「・・・無いわ」
一体どこに仕舞ったのかしら。
アリスは少し焦っていた。
帰ってきてからずっと店内を探しているのに見つからない。
早めにしないと、と棚や引き出しを漁っているのにどこにも無い。
段々苛々してくる。
これだったら外に買いに行った方が早いような気もしてきたが、ここは薬屋だ。
今必要としているものを考えれば、こここそが、とも言える。
これで外で買った後にあっさり見つかったら地味にへこむ。
でも、きっとそうなるのだろう。
そんな嫌な予感がする。
「お嬢さん」
探し物というのは得てして、必要とし探している時には出て来ないくせに、それを忘れた頃にはあっさりと見つかるものなのだ。
だが、今アリスにはそれが必要だった。
「お嬢さん、・・・アリス」
「・・・え?なっ、何勝手に入って来てるのよ!」
必死故にアリスは、店内に人が入って来たことにも、その侵入者が何度か声をかけてきたことにも全く気が付いていなかった。
そんなアリスを見て、出入り口である扉にもたれかかっていた侵入者、もといブラッドは呆れたようにため息を吐いた。
「全く、無用心なお嬢さんだな。私が泥棒だったら、どうするんだ」
「気が付かなくて悪かったわね!でもあなた、扉の前の看板見なかった?クローズド、にしていたんだけど?」
店は閉店してるんだから、さっさと出ていきなさいよと冷たく返す。
答えながらも探す動作は止めない。
アリスの返事を聞いているのかいないのか、相変わらずブラッドは扉の前から一歩も動かず怠そうにその動作を見ている。
まさに泥棒が家捜しをしているかのように、店の棚を引っ掻き回しているアリス。
そもそもアリスがこの店の店長のはずだが、店長自ら自分の店の棚を荒らしてどうする、といった光景だ。
「・・・・で、一体さっきから何をしているんだ」
「あらまだいたの。あなたには関係ないわよ、用があっても無くても帰ってちょうだい」
すげなく返すアリスにつれないなと呟いてから、ブラッドはそっと歩みよった。
しゃがんで下の方の棚に手を伸ばし、あれでもないこれでもないとぶつぶつ言っているアリスを上から見下ろす。
薬の調合もする彼女の格好はこの店内では何度か見かけた、白衣とポニーテールというシンプルな格好だ。
屋敷や外では下ろされてリボンでとめられている金茶の髪が、今はまさに尻尾のように彼女の動作に合わせて右へ左へとゆらりゆらりと揺れている。
何とはなしにその動きを目で追っていた視界に何かが見えた。
「・・・・・」
相変わらず探し物に夢中なアリスは、ブラッドが背後に近付いたことにも急に不穏な空気が漂いはじめたことにもこれまた全くさっぱり気が付かない。
「お嬢さん・・さっきまで誰に会っていた?」
冷たく、低い声。
白衣の背に流れ落ちた一つに結んだ髪を掬いあげられ、首の後ろを指でなぞられる。
「・・・・へ・・え?」
いきなり話し掛けられ背後に立っていたことに気が付き、その上触れられたことに驚いて、アリスは間の抜けた声を上げてしまった。
「どこへ・・出掛けていたのかな」
柔らかいようで静かに凄むような声音。
今すぐにでも払いのけたいのに、まるで首元を押さえつけられているかのように、動けない。
首筋をなぞる指先は止まらない。
「・・・遊園地よ」
これは答えるまで解放してくれそうに無いと、抵抗することは諦めてさっさと答える。
だが答えても不穏な空気は相変わらず、むしろ増したようにも感じる。
背後から放たれる威圧感と首筋に当てられた手によって、息苦しさを感じる。
「ほう。ではこれは、遊園地に住み着いてる動物のどちらかか・・・もしくは、音痴の飼い主か?」
アリスの答えにぴくりと動いた指が、またさわさわと首筋をなぞり上げてくすぐったさに首を竦める。
「何、言ってるのかっ・・・分からないわ・・ちょっと、もう離れてちょうだい!」
むずむずとした感覚に襲われて我慢の限界に達したアリスは、振り向きざまにその手を力いっぱい払いのけた。
勢い良く振り切ったその手首をパシリと掴まれる。
睨みつけた先のブラッドの瞳が不機嫌もに眇られて、アリスは少したじろいだ。
「さっきから何だって言うのよ!」
急いでいるのに邪魔をされて。
怒っているのはこっちだとふつりと沸き上がる怒りで睨み返す。
それに、さっきから無遠慮に撫で回された首筋に違和感を感じる。
「まさか、・・・ここも?」
呟いて指を滑らせれば、微かな膨らみ。
悔しい気持ちで確認をしているアリスの耳に、低く、地を這うような声が降ってくる。
「ここ、も・・・・ということは、他にもあるということか」
「そうよ、たくさん噛まれたのよ!だから急いで探しているんじゃないっ」
言い切るや否や、肩を掴まれて引き寄せられる。
慌てて押し退けようとする前に、首筋にあたる吐息に動揺した。
「なっ・・」
「・・・噛み痕を残されるようなことをしていたのか?アリス。・・いけない子だな」
何すんのよ!?と聞き返す言葉が漏れる前に、吐息の当たっている場所に湿った感触。
濡れた何かが首筋を這って、続けて押し付けられたものが鋭い痛みを残していった。
「んっ!!・・いっ・・?!」
思わず漏れた声に首に埋めていた顔を離して、ブラッドはこちらを覗き込んでくる。
「そういう顔は、相手を煽るだけだよお嬢さん」
不意のことに寄せられた眉が、怒りにきりりと釣り上がる。
「何、してくれてんのよ!」
今度こそバシッと勢いよく手を振りかざして、その横っ面をはたいてやった。
頬は少し赤くなったが、ブラッドは相変わらずにやにやと余裕の笑みを浮かべている。
それに負けないくらい、というかむしろ圧倒的に真っ赤になっている自分の顔を、熱さから鏡など見ずとも分かってしまう。
そして、湧き上がるむず痒さ。
「~~~っ!!!」
こんなことをしている暇は無かったのだ。
だというのに、このふざけた男のせいでもう我慢も限界だ。
耐え切れずにアリスは首筋に手を伸ばした。
ブラッドが散々触ってくれたおかげで、そこはふっくらと盛り上がっている。
爪をたてて・・・。
ガリリ・・・
一度引っ掻いてしまえば、後はもう誘発される痒みと引っ掻いた瞬間だけの慰みに溺れるだけだ。
ガリガリガリ・・
「・・・・やめなさい、お嬢さん。綺麗な首に傷がつく」
呆気に取られた顔でこちらを見ていたブラッドが、見かねて首筋を引っ掻き続ける手を掴んで止めさせる。
片手が駄目なら、もう片方の手がある。
もう一方の手を伸ばせば、そちらも掴まれた。
「・・離して頂戴」
「・・・離したらまた引っ掻くだろう」
溜息を吐いてブラッドが答える。
当たり前だ、誰のせいだと思ってるのだろうかと、目の前で自分の両手を同じように両手で掴みあげている相手を睨みつける。
万歳させたまま、呆れたようにアリスを見下ろしていたブラッドは暫し考え込む顔をして、何か話そうとして口を噤み、そしてアリスの首筋を見遣って、また溜息を吐いた。
「成るほどな・・・」
何勝手に納得して完結させているんだろう。
こっちは本当にいい迷惑だ。
露骨に疲れたという顔をする相手の脛を、正面から爪先で思いっきり蹴り上げる。
「いっ・・・・全く、足癖が悪いお嬢さんだ」
小さく呻いて、でも手首は離さない。
その翠碧色の瞳が店内をちらりと見渡す。
アリスの両手を片手で掴みなおして、そのまま背後の棚に押し付けるように一歩前に動いた。
「!!?ちょっ・・本当に離してっ!」
「大人しくしていなさい」
慌てて暴れる体に影が差す。
思わず体をちぢこませてぎゅっと目を瞑れば、その影はふっと離れた。
竦めていた首をそろりと伸ばして、そっと目を開いてみれば愉しげに笑う瞳。
そして、その片手に掴んでいるもの、水色の薬の入ったボトル。
「!!それっ」
思わず声を上げてしまう。
それこそ、自分がずっと探していたものだった。
「はあ・・・やはりな」
商品であったそのパッケージを開けて、ボトルを取り出す。
蓋を開けば、すーっと独特の香りが鼻をつく。
「離して、自分で塗るわよ」
言った瞬間、首筋に押し当てられた。
ピリと小さく走る痛みに思わず顔をしかめる。
散々引っ掻いてしまったから、やはり傷になってしまったらしい。
液体が傷口に沁みて痛い。
「いたっ・・ちょっとそんなに塗らなくてもっ」
ぐりぐりぐりと必要以上に塗りこまれているような気がする。
眉を寄せて見上げれば、何だか愉しげな顔が見えてそっと視線を外した。
暫く無言で薬を塗っていた手が離れていくと同時に、店内の冷気に冷やされて首筋がひんやりとした。
そして、掴まれていた両手が解放されて、その手のひらに薬のボトルが落とされる。
「・・・一体なんだったのよ」
誰と会っていただとか、どこに行っていただとか不機嫌に聞いてきたくせに、結局その質問の意図は分からず仕舞いだ。
かと思えば、今は何だか妙に愉しそうにしている。
機嫌がころころと変わるのは勝手だが、こっちを巻き込まないで欲しい。
受け取った薬を白衣を捲くった腕や、足に塗っていく。
こっちは何とか我慢したおかげで痛みは無い。
これならすぐに痒みも腫れも収まるだろう。
だが、首は・・・。
指でそっと撫でさすってしまう。
「・・・・・」
真っ赤になってしまった首筋には、二つの赤い点が並んでいる。
鏡が無いこの場では、アリス自身には見えないであろうその痕。
一つは夏の遊園地で遊んだときについたもの。
夏になると我慢なら無い羽音と共に現れる虫、蚊に食われた痕だ。
そしてもう一つは。
「・・・いずれ、消えるさ」
いずれ夏も、この領土に訪れた冬さえも、みんな去っていく。
「・・ブラッド?」
アリスが見上げたブラッドの瞳は、珍しくも痛ましいものをみるような目で。
少し首を傾げて、アリスは笑った。
「そうね。あなたが薬を探し出してくれたんだもの。ちゃんと直るわ」
人の気も知らないで、無邪気に笑う。
嘘つきの季節は去って・・そして、彼女には何一つ残さない。
今は彼女の白い首筋に際立つ赤い痕も、程なくして跡形も無く消えるだろう。
残って欲しいなどと願うのは、愚かで・・・そして無意味なことだ。
ブラッドはアリスを映していた瞳を、そっと閉じた。
◆アトガキ
2013.7.30
夏の風物詩(歓迎はしない)のお話。
締めが無駄にしっとりしてしまった。
・・・・・ブラッドらしくないよ!
もっと二人にはケンカップルして欲しかったんだけどなぁ・・あれ、おかしいですな。
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