「よっ。鶴丸国永だ。俺、みたい、・・のが・・」
パチリと瞬きをして開いた世界。
操られたかのようにすっと開いた口からは止める間もなく定められた口上が紡がれ・・次第にフェードアウトして途切れた。
「よっ!鶴丸国永だ。俺みたいのが目の前に立っていて驚いたか?」
目の前には隠し切れないワクワクとドキドキで黒い瞳を輝かせた和装の青年と、心底面倒そうに眉根を寄せた金髪碧眼の青年が立っている。自分が言うはずだったのであろう口上の続きを言い放ち満足げにしているのは黒髪黒目の青年は、だがどこからどう見ても刀の付喪神のー柱に見えた。
「ん・・?んん、は?」
「?どうした。どこか悪いのか」
「いや、ちょっと待った」
刀の付喪神ってなんだ?と思い浮かぶのと同時に脳内で勝手に知識が展開されていく。意味が分からない、いや分かるけど分からない。例えば、おそらくここは鍛刀する部屋なのだろうと知らなかった知識が当たりを付けるも、そもそも鍛刀とは?状態な筈なのに、まるでそれはあたかも既にダウンロードされているマニュアルが疑問に思った瞬間にするりとインストールされたような、はあ成程わからん状態である。
そもそも自分はどうしてこんなところにいるんだろうとか、何だか声が低くは無いだろうかと思わず喉元に手を伸ばせばさらりと衣擦れの感覚がして思わず視線を下ろす。
白い、実に真白い手触りの良い羽織と手を上げたことで滑り落ちたその下から紺の襦袢が覗いている。ついでに言えば、持ち上げた手は指先が微妙に隠れたり隠れていなかったりするどこかで見たような襦袢と同じ紺の手甲で覆われていた。
あれ、この衣装って・・・?
「はっ、え?!うそだろう?!」
「おいおい、急にどうし・・っ」
「ゎ、あ?!」
訝し気に近づいてくる相手から反射的に後ずさろうとした足は何故か地面にけっつまずくようにとっちらかって、踵を軸に背後に重心が傾くのを感じた。視界に思わず伸ばした手と木造の和室のような天井が見えた。
あ、これ頭から打ち付けるんじゃないかと衝撃を予測して強く目を瞑った途端、手首をぐいと引っこ抜く勢いで力強く引っ張られ気が付けば目の前は一気に暗く陰って大きな衝撃に身を包まれた。
「んぶ」
「大丈夫か、きみ」
サラサラとした布の感触を顔に擦り付けたまま恐らく支えてくれているだろう相手にしがみつきつつ今の内にと変な方向に向きかけた足首をどうにか正常な方向へと整えれば、それに合わせてそっと腰を下へとおろされた。これはまるでスキー場で転倒した際に立ち上がる前にまずスキー板を揃えるところからってやつに似ている。なんてしょうもないことを考えているのは、きっと脳が現状からの逃走を図っているからだろう。一拍置いて正面向いた視界には和装の美男子が迫っていた。
「・・・っくははっ、きみ、随分と間抜け面してるぜ。同じ俺とは思えんな」
「は・・いやいや、俺?いや、私は・・」
「ん?」
何かに気が付いたようにくすくすとおかしげに笑っていた声をぴたりと止めて、こちらをまじまじと観察される。顎を反らせて距離を測るも、その目は何かを確認するように頭の先からぺったりと座り込んだ足の先までを辿っていった。
その視線に、そうださっき何か思い浮かんだじゃないかとはっと気が付く。
髪と目の色が黒かろうが、この衣装を着るべきはきっとというか絶対にこの目の前の相手であるべきじゃないかという認識だ。むしろ何で自分がこの衣装を着ているのか分からないし自分の意志ではなくてですね、きっと誰かにコスプレとして着させられたんですよ、という言い訳のため慌てて口を開いた。
「あ、いやこれは・・」
「ちょっと、立ってみてくれ」
「へ、あ、ちょっと待ってくれ待っ・・ひっ」
唐突に脇の下に両手を突っ込まれてくすぐったさに変な声が上がるも、相手は頓着せずにそのままひょいっと身体を持ち上げられてしまった。爪先がかろうじて地面につくかつかないかのところで猫のようにぷらんとぶら下がってしまう。
「きみ、俺にしては随分小さいな。ほら、しゃんと立ってくれ。・・ああ、上手く立てないなら掴まってくれていい」
「わっあ、」
地面に靴の底がしっかりついたと思ったが、今度はかくんと膝から力が抜ける。どういうことだ、身体が急に欠陥品が過ぎると慌てて目の前の相手にしがみつけば、危なげなく背中と腰をもって支えられてしまった。
近すぎやしないだろうか。後、腰を!持つ手を!微妙に上下させるのは本当にやめて欲しい。
「てっきり、俺と同じかそれぐらいかと思ったんだが」
「ちょっ」
「背もそうだし随分と軽い」
「あ、やめっ・・」
「全体的に細いし・・おいこれ大丈夫だと思うか?折れやしないか?近侍殿」
「知らん」
「くすぐっ、たいって、・・・言ってるんだ、やめてくれっっ!!」
「おっと、すまん」
撫で擦られていた手がようやく止まるも、怒る相手にしがみつくしかない手が震えているのが見える。わあ恥ずかしい、情けない。離れるために押しのけようとして伸ばした手は難なく掴まれてしまった。
「真っ赤だな。鶴みたいで結構だが・・まるで無体でも強いられたみたいだな」
「お前が強いたんだろう」
「いやぁ、・・まあこの俺があんまりにもかわいらしいもんで、つい」
「正気か・・?」
おい、ほら見てみろ隣のお兄さんドン引きしてますよ、と目線を向ければ何故かたじろいだように視線をそらされてしまった。え、なんでそんな急に真っ赤な顔になってしまったんですか。
「ところできみは、自分がどうしてこんなちんまいのか分かってるのかい」
「ちんまい・・。むしろ俺・・いや、私は何でこんな衣装を着てるんだ・・ですか?」
「敬語、だ、と・・?」
視界の端でさっきまで耳まで真っ赤だったはずの山姥切国広の顔が何故かいっきに青くなった。
「バグか?」
「いや待て、そうだな・・」
何事か顎に手を当てて考えている相手から今がチャンスと離れようとすれば、手を引かれて寄せられた美顔に思わず息を止める。その黒い瞳に映る自分の間抜けな顔が・・ぇ?
「きみ、本当に俺か?なんかちょっと”鶴丸国永”とは違う気がしてくるんだが」
「え、この顔、何で・・どうして、違う」
「おいおい、きみは”誰”なんだ」
急に近づいて覗き込まれればその黒々とした瞳に人影が映っているのが見えた。普通なら目の前にいる自分が映るはずのそこに見えた姿にはっと息を飲む。
まるで鏡を見ているようなのに、思わず動かした手を同じように動かす姿は見慣れたはずの自分ではない。自分と同じ動きをして頬に特徴的な手甲に包まれた手を当てているのは、どう見ても、まさに今目の前にいる人物と同じ目鼻立ちをしているように見えた。嘘だ、そんなこれは、
「・・自分、ではない」
その言葉に目を丸く見開いたためにさらによく見えた。違う。
そこに見えるものが理解できなくて背後にそっと距離を取れば、驚いたようにこちらを見てくるのは黒髪黒目だがどこからどう見てもそれこそ鶴丸国永で、その横から訝し気にこちらを見ているのは白い布こそ見当たらないが山姥切国広だ。それは、分かる。脳内のマニュアルがそう言っている。それなのに、自分という意識があるのにこの場に自分という人間がいない。
脳内のマニュアルは、教えてくれない。
「お、れ・・いや私、は人で・・・そんな、でも」
「人?つまりきみ、人間か?どうして俺の中に人の子の魂が入っているんだ」
「おい、あんた・・っ」
忙しなく瞳を動かして見渡した視界にも自分にあたるものは見当たらない。どこだろう。いや、私はここに居るのに、いるはずなのに・・・いないのだろうか。
急に目の前の景色がふっと遠ざかった。すうっとどこかへ力が抜けて、不意に体の周りが冷気で包まれたかのように手足の感覚が薄れていく。思考回路がぼんやりとし出して目は開けているのにどこを見ているのか分からなくなっていった。
「わたし、は、どうなって・・?」
「鶴丸国永!!」
「っ!?おい、きみ!しっかりしてくれ!」
「俺・・わたしは、つるまるくにながじゃ・・ない」
「おーい!山姥切!!!」
「・・うるさい、聞こえている」
実を言うと鍛刀場の炉の前に表示された時間が”03:20:00”を示した瞬間に、もしかしたら何となく、そうなんじゃないかという期待をしていた。これがいわゆる審神者の勘ってやつじゃないのかと思いながらわくわくしながら待っていれば。
「・・あんただな」
「何でそんな嫌そうな顔をするんだ」
ひどいなと近侍を見遣れば、トレードマークの筈の白い布を取っ払っている金髪の隙間から覗いた碧眼は虚ろで遠くを見ていた。
「あんたが二人いると考えるだけでうんざりしない奴はいないだろう」
「え、きみそこまで」
「あんたでさえ既に手に余っているっていうのに」
「待て待て、これでも俺はきみの主だよな」
「新しく来るあんたが、”人間”である上に”審神者”やってるあんたを見て興奮しないはずがない。ああ面倒だ」
「本当にひどい言い草だな」
しかめっ面をしてもう少し言葉を選んでくれと言ってみるが、そんなものがこの近侍殿に今更響くわけもなかったようだ。さらに言うならば、全力で抑えているはずのワクワクと興奮は駄々洩れだったらしい。だが仕方が無いだろう。
「それよりもっと驚いてくれ!!俺が!”俺”を鍛刀したんだぞ!!」
「・・・はァ」
ここまで来たらもうお分かりだと思うが、かつて”鶴丸国永”という刀だった俺は人として生まれ変わり、この横で盛大なため息を吐いて赤疲労な刀剣男士、山姥切国広の主をしている。
同じく刀剣男士だったはずの俺が何らかの終わりを迎えたとはいえ、人間となり審神者として本丸を持つなんてな。刀が主とはこの世は本当に驚きに満ちている。
「いやぁ、長生きはしてみるもんだな」
「・・その人生はまだ20やそこらだろう」
「そのはずなんだがなあ」
生まれてすぐに何もかもを思い出したわけでは無い。黒髪と黒目を持ち人間の夫婦の間に生まれたということになっているが、物心ついた頃には同じような年ごろの子どもらと一緒に施設で過ごしていたんだから驚きだ。
”物心”っていう言葉の意味を真っ先に理解したもんだ。
いつか刀であった頃に俺が俺だと自我を持った瞬間。それこそが物に心が宿った瞬間であったわけだが、人間としての生を受けてからこれまでを思い出そうとしても自分の意識がはっきりとし出し自我を持って行動し始めたと分かるころにはすでに施設にいたわけで、残念ながら親の顔は全く覚えていなかった。
自身の歳すら正確には分からないのだが、まあ何か理由があったのだろうと実の親を探すことはせず人生を謳歌していれば、時の政府と名乗る連中が迎えに来たんだからそれこそ驚いたし、断る理由も大して無い。
「さてさて、どんな驚きを与えてやるかなぁ!」
「・・程ほどにしてやれ」
「お、山姥切は主である俺より、刀である俺を擁護するのか?」
「ああ、同じ刀剣男士だからな。当然だろう」
「いやここは普通主を立てるとこだろう・・・」
つい口を尖らせて見せれば呆れたような、心底うんざりした目でこっちを見てくるが主に対してその口調この態度。山姥切国広という刀を知っている身としては思わず笑みも浮かべたくなるってものだが、なんなんだいきなり気持ち悪いとのお言葉をいただいた。
「さてはて、待たせ過ぎては俺が退屈して眠ってしまいかねん」
「・・そのまま還った方が身のためかもしれないけどな」
「言うなあ、近侍殿」
常日頃からの悪口を叩き合いつつも高揚を隠せないまま顕現のための祝詞をそっと口にすれば、俺の中から何かがふわりと抜け出てすうっと目の前の白い太刀に吸い込まれていった。以前はされている側だったはずのそれは、行ってみれば何とも言い難いものを感じる。
瞬間、ぶわっと桜吹雪が舞い上がり視界が薄桃色に染まった。
それはきっと俺の分も表しているんじゃないかと言うような量で、隣の山姥切が思わずといったように背後に距離を取ったのが見えたが俺はそのまま花弁の嵐が収まるその向こう側を見開いた眼でじっと見つめる。
徐々に収まる桜吹雪と真白き光のその向こう。
そこには眩しく、俺にとってはひどく懐かしい白い衣に包まれた、白い髪の付喪神が立っていた。
「よっ。鶴丸国永だ。俺みたい、のが突然・・来て・・」
目覚めのようにゆっくり開かれた瞼の裏から現れた金の瞳。いつか見慣れた色彩が光を宿してこちらを見たのと同時に薄っすらと開かれた口から覚えのある口上が漏れ出し、パチリとひとつ瞬きをしたと思ったら、唐突にその口上は途切れた。
驚いたようにこちらを向いた瞳をみて、良い驚きを与えられたんじゃないかと心が弾んだ。
「よっ!鶴丸国永だ。俺みたいのが目の前に立っていて驚いたか?」
驚きすぎて声も出ないのだろう俺に笑って、相手が告げるはずだった口上を横取りする。まあ、新しい刀剣男士が来るたびにしていることではあるんだが、俺相手にやるってのもまた新しい驚きだよな。
そう思って向こうがどんな反応を返すかいまかいまかと待っていれば、急に慌てたように自分の恰好や形を確認しだし、かと思えば頭っからすっころびそうになっていた。 ・・この俺はいささか慌てんぼうすぎやしないだろうか。
少し心配になりつつ姿勢を崩した俺を支えて漸く気付いた。
俺にしては小さい。何やらわたわたとし出す身体を問答無用で持ち上げてみれば、・・いや今は人間となったはずの俺に簡単に持ち上げられる時点でおかしいくらい、軽いしどう見ても小柄だった。
どこかおかしいが、こういう個体差というものもあるのかもしれない。それはそれで面白そうだと思っていたが、不意に思い浮かんだ問い掛けを口にしてみれば。
その答えは青白く血の気を失った身体と、虚ろな目で返ってきた。
「!?なんだ、ちょっと待てどうして」
「おいあんた!しっかりしろ!!」
はなから軽いと思っていた体は、瞬きの間にも抱えていることが分からなくなるほどに軽く朧げになっていった。そのくせ鋼の様に冷え固まったような感覚だけが存在を知らせるように腕に中に留まり、零れ落ちるような冷気に触れた指先から伝わる冷たさにぞくりと背すじが強張った。虚ろに見開かれたままの金色の瞳からは光が消え失せ、陰りを帯びてまるでがらんどうだ。
薄っすらと開かれた口からうわごとの様に漏れる「違う」と「私はどこ」という言葉にその口元を愕然と見ていれば、背後から伸びてきた手がその口を強引に抑えて覆い隠す。
「あっ、なにし」
「馬鹿か!黙って聞いてるやつがいるか!!」
小柄な白い姿は今やぼんやりと床に透けだし、端から細かな光の粒が立ち上り空へと溶けていく。まるで糸が解けるように顕現した身が崩れようとしていた。
「なんで、いきなりこんな・・」
「おそらく、だが。名前を拒絶したからじゃないか」
「そうか。名前は、」
「俺たち付喪神にとって、人に呼ばれその想いを受け形作られる核となるのは名だろう。人だってそうだ、名は魂でもある」
「でもどうやらこの子は人の子だ。きみたち刀剣男士であれば元あるところに戻るだけだが・・この器から例えば離れたとしてどうなる、この子はあるべき場所に戻れるのか?」
「知らん、俺に聞くな。そもそも離れた魂の受け入れ先などあるのか?」
「俺にだって分からん。だが、なければどうなる。輪廻の輪に戻れればいいが」
「すでに輪廻の輪から外れてここにあると考えれば消滅も考えられるな」
「っ、!!」
だからといってじゃあどうすりゃ良いんだと焦れど、光は舞い散ってそこにあるべき姿形を覆い隠していく。見えず、触れず、最初から無かったかのように、消し去ろうとしているのだろうか。
「山姥切!どうにか出来ないのか!?」
「出来たらしている。付喪神といってもしょせんは端くれ、ただ長く生きた九十九の妖怪と変わらない俺に何を期待している」
「おいおい、ここで拗らせてる場合か。神さまだろう!何とかしてくれ」
「お前こそ、こいつの主なんだろう」
「今世は人間だ!」
「だが、審神者なんだろう。繋ぎとめるなりなんなり出来るんじゃないのか」
言い合う合間にも薄れていく姿と”違う”と宙に溶ける言葉がかろうじて聞こえてくる。
「繋ぎとめる・・そうだな」
「どうするんだ」
「名を、与える。無理やりにでもその名前と魂を結びつけてやる」
「おい、無茶苦茶だな・・・それに、もしかしたらこいつだって、」
「その先は、今は考えない」
押し黙った近侍が言いたいことは分かる。もしかしたら、このまま消えていくのを見守った方が良いかもしれない。そうすればこの魂の本来の行くべき場所に還れるのかもしれない。
だが仮定はあくまで仮定に過ぎず、消えていくのみかもしれないと思えば今はそんなことさせたくないと思ってしまうのだ。だって、まだその体で何もしていないじゃないか。面白いことも綺麗なものもまだ見せてやれていない。ここでの食だって乙なもんだ。驚きだってまだまだこれから与えてやれる。
「きみは、”鶴丸国永”じゃない。きみは・・・、」
2019.9.27
Icon & background by ヒバナ