ここだよ、と彼女が指差したのは暗がりへと消える地下へと続く階段。
「電気付いてないわよ、やってないんじゃない?」
少しの期待を込めて聞いてしまった。
やってないなら仕方ない、行くのはまたの機会にして、今日はやめておこう。
そう答える準備をしていれば、同僚はその薄暗がりを覗き込んで笑みを浮かべた。
「看板出てるし開いてるはずよ。それに足元の照明はちゃんと点いてるしね!」
にこにこして、行こう行こうとアリスの背を押す。
逃げられなかったと観念して、アリスは仕方なく薄暗い階段を下りて行った。
「・・・・・」
BAR TEA ROSE。
中が見えない真っ黒な扉には、薔薇の花とティーセットが描かれている。
大人っぽい・・・気もするが、どことなく怪しげな様子に腰が引けるも、この店を紹介したいと意気込む彼女は何の抵抗もなくさっさと扉を開いてしまった。
チリリンと小さくも高いベルの音が響く。
「よく来たな、お嬢さん」
先に中に入った同僚が黄色い悲鳴を上げるのを、まだ扉をくぐっていないアリスは何事かとたじろぐ。
中からは、出迎えたのであろう誰かの低い声がした。
耳に心地よい低音ではあるが非常にだるそうな・・あえて例えるなら今にも寝る寸前のような、少し掠れた声だ。
一言、二言何か会話をかわして、そして同僚がこちらを振り向いた。
キラキラとした瞳のまま、腕をぐいっと引っ張られる。
「こっちが、そのアリスよ」
どのアリスよ!と何て説明されたか非常に気になる紹介をされる。
引っ張られたことで、低い声の持ち主の前に立たされる。
「ど、どうもこんにちは」
「・・・・・ほう」
何となく目を泳がせて挨拶をすれば、一拍空いてから謎の相槌をいただいた。
ほうって、何よ。
本当に何を言ったのよ、と横目でちらとここまで連れてきた同僚を睨むも、その同僚の視線は目の前の相手に釘付けである。
軽く頭を下げた視界で、相手の少し派手な服装の一部が見えている。
・・・・何か変な・・格好?
「・・・・・・」
「何かな、お嬢さん。そんなに熱心に見つめられると穴が空きそうだな」
「・・・・海賊?」
そう、あえて例えるなら海賊みたいな格好だ。
少し長めの深い赤のコートは重そうで、袖と襟に金の刺繍で縁取りがしてある。
下はゆったりとしたパンツで、こちらもまた重そうな太いベルトが腰に巻かれ、鈍い色を放つバックルで留められている。
バックルには何故かトランプのスートと、シルクハットが描かれていた。
そしてそのまま見上げれば、無駄に開襟された質の良さそうなシャツ・・・。
「・・・・っ!」
来るんじゃなかった・・・!!!
「今年は海賊なんですね、ボス!」
「ああ・・いつもいつもモンスターや吸血鬼では飽きてしまうだろう?」
「そんなことないですよっ!ボスの吸血鬼、いつも色っぽくて最高です」
「そう言われると、やった側としても甲斐があったと言うものだな」
ボスと呼ばれた相手は、くつくつと喉の奥で笑っている。
いつもテキパキと動きしっかりと仕事をこなす、どちらかというとまじめな部類に入るはずの同僚が、オフの顔で楽しそうにしている。
それはいい、いいのだけれど。
まさかこんな変なお店だったとは・・・!
コスプレ?ホストクラブ?
ちょっと大人っぽい雰囲気のバーとしか聞いて無かったんだけど、これって大人っぽいと言うんだろうか・・・。
全く着いていけないアリスの方に、海賊服を着ている相手はちらと視線を寄越してきた。
「・・?」
不意に、にやとその翠碧色の瞳が笑った、気がした。
カラーコンタクトかしら。
綺麗で、いやに似合ってるけれどと首を傾げていれば。
「エリオット!どうやら、私たちに賓客だ」
「おっ!!何だ、誰だ!」
店内に、決して大きくは無いが特徴的な低い声が広がり、奥のほうから明るい声が返ってきた。
足音が近づく。
「おっ、あんたか!それと・・・?」
「エリオット!似合ってる!」
「へへっそっか?ありがとよ」
にかっと笑うそのオレンジ色の頭に目が釘付けになった。
髪の色がオレンジなのは、まあ染めたんだろうと納得できる。
だが・・。
「うさぎの・・海賊さん?」
思わず、目を点にさせて呟いてしまった。
「うさぎじゃねえよ!っと・・あんたが賓客ってことは、ブラッド!じゃなかった、ボスこいつが?」
「あぁ、このお嬢さんだ」
いきなり怒鳴られてびくっとすれば、謎の会話を頭上で交わされる。
というか否定されても、どこからどうみてもうさぎ耳のついている海賊にしか見えない。
ちょっとぼろっと破れた感じのシャツや腰に巻いた紫の布、ご丁寧にオプションとして銃も持っている。
そして何より、背が高い。
近付けば、ボスと呼ばれた黒髪の男性より、更に上背があった。
笑うと愛嬌のある人懐っこそうな顔は、何だか撫でてあげたくなるような気もするけれど。
・・・背伸びをしても届く気がしない。
「何なに?アリスが今回の目玉役なの??」
「ああ、実に相応しいだろう?」
「やったじゃん、アリス!」
「え?何?」
うさぎ耳をガン見していて、会話が上手く聞き取れなかった。
何だか妙にテンションが上がった同僚に、背中をバンバンと叩かれているが全くよく分からない。
説明を・・と言いかけた背に、するりと腕が回された。
え、とその相手を見上げる間もなく、視界がガクンと揺れる。
「ちょ、ちょっと!いきなり何するのよっ」
「そう、その調子だよお嬢さん」
「その調子って、一体何よ!下ろしてちょうだい」
「やはり、君にして正解だな」
下ろしてと暴れるも、しっかりと回された両腕にぐっと力が込められて、身動きがとり辛くなる。
いきなり抱え上げられて、店の奥に連れて行かれそうになりアリスは慌てた。
ちらと目に入る店内は、なるほど確かに同僚が最初に言っていた通り、大人の雰囲気の漂う空間だ。
暗めに落とされた照明、深い色のソファ、毛足の長い絨毯。
そんなとこだろうかと流れる景色の中で情報を拾うも、今はそれどころでは無い。
「いやっ、本当に何すんのよ!」
「こら、もう少し大人しくしていなさい」
「!これが大人しくしていられる?!」
悲鳴のような声を上げても、店内の誰も慌てた様子はない。
それどころか、何だかうっとりとした、どことなく羨ましそうな目線を向けられている気がする。
代わりたいのなら代わるわよ!と言ってやりたい。
ちらほらといる他の女性客などには目もくれず、ずんずんと歩いて連れて行かれた先には。
「・・・・は?」
貝が、あった。
近付くそれに、まぬけな声を上げてしまう。
貝。
真珠とかが入っていそうな形の、あれはホタテ?
「な、・・まさかあそこに」
連れて行くんじゃ無いわよね、と恐る恐る見上げれば。
「そのまさかだよ、お嬢さん。・・今日の主役、だからな」
にやにやと実に愉しそうな瞳に見下ろされる。
ざっと顔が青ざめた気がした。
店内に他にあんな謎の物体は置かれていない。
ピンクの、パールがかった、きらきらと煌く・・・。
「普通の!普通のソファがいいわ!」
「それは、また君が来てくれた時に座ればいい。あんなものはいつでも置いてある」
「今、普通の、ソファがいいのよ」
普通、を強調してだいぶ低い声を出すも、くつくつと笑う相手には何も聞こえてはいないようだった。
今にも逃げ出したい。
人の背丈もある大きな謎のピンク色をした、口を空けた貝。
あんなのにうっとりするのは、小さな子供か乙女チックな女性だけだろう。
間違っても自分はそれに当てはまらない。
むしろ、あんな晒し者みたいな場所に下ろされるのはごめんだ。
もう十分、店内を移動するだけで注目の的だというのに。
「穴があったら入りたい・・・」
「おや、お嬢さん。穴があったら、・・・落ちればいい」
「へ・・?・・やっ」
急に抱えられていた腕の力が抜けて、落下の恐怖に思わず何も考えずにしがみついてしまった。
しがみついてから、はっとする。
「ちょ・・・・と!!!何するのよ、危ないじゃない!!」
「君から抱きついてくれるとはな。嬉しいじゃないか」
「いや、もういいわ、落とすんでもいいから離れて!」
「ああ、そうだな・・・ほら、落ちればいいさ」
そう言いながらも、妙に丁寧に下ろされた地面はふかふかで、アリスは自分の背後を無言で振り返った。
・・・ピンクパールに塗られた大きな貝殻がある。
貝の中の実にふわふわなクッションの上に下ろされたというべきだろうか。
眩暈がしそうだ。
「・・・・・」
「お前たち、今日の賓客だ。しっかりもてなせ」
下ろした相手は、貝殻に片手を預けて店のどこかへ声をかけた。
「はーい、ボス!」
「わあ、やっと捕まえたんだね、さすがボス!」
どこからともなく、青年が二人駆け寄ってきた。
長い髪をひとくくりにした青年と、前髪を2色のクロスさせたピンで留めた青年。
「・・双子?」
顔がそっくりだ。
髪の毛の違いが無かったら、見分けがつかないだろう。
うっかり見ていれば、にこっと笑い返される。
「綺麗な人魚さん」
そう言って、しゃがみ込んだ短い髪の青年に靴を脱がされる。
ソファの上というか奥行きが広いクッションの上にしゃがみ込んだまま、土足だったことを忘れていた。
「あっ、ごめんなさい」
慌てて、その辺りを手で払おうとすれば、いいんだよ!とその手を取られる。
「その代わり、人間の足は僕がいただいちゃったからね。今夜は、返さないよ」
「あ、ずるいよ兄弟!・・・今夜だけとは言わずに、ずっとここにいてね、人魚さん」
靴を持ってない長髪の青年は、ソファの上にぐっと身を乗り出してくる。
思わず、仰け反って奥にずるずると後ずさる。
「逃げないでよ、可愛い」
「ちょ、ちょっと・・何?!」
「あ、兄弟!じゃあ、僕も!・・っいて!!」
乗り上げてきそうな短髪の青年の後ろから、唐突にオレンジ色の色彩が現れた。
頭を押さえて呻く青年に続いて、目の前に身を乗り出していた青年の襟首もぐっと掴まれて後ろに下げられる。
無意識に胸元に添えていた手を、少しほっとして下ろす。
「おい、お前ら!もてなせ、って言われてんだろ!!」
「ったいなぁ!このヒヨコウサギ!」
「いきなり、何するんだよ馬鹿ウサギ!」
「働けっつんでだよ!あと、俺はウサギじゃねえ!」
目の前でぎゃあぎゃあとコミカルに騒ぎ合う彼らを、呆然と眺める。
もう、全くもってついていけない。
殴られた短髪の青年の足元に、自分の靴が置かれているのが目に入る。
そっと見上げてみるも、言い合いに夢中な三人はそれに気がついていない。
よし、今のうちに。
「・・何処へ行こうとしているんだ、お嬢さん」
「・・・・げ」
履いて帰ってしまおう。
同僚には後日謝ればいい、・・謝る必要はあるんだろうか。
いや、まあ店の中身はどうであったにせよ、好意で連れてきてくれたのだ。
謝るべきだろう、と考えながら伸ばした手は影に遮られる。
見上げれば、貝殻の縁に手をかけた、ボスと呼ばれた男性。
身を屈めてこちらを覗きこむようにしている。
黒髪の中で影になった瞳に、愉快気な光が灯っている。
「私から、逃げ出せるとでも思っているのかな」
「逃げ出すって言うか・・もう十分付き合ったでしょう!私、帰るわ」
「駄目だよ、お嬢さん・・・・逃がしはしない」
「っ!!」
急にすっと細められた瞳に、びくっとする。
さきほどまでの、どこか余裕のある意地が悪そうなものとは違う。
威圧感がある、怖い瞳。
「逃げる逃げないじゃなくて、帰るって言ってるのよ」
「そうか。なら、帰さない。・・・残念だったな」
何が、残念よ!
そう言ってやろうとすれば、口元に何かを突きつけられる。
びっくりして身を引こうとすれば、相手はさっきまでの雰囲気なんて無かったかのように、ふっと笑った。
「食べなさい。ただの、チョコレートだ」
確かに顔を引いたことで見えたそれは、綺麗な薔薇の形をしたチョコレートに見えた。
何でいきなりチョコレート?
そう思いながらも、思い起こせば仕事帰りに直接来たのだ。
お腹が減っていないわけでは無かった。
「ありがとう」
言って手の平を出すが、相手はつまんだそれを置いてくれる気配が無い。
訝しげに見上げれば、意地悪そうに笑う顔。
「口を、開けなさいお嬢さん」
思わず睨みつける。
「・・・・開けるわけが、、んむ」
馬鹿だ!
自分はどうしようも無い馬鹿だ!!
怒鳴りつけようとする前に、指先ごと押し込まれたそれに愕然とする。
「素直で、イイコだ」
「~~~っっ!!」
押し込んだ後に上唇をそっと撫でていく指先に、頭が瞬間沸騰しそうになる。
完全に、弄ばれている。
そう思うのに、馬鹿みたいに赤くなっているであろう顔の血の気は、当分下がりそうにない。
貝の中で、ずるずると極限まで後ろに下がって、手に触れた何かを掴んだ。
ふわふわもこもことした軽いそれを、ぶんっと目の前の相手に投げつける。
「反抗的なのも、いい」
結局、どっちがいいんだとかくだらない反論をかましそうな口を何とか閉じる。
投げつけられたそれを難なくキャッチされて、口がへの字に曲がった。
とはいえ当たっても何のダメージも与えられそうに無い代物、白くふわふわでもこもこの丸いクッションだ。
この貝殻の中にあったのだから、真珠の代わりとかなのだろう。
幾つか奥に転がる大小のそれらの中で、大き目のものを抱えて端に寄る。
「そうやって、今夜は大人しくしていなさい。・・・悪いようにはしない」
「どの口が言うってのよ」
見せ付けるように靴を回収する相手をクッションの間から睨みつける。
「どの口が言うのか、知りたいか?」
「いいです遠慮しますもう何でもいいからどっかへ行ってちょうだい」
首を竦める振りをして、相手は視界から消えていった。
いつの間にやら騒いでいた三人もいない。
店内には静かな音が流れていて、どこかで談笑する声が聞こえる。
一応、全くの晒し者にはされないように、店の奥の誰の視界も入らない位置に置かれてはいるらしい。
目の前には、ここ、店の中よねと疑いたくなる小さな噴水と、派手すぎない花がいけられた大きな花瓶、高価そうなアンティーク食器が並べられたショーケースしか見えない。
食器は全て、ティーカップだ。
「そう言えば、店にもティーって・・・」
入っていたわねと呟く合間に、欠伸が漏れる。
ふかふかの地面、靴を脱いでくつろいでしまっている身体。
抱えているふわふわのクッション。
薄暗い店内に、静かな水音と穏やかな音色。
仕事終わりのアリスの眠気を促すには十分だった。
「・・・・・」
とはいえ、こんなところで眠っていられるはずもない。
無言で頭を振るも、徐々に力が抜けていく体が重くてどうしようもない。
「・・・・、・・・・・・」
せめてもと、貝の奥に出来る限り身を寄せて、ころころと転がる真珠代わりのクッションに埋もれる。
ああ、駄目だ。
眠くてたまらない。
「あれ、人魚のお姉さん寝ちゃってるよ」
「あ、本当だ。疲れてたのかな?可愛いね、兄弟」
「うん、可愛い」
「触ってもいいと思う?兄弟」
「ちょっとならいいんじゃないかな、兄弟」
そっとね、うんうん、ちょっとだよ、と囁く声が耳元で聞こえる。
すっかり心地よい眠りの中にいたのが、少しだけ浮上する。
囁きあいくすくすと笑いあう声と共に、さらりと頭を撫でられる気配がする。
よしよし、と労わるように撫でられるその手の平が温かい。
肩から背中を撫でる手が、また眠りを促すように心地よい。
それでも、近い誰かの気配に誰だろうとぼんやりと疑問が浮かぶ。
「・・ん・・だ、れ」
「あ、ごめんお姉さん、起こしちゃった?」
「まだ寝ててもいいよ、お姉さん」
撫でる手がそっと離れていって、ぬくもりが少し遠ざかる。
ゆっくりと目を開ける。
映ったのは、二つの顔。
そっくりな二つの・・・。
「・・?・・・・!・・!!!」
「おはよう?お姉さん」
「すごく可愛かったよ、お姉さん」
「?!?!」
頭が一気に覚醒する。
可愛い?いやいやそこじゃない。
ここはどこ、あなたたちは誰?!・・でもない。
ここは同僚に連れてこられた店で、自分は・・自分は・・。
「寝てた!私今、寝てた?!」
「うん。眠かったらもっと寝ててもいいよ。ね、兄弟?」
「うんうん。変なことされないように、僕たちで見ていてあげるから」
ありがとう、と言うべき状況では勿論無いはずだ。
あああ、と頭を抱えてしまいそうになる。
いくら疲れていたからといって、いくらクッションが柔らかかったとはいえ。
初めて入った店のこんな変な場所で寝こけてしまうなんて。
「有り得ないわ・・・」
「そんなことないよ。疲れてたんだったら仕方ないよ」
「うん。仕事を終えたんだったら休みを満喫すべきだよね、兄弟」
起き上がって正座をしてうな垂れていれば、そう口々に慰めるように声をかけてくれる。
「そうそう。仕事なんて楽しくないもんねよく分かるよ!」
「僕たちだって、仕事なんて嫌いだよ」
「嫌いって・・・あなたたちは、これが仕事なんじゃないの?」
よく聞いていればその話の内容は、いかに仕事が嫌いかにずれていく。
口々に愚痴りながら、ソファの縁に腰をかけて身を乗り出してくるのはやめて欲しい。
「お前ら・・・仕事しろって言ってんのが聞こえなかったのかよ!」
二人の背後に、また見覚えのある長身の影がぬっと現れた。
見上げれば、やはりというかなんというか。
仁王立ちのうさぎさんだった。
「ええと、エリオット?だったかしら」
確かそんな風に呼ばれていたわよね、と思い出しながら声をかければその上半身を窮屈そうに折って、こちらを覗きこんできた。
「ん?あんたやっと起きたのか」
「・・・・ごめんなさい」
紫色の瞳がパチリと瞬きしてこちらを向く。
言われた言葉に頭を下げてうな垂れば、快活な笑い声が返ってきた。
「はははっ!あんた、ちょっと目を離した隙に寝ちゃってるんだもんな」
「・・・営業妨害だったわよね」
「いや、そんなことは無いぜ」
伸ばされた大きな手にわしゃわしゃと頭を撫でられる。
遠慮ない力に、髪がかき混ぜられた気がする。
「あんたがいてくれたから、ブラッドも機嫌が良いしな!」
「そうそう!お姉さん、このままずっとここにいてよ!」
「お姉さんがいれば、臨時ボーナスも強請れる気がする!」
「・・・え?」
言った直後に、エリオットから脳天に拳を落とされてまたギャンギャンと騒ぎ出す。
ブラッドっていうのは、確かあのボスと呼ばれていた黒髪の相手だろう。
機嫌がいい?
意味が分からない。
「眠たかったら、まだ寝ててもいいんだぜ。・・ほら」
「あ、ありがとう」
言って手渡されたのは透き通った海のような、淡い青緑色のひざ掛けだ。
床に近いからか、少し足元が寒かったので有難くかけさせてもらう。
「そうしてると、本当に人魚みたいだな」
って言っても、見たことなんかねーけどさと笑う。
「そういえば、その人魚って何?」
聞き返しながら、自分が座ってる謎の貝を見渡す。
一瞬きょとんとした相手が、ああ、と頷いて人差し指をピンと立てた。
「ブラッド・・じゃなかった、ボスが気にいった女を一人決めて人魚役にするって話だ」
何故か誇らしげに話されるも、さっぱり分からない。
「頭が悪いウサギは黙ってなよ」
「そうだよ、お姉さんが余計に混乱するだろ?」
頭をさすっていた双子が貝殻の両脇からまた顔を覗かせて、こちらにパチンとウインクしてくる。
「お姉さん、今って何月?」
「え・・・10月よね?」
「そうそう!10月のイベントっていえば??」
そう言って、どこから取り出したのか、一枚のクッキーをぴらりと見せられる。
目と鼻と口をくり貫かれた、オレンジいろのカボチャのクッキー。
「あ、ハロウィン?」
「正解!」
はいどうぞと手渡されて、思わず受け取ってしまう。
「あ、それはニンジン味なんていうこの世のものとは思えない味のお菓子じゃないからね!安心して食べていいよ」
「え?」
「うん。それはオレンジピールが混ざってる奴だから、美味しいよ」
食べて食べてと促されて、よく分からないが口にする。
パキリと割れたクッキーは、口の中でサクサクと砕けていく。
双子の言うとおり、爽やかで美味しい。
「ハロウィンの特別期間だから、店の中も特別仕様なんだ」
「今年は海賊がテーマなんだよね」
「・・・・・」
もぐもぐしながら、話を聞く。
「そんで、ボスがお客様の中から一人だけ、人魚姫役を選ぶ」
「一日に、一人だけ。今日は、お姉さんがそうなんだよ」
「つまり、お姉さんは」
そこまで言って、意味深ににっこりと笑いあう。
「な・・何」
「「海賊に捕らえられちゃった、可愛そうな人魚ってわけ」」
「・・・・・」
帰りたい。
客として、しかも初めて入った店で何故いきなり巻き込まれているのだろう。
店の中を移動している時に、もっと綺麗でグラマラスな女性は何人もいたように思える。
「私じゃなくても、もっと喜んでくれる人がいるでしょ」
暗に、そっちしなさいよ何で私がと告げる。
「・・・君だから、面白いんじゃないかお嬢さん」
出た!
いつから話を聞いていたんだか、さっきより更にだるそうな様子の男がどこからか現れて、エリオットがさっと退いてその場を譲ってしまう。
いやいや、譲らなくていいわよ、その場にいてちょうだいとつい言いたくなる。
「やっとお目覚めかな。人魚のお嬢さん?」
「ええ、うっかり寝させていただいちゃったわ、ごめんなさい。お金はちゃんと払うから、靴を返してちょうだい」
「それは、無理な注文だな」
そう言って、エリオットと双子たちに何事か指示を出し、3人は離れていってしまう。
この場に一人残る様子の相手に、警戒心がむくむくとわきあがる。
「そんな顔をするものじゃないよ」
「どんな顔でもいいわよ。私、帰る・・」
クッションが重さで沈んで、慌てて奥に逃げようとするが手首を掴まれた。
反射的に睨みつければ、意地が悪そうな顔で笑う。
「だから、そんな顔をするものじゃない」
「・・どんな、顔だっていうのよ」
「その反抗的な目は、実に・・屈服させたくなる」
「!!変態、離してっ」
「それに、逃げる獲物は追いたくなるものだろう?」
何言ってるのよ!と思うもずり下がる身体はすぐに奥の壁にぶつかる。
元々、そんなに広くは無いのだ。
これ以上は下がれずに、ぴったりと背中を張り付かせて浅い呼吸を繰り返す。
くつくつと笑う相手が、次にどんな手に出たとしてもすぐに反応出来るように、注意深く様子を窺う。
それ以上近付いてくるなら、遠慮なく蹴り上げてやろうと足をそろそろと身体に引き寄せる前に、手首を掴んでるいるのは逆の手がすっと伸ばされた。
「!!っ」
「そう、可愛い顔をしてくれるな。襲われても文句は言えないぞ、お嬢さん」
頬にふれてするりと撫でられる。
一瞬の内に頭が真っ白になった。
頭の中は真っ白だけど、顔は真っ赤になってしまった気がする。
さっきまでにやにやしていた相手は、堪えきれないと言った風にふっと笑った。
「ああ、お嬢さんには敵わないな。・・・さあ、これを」
「な、・・・え?」
思わずといった風に笑う相手の顔をぽかんと見返す。
さっきまでの怪しげな雰囲気は今は無く。
そうやって笑うと、あれ思ったよりこの人若いのかなとかそんなことを考えていれば、ティーカップを手渡されて流されるままに受け取ってしまう。
・・暖かい。
「折角来てもらったというのに、紅茶も飲ませずに返すなどあってはならない。そうだろう?」
「え、でも紅茶って・・・ここはバーなんじゃないの?」
バーと書いてあったし、それならお酒の一杯でもと言うのが正しいんじゃないだろうか。
そう言えば、相手は肩を竦めて見せる。
「お嬢さんがお酒のほうが良いというなら止めないがね。まずは、飲みなさい」
促されて一口、温かく揺れる緋色の液体を口に含む。
「・・美味しい」
「そうだろう?」
思わず零せば、実に満足げに頷かれる。
ソファの縁に腰をかけて長い足を組んで貝の縁に寄りかかっている。
海賊用の重そうなコートはどこかに脱いできたのか、今は少しラフなシャツとパンツだけだ。
何となく正視できなくて、ティーカップに口をつけながらさり気なく視線をそらす。
「私の取って置きの紅茶だ。海の姫にもお気に召していただけたようで、何より」
まだ少し赤い頬を隠すようにすれば、からかうように呼ばれる。
「それ」
「何かな」
「人魚っていうやつ。何で私にしたの?もっと綺麗な人ならいっぱいいたじゃない」
「さっき言っただろう。君なら、面白そうだと思ったからな」
「帰るわよ」
はあと息を吐かれて、吐きたいのはこっちの方だと思う。
「それもまあ、嘘では無いんだが・・・そうだな」
「・・・・?」
「君の話を聞いて、一度見てみたいと思ってはいたんだが」
「話?私の同僚から?」
「ああ。君の武勇伝をいくつか聞かせていただいた」
「!!?何よそれ!」
組んだ膝の上で肘をついてにやりと笑う相手を、見開いた目で見つめる。
何を言ったのよ!と顔に書いてあっただろう。
「嫌味に皮肉で返す、セクハラしてきた中年の相手を踏みつける・・それから」
「ちょ、何かそれすごい嫌なやつっていうか、何言ってるのよー!」
踏みつけるって・・それじゃただの変態じゃない!
むかついたから、足をさり気なく踏んだだけだ。
ペラペラと喋る相手にいちいち釈明を入れて、・・・うな垂れた。
そんなことしていない、と言えるものがひとつもない。
それもそうだ。
ちょっと曲解されていそうなことはあったが、概ねその通りだったから。
自分で聞いていて、へこむ。
口が悪くて手も足も出る乱暴者。
そうとしか聞こえない。
「・・・もう良いわ」
視線を落として遮れば、つらつらと上げ連ねていた相手の口が止まる。
会う前から、すでに生き恥を晒してしまっていた。
ずーんと音が出そうなほどうな垂れる頭に、くつりとなる声と大きな手の平がのる。
「・・寝乱れている・・ああ、あいつにぐしゃぐしゃにされたか」
「・・・・・」
長い指先が丁寧に髪をほぐしていくのを、振り払う気にもならない。
だいたいこんな話を聞いて、会って見てみたいとは思わないだろう。
「そんなことは無い」
口に出していた呟きに、声が返ってくる。
優しく梳かれる感覚に、そろりと視線を上げればやけに優しげな瞳の翠碧色と目が合った。
「・・・連れて帰りたいくらいだ」
「・・やっぱり帰るわ」
思わず半眼で睨みつけてしまったのは言うまでも無い。
「落ち込む姿も悪くは無いが、君はやはりそうしていた方がいい」
そういって頷く相手からどうやって靴を取り返せばいいだろうと、アリスは憂鬱な溜息を吐いた。
◆アトガキ
2013.10.29
お次は帽子屋ファミリーでした。
residenceでお屋敷という意味だそうですが、用法として合っているのか。
それにしてもBARに行ったはずなのに、紅茶とお菓子しかいただいていません。
変なソファで寝こけていただけです。
アリスが寝ている間に代わる代わる覗きに来て、もしかしたらちょっとセクハラしたりはしていたかもしれません。
もしかしたら、イベントたてておいて塔だけになっちゃうかもと思っていたので、何とか2箇所は制覇出来たと、少し安心しております。 ←
書きやすいメンバーのところからと思っていたのですが。
後2箇所は時間的に無理かもしれないです、申し訳ないです。
設定は考えているのですが、調子がのらないと指が全く動かない。
上に、書き出すと話が上手くまとめられずにどんどん長くなっていってしまうので、集中力が!足りない!
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