ヒエラルキー



「これは、これは・・、随分と興味深いものが紛れ込んでいるもんだな」

いつもと変わらぬ仕事場で自分に与えられた机に向かって、いつもと変わらぬお仕事に没頭する。時代は変わっても紙の書類は無くならないけれど、それをデータとして取っておきたいという我がままな注文に応えるお仕事を主に手伝っている。それなら最初からデータ上でやり取りしようよという突っ込みはまあなんというか、お仕事くださってありがとうございますということにしておく。
そんな感じで手元の紙と端末の画面を交互ににらめっこしているから指先は油分が取れてかさつくし、帰るころには目はしっぱしぱだ。それでも、電話を取らなくても良くて誰かとコミュニケーションをとらされることもなく、ひたすら事務仕事に集中できて定時に上がらせてもらえるなんて、なんて良い職場だろう。
さすがに、最高だ!と感無量で涙するほどの職場とまではいかなくとも、諸々のことに特に不自由も不服はない。そんな私は契約社員だ。
実を言うと最近、「サニワになれる程ではないが君にも少し力があるから、是非正社員になってみないか」と正社員雇用の打診を受けているのだが、その前半の説明がちょっと意味が分からない上に不穏な気配を察知しているので、毎度丁重にお断りしている。

「よっ、仕事中に悪いな。邪魔するぜ」
「え、鶴丸国永様?」
「待って、なんで」
「何故ここに鶴丸国永様が」

このフロアは狭くはないはずだけど、パーテーションで区切られ並んだ机と椅子が端末と紙に埋もれていて雑然とした、言い方を変えればとっ散らかった部屋であることには変わりない。その間をみなさんが忙しそうにあちらへこちらへと動いているのはいつも通りだったが、入り口から常にないどよめきが上がりそれがひそひそと部屋の中へと広まっていくのが分かった。どこか慌てたような空気も感じる。
お偉いさんでも来たようだ。とはいえ、ここはこのフロアの本当に端っこの契約社員用の机で今日は自分しかいないからそのざわついた空気も手前で止まるだろう。

「なぁ・・俺のパートナーってやつ、見つけたぜ」
「お待ちください、そんな勝手に・・」
「勝手も何も俺が決める、そういった約定だろう?」
「せめて候補はこちらで集めますので、それまでお待ちいただきたく・・あっ」

ちなみに今私がいるビルはとってもピカピカで色々と有名で最先端らしい。語彙力が急に貧相になって申し訳ないが、自分の願う条件にあった良い職場ということ以上に興味がないから許していただきたい。そんな自分がいるのはその大層なビルの地下1階の空も望めぬ端っこで、この会社的な何かくくりからいえば下も下の末端の部署的なところだ。結局のところ重要なものなんて何も知らないし、知りたくもないのだ。
今日も今日とてアナログとデジタルを行き来するばかりだけど、なんと国に関わる重要な機関で働かせていただいているなんて、そんなの。

「こいつは驚きだなぁ」

驚きだよ、とまるで関心がない感想を心の中で述べたのと同時。椅子の背が何かの重みを受けてギシリと後ろにしなる。
瞬間的にバッと見上げた先に、暗がりの中で光る一対の金色の瞳と目が合った。

「え、っと」

どちら様でしょうか、と聞いていいのだろうか。さっき肌で感じた空気的にお偉いさんを迎えたような雰囲気だったけれど、今は何故かいやに周囲が静かだ。お偉いさんとやらはいなくなったのか。この上から見下ろす顔は笑っているが目は笑っていないやけに白いお方は、その人についてきたかなんかで手持ち無沙汰でこんな端っ子まで覗きに来てしまっただけなんだろうか。そうだろう。そうだと言って欲しい。
他所に視線をそらしたいのに、何故かそらすことが出来ない。蛇に睨みつけられた蛙というのはこういう気分なのだろうか。背中にじわりと汗が浮かぶのを感じる。

「ははっ、すまんすまん。そんなに怖がらせるつもりはなかったんだが」

不意に椅子の背についた両手をぱっと離してからからと笑い出す。少し距離が開いたことに、は、と息を吐いてからやっと知らぬ間に息をつめていたことに気が付いた。手が離れたのを幸いと椅子を机側にぐっと寄せて距離を取り、視線をそっとフロアに巡らせる。

「っ?!・・え、なん」

みなさん、何でそんなどこか遠巻きにこちらを見ているんですか。ちょっとやめて欲しい。むしろ私も今からこの場を脱出してそちら側に行きたい。そっちに入れて欲し・・。

キイ、ッ

「おっと」

そっと何も言わずに椅子をフロアの中心に向けて回転させようとしたのを、伸びた片手に邪魔される。いや、もうこの机といすの隙間から抜け出ればいいじゃないか、と歩き出そうとした足の先に、すっと白と青いものが入り込む。なんだろうこの見慣れない服の裾を突っ込んだ靴・・ん?え、下駄?それにしても随分底が厚いですね、シークレットブーツかな。隠れてないけど。

「なんだ、そんなに見て。気になるのならきみ、履いてみるかい?」
「いえ、結構です」

少し笑ったような声が降ってくるのに即答する。明らかに今、私の一歩を邪魔した足だ。見上げれば間違いなくまた視線が合うだろうから見ずに返す。何とは言わずとも、直感が見るなと言っている。この直感は結構当たるのだ。そして私を幾度となく危機から助けてくれている。信頼の直感殿がこの白い方はやばいと言っている。

「そうか。まあ、それは追々な」

追々も何も、次なんて無い。ここから出ることを許されない空気に立ち上がりかけたのを諦めて、でも視線だけはフロアへ向ける。救難信号だ。ここの部署の方はみんな親切で良い方ばかり、きっと誰か突破口を開いてくれると期待の目を向けて。

「きみ、俺のパートナーになってくれ」

背後からの声を聞いたみなさんの顔が如実に変わるのが分かる。驚愕、困惑、焦燥。伝わるそのどれもがあまり良い感じではない。顔にも声にも出していないスーツ姿の方々からも、絶望のような悲壮感が読み取れた。感情が、手に取るようにわかる。
両肩に置かれた手は大きく、こちらの肩を包み込んでいる。それが何故かやけに重たく感じる。同時に、真後ろの相手が何を考えているか全く分からないことに気が付いた。

「おっ、今驚いたかい」

愉快と言わんばかりの声。なのに本当に笑っているのか、それが声音だけなのかそれすら分からない。おかしい。こんなこと体調が不調でも無い限りそうあり得ることではない。私は相手の感情が、感じていることが分かるのに。なのに。

「・・そうびくついてくれるな」

無表情、無感情。よく言われるほどに顔にも態度にも出ていないはずなのに、こちらの顔を見ることもなくそう言われたことが決定的だった。宥めるように撫でる手が、絶対の優位を示すようだった。


+ + + + +


「なあ、俺のパートナーになると言ってくれ」
「・・・・」
「・・きみ、うんと頷くだけでいいから」

視界の端に入ってくる白みが強い雪女みたいな雪男は、何やらずっと横で同じことを言い続けている。それを無心に作業に没頭することで、必死に意識をそらしている。
今はもう部署内の人も何も言ってくれない。遠巻きに恐る恐る様子を窺いつつ、普段の業務をこなしている。そうしてくれ、とこの雪男が言ったからだ。黒いスーツの方々は数名がこの部屋の中と入り口に残り、後はどこか忙しない様子でどこかへ行ってしまった。おい、忘れ物ですよ。ちゃんと連れ帰ってくださいよ。・・とは思うものの、口に出す勇気はない。
無視するだけで精いっぱいだ。登場してから部屋に惨劇をまき散らし(ていると思っているし、主に私がその被害者だ)ていたこの雪男は、どの役職の人をも差し置いてこのフロアのトップに君臨していた。聞こえてきた言葉から察するに、政府おかかえの神さまらしい。神さまってそんなまさか、・・目の前に存在してますけど?である。でもまあ人間離れした見た目はしている、とは思う。目が合うと怖いので白いってことと足元ぐらいしか見ていないけれど。
鶴の名が付く刀の神さまだそうだが、最初に接触してきたときの威圧感からして本当ならきっと私に何を言わせることも、うんと頷かせることも容易いだろうに。

「きみの口から聞きたいんだ。そら、頼むから」
「嫌です無理ですお引き取りください」
「手強いなぁ」

今は言葉の応酬を楽しんでいるのだろう、おそらく。軽い口調で投げかけてくるし、それをはね付ける返事にも律義に反応を返してくる。
こちらが返事をしない間も、隣の雪男は何やらずっと喋りかけてくる。本丸?とか時間なんとか軍、とか所縁ある刀がどうたら、と驚くほどに話題が尽きない。こちらが無視しているのにもお構いなしだ。どうぞそのまま、草木や電柱にでも話しかけているような感じでお願いします。
最初こそチラと視界の端で確認していた時計を、そろそろ大胆に見るようになってきた。今日の上りは定時の5時だ。現在時刻4時45分。作業を無心で進めつつじりじりと待っていた文句なしの脱出理由まで、あと15分この状態を耐えれば到達できる。

「そうだ。きみの名前を教えてくれ」

思わずピクリとキーの上に置かれた指が跳ねた。
ここで仕事をするための契約をするに当たって様々な規則を義務付けられることになったが、その中でも印象的だったのが、説明をしてくれた人がそれまでの笑みを消して真顔で告げた「ここでは本当の名前を使わないこと」という決まりだった。偽名でお仕事するってどういうことだと思ったが、それを守らなければ良くないことが起こるのだとその真顔は言っていた。よって、私は渾名を付けてもらいその名で自己紹介し、仕事場でもその名で呼ばれている。周りの人もみなそうしているようで、普通の名前のような人もいればキラキラとした名前をあえて付けている人もいる。

「ああ、その偽の名の方じゃないぜ」
「っ」

思わず跳ねた指の背をそっと伸びてきた白い指先がなぞる。中指と薬指だけ先まで覆われている変な形の手袋だ。なんて必死に意識をそらすも、急に近づいてきた顔の近さと未ださわさわとくすぐるように触れてくる指先に、体は完全に固まっている。
視線はモニターに固定していたが寄せられた顔が映り込み、その視線と視線が交わった。画面の上の文字や光などが背景のようにぼやけ、相手の金の瞳にだけ視線が釘付けになる。そのことに気が付いたように金色がふっと細められ、弓なりにたわんだ。

「きみの、本当の名前の方だ」

耳元に口づけるようにひそめられた低い声と共に吐息を吹き込まれる。自分の心臓がいやに早く鼓動を打っているのが分かる。この声に従えと本能が口をこじ開けようとして、私の中のどこかがダメだ!とそれに抗っている。
戦慄く口元を覗き込むようにして、モニター越しの顔が僅かに傾く。それにより滑り落ちた相手の白い前髪が目元を僅かに覆って、私は撫でられていた指を寸でのところで引き抜いた。きゅっと握るように力が込められた瞬間。指先でさえも、掴まればそのまま食われるんじゃないかという恐れを感じる。
その恐怖が伝わったのだろう。くっくと笑う声に咄嗟に外そうとした視線は指先のように逃がすことが出来なかった。弓型の瞳、満足そうに口角を上げた口元。笑う要素しか備えていないはずなのに、その閉じきられていない瞳の奥から見開いた瞳孔がこちらを見ているような気がする。

「なあ、きみ。教えてくれ きみ の 本当の」

一区切り、一区切り、染み込ませるような声が、頭の中を、他を全て追い出して、それだけに、していくようで・・

キーンコーンカーンコーン

「っ!!?」

ハッとして振り払うように思い切りよく立ち上がった。もう端末を閉じている余裕も書類を整頓させる暇も無い。わき目もふらずにフロアを突っ切った。

「お先に失礼しますっっ!!!」

誰とも目を合わせることも出来ないまま、そのまま部屋を飛び出してロッカールームに直行した。背後から高らかな、そして実に愉快そうな笑い声が響いた気がしたが、全力で幻聴だと思うことにした。




◆アトガキ



2018.11.2




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