一
「・・う、」
「・・・ん?」
水曜日。
前回はちょっと遅くなっちゃったから、タイミングが色々と悪かったのだろうかと少し早めに学校を抜け出してきてみれば。
は、腕時計と少し先に見える相手を交互に眺めた。
授業中な、はず、だ。
もちろん、自分は最後の授業をバックれた。
マスタング先生の授業だしとたいした罪悪感も無かったのだが、これだったら大人しく授業に出ていた方がマシだったかもしれない。
何故か寝起きのようにぼおっとした様子で後ろ頭に手を当てていた相手の暗色の瞳が、徐々に見開かれていく。
じりじりと後ずさっていたは、その目が瞬きをする間にくるりと踵を返した。
聞こえないはずのゴングが、二人の間に高らかに鳴り響いた。
「お、前・・っ!!!おい待てっ」
やっぱ来やがった、と内心悲鳴を上げる。
スタートダッシュでどの程度の差がつけられるものか。
まだ授業中だろうと見越して、校舎裏を回っていたのにまさかそこが虎の通り道だったとは思わなかった。
しかもどう考えても授業をさぼっていた相手の、ちょうど起き抜けに鉢会うなんて。
「運が・・・ないっ・・」
今日の星座占い、最下位だったんだろうかと見てもいないテレビのニュースの左上の表示が頭に浮かぶ。
そんなどうでもいいことを考えつつ、BGMに鳴るブーツの足音と自分の吐く息の荒さに頭がくらくらする。
最後の授業はともかくとして、その他の授業を比較的真面目に受けて本日も頭を使って消費した分のエネルギー補給をと来てみれば、更にエネルギーを消耗する羽目に陥っている。
「待てってんだろーがっ!!」
誰が、待つか、とはもう声に出して返す余裕も無い。
脳内で返事をしながら誰か給水ポイントをくれ、頼むせめてインターバルを!と思いながら何とか裏手の林に滑り込む。
手短な木に登って、荒い息を何とか殺してじっと身を潜める。
タッチの差でブーツの足音が滑り込んできた。
見下ろす視界の中、ザカザカパキリと足音の草木を踏みしめて、きょろきょろと辺りを見渡す黒髪の相手を、葉の隙間から気配を殺して窺う。
「・・ちっ」
舌打ちをして裏門の方へと走り出す姿を見送って、しばらく。
「・・・・ふぅ」
木の上に座って足を垂らす。
ここから物理準備室は遠く無いが、おそらくはまだ授業中だ。
屋上かどこか人気のないところで時間をつぶそうと思っていたのに、とんだ災難に見舞われて疲れてしまった。
もう今日は諦めるか、とは男子学生が去った方ではなく、そのまま木を伝って校舎裏の塀を乗り越えて裏の道路へ着地、何事も無かったかのように帰路に着いた。
ジーワジワジワ・・・・。
「・・・・・」
もはや、意地のように水曜の放課後、物理準備室に来て椅子にどっかりと座っている相手に、レイヴンは苦笑を隠せずにいた。
「・・・言いてえことがあんならさっさと言えよおっさん」
「ちょ、ちょっと怖いってばセーネン」
「いいじゃねーか、夏の暑さにピッタリ」
「そんな棒読みで言われても・・・」
はぁあーとガックシと項垂れる黒髪に、夏の日差しは暑そうだ。
準備室の奥の白い箱の扉をパカッと開けて、レイヴンは取り出したものをその顔の前にかざした。
「ほれ」
「・・・いーのか?」
「良いわよ、ほら溶けない内にさっさと食べちゃいなさい」
そう言って遠慮がちに差し出された手に、持っていたソーダアイスの棒を持たせる。
自分の分は、アズキバーだ。
少し固めで甘さ控えめのこのアイスが、レイヴンのお気に入りである。
「・・・サンキュ」
ビニールを外して齧れば、シャクシャクと歯触りの良いソーダのサッパリとした味と、中心部分のバニラアイスの甘さが口に広がった。
動かないでいても体の周りに纏わりつくような熱気が、体内の冷たさで少し無くなったような気がする。
ちょっと機嫌が浮上して、相変わらず青々と茂った窓の外の木々を眺めた。
全開にしても風があまり入って来ないのだが、冷房は節電とか何とか言ってあまり放課後まで入れっぱなしには出来ないらしく、ブーンという古臭い音を立てながら窓の脇ではレトロな扇風機が必死にその首を振っていた。
その前に椅子を引っ張ってきてソヨソヨとした微風を顔に感じつつ、背もたれに顎をのせてアイスの棒をくわえて揺らす。
「もー、来ねえのかな・・・」
ってやつ・・と呟けば、同じく窓際に立って外を眺めつつ、アズキバーなんていう渋いものを齧っているレイヴンも、小さく「そうねえ」と呟いた。
「・・・・・」
もうすぐ夏休みに入る。
そうなれば、レイヴンも宿直でも無い限りそんなに学校には来ないだろう。
居ない確率の高い相手の元に、わざわざ忍び込むなんて言うリスクを冒してまで相手が来るとは思えない。
「夏休み、か・・・」
「ん、何々?セーネンは何か予定があるの?!」
妙にぐいぐい来る教師に、鬱陶しいと顔に張り付けて対応すればつまらなそうにまた窓の外を見た、その薄青い瞳が何かを見つけたように瞬きをする。
何がいたかと思えば、見飽きた金髪頭だった。
「何だ、フレンか」
見るだけで暑苦しいブレザーをきっちり上まで止めて、信頼する生徒会仲間である後輩二人を引き連れて、見回り強化に今日も励んでいる。
「・・・真面目よねー」
「・・・・・」
リンゴ頭のウィチルと、切れ長の猫目の書記ソディア・・だったか。
目立つ3人組だ。
あれを外から見たら、確かに入る気にはならないかもしれない。
本当に泥棒やらの侵入者なら、あれで牽制されて面倒事も避けられていいかもしれないが、今の状態と言えば。
「・・・邪魔くせ」
「こらこら」
遠ざかるばかりか、もはやクレープにあり付ける可能性自体が10%も切ってるんじゃないかと嘆く。
裏門の方を見回り終えたらしい3人組がまた校舎の方、視界の下に消えて行く。
「でもまぁ、言わずにいてくれてるみたいよ」
夏に向けて不審な人が増えるかもしれなので、ということが他の教師や先生への表向きの理由。
の存在はもちろん、朝礼やHRで不法侵入者が現れたなんて話が出ないことに、レイヴンはほっとしていた。
「ま、融通が利かねえあいつにしちゃ、上出来だな」
今日はもう来ないかと判断して、椅子から立ち上がる。
「んじゃ、また来週」
アイス、ごちそーさんと言って出ていくユーリに、レイヴンもひらひらと手を振り返した。
「・・・・また、いる」
何食わぬ顔で正門を突破。
今日こそはいけるかと思いきや、前方の建物の角から腕章を付けた学生が曲がってきた。
向こうに気付かれぬうちにと視線をそらして校舎の影に素早く移動する。
最近、あの学生を何度も見る。
来るたびに見かける上に、お仲間があちこちを巡回しながら見張っていて、校舎内に入り込むのも一苦労になっていた。
とはいえ、校舎の裏側からだって入り口の一つや二つ・・・。
「ここでなーにしてんだ・・・?」
げっ、と思ったし、正直にそう声を上げそうになったのを、は何とかギリギリで抑える。
背中に冷や汗が垂れる。
そもそも何で、この不良っぽい男子学生に追いかけまわされているのか、良く分からない。
あのキリッとしたいかにも真面目な金髪の男子なら、不法侵入をしている怪しい輩、この場合自分だが、が追いかけられてしかるべきだと納得はするが。
そぅっと振り向いた先で、渡り廊下の壁の影に隠れたところから長い黒髪を風に揺らした男子学生がゆらりと立ち上がった。
そんなところで寝てたのか、という突っ込みはもちろん脳内に押しとどめる。
「今度こそ、逃がさねぇ・・・覚悟しやがれ!!」
「いっ・・?!」
どんな覚悟もしたくない、というか捕まったら最後やられそうだ。
アダルトな意味ではなく、100%殺人的な意味で。
それくらい視線にすでに殺傷能力が備わっているような気がする。
いきなり猛ダッシュをかけられて逃げない人間がいるだろうか、いやいまい。
マスタング先生、反語の使い方あってますよね、点くださいと言いたいくらいだ。
慌てて積み上がった木箱を駆け上る。
グラグラと揺れたそれは、が窓枠を何とか掴んだ瞬間にドンガラガッシャンと後ろに崩れ落ちた。
背後にいたのは、言わずもがな、である。
「?!・・ぉわっと、あっぶねー・・・オイッ!!」
校舎内に滑り込めば、盛大な舌打ちと共にバコンと重く恐ろしい音が聞こえた。
自分の身代りとなって蹴りだか何だかを受けバラバラになった尊い犠牲に、心の中で合掌をする。
これで物理準備室になどいけるはずもなく、廊下内を他の学生に紛れてその流れのまましれっと正門を抜けた。
あの腕章たちは裏門の見張りに力を入れているのか、今や正門の方が警備が手薄である。
「・・クレープ・・」
今回もありつけなかったやるせない気持ちを、は溜息と共に零した。
散々校舎内を据わった眼で走り回って、揚句「生徒を脅えさせるな」という理由で生徒会長に正座を命じられ説教を受けている相手もまた、心の中で同じ言葉を呟いていることなど、には知る由も無かった。
「・・・ん?」
午前授業で終わる土曜日。
中身のほとんど入っていない鞄を肩に引っ下げてふらっふらと明るい住宅街を歩いていれば、前方にここらではあまり見慣れない金髪を見かける。
・・いや、フレンのは見慣れてっけど。
それより目立つ鮮やかな金色だ。
しかも、二人。
そして左右を金髪に挟まれて、女子が間に一人いる。
なんとなく、どこかで見たような気がしたが・・・思い出せない。
そう考えていた思考を吹っ飛ばされるような声で、片側の金髪から怒鳴り声が発せられた。
他の二人は耳を手で塞いで遮っている。
出来るならユーリも耳を塞ぎたかった。
かと思えば顔を突き合わせて、急に何やらひそひそと話し出す。
見るからに怪しい、怪しいのだが・・・・。
小学・・いや、さすがに中学生か?
元気よく怒鳴っている少年の背丈をみて、そう判断する。
出来てかわいいイタズラってとこだろう。
わざわざ声をかけるまでも無いかと判断して、ユーリは道を曲がった。
「だぁら、俺は何もして無いっての!」
「もー兄さん、いつもそう言うけど」
「まあまあ」
ムスっとした顔のエドワードと、まだ言い足りない様子のアルフォンスの間に立って止めるのは日常茶飯事だ。
まだウィンリィがいた時はもっと楽だったのだが。
「それで、ちょっと言い争いしちゃったタイミングで転校しちゃったから、エドのせいだって?」
「・・・・・」
完全に拗ねたような顔をするエドワードの顔を覗き込んで、不謹慎にもプッと笑ってしまう。
途端にキッと睨まれても、つい浮かんだ微笑みは仕方が無いものだ。
「他にきっと、ちゃんと理由があるよ。大丈夫、エドのせいじゃないって」
アメストリス高校には、放課後活動の一環として部活動が存在する。
入っても入らなくても支障はないのだが、まあまあの興味と彼らが入るということでもつられて入部しているのが、マルコー先生が顧問をしている人体神秘部、通称U(ユー)部である。
そう呼ばれている理由は、所属するメンバーが各々好きなものを調べていて、その中にUFOやらUMOやらが当然入ってくるからだ。
怪しげな部としかいいようがない。
「モルディオさん、ね・・」
思い出そうにも、学年が違う上に結局あまり部活動に参加していないために誰がそれだか分からない。
何にせよ。
「エドと言い争えるなんて、その子も頭良いんだね」
「うん。それに可愛いよ」
さらっと、アルフォンスが続けた。
本当にこの天然王子は怖い。
飛び級のエルリック兄弟と言えば、校内で知らないものはいない。
この爽やか天然な弟にはもちろん、スポーツ万能成績優秀、口は悪く手も出るが、困ってる相手には何だかんだで手を貸すし上にも物をハッキリ言う真っ直ぐな性格で、兄も人気者だ。
何しろこの外見。
太陽のような眩しい金髪に、キラキラと強い意志を持つ瞳についつい視線を引き寄せられてしまうもの。
その二人の間に挟まれている自分はと言えば・・・。
「・・・・・」
すごく、陰湿なものから鼻で笑って済ませられるものまで多種多様。
でもたいていは自身で対処出来るから問題は無い。
女子友達がいなくとも、彼らといる方が居心地がいいのだ。
「で、エドはその相手がどうしてるか心配でそわそわしてる、と」
「してない!!!」
「兄さん、うるさい」
ここは住宅街、とまた弟に注意されている。
お互いの理論で曲げられないところがあって、言い争って対立。
二人とも負けず嫌いのようで、そのまま顔を合わせれば口喧嘩勃発。
そんな最中に相手が転校。
で、周囲に「お前が悪かったんじゃないのか」と噂されているという現状らしい。
エドワードの有名人さ加減からいえば相手が女生徒だったこともあり、おそらくはからかいが半分以上ってとこだろう。
「マスタングの野郎がネチネチネチネチ・・あぁあ゛、あいつの嫌味ってほんとどうにかならねーのかよ!」
「まあまあ、落ち着きなよ」
ぽんぽんと肩を叩いて、ついでになでなでとその頭を撫でる。
ジロリと睨みあげられるのも日常だ。
「それに、ほらそろそろ夏休みだよ」
「レポートは無事に出せたの?」
「アルはさりげなく意地悪だよね・・」
「そんなつもりじゃないよ!」
「分かってる」
ほっとしたようなアルフォンスの顔が、何かを思い浮かべてパアッと綻ぶ。
「そうだ!宿題、も一緒にやろうよ」
「始まる前から、その話題・・・」
さすがだな、と思いつつ、は夏休みが来る前に少し憂鬱な気分になった。
ジワジワジーワと鳴るセミの音が住宅街を真夏色に染めていた。
background by ヒバナ