あまいもの、すき。
ケーキもいっぱいたべたい。
ハンバーグもすき。
ねるまえにジュースをのんだら、ほんとうはだめ。
でも、これはとくべつ。
「わたしがすきなものは、」
きょうはなんていおう。
きのうはチョコレート。
そのまえは、ぴかぴかのほうせき。
そのまえは、……なんだったっけ?
あんまりおぼえてない、まあいっか。
きょうはね、
「あおぞらが すき!」
「分家?あ?とっくに除籍したってとこ?」
呪物の横流しや世間に出せないお薬の売買その他諸々、目に余る行動が多くて除籍したどっかの家が、五条家との繋がりを戻すよう取りなしてほしいと持ちかけてきたと、一応交流のある分家からの情報だった。
一応見た目はきれいになったように見えるが、やけに羽振りが良くなった理由が分からなくて逆に怪しい……、って言われてもさ。
「あのさぁ、忙しいんだよね」
知ってるだろうけど。それ、僕じゃなくて良くない?
はぁ。結界?そんなもん、後ろ暗いとこないんでしょっつって、開けさせりゃいいじゃん。それでもし違かったら?、ってさあ。そんなん知らないよ。
「ああ、はいはい、見てくりゃいいんでしょ」
でもそれ急ぎじゃないなら近場に任務あった時のついでで良い?って言ったら、近場の任務をねじ込まれた。そういうことじゃないし、何この手応えなさ過ぎな呪霊。
絶対僕じゃなくて良かったっつーの。
そんなストレスフルな状態で、配慮もへったくれもない。
敷地の奥まった所に屋敷全体を覆おうのとはわざわざ別の結界が貼ってあって、近くに見張りもウロウロしちゃってさあ。外から見えないように隠してる意味なさ過ぎ。
ここに何かありますって説明してんのかって感じ。まあ、僕には何の意味も無いけど。
ちゃちなくせして2重3重にかけられた妙な結界は全部ふっとばしたから、今頃術者には盛大な反動が来てるだろうけど、そんなもん知ったこっちゃない。
「このおうちが すき!」
聞こえてくる無邪気な声。
その声質には、少し違和感を感じる舌っ足らずな喋り方。
きしょくわっる。
「はいはい、失礼するよ」
「なっ、いきなり誰だ」
「どうやって入っ……」
庭先に降り立ち、土足で上がり込む。
板張りの廊下を足音を隠さずに進み、障子を蹴り開けて室内に踏み込めば、散らかった部屋に大人が3人。
子どもは、いない。
うるさい野郎をさっさと沈めて、視線を巡らせる。
部屋の内装に不釣り合いなパステルカラーのラグマット。
あちらこちらに転がっているぬいぐるみに着せ替え人形、オルゴール。
おもちゃのドレッサー。天蓋付きのベッド。
液体が入っていたと思われるグラス。
細長い猫のクッションを抱えて座り込んでいる、女。
見上げてくるその顔と目があった。
ぽかんと呆けている。
ぎゅっと抱きかかえたその布製の猫と同じ、気の抜けるような顔。
じっと見下ろしていれば、じょじょにその眉がハの字になって、そっと隅へ後退る。
「だ、だれ」
妙な呪力が邪魔をして上手く見えない。
そのまとわりつく粘っこい呪力は、足元に転がした男と、そして後ずさった細い足が蹴飛ばしたコップに残る残穢と同じ。
胸糞悪ぃ。
ハァーと盛大に吐いた溜息に、怯えたように更に後退った彼女に近づいて、その場にしゃがみ込む。
「ねえ」
猫型の抱き枕に顔を埋めるようにして、前髪の隙間から様子を窺う目がきょろきょろと不安そうに辺りとこちらを忙しなく彷徨う。
目が合わない事にああと独り言ちて、アイマスクを外した。
途端、目と目があったその瞳が、きらきらと好奇心で輝きだした。
「ね」
背を更に丸めて、さっきより柔らかい声音を心がけて呼びかける。
「きみ、何が好き?」
何かを言おうとした顔が、転がした男を見遣る。
その姿を隠すように横にずれる。
「だーいじょうぶ、何もしないから。ちょっと教えてくれる?」
「でも、……ジュース、ない」
不安そうな瞳が、床を転がっていったグラスを捉えている。
「ああ、飲まなくてもいいから」
「でも、」
「……痛いことはしないよ。ね、誰にも言わないから、僕に教えて」
腕をさすり、すねの辺りを撫でる。
怯えた瞳。
衣服の下にはたぶん、折檻の痕がある。
硝子に頼んで治せるもんは治すように、まあ言わなくてもやるだろうけど。
優しく、声を潜めるように言って、小首をかしげて見せれば、辺りをきょろきょろと見回してから、その体がおずおずと近づいた。
顔を傾けて差し出した耳に、小さな手が添えられる。
「あのね、」
「うん」
「わたし、ねこちゃんがすき。でもあなたのめも、おそらみたいで、すき」
《わたシ、このオうちが すキ。コノおウち、コのオゥちガ、スきィ》
二重の音声みたいだった。
秘密をそっと打ち明けるみたいなささやかな声、そこに被さるような妙に高い声。
「教えてくれて、ありがとう」
不快な声を聞かなかったことにしてそっと顔を正面に戻せば、無邪気な瞳が撓んでそして元の位置にぴゅっと戻る。
「教えてくれたお礼に、良いもの見せてあげる」
首を傾げる彼女にそっと近づく。
不思議そうに見上げる彼女の額を、とん、と軽く突いた。
ハッと目が覚める。
白い天井、閉められたカーテン、ベッドの柵と思しきパイプ。
目だけで周囲を見て、視界に映る景色になにひとつ見覚えがないことに慌てて体を起こした。
「ぅ、うえ」
ぐらんと視界が回って吐き気に襲われる。
思わずえづいた口元に当てた手の、その腕からは細い管が伸びている。
ベッドの脇にぶら下がる、何らかの医療的な液体。
怖い。
こうなる前の記憶がない。
ここはどこかの病院だろうか。
「な、ナースコール……」
ベッドの上にうずくまり手を彷徨わせるより早く、シャッと軽快な音がして視界がくらんだ。
「起きたか」
「ぅ、まぶし」
「ああ、すまん。大丈夫だ。落ち着いて」
腕で目元を覆ったからか、静かにまたカーテンが閉じられたけれど、落ち着いた低い女性の声は近い。
そっと腕を除ければ、やけに顔色が悪い白衣の女性がいた。
「具合はどう」
「えっと、目眩とあと、気持ち悪い、です」
「そうか。だいぶハッキリしてきたな。もう少し横になったほうが良い」
そっけない態度にも感じたけれど、伸びてきた手にそっと肩を支えられてベッドに横たえられれば、気分の悪さが少し落ち着いた。
息を深く吐き出す合間にも、指先を取られ何かの器具を装着される。手元のバインダーにペンを走らせて、ぶら下がる液体の様子を見て、そしてまたこちらを見下ろす目と目があった。
「何があったか、思い出せるか」
「何も……。ここは、どこですか」
「ここは、都立呪術高等専門学校。私は校医の家入」
じゅ、何?学校?病院じゃないの?
疑問が顔に出ていたのだろう。
「特別な事情があって、ここにつれて来られたんだけど。名前は?」
「名前……、夜森……特別な事情って、」
「どこまで覚えてる?」
「どこまで……」
ふかふかとは言い難い固い枕に頭を預けて、目を閉じる。
ああ、枕はもっとふわふわだった気がする。
それから、そう。
「ねこちゃん、」
「猫?」
「ぎゅってするとおちつくの。ぶたれたときも、いたいところなでてくれる」
いない、どこにもない。 不安になって両手を彷徨わせる。
薄くて重い、変な布団。
「ベッド、かたい」
「……」
でも、あの場所に戻りたいかと聞かれると、わからない。
ぎゅっと体を丸めて、布団に潜り込んだ。
不安定な声が布団の中からもれて、そして静かになった。
様子を窺うが、それっきりどうやら寝てしまったと分かり息が苦しくないように布団をそっとめくる。
ぎゅっと固く閉じられた目と、胎児のように丸まった姿勢。
それらを見て、家入はそっとカーテンを閉じた。
「どうだった?」
息抜きにタバコを吸いに出たタイミングで、任務帰りの同期に声をかけられる。
や、と手を上げた男を一瞥して、煙を吐き出せば、ベンチの上に缶コーヒーがコンと置かれた。
「名前は覚えてたけど、他はまださっぱり。目が覚めた直後はある程度ハッキリしてたけど、会話の途中で言語が幼くなった」
「あー、まだ抜けきらないか。これは長期戦かもね」
五条が座った勢いで、ベンチが揺れて軋む。
「解毒薬は?呪詛師はボコったんじゃないのか」
「必要がないから作ってないってさ」
「はあ?クソ」
「ね。まあ洗、意思が強けりゃそれだけ早く戻るんじゃない?」
「自浄作用にかけるしかないって?」
「そうね。まあやりようが無いわけじゃないけど、精神は負荷をかけるとすぐ壊れちゃうかもだから、無理させなくても今は様子見でいいよ」
ひらひらと振られた長い腕が、ベンチの背から垂れ下がる。
「名前の他は?なんか言ってた?」
「猫がいないって」
「猫?」
「飼ってたんじゃないのか」
ああ、と五条が思い当たるフシがあったように頷いた。
「ネコチャンね。分かった」
「はい、コレ」
思わず目が点になった。 いきなり開けられたカーテンに、いきなり現れたデカくて黒い男。
目元が包帯でぐるぐるだ。ここの患者だろうか?
そして、いきなり目の前に出されたのは、かわいらしくラッピングされたぬいぐるみだった。持ってる人物にあまりにも不釣り合い過ぎて、その場の時が止まる。
「あれ?違った」
戸惑って、ぬいぐるみと相手を交互に見ていれば、相手もこちらをじっと見下ろしてくる。
「えっと、どなたですか」
外人?日本語流暢だ。背が高くて、白い髪。目を変に隠してるけど、顔立ちも除く肌もたぶん、美人。
「あれ?そっち?」
そっちってどっちだろう。
「まあ、とりあえず。はいこれ」
「え、あ、ありがとう、ございます?」
「うん」
ずいと押し付けられて、ぱっと手が離されれば受け取るしか無い。
強制的に渡された、透明のビニールに包まれたぬいぐるみを見つめる。
絶妙にとぼけたような気の抜けた顔の猫だ。
そして妙に細長い。抱き枕だろうか。
「あ、枕」
なんか固いと思ったんだよね。抱き枕だろうけど、枕の代わりにってことなんだろう。きっとそうだ。
何で知らない人から急に渡されるのかは分からないけど、どうぞというからにはありがたくもらっておこう。かわいいし。
「ありがとうございます」
「まあ、それでいいよ」
「……」
なんか尊大だな。いやでも、その前に。
「失礼ですが、どこかでお会いしていますか?」
「んー、そうね。ちょっと前に」
「ごめんなさい、ここ最近の記憶がなくて」
話している間にも、部屋のどこからか持ってきた回転椅子にどっかりと座り、背もたれに両腕を預けてこちらをじっと見る姿勢になる。
思わず、頼みの綱の知ってる人、イエイリさんを視線で探したが、残念ながら今はこの部屋にいないようだった。
そっとベッドで後退る。
「えー、あ、僕は五条悟ね。ここのことは聞いた?」
「ゴジョウさん。えっと、学校の医務室って聞きました」
「そうそう。僕は先生」
「センセイ」
え、失礼ですが、その形で?
「そうそう。このGLGが先生。信じられないでしょ」
「ええ、まあ」
「ウケる。全部顔に出てるよ」
「……」
確かに鼻筋は通ってる顔立ちはおキレイだが格好で相殺し合っているし、言葉の端々に軽薄さが滲み出ている。
面白いものを観察するような雰囲気、この場合観察されているのは自分だ。困る。何も面白いことは出来ないので。
「それで、が覚えてることを教えて」
「覚えてること、」
「そう。ここに来る前のこと。全部」
急に馴れ馴れしく名前を呼んできたことよりも、何だか怖くて考えないようにしてきたこの目まぐるしく変わった環境について、少しだけ、少しずつでも良いから考えないとと脳が呼びかける。
怖いもの見たさが、蓋をずらして記憶の箱の中をぼんやりと覗き込んだ。
一般的な家庭で育ち、学校生活も特筆するところはなし。飛び抜けて成績が良いわけでもないが、無難に大学に入学。
家を出て一人暮らしをしつつ大学を卒業して、新卒で入った会社がブラックだった。
飲み会、接待、サービス残業は当たり前。
家族経営で、ろくに仕事をしない家の息子がタイムカードを押していく。
社長の誕生日会は土日祝でも全員参加。
セクハラとパワハラは日常的。
このままだと精神がやられると同期と相談して、一緒に辞めた。
その後は、すぐに次の職を探す心の余裕がなくて、住んでる街でバイトを始めた。
老夫婦の経営している商店で、レジ打ち店番、ちょっと重いものを品出ししたり店に並べたりして、その内に発注も任せてくれるようになって。
「何か最初はよく言えば静かなお店で、1日にお客さんが4人も来たら良い方だったんですけど……」
ぽつぽつと、覚えていることを垂れ流していく。
こんな面白みも何も無い他人の人生を、何故か包帯グルグルの自称学校の先生であるゴジョウさんは、何も言わずにただ聞いている。
商店街の端の方のちょっとした日用品が売っているような、本当に小さなお店だ。
毎日買い物に来るようなところじゃない。
「近くにあったコンビニがつぶれたかなんかだと思うんですけど、急にお客さんが増えて」
毎日10人はいくようになって、気が付いたらいつも1人は店の中にお客さんがいるようになっていた。
「忙しくなったけど、給料もアップしてくれて喜んでたら、……」
「……」
「給料ちょっとしか上げられなくてごめんなさい」って奥さんに言われて、「とんでもないです。嬉しいです。たくさん働きますね」って言ったんだ。
「喜んで、えっと、その後は、」
「こんな急に忙しくなるとはなあ」って店長さんが首を傾げてて、3人でどうしてでしょうね、ってでも笑って。
笑って、そして……。
「……あれ?」
傾げた首が90度くらい曲がっても、その先が何も思い出せない。
眼の前でじっと話を聞いていたゴジョウさんも、何故か一緒に首を傾げている。
「まあ、そんなもんか」
「えっと、すいません。以上です」
ふむ、と顎の先に長い指先を当てている。
その首がぐりんと元の角度に戻った。
……急に怖い動きするな、この人。
「一人暮らしだって言ったよね」
「はい」
「そう。じゃあ、この先の提案なんだけど」
「はーい、今日からここがきみのおうち、です!」
「は、はぇー」
「あれ?これも違った?」
じゃーんというに相応しいポーズで開けられた扉の奥を覗いて、変な声が出た。
パステルカラーでまとめられた、ファンシーな内装に思わず廊下を振り返る。
滞在していた医務室から出て、徒歩何分。ギシギシいう木造築何年かな?みたいな廊下が広がっていた。
意を決して、もう一度室内を覗き見る。
「えっと、これ備え付けの家具ですか?前の方のとか」
「んなわけないじゃん」
「ですよね」
明らかに新品だ。ふわふわのラグマットはへたっていないし、猫足ドレッサーの鏡もピカピカだ。
何より意味がわからないのは、真っ白いベッドの頭上にふんわり天蓋がついていること。ハート形のクッションが枕の側に並べられている。
ザ・お姫様憧れガールのお部屋だった。
「まあまあ、いいじゃん。折角用意したんだし、取り敢えず使ってみてよ」
よく分からないまま背中を押されて、慌てて靴を脱いで上がり込む。
「使ってみて合わなかったら、変えればいいし」
ぐいぐいとソファまで連れてこられて肩を押されて座り込めば、ふっかふかのクッションに体が沈み込んだ。座面が広すぎて足が浮いてひっくり返りそうになる。
「わ、あ」
「おっと」
危なげなく肩を支えられて、何とか姿勢を起こせばゴジョウさんが並ぶように隣に座った。
そのまま暫くきょろきょろと部屋の中に視線を巡らせていれば、しっかり両足をつけて肘に顎を乗せたゴジョウさんがこっちをみている気がして、居住まいを正す。
「すいません。あの、部屋を用意していただいたのはありがたいんですが」
「うん」
「私の部屋って」
「きみが一人暮らししていた部屋の事なら、もう無いよ」
「え、」
「解約したから。家財道具は今いったん倉庫に預けてるから、今度必要なものだけ選んであとは処分ね」
「え」
急に帰る家を無くしたと言われて、住んでいた部屋の間取り、ちょっとずつ気に入って買い揃えた小物やそこで過ごした日々がぐるぐると脳裏に去来する。
大学から初めた一人暮らし。友達やバイト仲間を呼んで、鍋パーティをしたりなんでもないことで夜ふかししたりした。新卒で入ったブラックな会社で、まさに寝泊まりするだけになり、脱ぎ着した服やコンビニ弁当のプラスチックゴミやペットボトルが散らかりっぱなしだった時もある。それでも新たなスタートでやっと、穏やかな一歩を踏み出せたと思ったのに。
それらを過ごした部屋がもう無いなんて、信じられなくて言葉をなくせば、更に驚愕の事実が告げられた。
「きみ、その部屋にはもう2年は帰って無かったんだよ」
「……は」
「分からなかったんだから、仕方がないよね。家賃とかは引き落としだからか部屋はそのままだったけど、ポストは何も入れられないようにガムテープで塞がれてて、食べ物は軒並み腐ってたって」
「どうして、テープってだれが」
包帯の向こうの目と目が合った気がした。
「きみを、連れ去った連中がやった」
2026.9.11
Icon by 十八回目の夏