舞台袖で踊る
一
もう良い歳だ。
知り合いとはいえいつまでも他人のところに厄介になっているわけにはいかない。
自分で働いて稼いでいかなくてはならない。
家督を継ぐ男性を誰か探して嫁ぐなんていう考えは無かった。
恋愛ごとに興味が無いから仕方が無い。
礼儀と作法は、十分とはいかないがそこそこ出来る。
「と申します」
にこりと微笑んでみせた。
出身で配置場所も決まるというもの。
ざっくりいえば、私の所属先は汚れ物担当だ。
掃除に洗濯、洗い物。
広い城内にはそれに見合った分の部屋がある。
使ってるんだか使ってないんだか分からなくとも指示された通りにそれらの部屋を回って行き、シーツやタオルやもろもろの布類を回収し新しいものと交換したと思えば、今度は備え付けのトイレや風呂場や手洗い場を掃除していく。
気が遠くなる。
使ってないところは毎日やらなくてもいいんじゃないか、とは思えど言える立場では無い。
その間に、別の担当の者が掃除中の部屋に入ってきて、備え付けの食器を磨いて花瓶の水を捨て新しい花を活けていく。
「捨てといてちょうだいね」
しゃがんで床を拭いていたこちらを見下ろすその目には、微かな愉悦と侮蔑。
自分より下にいる立場の者を見て、余程嬉しくて仕方が無いらしい。
正直どっちもそんなに変わらないと思うんだけどと見上げていれば、その視線にか答えず無言でいたことにか、それともその両方にだろうか、彼女の顔が微かな怒りに歪んだ。
しまったと思ったけれどそれよりも怒りにかられた彼女の動きの方が早かった。
ビチャリと冷たい水が頭にかけられる。
「あら、ごめんなさい」
思ってもいない謝罪。
かけられた水を避けて俯いた視界で、前髪から滴るしずくが落ちていくのが目に映る。
「いた・・何、」
見上げる前に頭を抑えられまとめていた髪を引っ張られる。
何をと見上げた先で、萎れはじめた数本の切り花を持った彼女の手がそれを強引に髪の間に差し込んできたのが見えた。
「お似合いね」
楽しげに笑ってその濡れた手を新しく変えたばかりのタオルで念入りに拭く。
「じゃあ、後はよろしくね」
そうして扉はパタンと閉められた。
「・・・・・」
何か余程ストレスが溜まっていたのだろう。
傍から見ればあっちもこっちも同じただの城のメイドだというのに。
それでも彼女からしたら仕事内容も立場もまるで違う、とでも言いたかったのかもしれない。
自分の方が偉いのだと。
「・・くだらない」
怒ってやり返すことは出来る。
でも水をかけ返して嫌味を返して、・・それでどうなる。
最終的にこの場を片付けるのは自分になるだろう。
その場を見られて処罰をされ、給料も減らされるのもおそらくは自分だけ。
やるだけ無駄だし、デメリットが多すぎる。
「へえ。・・やり返さないんだ?」
髪に絡んだ茎を抜こうとしている耳に届いた声音に、はっとしてベランダを見た。
見知らぬ男性がいる。
黒尽くめに長い髪。
女性だと思わなかったのは、先に声を聞いたのと開け過ぎな胸元が見えたからだった。
「ちょ、っと待てって」
ヒュッと息を吸い込んだのを見て取って、相手が心持慌てた様に手の平を向けてきた。
「怪しいもんじゃねえよ」
どこからどう見ても怪しい者にしか見えないし、何しろ窓から入ってくるなんて不法侵入だ。
大声を上げようとした喉は一端そのタイミングを失ってからは動揺に縮こまってしまったみたいで、もう誰かに届くような大声は出せる気がしない。
何度か声を出せば大きくはなるかもしれないが何度も声を出すより先に捕まえられるかもしれない。
「・・・・、」
一歩入ったベランダの前からまだ動く気配の無い相手を前に、じりじりと後ずさる。
掃除をしようと窓を開けていた自分に小さく舌打ちをして、背後の扉の位置を横目で確認した。
この男にこれ以上近づかれる前に廊下まで出られるだろうか。
そこまで出たら衛兵でも誰でもいいから誰か助けを呼べるかもしれない。
「何もしねえから、ちょっと落ち着けって」
こちらの動きを見てか、どことなく面倒そうにそう言った相手はやれやれと首を振った。
「窓からいきなり入ったのは悪かった」
「・・何が目的ですか」
「フレンの顔を見に・・・、ってフレンは知ってるよな?」
何を言い出すのかと思えば、城で働いているのに騎士団長のことを知らないわけが無い。
騎士団長の知人を名乗り始めた男を、遠慮なく訝しげな目で見返す。
「オレ、あいつの知り合いなんだけど」
「嘘」
「嘘じゃねえっての。あいつに聞けば分かるって。あ、オレの名前はユーリな、ユーリ・ローウェル」
ご丁寧に自己紹介もされたがそれでどうしろというのだろうか。
そもそも一介のメイドが用もなく多忙な騎士団長と話が出来るはずもない。
「ユーリさん、」
「ん?」
「言われても私には判断できません」
「・・・・・」
「大人しく城の兵に引き渡されてくれませんか」
駄目元で頼んでみれば、それを聞いた相手の目が少し丸くなった。
そうしてその目がふっと笑みに変わる。
何だろうかと戸惑う内にさっさと歩き出す相手に、思わずぎょっとして壁に身を寄せる。
やっぱり駄目か。
脅されるか乱暴されるか、最悪口封じに殺されるだろうか。
対抗する手段を探して彷徨う視線に花を活け替えたばかりの花瓶が目に入った。
思わず伸ばした手は、それより大きな手に止められる。
「っ」
「城の女は何かあったら花瓶投げろってしつけられてんのかね」
溜息交じりの声の近さに思わず肩が跳ねる。
近づけば長身の相手に見上げた視界が陰る。
どうあってももう逃げる隙は無さそうだと観念した手から力が抜けた。
さて、自分はどうなるだろうか。
これで人生が終わりなら一日散々な幕引きだったな、と最早他人事のように視線を相手から背けた。
「・・それにしても、」
まだ、何かあるのだろうか。
近づいて自分の抵抗する手段すら奪ったくせに、それ以上動かないかと思えばぽつりと呟きが降ってくる。
「何か、っ」
頭に手が触れる。
何をされるかと身を固くするこちらに一端止まったように思えた手は、また無遠慮に髪に触れてきた。
ごそごそと頭上で何かを探る様に動く指先に居心地の悪さを感じていれば、スッと何かを引き抜かれる感覚。
はっとして頭上に手を伸ばす。
「あんたにこの花、似合わねえな」
指先に挟んだ切り花を器用にくるくると回して、悪戯そうに相手は笑った。
◆アトガキ
2017.1.17
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