カメラとレフ版



彼らが祈りに応えるのをそっと見ていた。
私も応えた方が良いのだろうか。
迷った末に閉じていた口を僅かに開いて、だが声は音を成さず微かに吐息を漏らした。
請うたその期待にもしも応えられなかったら?
声に応えてやりたかったが、何せ生まれたばかりなもので自信が無い。

それに今なら分かる。

とにかく、怖いのだ。



「ひ、ぃい、やっ、ぁああああああああ!!!!!!」

声の限りと絶叫を上げる。
ついでに片手に握っていた四角いものをぶん投げる勢いで来ていた方向へ全速力で走りだした。
・・走りだそうとした。

「おいおいおい、待った待った」
「やだ!お願いです後生ですから離してくださいぃあぁああぁああ」
「こらこら、落ち着け」

方向転換して顕現以来最速のスタートダッシュを決められそうだったそれは、斜め後ろに立っていた白い人影の脇をすり抜けようとした瞬間その手によってあっさりと引き留められた。
振り回すんじゃないと、もう片方の腕も難なく掴まれ抑え込まれる。
そうなったら力の差は歴然としている。なんたって相手は刀の付喪神様だ。立派な刃物、まさに物理的な武器である。
抜けかけた腰と少し震えた足元がおぼつかなく薄汚れた廊下の端にずるりと寄り掛かれば、こちらの腕と手首を掴んだままの相手が適度な力でもって倒れ込まないように支えてくれているのが分かる。でも叶うならば、その優しさポイントはどうか他のことで使わせてほしい。例えば今すぐ私を小脇にでも抱えてここから脱出してくれるとか。

「ぉっお、お願いです・・!鶴丸さんお願いします!もうここから帰らせてくださいここほんと無理っ」
「はぁ、やれやれ・・きみ、自身の所以を顕現したとき一体どこに落としてきたんだ?」
「そんなもの、知りませんよ!!私はだって、勝手に使われる側であって好きでやっていたのではないんですっ!!」
「・・、仕方ない。ここは一旦出直すか」

その言葉にぶんぶんぶんと首を縦に振る。心底呆れた声と表情の相手に涙ながらにやはり貴方は神さまだった!と、さあ帰りましょうと急に元気になった足で立ってゲートへと向かおうとした足がぶらりと宙に浮く。
間抜けな声と共に脇の下に手を入れ持ち上げた相手を恐る恐る振り仰いで見れば、ニコリと笑みを浮かべたその細い隙間から薄っすら覗く金の瞳と目が合った。その口角がつり上がる。
ひっ、と喉の奥で息を飲む。

「とでも、・・言うと思ったかい?」

そう言って、ストンとまた汚い床の上に下ろされる。向きは丁寧にゲートから逆方向だ。

「そら、嫌ならさっさと仕事を終らせて帰ろうぜ」
「おっ鬼ぃ!!」
「お、鬼たぁ、どこだどこだー」
「貴方のことですよ!い・やー!!」

棒読みで返される中、せめてもの抵抗にと踏ん張る足は容赦のない力により踵を引きずる程にしか効果がない。

「ほら、きみ構えてくれ」
「も、もうそんなにやる気満々なら、ご自身でどうですかづるまるさんんんn」
「俺にも見えるならなぁ、こんな面倒なことはしてないさ」
「面倒って・・!面倒って!!」
「はいはい、あんよが上手、あんよが上手」
「ば、かに、してくるしぃ・・ぅうう、神さまの意地悪ぅうううう」
「何言ってるんだ。きみもその神さまの一員だろうに」

何だかんだ言いつつも踵をすらないようにしっかり持ち上げてすたすた歩いてくれる辺り一瞬優しいかと思ったが、軽々とこちらの胴回りを持ち上げて正面を向かせたまま強制的に進まざる負えない現状に気が付いた途端、全身のバイブレーションが止まらなくなった。

「器用だなあ」
「わらっわらいごと、じゃな・・」

薄暗い廊下の奥に進むにつれ、どんどん空気が重くじっとりとまとわりつくようになっていく。そんないかにもな空間に不釣り合いな快活な笑い声に、そうだ呑まれてはおしまいだと気力を振り絞って声を返せば不意にその足がひたりと止まった。抱えられているこちらもそこで視界が固定される。
気が付けばそこは廊下の曲がり角で前方にぽつんと姿見が置いてあるのが見えた。そこに映るのは真白い装束の刀の付喪神とその腕に抱えられて力なく項垂れた自分だ。

「ふむ」
「え、や、なんでここで止まったんです」

何事か考えるように空いていた片手を顎に当てていたと思えば、不意にぐんと視界がぶれる。

「へ、あ、」
「ちょっとここで構えてみてくれないか」
「いや、ちょっとどこ掴んで・・」
「同じ目線で見れば俺にも何か見えるかもしれん。なぁ、」

胴に回されていた腕が外れたと思えば、猫の子を持ち上げるようにぐいと胸の下に両手を当てて持ち上げられる。その事に慌てて抗議しようとすれば、鏡越しにうっそりと細められた金の瞳と目が合った。自分の顔のすぐ脇に白皙の美貌が並んでいて狼狽える間もなく耳元で囁くようにオネガイをされる。
熱がぶありとかけ上がって背中には嫌な汗が滲んできた気がする。なんなら鳥肌も立っていそうだ。

「なあ・・ダメかい」
「ひっ」

鼓動と一緒に自分も大きく振動してやしないかと思う程に覚束ない腕を何とか引き上げて顔の前で構えれば、更に寄せられたその白い頬がひたりと触れる。目の前の鏡に映る鶴丸国永のその動作を自身を構えたまま茫然と見遣れば、擦り寄る様に頬に触れる肌は少しひんやりと冷たく、首筋に触れる白銀の髪の毛の先がくすぐったい。

「んー・・・きみと一緒に覗き込んだら映るかと思ったが」

姿見の縁から黒く爛れた細長いものが1本2本と生えていく。
鏡に映る私の瞳が鈍い赤色を灯していく。
両の手指と丁度同じ本数の棒状のものが木の枝を折るような歪な動きで曲げられ、姿見の縁に食い込んでいく。

「やはり無理か」

残念だ。と呟く声をかき消すように悲愴な叫び声が辺りの静寂を切り裂いた。瞬きする間に姿見を突き破るように飛び出してきた黒い靄は眼前でその虚ろな眼窩と真っ黒な口腔を覗かせていた。
それに悲鳴を上げる間もなく赤く発光した私の瞳の残像が姿見を滑っていく。瞬時に私を抱えたまま軽く横へ飛ぶその動きに合わせて、鶴丸国永の白い羽織の裾がふうわりと揺れる。
視界の端で優雅に、どこか無邪気に揺れ動く白い裾と背後に感じる温かさがこんな時だというのに気持ちを落ち着かせてくれる。不規則な動きで伸ばされる枯れ木のような指先がファインダー越しにこちらに伸ばされた瞬間、反射のようにシャッターを強く押した。
「・・ぅ」 「大丈夫かい?」 「すいません平気です」 一瞬くらりとぶれた視界を額を抑えれば頭上から心配そうな声を掛けられるが、これは私が受け止めなければいけないものなのだ。重く澱んだ思念の欠片が脳を揺さぶるのに耐えて答えれば背後の相手は口を噤んだ。
人の子らの声に真っ先に答えた彼らは人の子に優しいと言われるが、刀とはそも守るためのものだ。今はきっとその対象である私に対しても優しくしてくれている・・・きっとおそらく、たぶん。
さっきのやり取りを思い出して真顔になると共に思考回路を強制遮断した。早く終わらせよう。 顔の部分であろう場所を抑えて甲高い叫び声と共に後退する靄に向かって、瞳の焦点がギリギリと引き絞られていくような感覚に任せて、指がシャッターを押した。



「・・・終わったか?」

2度、3度と繰り返し焚かれたシャッターと青白いフラッシュが収まれば、周囲は何もなかったように静けさが戻り廊下の端には壊れた姿見だけが残っている。割れた1枚1枚に映る抱え込んだ小柄な付喪神が胸元を抑えて低く呻いたのに自分の顔が渋面になるのをため息ひとつで相手に見せる前にしまい込んだ。
よっと軽い声と共に片腕に抱え上げた体はくったりとしていても軽い。その顔をそっと覗き込めば瞳孔が開ききってはいたがもうそこに先程のような血のように鮮やかな紅色は見えなかった。

「お疲れさん」

出来るだけ軽く聞こえるように明るく声をかけてみたが、聞こえているのかどうかその顔は決して終わったことに対しての喜びは無く、暗く青い。

「ひどい、と」
「ん?」
「ひどい、ひどいと・・泣いていたんです」
「そうか」

怖がりがカンストしているこの付喪神はその分他者の痛みに敏感だ。撮ったものの影響を受けてしまうと聞いているが、この付喪神は受け止めるべきものだから受け止めているという。
本当にそれはきみが受け止めるべきものなのか?・・違うだろうに。
そういう風に出来ていると言ってしまえばそれまでだが、俺たちのように切り捨てられないのは辛かろう。
自身である射影機をだらりと下げ項垂れるその頭を撫でれば、小さく震えたが泣き声は堪えてしまったようだった。

「帰るか」
「・・・はい」








2019.8.21




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