黝 灰



ゲートと呼ばれる鳥居をくぐり目の前に広がる薄暗い森の中の道を行く。ちらちらと零れる日差しの欠片に目を瞬かせ、頭上に広がっているであろう澄んだ青空を仰ぎ見ようと零れ日の先に目を細めれば、どこからかチチチと鳥が鳴く声が聞こえた。
澄み切った清い風が木々の間を流れて肌をそっと撫でていく。戦場から戻った火照った身体にはひんやりとしたそれがとても心地よい。これが彼女の力だと思えばもっともっと触れていたいと思うほど正常な空気はかつてのこの地には無かったものだ。
澱んだ空気、腐臭と血の匂いに穢された曇天の下ぼろぼろの家屋に荒れ果てた大地の上で俺たちは行き場のない感情と癒えぬ痛みに耐えていた。
彼女が来るまでは。真っ黒で果ての無い、夜空のような瞳の魔女がこの地を踏むまでは。

「鶴丸国永、」
「いやなに、ちょいと感慨深く思っていてな」
「・・・・」

隊長である俺の足並みが鈍くなれば、その後ろを歩いていたへし切長谷部に訝し気に名を呼ばれる。心配なんてものとは縁遠い声音と雰囲気ではあったが、俺の視線の先を追えば言いたい意味は伝わったのだろう。ふん、と小さく零しながらもいつもは厳しく周囲を見据えている菫色の瞳が木々を抜けた先の光景にふと緩んだように細められた。

「・・こんなところで足を止めている暇はない。さっさと主の元へ帰還するぞ」

弱くは無い力で肩を叩かれて、イっと声を上げて横を見れば誇らしげな横顔が追い抜いていく。このままだと置いて行かれた上に隊長たる自分が行う彼女への帰還報告も横取りされかねない。
慌ててその背を追い真っすぐな小道を抜けた先、思わぬ眩しさと鼻に届く妙な塩っぽさに鼻をくんと嗅げば同時に耳に届くこの騒めくような音は。

「何だ??何か、あっちから変な感じがするな!!」
「あっ、おい待て鶴丸国永!!主への報告が先だっ!!」

出陣の些細な疲労なんてものが吹き飛んで、我慢しきれずに音が聞こえる方へと一直線へ飛んでいく。怒ったような長谷部のこちらを呼ぶ声を背後に引きずったまま、母屋を回り込んで手合わせをする場所が欲しいと作ってもらった離れの道場を越えた先。

「おい・・おいおい!これはまさか、海じゃないか!!!」

ざざあぁんと波が打ち寄せてはかえす砂浜は照り付ける太陽で眩しいほどだったが、その先で揺らめく大量の水が放つ弾けるようなしぶきと光の煌めきには到底かなわない。
その視界に砂浜に突き立てられた大きな青いパラソルとその下で椅子に寝そべる彼女の姿を目でとらえる。

「夜露!!!」

よつゆ、と呼ばれた女性が椅子の上でこちらを振り向いたのが分かった。

「今、帰った!」

上げた手に応えようと、おかえり、と言いかけたその体に放物線を描いて飛来した三本の矢が突き刺さった。お、の形で開いた口をそのままに夜露の体がその衝撃でストットトッと軽く揺れて、そうしてずるりと椅子から転がって砂浜に落ちる。どさっと重たい音がした。

「兼さんやったよ!」
「堀川国広、貴様ぁあああああ!!!」

道場の方から喜色満面な声と、それにどこか疲れたような「ああ、良かったな」と返す和泉守の声がする。鶴丸の背後から長谷部がギュルンと音がしそうな勢いで疾走を開始して道場の方へと秒で消えていく。

「おーおー、早いな」

さすがだ、と額に手を翳して舞い上がる砂埃から羽織の袖で口元を覆う。

「あーあ、また堀川にやられてるよ夜露」
「いくら死なないといっても、躱すことぐらいできるでしょうに。本当に仕方がないですね」

背後をついてきていた出陣部隊の中から、大和守安定と宗三左文字がやれやれと言いたげな声を漏らしている。
誰も彼女を心配していないことに苦笑をもらす。現に、彼女はすでに海の上で大きな板のようなものに寝そべって爪先をその水面で遊ばせていた。砂浜に転がった彼女だったものは、瞬きの合間にさらりと崩れて砂と同化して消えていく。それを横目に海に向かって両手を口元に添える。

「なあ、夜露!!」
「鶴丸、おかえり。みんなも、おかえり」
「俺たちも海に入ることは出来るんだろう??」
「部屋に水着があるのでまずはそれに着替えておいで」
「僕は興味が無いので」
「清光呼んでくる」

宗三と大和守が母屋の方へ歩いていくのを見送ったままその場に残り夜露に視線を向ければ、彼女は何か?と言いたげに気だるげに波間に揺れている。

「任務は問題ない。負傷者はゼロだ!」
「ん、よくやった」
「なあ、パンパンっと出来ないのか?」
「・・・・」

ちらとこちらを見た夜露は、波間で泳がせていた手を引き上げる。水に濡れて雫を纏う両手を握手させるように組んでそのままパンッと打ち鳴らす。一瞬の内に、自分がまとっていた衣服や武具やらがふわっと風に溶けるようにその重さを消して、代わりにひざ丈の薄手の下衣と素肌の上に袖の短い白いフード付きの上着を羽織っている。自分の身に起きたことに驚きと感嘆の声を隠せない。

「ぉおおっ!!さすがだな、きみ!!」

砂浜はさすがに暑かろうと履かせたビーチサンダルを早速脱ぎ捨てて、ザバザバと海に入ってくる白い男をちらと見やる。母屋に戻って着替えている間も惜しいと隠せないその好奇心に負けてしまった。金色の瞳が波間に負けないキラキラを宿している。

「鶴丸は日焼けしたら痛そうな肌の色をしてるから、肌が痛くなったら言いなね」
「んん?そうか?きみも十分白いだろ」
「いやいや、全く持って敵わない美白っぷりですよ」
「ふうん?」

全く興味なさげに己の腕をちらと見て、そしてまた海の中を歩き進んでくる。その足に押し寄せた波が打ち寄せる。小さく声をもらして傾いだ体を踏ん張っている。

「なあ、俺にもそういうのをくれ」

どうやらこちらまで歩いては来れないと悟ったらしい。泳いでくればいいと思ったが、そうか泳ぎ方を知らないんだなと思い至る。名前を呼べば、ワクワクとしたその瞳と目が合う。

「あなたの中にも力がある。練って、形として生み出すようにしてごらん」

私がこの本丸に来て半年は経った。霊力を使って手入れをすることは出来ず、手入れをしなければ彼らの傷は悪化もしないが治ることもないときたものだ。けれど霊力はからっきしの代わりに私には魔力がある。そう、私は魔女だ。

「そうはいってもだな・・」
「ピクシーにもおとらぬ悪戯好きで好奇心旺盛の神さまが何を尻込みしているのやら」

呆れて言えば、むっとしたようにその口を僅かに尖らせる。この白い付喪神は他の付喪神の中でも高齢?の古い生まれのようだが、びっくりするほど子供っぽい。かと思えば年長者の余裕や視野の広さも見せつけてくるものだから実に面白い。今は少しむきになったようで、波間で足を踏ん張ったまま両手を組んで目を閉じ顔をしかめている。
手を組むのは、私が手を打つのをよく見ていたからなのだろう。別にそうする必要はないのだが、閉じた手の中に力を込めてそれを開くという動作は何かを生み出すのに適した所作だ。うんうん唸ってしかめっ面のまま太陽の下で額から汗を流し始めた鶴丸を、想像力はあると思うんだけどなとじっと見守る。

「・・・・、」
「っぷ」
「・・・きみなぁ・・」

やがて開いた手のひらには、消しゴムのようなやけに白くて四角い塊がある。眉を下げて悔しそうな拗ねたような顔をしているのが本当におかしい。じとっとした目で笑うこちらを見ているので、仕方がないなと水面を爪先で蹴ってボードを近づけてやれば一転してパァッと笑顔になったその手がすかさず届く距離に来たボートの縁をガシッと掴んだ。が、ちょっと待った鶴丸、一気に体重をかけすぎている。

「まっ」

待ったをかける前に、彼の力で水中に押し込められたボードは反発して海面に跳ねあがり、反対側に掴まっていたこちらは反動で水中に投げ出された。しぶきを上げて水没する身体に慌てたように白い手が伸ばされる。泳ぐつもりは無かったために着ていた衣服が水を吸って海底に重く体を引きずり込んでいく。見上げた視界で白い髪と着せたパーカーを揺らめかせて、同じく水中に潜りこんだ鶴丸の金の瞳と目が合った。いつかはあっさり切り殺してきたくせに、殺しても死ぬことは無いと知っていてやけに必死な顔をするものだとぼんやりと考える。
最近は他所から押し付けられたブラック産の刀の内の一振りである堀川国広が殺る気満々で来るため日がな一日殺されっぱなしだし、水中で息が出来なくなっても構わないと手さえ伸ばさずにいれば、口から零れた泡に見上げた先の柳眉がきつく顰められた。

手を伸ばせと水中で言っても聞こえないようだった。
さっきからふつりと外界から閉ざされたかのように耳が塞いで、思った以上に足のつかないところにいた彼女が無抵抗のままただ静かに海底へと落ちて沈んでいくのを黙ってみているわけにもいかず、めいいっぱい伸ばした手がやっと届いた二の腕をぐいと掴む。
沈んでいくつもりだったのだろうか。きっとそうなのだろう。彼女は死ぬことに慣れすぎている。俺も切り殺したことがあるくちで何を言うかとも思うが、ともかくもまずは海から上がらなければと水面に身体を向ける。ところが身体がそれ以上、浮上しない。
彼女の衣服もそうだが、自分は身軽な方だと思ったが水中ではそうもいかないらしい。見よう見まねで水を蹴ってみるもなかなか近づかない。明るい水面はまだ遠く、口からはあっけなく肺の空気が抜けてこちらを置いて水面を駆け上って消えていく。くそっと悪態をつけば、握った夜露の腕がピクリと動いた。見下ろせば黒々とした瞳がこちらを見上げている。そろそろこちらは苦しくなっているというのに、もはや口から吐く息もなさそうな彼女が平然としているのに無性に腹が立った。

「・・・・」

おかしな神様だ。さて、頑張ってくれるところ悪いがそろそろこの身体ともおさらばだ。掴まれた腕をそっと外す。かぶりを振る鶴丸にそっと手を振る。変に拘る相手に気にするなという気持ちでやったそれは逆効果だったようだ。傷ついた顔をした。まあ、助けてくれようとしたのを拒絶したようなものだ。でも本当に気にすることはないのに。
もう一度握手をするように握られた手をそのままに、相手の手の甲にもう片方の手を重ねる。そうして意識が暗い水底へと沈んでいった。・・次に目が覚めた時は、熱い太陽の下だ。

「!ぉわ、っ」

手を離してしまった。掴んでいようとしたのに、下から押し上げる何かに抵抗する間もなく、あっけなく手は離されてしまった。ふわりと衣服を広げて闇の底へと沈む身体をなす術もなく目の端に捕らえながら、急激に押し上げられた身体がそのままの勢いで水中から飛び出す。突然に肺に押し寄せる空気と妙な体の重さにあえいでいれば、弾んだ身体はぼてっと何かの上に着地した。

「おっわー、鶴丸さん何やってるんですか?」
「っげほっごほっん・・っはぁ、は、鯰尾か・・」

ぜえはあと必死に肺に息を取り込んでいれば、額に妙な眼鏡をつけて自分と同じような紺のはきものを穿いた鯰尾藤四郎とその隣で無言で大きな黄色いバナナの形をしたものに跨っている骨喰藤四郎と目が合った。その紫色の瞳がすっとこちらの背後に流れる。

「夜露」
「あれ、夜露さんいつの間に。あっこれ、ありがとうございまーす」

鯰尾が手を振る己の背後を振り返り、透明に透けたおかしな素材で出来ている船の中で何事もなかったかのようにくつろいでいる夜露を見た。

「二人とも、肌が赤くなったら薬を塗るように」
「はーい」
「わかった」

よい子の返事をしてバナナの周りを泳ぎだす鯰尾とバナナに掴まって揺れている骨喰から視線をまた背後に戻す。じっとりと睨みつけても平然としている。

「鶴丸、まずは背浮きをマスターしてね。鯰尾は小柄だし器用だから力を抜いて身体を水面で浮かすことが出来る。これができなければ溺れるし、さっきみたいに沈んでいくだけだから」
「きみ、」
「あなたは細身だけどその身体は脂肪も少なく筋肉質でしょう。ちゃんと意識しないと鯰尾のように浮くことは難しいよ」
「なんで手を離した」
「掴んでいる必要性を感じなかったから」
「死ぬ必要は無かっただろう」

しっかり掴んでいたら、そうして離れず水面まで連れていければ良かった筈だ。自分が相手を水中に投げ込んでしまったようなもので、尚且つ水をうまくかくことも出来ず自分の身すら持ち上げられなかった己の体たらくに自己嫌悪と、そしてふつふつと湧き上がるものがあった。

「すいません、つい面倒くさくなって」

思ってもいない謝罪に眉間にしわが寄る。

「非効率的なんじゃないかと、一期も言っていた」
「非効率ですか」
「確かにきみの体は人間と同じそれなのだろうから、大きな怪我は治すのに時間がかかるだろうが。・・・きみ、最近大したことのない傷でもその身体をすぐ捨てようとしていないか」
「ばれてましたか」
「一度捨てて新しい肉体を作り出すより、俺たちのように綻んだところだけを治すだけじゃダメなのかい」

小さな船の縁に顎を乗せて腕をダラリと海面を撫でていた夜露を、かいた胡坐に肘をつけて頬杖をついて眺める。

「・・・で、いいんですよ」
「・・は?」
「あー・・暑いから手っ取り早く涼をとれるようにって思ったんですが、海は塩っ辛くて私はやっぱりあまり好きじゃないですね。次はどこぞの湖を引いて来ましょう。そういうわけなのでこの海は今日限り。遊びたいのなら今のうちにどうぞ」
「え、は、・・・」

気付けば船は波打ち際に到着してその揺れを止めている。夜露はさっさと船をおりて砂浜を歩いて行ってしまう。彼女を追うべきか、だが先ほどの言葉からするに明日にはこの海は消えてしまうのだろう。まだ泳げるようにもなっていないというのにだ。それはだめだ、折角の海だ楽しまなければ勿体ない。

「おい、きみ!この続きはまた今度話すからな!」
「はいはいはい」
ひらひらと後ろ手を振られ、仕方なく船をおりる。遠く離れた沖合から鯰尾に声をかけられ、仕方ないセウキとやらの泳ぎ方は彼から習うかとバシャバシャと見よう見まねで水を蹴って海へと身体を潜らせた。









2020.02.25




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