キュートアグレッション



「いらっしゃいませ」

ねこカフェの入口のベルを鳴らして入ってきたのは、暗めの青い髪に痩身長駆の落ち着いた雰囲気の男性だった。
背が高いその人物は店内を一瞥して、その視線を受付付近に立っていた私に向ける。
暗い灰色に、一粒の木漏れ日のような光が灯るのが見えた。

「きみがここの店員さん?」
「はい」
「初めてなんだけど、どういうシステムか教えてくれる?」

耳に優しい穏やかな声で丁寧に聞いてくる姿は良い客そのものだ。
だが、説明用のボードを手にしながら私は足元の猫たちの様子を確認していた。
いつもなら入口付近で新たな客を出迎えするのが好きな子も、甘えたな子もみんなそっと離れて椅子や机の影に隠れてこちらを伺っている。

「……ねこカフェ自体も初めてですか?」
「うん」

聞く前から分かっていたことは、この男性は猫をさほど好きではないだろうということ。好奇の視線こそあれ、そこに猫やそれに類似したいきものに対する慈しみや愛情が全く感じられない。
何故来たのだろう。

「えっと、ここは猫たちと同じ空間で過ごして癒されることを目的としています。室料が時間制でかかるのと、それとは別にワンドリンクオーダーをお願いしています」
「うん」
「基本はお好きな席に座っていただき、本を読んだり飲み物を飲みながら好きなように過ごしていただいて構いません。ですが、彼らを執拗に構うのは禁止です」
「……ふうん」
「自然に近寄ってくるのを撫でるのは構いませんが、大声を出したり追いかけたり、抱っこしたりするのはお止めください」
「なるほど。うん、分かった」

ここまでは、ねこカフェでは一般的なルールだろう。
一旦言葉を区切って、時間ごとの値段やドリンク表を示していた指を外せば、相手の視線も自然と上がりこちらと目が合った。

「それと……、」

普段よりなおさら切り出しにくく、言い方を考えながら目が泳ぎまくってしまう。その間も、こちらをじっと観察してくる気配に緊張感が高まった頃、ふっと吐息のような笑いが聞こえてきた。
内心ビビりながらそちらを仰ぎ見れば、再び目が合った相手の瞳がふっと細まった。
長い指先がすっと伸びてきて、反射的にちょっと仰け反れば更におかしそうに肩を軽く震わせる。

「そんなに怖がらないでよ。とって食べたりしないから。そこに、サインすれば良いんでしょ」
「っぁ、あー、ええと、はい」

なんてこと無いような仕草で指し示されたのは、案内ボードの横に置かれた一見、領収書に見える小さな台帳だった。

「俺にはどうやら効いて無いみたいだから。ほら、ペン貸して」

特段、揶揄するようなものでもない明日の天気でも話すような声の響きなのに、どうしても圧を感じるのは格が違いすぎるからだ。

「店内で許可の無い魔法の使用は禁止。いいよ、従う」

その通り、店内で店員はもちろん、猫たちに害を加えられたりしないように、実はこの店には呪いがかけてある。入り口のベルを鳴らす客には、店の中に置かれた呪具が反応して魔法を封じるようになっている。
だがそれも、呪いをかけた者より強い魔力を持つ相手には効かないので、そういった相手には説明をして、台帳にサインをもらうことで誓約してもらうことになっていた。

誓約を交わす台帳にスラスラと施されていくサインと、なんてことはないような態度の相手の様子をそっと伺う。
おそらくこの台帳にサインをもらったところで、この男性は使おうと思えばきっと魔法を使えるだろう。従う、という言葉も「従ってあげる」という意味だと分かる。
形だけの誓約をかかせていいような相手なのかどうか、困惑していれば不意に足元にふさふさの毛が触れた。
はっとして見下ろした先に、つややかな長毛を靡かせたオッドアイの白猫がいた。
白猫は足元を横切り、机の引き出しの取手を器用に駆け上り、受付台の上に音もなく降り立った。

「サインは不要です。フィガロ様」
「きみがここの店長?」
「はい。ようこそ、いらっしゃいました」
「そう。うん、よろしくね」





本当に、どうして来たのだろう。
遠巻きに様子をうかがう猫たちにも目もくれず、コーヒーを飲んでのんびりと読書をしているフィガロと呼ばれた魔法使いを横目で窺う。
コーヒーを飲みながら読書をするだけなら、程よいカフェがこの町にはいくつもある。珍しいコーヒー豆を仕入れているお店、たくさんのコーヒーカップの中から、客の好みとその日のコーヒーに合わせたカップが出てくるお店、かわいいラテアートが人気のお店。
おいしいベーグルと季節限定ドーナツが売りのカフェは、私のお気に入りだ。

「ねえ」

今月の、レモンのアイシングがかかった紅茶のドーナツも最高だった。絶対にもう一回食べたい。

「ねえって、」
「わ」

さっきまで遠くで読書をしていたはずのフィガロが、覗き込むようにこちらを見ていてびよんと背後に後退った。

「な、何でしょうか」
「これ、読み終わっちゃったんだけど」
「ぇ、あ、はい」

はい、と目の前に差し出された本を反射で受け取って、首をかしげれば、にこりと微笑まれる。

「おすすめの本はどれ?」
「え」

急にぐいぐい来るなと若干引きつつ、手元の本に目を向ける。
古典的な恋愛小説だ。読んだことはないけれど、いいところのお坊ちゃんと貧しい家から奉公で出された下働きの女性の身分違いの恋物語だった。

「ええと、ちなみに恋愛ものがお好きなんですか?」

言外にこれは楽しかったのかと確認をしたかったのだが、

「まあ、物語としてはありきたりだよね」

それはどっちなんだ。

「えっと、そうですね。こっちが最近の流行りの本なんですが、」

まあ、たまにいるので、こういう客は。と、本棚を案内して、これはこういう話、最近の情勢や研究所はこちら、人気の詩人の詩を集めた本と説明すれば、「へえ」と横で静かに聞いている。

「物語がお好きなのであれば、」
「きみは?」
「はい?」
「きみは、どれが好き?」

本棚を背に振り仰いだ影の中で瞳が瞬く。暗がりの中だと、不穏な雲に不意に走った閃光みたいで、心がざわついた。

「ねえ、教えてよ」

一歩近づかれて、思わず一歩棚に身を寄せる。
受付カウンターを挟まない距離は、細身でも男性的な長身によって圧迫感が増している。
そっと伸びてきた片手が、本棚にトンと軽く添えられる。

「ゎ」
「わ?」

「わっ私は、最近本読んでないんでわかりませんごめんなさいすいませんんんん!!!!!」





ええー。逃げられちゃった。

「フィガロ様」

ぴゅーんと飛ぶように走って従業員用の小部屋に引っ込んでしまった後ろ姿を目で追っていれば、足元からするりと白い影が現れた。

「うちの子をあまりからかわないでください」

店長のオッドアイをじっと見下ろしてから、小部屋に目を向けてもさっきの子は戻って来そうにない。

「ごめんね。今日のところはこれで帰るから、お会計お願い」

猫なんかより、よほど見ていて飽きない。
また頃合いを図って来ようかな。








2026.3.19





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