍に立てかけてあった宙の戒典(デインノモス)に指先を伸ばした。
こんな使い方をしたら怒られるだろうかと頭の隅で考えたりもしたが、意外なことに背後の気配は静かなままだった。
いつの間にか居なくなったんだろうかとちらと視線を向ければ、赤い瞳と目が合う。

「・・良いのか」

何を聞かれているのかなんて、聞き返すのも時間が惜しい。
視線を戻せば、今にもその命の光が尽きそうな相手が横たわっている。

「ここでなら生きていけるかもしれないって・・?」

「・・・・・」

無言の、肯定に頭をふる。
またも起こる小さな眩暈を無視して、指先から滴り落ちる赤い滴をそっと自分の腕に走らせた。
丸い円、八芒星。

「あなただって、分かってるはず」

命を、魂を繋ぎとめる、輪廻の輪、渦。

「世界が大変で、仲間もきっと必死で」

そこから大きく弧を描きながら線を伸ばす。
服の前を大きく開いて、自身の命を司る、心の臓の上へ。

「そんな時に自分だけのうのうと安全な場所に居るなんて、そんなこと」

更に大きな円を描いて。
全てを反転させる。

いくらここでなら生きながらえると知っても、ユーリがその状況を甘んじて受け止めるなんてこと、あり得ない。
絶対に。

「もし閉じ込められようとも、彼はきっとここから出ていく」

自分の命を、その身体へと繋げるために赤い線を走らせる。
エドから知り得た知識は、魂の無い鎧へ魂を定着させる方法だったけれど、それが出来るなら、魂の無い体に別の魂を定着させることも理論上は可能だ。
そして、そこから更に派生させる。

「どんな無茶をしてでも、必ず」

この時の止まった世界から出て行ってしまえば。
でも、そんなことをすればきっともたない。
死んでしまう。
・・・ユーリ。

物体としての身体を構成させる要素を抜き出せば、残るは魂を再構成させる要素だ。
彼の身体に、彼足りえる構成要素を残したまま、自分の魂を。
自らを燃え立たせる方法を知っている薪に、ただ火をくべるだけだ。
火を・・光を宿す、魂を。

「あなただって、ユーリならそうするってもう分かってるでしょう」

「・・・・・」

その沈黙も、肯定だ。
いかに人間嫌いだとしても、もう関わりすぎるくらいに関わった。
ユーリなら、自分の命を棚上げしてでも他のために動くってことを、もうデュークは知っているだろうから。
こんな自分を止めないでいてくれる。
それは・・・。

「優しさと受け取っておくね。・・それに、きっといつかまた会えるって思えるんだ」

憐憫だなんて、思いたくは無い。
この世界に、自分がいた意味をようやく知ったと思えば何も怖くは無い。
探していた答えが、今目の前にあるのだとしたら。
後悔など出来ないほどに完璧に、満足のいく結果を残してやる。

「ユーリ・・これが私の探していた答えだったよ」

両手を交差させて腕の錬成陣を触れ合わせる。
その手の先で胸元の錬成陣を軽く、包み込むように囲った。
光が迸る。
彼の胸元に、光を宿した両手を押し当てる。
温かく、その中に溶け込むような感覚。
ああ、もしこれが彼が他者を想う心だとしたら、本当に温かくて安心できて心地よくて。

「今まで一緒に探してくれてありがとう」

『ごめんね、ユーリ』

胸元から広がる温かい波に、押し出されるように瞳から、滴が一滴転がり落ちた。





ザウデであなたが魔核の陰に隠れてしまって、そうしたら身軽なあの子が見に行くってすぐに飛び出していったのよ。

”それから、見て無いの”

デュークがきっと俺を下町に運んだ。
どうやってかは分からねえが。

再会した仲間と現状を確認して、急いで星喰みを対抗するために精霊を集めに世界を回りながら。
バウルの上で、一向に姿を見せないあいつのことを聞いた。
誰もあいつの話をしないからおかしいとは思っていて、それが少し怖くてなかなか聞けなかった。
怖いだなんて思っている自分自身に驚いて、馬鹿げた考えを振り切るように夕日の中に佇むジュディに聞けば、嘘はつかない彼女の話は簡潔だった。
簡潔過ぎて、無表情とも取れるジュディの表情に、それでも一瞬見えた揺らぎに言葉を失った。

「誰も、何も言わねえのはそういう事かよ・・・」

「誤解しないで。みんな必死に捜しているのよ」

「みんなって、誰だよ」

「フレンが指揮をとって騎士団にも、ギルドの人たちにも、よ」

でも、とその視線がすいと海上へと逸らされた。
夕日が沈んで、青白い中に揺らめく波間を見ているのかも分からない。
明るみを失った空に呼応するように、深く沈んだワインのような瞳が静かに瞬きを繰り返すのをじっと見た。

「時間が、迫ってきていて」

「・・・・星喰み、か・・」

分かってる。
分かってはいるのだ。
きっと、混乱した世界の中で星喰みに対してみな必死に動いていて、そんな人手が足りない時に、海に落ちたかどうか生死も分からない人間を探すために人員を割く余裕が無いのも。

「・・・くそっ」

分かっていても、手の届く範囲にあった者も守れないで、世界を守れんのかよと胸の中で自身に問いかける。
ぐっと拳を握れば、急に強い風が吹いて髪が前方へ煽られた。
こちらを見ていた静かな瞳が、不意に見開かれる。

「・・・あら」

ジュディの手がすっと伸びてくる。
不思議そうな顔で伸ばされたその指先を避けるまでも無くそのままにしていれば、髪をまとめて持ち上げられた。

「・・・何だ?」

しげしげとこちらの項を覗いてくるジュディに、さすがに居心地が悪くなって問いかければ、その顔がこちらを向いて小さく首を傾げた。

「ユーリ・・あなた、ちょっと脱いでもらえないかしら」

「・・・・・・・・・・は?」

今、何て言われたか分からなくって、呆けたような声を返してしまった。
にも関わらず、問答無用とばかりにジュディの手ががっしりと襟の後ろを掴んだのが分かって慌てる。

「ちょ、何だかわかんねえけど、ちょっと待て、ジュディ!」

「ちょっとセーネン、何をそんなに騒がしく・・って何してんの、ジュディスちゃんっっ!!??」

「あら、おじさまいいところに」

「いいところ?!いいところって・・え、本当にいいところ?!ああああ、そんなの駄目っ反対!!!」

「わめいてないで、助けろ!!!」

「勿論よっ!そんなジュディスちゃんとセーネンがいいところなんて、俺様許さないからっ!!!」

「そーじゃねえって・・こら、ジュディやめろ!」

見た目に寄らず腕力があるジュディスに上着をはぎ取られそうになって、全力で抵抗するユーリにレイヴンが必死な形相で飛び掛かってくる。

「その調子よ、ちゃんと抑えててね。お・じ・さ・ま」

「はぁーい、ジュディスちゃんのためなら喜んでー・・って違うでしょ!」

「ちっ、退けよおっさん!」

色々と勘違いしているレイヴンに飛びつかれている間に、ジュディスが腰の帯をしゅるりと外すのが分かって、ユーリの顔は蒼白になった。
傷が。
脇腹に受けた傷はまだ、綺麗に治ったとはとても言い難い。
見られて問い詰められるのだけは勘弁したかった。

「・・ユーリ・・あなたこれって・・」

だが、ジュディスの手は上着を肩から落として止まった。
その視線が注がれる背中に、何があるのかなんてユーリにも見えないので分からない。

「どったのジュディスちゃん・・って・・・」

同じように、何かをそこに見たらしいレイヴンの声が不自然に途切れる。
力が抜けた相手の下から何とか這い出して、荒い息とともに目の前の二人を睨みつけても、謝罪の言葉はおろか戸惑うような視線しか返ってこない。

「ったく、何なんだよ一体・・・なんか、あんのか・・?」

徐々に不安になるも、自分の背中のことだけに見るに見えない。
振り返ってもやっぱり見えなくて、教えろと視線で促す。

「ユーリ・・その、背中に・・」

言えと睨みつければ、言いにくそうにもごもごと口ごもったレイヴンの横で、ジュディスがすっと動いた。
その指先が宙に弧を描く。
丸い円を描いて見せた指先に、首を傾げてその瞳に続きを問えば、いつになく神妙な瞳がこちらを見ていて内心たじろいだ。

「赤い円があるわ、あなたの背中に。・・そこから赤い蔦みたいな模様が背筋を伝ってるの」

「・・・ユウマンジュで一緒に風呂に入った時には、そんなもの無かった」

レイヴンが低い声で呟く。
赤い、円。
まさかと、思う。

「これ、魔法陣じゃ無いわよね」

「・・・ああ、俺様にもなんとなく」

この世界に見慣れないものだと分かる、とレイヴンらしくもない静かな声音。

「あの子が使っていた確か、錬成陣・・とか言ったかしら」

「・・っ!!!?」

今すぐ背中の皮をひっぺがしてでもそれを目の前に持ってきたかった。
見えない。
何がそこに描かれているのかなんて。

「っ、くそっ・・鏡っ」

レイヴンが慌ててどこかへ走り出していって、呆然とする俺とジュディが甲板に残される。
ジュディの指が、海の滴を掬って床に円を描く。

「・・・・・」

円の中に複雑な模様が散らばって、俺にはそれが何を指すものかは分からなかった。
でも、間違いなくそれはが残したもので。
この世界には存在しないはずの、あいつだけが使えるはずだった錬金術の文様。
水で描いた模様は、徐々に乾いて消えて行く。
俺もジュディも、のようにそこに両手をかざしても何も起きないことは知っている。
消えて行くのを、ただ見ているしかなかった。

「貴方の、左の肩甲骨の横に」

これが、と円の消えた床を指差される。
肩甲骨の当たりを右手で覆う。

「・・・・・」

いつか、あいつに聞いたことがあった。
そんな記憶が、嫌な予感と共に脳内に再生される。

が、言ってたんだ」

「・・・どんなことを?」

「書く対象には意味がある・・って」

「・・・・それは・・」

これは、肩甲骨に描いたものじゃ無いと、何故だかそう分かってしまった。

「・・・心臓の位置ね」

ジュディの声がハッキリと告げる。
左肩を掴む自分の右手に力が入り過ぎて、自身の肩がギシリと軋むのが聞こえた気がした。





「デューク」

隣に立つ相手に、声をかける。

「・・・なんだ」

何を聞きたいかなんか、分かってるはずだとその赤い瞳をじっと見据える。
デュークに刃を向けて、そして結局はともに星喰みを倒して。

「知ってるんだろ」

世界は救われた。
でも、この場所に居ない。
だけが、居ない。
下町からずっと共にいた存在を、ザウデで見失ってからずっと。
デュークに会ってからその姿を目に捉えた時にその胸倉を掴んで問いただしたかった。
だが、順番を違える訳にはいかなかったから。

「星喰みはみな、精霊になった」

「・・・・・」

「あいつは・・・どこに行ったんだ」

自分で聞いて、その言葉に目を見開く。

「・・・さあな」

「知ってんだろ、教えてくれ」

「・・・・・」

元の世界に帰ったなら、それで良い。
いつの間にかこっちの世界に来ちまってたんだったら、不意に戻る瞬間が来てもおかしくは無い。
でも、それならこの錬成陣は何なのか。
何を意味するのか。

「生きろ」

「!!」

デュークの簡潔な言葉に、胸の中で一気に何かが膨らむ。
今までため込んでいた黒い煤が、荒れ狂う風に一気に舞い上がるような感覚に襲われて、目の前が暗くなった。

「それって・・元の世界に戻ったってことか?」

掠れた声で、そうだったなら良い、そう言ってくれと懇願するような気持ちで問う。
だが、応えは無い。
もしそれが事実なら、デュークならそうだと嘘も無く応えを返すはず。
それが、無い。

「違うってんなら・・なら、何なんだよ」

「・・・・お前の命を燃やす核になった」

「何だよ、それ」

「いつかまた、と最期に笑っていた・・確証も無いだろうに、な」

「何なんだよ、それ!!・・何で止めてくれなかったんだ!あんたはそれを・・・あいつが馬鹿なことしてるのをずっと、ただ黙って見てたっていうのかよ!!」

すい、と赤い瞳がこちらを向く。
静かな、静かすぎるそれに怒りが沸点を通り越して掴みかかる前に、手から力が抜けた。
カランと剣が落ちる音がする。
鼓膜を震わせて、また静かになった周囲にデュークの声が聞こえた。

「もし、お前があれの立場でも、同じことをしただろう?」

奥歯を噛みしめる。
そんなこと、聞かれなくったって分かっている。

「・・・そういうことだ」

それだけ言って、落ちた剣を拾い上げてデュークが歩き出す。

「馬鹿、やろうっ・・・」

遠慮してこちらを見守っていた仲間が、一人、また一人と歩み寄ってくるのが分かる。
・・でもその中に、だけが居ない。

「・・・ユーリ」

遠慮がちに名前を呼んでくるエステルにも、何も答えられなかった。
今はただ、お願いだから少しだけ、放っておいて欲しかった。










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