リードは長く、緩やかに


..3





「何かあったら、スタッフの誰かを呼べ。うろうろするんじゃない、分かったな」

「・・でも」

「これ以上迷惑をかけるなら、私は部屋に閉じ込めても良いと思うんだが」

怖い顔で脅すように言われては、分かったと頷くほか無い。
本当だな、と念を押してから、大きな手で頭をそっと撫でられる。
心配をかけたとアリスは密かに落ち込んで、こくりと小さく頷いた。
その様子を見て、ユリウスはほっとしたように表情を緩めた。

「じゃあ私は、ジェリコに話をしてくる。・・・ちゃんと、休め」

そう言って、大きな手は離れていった。
パタンと扉が閉じられる。
部屋の中は静かになった。

「・・・夢、だったのかしら」

そうとしか、思えない。
エースがいたと思ったのだ。
いるはずの無いハートの国のエースを見て、もみじが舞っている秋の部屋に入り込んで、そこまでは覚えている。
そこで何があったのかは分からないが絵の前で倒れて、誰かが呼んで来たのかユリウスが来てくれた。
名前を呼ばれて目が覚めたように感じた。
では、やはりあれは夢だったのだ。

「変な夢・・・・」

最後に声を聞いた気がする。
だが思い出そうとすれば、それは急に手の中をすり抜けて曖昧なものになっていった。
きっと、覚えている必要はないものなのだろう。
おかしな夢の残りを追うのはやめて、アリスは目を閉じた。
今度は夢も見ないほど、深く眠った。





それから、また数時間帯。

「そんなに、おかしなところは無いのに・・」

口を尖らせて一人、部屋の中で愚痴をこぼす。
寝てばっかりはいられない。
よく眠れば、すっきりと目は覚めてもう体もなんとも無い。
なのに、出歩くことが許されない。
動き出したい体を持て余して、ベッドの上で意味も無く足をばたつかせる。
これではまるで、子どもの癇癪だ。
分かってはいるが、止められない。

「なんとも、無いのに・・・」

部屋を出て動き回れば、どこからか現れるユリウスに部屋に連れ戻される。
自分だって時計の修理に忙しいくせに、変なところでまめな人。
こっそり出歩いても、ばれる。
美術館を歩けば、ユリウスに情報を提供するスタッフはわんさかいて、大して歩き回らない内に情報は勝手に伝わるらしい。
怒ったように大股で歩いてくる姿には、最初こそびっくりして大人しくしたがっていたが、3回目には辟易してしまった。
全く、監視カメラもかくやという情報伝達の早さだ。

「・・・・・」

手持ち無沙汰ならとジェリコが苦笑しながら貸してくれた本も読み終わってしまって、部屋から外をぼんやりと見ていれば、退屈以上に自分の心が沈んでいくことに気が付く。
静かな部屋に一人でいれば、思い出さずにはいられない。
これまで巡ってきた国のこと。
今の国には、それまでの彼らがほぼいないという事実。
やり直しを迫られる関係。
そして、何かは分からないが、自分が何かを忘れてしまっているという焦り。
・・・・そして、おかしな夢のこと。
不安が募っていく。

「・・・・・」

「君は、もう分かっているよね?」

瞬きをした瞬間に変わる景色。
見渡せば、また背の高い透明な水晶が聳え立つ野原に立っていた。
かけられる声に振り向けば、暗褐色の髪と片目の道化師がこちらに微笑みかけている。

「・・・何のことかしら」

ずっと感じていた不安な気持ちを言い当てられたようで気味が悪い。
でもこれが夢なら相手が自分の思っていることを分かっても、何もおかしくはないと強がる。
だから、何を言っているか分からないと返した。
頷くわけにはいかない、・・・認めてはいけない。
これはただの夢の中の出来事なはずなのに、そんな気がする。

「気付いているくせに、どうして君はそう目をそらすのかな」

はあ、と大げさに溜息を吐いて、まるで落第点を出した生徒を前にするように落胆される。
不快感に眉根を寄せる。
誰だか良く分からない相手は、でも何度も見たことがある気もするし、でもそれは何だかぼんやりとした記憶の中で霧がかかるようによく分からない。

「君の心はそんなにも焦りを感じているのに」

「っ!!」

言い当てられた胸の奥が、ざわりと波打つ。
思わず浮かべてしまった表情を見て、道化師はほうらと嬉しそうに笑う。
立ち並ぶガラスの表面をゆるりと撫でて、ちらりとこちらに視線を寄越してみせる。

「君は忘れることなんて出来ない。そうだよね」

忘れることなんて出来るわけがない。
それがどんな結末を引き寄せようとしても、とても大切なものだったはずなのだ。
記憶の底のぼんやりとした透きガラスを通したようなその先に、焦点を合わせるように集中する。
不意に自分の体の脇に立つガラスの表面がキラリと光って、鏡のように自分の姿を映し出しているのが見えた。
吸い寄せられるように目が離せない。

「よく見てごらん」

自分の影がぐにゃりと揺れて、新たな形が生まれようとしていた。
それは、薄い上品な紫色の・・・。

「アリス!!」

「!!!!!」

ハッとして瞬きを繰り返す。
慌ててきょろきょろと辺りを見渡せば、そこは美術館の中でもあまり入ったことのない薄暗い廊下の端だった。

「え?・・・・・」

自分の肩を掴む相手を、ぼんやりと見上げる。
顰められた眉、きつく引き結ばれた口元。
藍色の瞳が鋭くこちらを探るように見ているのを感じる。
顔が寄せられて瞳の中を覗き込まれた。
何を言うべきかも、自分の状況も分からずパチパチと瞬きを繰り返す。

「・・・何があった」

「よく、分からないわ。気が付いたらここに・・どうしてかしら」

「よく分からない、だと?自分がどうしてここにいるのかが分からないのか?」

「ええ」

ぺったりと座り込んでいて、壁と床の冷たさが体に凍みこんでいく。
一体、自分はいつからここにいて、何をしようとしていたのだろう。
考えていても記憶の断片さえ見つからない。

「・・・・・」

「・・・ユリウスは、何か知っている?」

自分でも馬鹿なことを聞いていると思う。
自分で起こしたはずの行動なのに、全く覚えておらず他人に聞いている。
肩を掴むユリウスの手に力がこもって、何かを逡巡したような間の後に、ぐっと引き寄せられた。
見慣れた黒い外套の胸元に抱きこまれる。

「・・・部屋を訪ねたらお前がいなかった。なのに、誰もお前の姿を見ていないと言う」

押し当てられた胸元から、チクタクと規則的な時計の針の音が聞こえてくる。
何も言わずにじっとしながらその音を聞いていれば、少しずつ心が落ち着いていく。
自分の部屋にいたはずなのに、気が付いたら勝手に移動しているなんていう異常な事態だと、どこか他人ごとのように考えて見る。
それではまるで夢遊病者だ。

「それで・・探してくれたの・・?」

抱え込む腕に力がこもる。
何も答えずとも、それが答えだ。
いなくなった自分を探してくれた。

「ありがとう、ユリウス」

「礼などいらん」

「だってあなた、仕事もあって忙しいはずなのに」

こうして、見つけ出してくれた。
不安を完璧に退けることは出来なくとも、安らぎをくれる。

「そう思うなら、勝手にうろついて迷子になるな。そういうのはあいつだけで十分だ」

嘆息していうあいつとは、間違いなくエースだろう。
まさか、エースと同じ扱いになってしまうとは。
さすがにエースよりはしっかりしているつもりだったが、こうなってしまっては何も言えない。
ユリウスに迷惑をかけて、心配させてしまった。

「ごめんなさい」

「・・・・戻るぞ」

そっと離された体は、ぬくもりが移ってじんわりと暖かい。
手を引いて立ち上がらせてくれて、その掴んだままの手を引いて歩き出す。
こつこつと歩くユリウスの、ちょっと後ろを歩く。
本当に、自分はどうかしたのだろうか。
そっと後ろを振り向いて見る。
廊下の影から甲高い笑い声が聞こえてきた気がして、急いで前を向いて歩みを速めた。





「・・・・・」

キイ・・パタン

扉の閉まる音がする。
無言のまま部屋に入って、どうしたらいいのだろうと相手の顔を窺う。

「・・・適当に座っていろ。珈琲を淹れてくる」

そっけなくそう言ったかと思えば、繋いでいた手はするりと離された。
本が積み重なった小さな丸いテーブルの端に座る。

「・・・・・」

ぐるりと部屋の中を見渡して、そして簡易キッチンで珈琲を淹れる長身の後姿を眺める。
てっきり、自分の部屋に連れて行かれると思っていた。
なのに手を引かれるままに歩き続けていれば、辿りついたのは時計修理をする作業場たる、ユリウスの部屋だった。
時計塔に滞在して、見慣れた部屋の中そのまま。
テーブルに置かれた本の、一番上に積まれたものを何となく手に取ってぱらぱらとめくって見る。
この本も、読んだことがある。
時計の部品について事細かに書かれた、図鑑のようなものだ。

「・・・ふふ」

つい、思い出して笑ってしまった。
ハートの国のユリウスの部屋で一緒に暮らし始めて、床に散らばる部品を集めていれば、それが時計の内部でどう使われる、何と言う部品かどうかも気になってくる。

「・・・お前が読んでも面白くもなんとも無いだろう」

背後から差し出された珈琲を受け取る。
そのユリウスの言葉に、また笑みがこぼれてしまう。

「いいえ。とても興味深いわ」

返す私の言葉も、あの時と同じ。
訝しげにこちらを見るユリウスの視線を感じる。

「読んだことあるのよ、この本」

「お前がか?」

珈琲を飲む手を止めてこちらを見る顔には小さな驚きと、そして困惑。
それも、そうだろう。
時計修理のための専門書だ。
必要でも無ければ手は伸ばさない類のものだし、この世界では間違ってもそう必要とすることなどない。
時計屋である、彼以外にとっては。

「・・・・・」

何を思ったのかは分からないがそれ以上は何も言わず、ユリウスはまた一口、珈琲を飲みながら彼の定位置である作業机の椅子に座った。
読むなとは言われなかったのだ、そのままパラパラと読み進める。
静かな作業部屋の中に、カチコチという時計の針の音、ページをめくる音、そしていつからかユリウスが時計の修理を始めた音が入り混じる。

カチコチ・・
カチャ・・カチカチ・・
・・・・パラリ

それ以外は無い、静かな空間。
引き離されてしまったはずの、懐かしい時間に包まれる。
離れがたいこの時の中にいたくて、アリスは手元の本に無理やり意識を没頭させていった。





「・・・・・」

パタリ

仕事も休みになってしまった今、他にやらなければならないことはない。
殊更にゆっくりと時間をかけて熱心に読み進めていた本は、それでもいつの間にか最後のページをめくり終えていた。
最後まで読んでしまったなら、後は本を閉じるしかない。
時計の修理を手伝わせてもらっていたハートの国の時とは違い、ページを戻って読み直す必要は今はない。
小さく息を吐いて、アリスは静かに本を閉じた。
惜しい気持ちもあるが、これ以上長居する理由はなくなってしまった。
ユリウスは読み終えたこちらに気が付いているのかいないのか、相変わらず時計の修理に勤しんでいる。
本を積んでいた山の上に戻す。

この本を棚に戻すくらいなら、いいかしら?

離れがたくて、でも何もせずにぼおっとしているのもそれはそれで居辛い。
ここにいるための理由が欲しかった。
そうしようと思い立って、椅子を引いて立ち上がる。
積み重なった本を抱え上げようとした瞬間。

「・・・どこへ行くつもりだ」

「え・・」

静かに声をかけられて、びっくりして声をかけてきた相手の顔を見る。
ユリウスは手元からは目を離してもいない。

「ここにいろ」

一瞬、空耳かと思ったアリスの方に今度こそ顔を向けて、ユリウスはきっぱりと言った。
ドキリとした。
ここにいたいと思った自分の願望が見せている幻聴、幻覚かとその顔をまじまじと見る。
見られているユリウスの顔は徐々に赤くなっていって、とうとうふいと視線をそらされてしまった。

「・・いても、いいの?」

自分の鼓動がドキドキと落ち着かない。
返事を待つ、数秒でさえもどかしい。

「ああ、ここにいればいい・・・そう言っただろう」

自分の顔に笑みが浮かぶのが分かる。
嬉しい気持ちが抑えきれなくなって、駆け寄って気難しい顔でそっぽを向いているユリウスの首に飛びついた。

「なっ・・・なな何をするんだお前は、いきなり!」

「だって、嬉しいんだもの!」

「だからといって、急に飛びつく奴がいるか危ないだろう!」

危ないと言った彼の手元には、修理しかけの時計がまだ握られている。
確かに、動揺して落としでもしたら大変だ。
アリスはぎゅっと巻きつけた腕を少し離して、羨ましいくらいいつも手触りの良いユリウスの髪に頬ずりをしてから、体を起こした。

「折角いさせてくれるんだったら、本を本棚に戻してもいいかしら?」

「?・・は?いや、そんなことしなくていい・・」

「何もせずにここにいろって言われても、私が困るわ」

「・・・・・」

きっぱり言えば、困惑した顔を呆れに変えて、観念したようにユリウスは息を吐いた。

「・・分かった、好きにすればいい」

「ありがとう、ユリウス」

「だが、作業机の上のものと、そこの部品と・・」

「ええ、触らないようにするわ」

「・・・・・」

先回りして答えれば、話し続けようとしていた口を一旦閉ざす。
何か逡巡するように視線を巡らせていて、アリスはその先を待った。
ユリウスは説明が下手なわけではないが、何より口下手だ。
そんな彼が話し出すのを待つことは日常茶飯事、だった。

「・・本を仕舞うだけだ、他に余計なことはするな。そこにある本は元に戻すなら、好きに読んでいい。喉が渇いたなら珈琲でも淹れて飲め。疲れたらそこのソファでも・・私のことなど気にせず、ベッドでも良いから使って寝ろ。・・・・・腹が減ったら声をかければいい」

「・・・・え?」

大人しく待っていれば、いきなり早口で何やら指示を出される。

「異論はあるか?」

「え・・え???」

異論も何もない。
ユリウスに言われた言葉を反芻するだけでも精一杯だ。
・・だが、頭の中で何度言われたことを繰り返してみても、意味が分からない。
何かあるなら言ってみろと、ユリウスに目で問われている。
だが、それに返せる言葉が見つからない。
パクパクと口を開いて閉じてを繰り返して、アリスはようやっと声を出した。

「・・・えっと、私そんな長居をする気は無いわ、よ?」

確かに、いてもいいと言われて喜んだ。
だがそれはいつでも好きなときに、この部屋を訪ねても良いとそう許可をもらえたのだと思ったからで。
まさかそんな、ユリウスの部屋にロングステイする気はない。

「さすがに眠くなったら、自分の部屋に・・」

言いかけた瞬間、ユリウスの目がすっと細められた。
驚いて、言いかけた言葉を止めてしまう。
何か自分はおかしなことを言っただろうか。

「さっき、私が言ったことを聞いていたのか?」

「え、ええ・・でも」

「なら、そうしろ」

「そうしろって言われても・・・一体、どうしたの?」

常に無い、ユリウスの強引な言動。
ようやっと回り始めた頭で考えれば、ユリウスはどうやらずっとこの部屋にいろ、とそう言っているように聞こえる。
だが、ここはハートの国の時計塔ではなく、他にも寝起きできる部屋はあり、もちろんアリスの部屋も他にちゃんとある。
あの時は他に生活できる部屋が無かったから、同じ部屋で寝起きしていたのだ。
もし時計塔で他に部屋が空いてたら、自分だってさすがにそっちを使っていたに違いない。
・・・今思えば、いくら他に部屋が無かったとはいえ、知り合ったばかりの男の家の、いきなり同じ部屋で寝起きさせてもらった自分の強引さに、顔から火を噴きそうだ。
ユリウスに心からの感謝と、申し訳なさがこみ上げる。
本当に彼は良い人だった。
大切で大好きな家族だ。

「・・あなたらしくないわ」

だがダイヤの国のユリウスは違う。
同じだけど、違う関係のはず。
だんだんと心配になってくる。

「あなた、疲れているんじゃない。私じゃなくて、あなたが寝たほうが良いわ」

おかしな言動が出るほどに、修理の仕事が詰まっていたのかしら。
そう思えば、最近は特に自分を探し回らせてしまったと反省する。
無言でこちらを見ている相手に、やっぱり寝たほうがいいと再度念を押して、アリスは背を向けた。
自分の部屋に戻ろうとした。

「・・・・行くな」

「・・っ・・?!」

いつの間に近づいてきたのか、全く分からなかった。
気が付けば腕を掴まれて引き寄せられて、目の前にはもう暗闇しかない。
抱きしめられたのだと分かった。

「ど、どうしたのよ本当に」

「ここに、いてくれ・・私が見える場所に」

ぴくりと肩が小さくはねる。
それをどう思ったのか、抱擁は力強いものになった。

「・・・倒れているお前を見つけた時、時計がバラバラになるようだった」

「・・・・・」

「お前は何も覚えていないと言うし、・・・だが、ひどく魘されていて」

魘されていたというのは、初めて聞いた。
その時見ていた夢をぼんやりと思い出す。
水晶の煌きが、瞼の裏から消えない。
あれは本当に夢だったのだろうか。

「その前にも倒れたばかりだろう。これ以上、一人にはしておけない」

「大丈夫よ、今度こそちゃんと部屋で大人しくしているわ」

言いながら、まるで大丈夫よね?と自分に言い聞かせているようだ。
自分でもどうしてあんなところにいたのか分からないのだから、絶対と言い切る自信はない。

「・・・これ以上ふらふらして迷惑をかけるなら部屋に閉じ込めると、そう言ったな?」

「え」

あれは、脅しのためであって本気では無いと思っていた。

「私は、本気だ」

瞠目するアリスを、深い海の底のような瞳が見据える。
それは深く、底知れない闇を孕んでいた。

「でも、そんな・・」

見知ったユリウスの藍色の瞳であるはずなのに、今はまるで知らないもののように見える。
アリスが動揺すれば、ユリウスの瞳が揺らいだ。
一度閉じて、また開かれる。
寄せられた眉はそのままだったが、閉じたその一瞬の間に覗いていた闇が押さえ込まれたように姿を消して、また見慣れたユリウスの瞳を覗いている。

「・・・お前が、良くなったと私が思うまで。それまでだ」

「それは、いつなの?」

ユリウスは何も答えなかった。
もしかしたら、ユリウスは何か知っているのかもしれない。
私が、おかしな夢を見ていることにも気が付いているのだろうか。

「私、どこかおかしいのかしら」

聞いた私の体を少し離して、ユリウスの目線が体の上を辿る。
行き着いた先、その目が見ている先を見て、同じように見下ろして見る。
見下ろしたところで見えるわけではない、その視線の先。
心臓がある、左胸。

「・・・・まだ」

そっと手を添えられる。
何かを確かめるように。
そっと、鼓動を感じるように押し当てられる。
その先を言おうとして、痛みをこらえるように顰められる顔を見た。
同じように、ユリウスの左胸にそっと右手を添える。
ユリウスの体がびくりと小さく揺れたのが分かったが、手を離さずにいた。

カチコチカチコチ・・・。

規則正しい、針の音が聞こえる。
動揺していても、速まることは無い時計の音。
手を離して、今度は耳を押し当てる。
躊躇ったように背中に回される手を感じる。

「私好きよ」

「・・何が・・」

「あなたのこの音」

「っ!・・こんなもの」

「好き。・・・聞いているとすごく落ち着くの」

だから、こんなものだなんて言わないで。
ぎゅっと広い背中に手を伸ばす。

「あなたの心臓の音だから、好き」

ずっと聞いていたいと思う。
少しずつドキドキと心拍数の上がる自分の心臓の音と、いつも変わらずに一定のリズムを刻み続けるユリウスの時計の音。
混ざって一つにはならないけれど。

「あなたが、良いと思うまで」

まだ、のその先を知るまでは。
ずっとこうしていたいと思う。




◆アトガキ



2013.8.18



お、お待たせした挙句にこんな。
ユリウスこんなんじゃないよー!って思った方、本当にすいません。

※ここから先は、更なるネタバレです!!
それでも良いという方は、反転してください。

ダイヤをプレイして、ミラーの攻略にちゃんとユリウスが出ると分かって、期待していたんですよ。
看病、監禁(?)ネタを!
だって、ダイヤのブラッドもシドニーもやったじゃないですか。
心配の余り・・的な。
・・・強引S(複数形な気持ちだったけど、エスでもあってますね)な二人が特に印象深くって特にこのネタでぐっと来ていたんです。
でもミラーでは、ダイヤほど倒れたり体調を崩したりしなかったので、あれと思っていたら・・まさか無いとは。
しかも、それが徐々に住人になっている予兆だ、的な説明も誰もしないし。
まあ、とにかく強引なユリウスが見て見たかったんです、はい。
仕方が無いので、書いてみましたが・・。
・・・・・何度書き直したことか、それでもこれか!と自分の限界を見てしまった気分です。
何度か書き直したので、おかしな展開や繋がりが残ってしまっていたらすいません。
落ち着いたらまた、見直したいと思います。

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