冬のクローバーの塔周辺の街は、暖かい色味がそこここに溢れている。
煮込み料理が美味しそうな新しい店が出来たり、スープカレーの良い匂いが道を流れてきたりする。
毛糸のセーターやブランケットは軒並み売上も好調だろうし、何より寒い領土を暖かい恰好をしたカップルが手を繋いで幸せそうに歩いていれば、周りを歩く人もその幸せにあやかりたいと思うものだ。
羨ましくなる、たとえ相手がいなくとも。
まあ、間違っても羨ましいなんて自分は思わないが。
冷たい空気を吸いこんで、そんな何の益にもならないことを考える思考を止めた。
知らず早足になって、店が並ぶ明るい道から一本入った静かな裏通りを進む。
行き先は、街はずれの小さな薬屋。
「・・・・」
目的の店に着いてみれば、まだ夕方の時間帯になったばかりだと言うのに、店の看板ははずされて、覗く店内も明かりが落ちて薄暗い。
ユリウスはもちろん、ここに薬を買いに来たわけではない。
薬ならわざわざ街に出なくとも、病弱な領主のため塔の中に一通り揃っているからだ。
見上げた2階の明かりは点いているから、どうやら居るにはいるらしいが、そもそも店が開いていたら挨拶程度にちょっと店内を様子見するくらいのつもりだったのだ。
訪ねることを先触れをしたわけでもないし、わざわざ家に上がる程の用もない。
それにこの店の主、相手はアリスだ。
いちおう女性の家に、さしたる用件もなく上がるのも気が引けた。
ゴツッ
「・・・っつ!!」
そう思いつつも、折角わざわざ滅多にない外出までしてここまで来たのだし、手土産を渡すついでに一声かけるくらいなら良いかと、悩みつつ扉の前で軽く曲げられた指の付け根に衝撃が走った。
「あっれー。店の前にじっと立ってる不審者なんて誰だろうと思ったら、ユリウスじゃないか!」
叩く前に扉にしこたま叩かれた手をかばい、アリスが出てくるはずだった扉から現れた、予想と180度かけはなれた相手と対峙する。
方向的には常日頃から斜め上を行く、目に痛い赤い服装の男。
「なんでお前がここにいるんだ、エース」
「はははっ。アリスの店で会うなんて奇遇だなあ」
どこまでも朗らかに笑う、ハートの騎士。
店が薄暗かったことからして、エースはその奥の居住スペースにいたらしいが、それがユリウスにはなんとなく面白くない。
「あはははっ、ユリウス、そんな怖い顔するなよ」
「私の質問には答えないのか」
にやにやと嫌な笑いで、ユリウスの暗い思考回路を一瞬で見抜いたエースは、うーんと腕組みをして答えようか迷うそぶりを見せる。
「はあ、答えなくていい。私は帰る」
その勿体振った態度にますます嫌気がさして、これを渡しておけと、手土産の入った紙袋を押し付けようとすれば、その紙袋ごと手首をぐっとエースに引っ張られた。
「なにする・・って、お、おい」
そのまま店に引きずり込まれそうになり、ユリウスは慌てて抵抗しようとしたが、そこは所詮、万年引きこもりと武闘派の力比べである。
まさかに敵うはずも無く、そんなユリウスの無駄な抵抗に小さく笑いながら、エースは勝手にぐいぐいと店の中のその奥の階段を上り始めてしまった。
その際、店の内鍵もしっかり閉めていくところは忘れない。
「待て、エース!」
「はははっ。ユリウス、体なまったんじゃないか?」
「今は、そういう話では・・おい、放せっ」
離せと言われて離す相手では無いと分かってはいるが、つい口に出してしまったユリウスの手首から、不意に引っ張られる力が外れる。
抵抗していたところを何の前置きも無く離されてしまったので、力の加減をすることが出来ずよろめき、数歩後ろにたたらを踏んだ。
「結局誰がいたの・・って、ユリウス?!」
視界の中に扉の枠が映り、その中で赤い悪魔がにやにやと笑っている。
斜め後ろから聞こえた少女の声に、エースを睨み付けつつ、仕方が無く振り向いた。
「アリス、勝手に上がりこんで悪かった・・な・・」
はあ、とため息をつきつつ、謝罪の言葉を口にしていた、声が途中で止まる。
「いいのよ、エースでしょう。それなら仕方ないわ」
眉を下げて仕方が無いと笑う、アリスの顔を見てユリウスの眉間にしわが寄る。
「それより、ユリウス。私が言うのもなんだけど、早く帰った方がいいわ」
うつるわよ、風邪、と申し訳なさそうに続ける、その顔色は悪く、熱も出てるのか少し赤い。
どうやらここ最近見ないと思ったら、体調を崩していたようだ。
薬屋をしていて、自分の体調管理さえろくに出来ないなんて駄目ね、と自嘲気味に呟くその姿が、いつもより少し小さく見える。
たまに誰か知り合いの調子が悪くなれば、良い医者がいるものねと言いつつ、そわそわと気にするそぶりを隠せずにいて。
我慢できずにお見舞いに行ったり、元気がよくなったと聞けば、自分のことのように嬉しそうにする。
他人のことには甲斐甲斐しいくせに、自分自身のことはあまり省みない、アリス。
「回復する前に、二人にも知られちゃったし。本当に情けないわよね」
どうやら、今回のことは誰にも知られないようにと引きこもって、回復したらまた何もなかったように振舞うつもりだったらしい。
彼女らしいといえば、彼女らしい、が。
「弱ってる時は、誰かに甘えればいいんだよ。それが弱者の特権ってやつだろう」
どこか食えない笑みを浮かべたまま、扉の向こうで腕を組んだエースが、明るく言う。
でも、確かにそれは、今ユリウスが思ったことと同じだった。
自分のことには触れるなと、手を伸ばすことすらさせてくれない、どこか頑ななその様が自分に少し似ている。
でも、自分は他者にも無関心だが、彼女は他者のことも抱え込む。
こんな、力も弱い細い手足で。
「ユ、ユリウス?聞いていた?うつるから・・」
「黙ってろ」
今更ながら部屋着でいることに何だか心もとなくなって、カーディガンの裾をあわせてちょっとだけ離れようとする、その細い腕を掴む。
ベッドの端に腰をかけてその赤い顔を覗き込めば、うろたえた目線があちこちをさ迷って、ユリウスとエースの顔を交互に見ているのが分かる。
そこでエースの顔を見ることに、心が少しざわめくのを抑えて、静かに顔を寄せた。
「ユッ」
コツン
「・・・・」
「・・熱いな」
「そうそう。さっき体温計で計ったら、38度あったってさ」
エースのからかい混じりの声に、自分の行動のあまりの無意味さに、顔に熱が上がっていくのが分かる。
アリスはもう完全に下を向いてしまっている。
ため息をはきつつ、そのつむじを見下ろせば、びくっと僅かに揺れる。
「お前は、まったく。この前、私が言ったことはもう忘れたのか?」
「あの時はっ、本当に風邪は引いてなかったのよ!その後、薬買いに来た近所の子と話してて、ちょっと咳してるなぁとは思ったんだけど」
まさかうつるとは思ってなかったのよ、本当よ!と勢いよく顔を上げて、ユリウスの険しい顔を見て、またしゅんと落ち込む。
熱で赤い顔をしているアリスの必死の訴えは、ユリウスにとっては他の者には絶対に見せたくない光景だった。
上がりそうな口角を抑えて、その頭をなでる。
「みんなお前が大切なんだ。もっと、大事にしろ」
そこで、私は、とはいえず、自分を含めたその他大勢という表現にしてしまうのがユリウスらしいが、そんなところを目敏く耳聡いエースが取りこぼすはずもなく。
「みんな、じゃなくてユリウスが、だろ?あっ、もちろん俺も心配してるぜ」
「エース・・・」
「ってわけだからさ、薬は店にあるもので間に合うけど、薬飲むなら飯だよな。俺が腕によりをかけて、滋養強壮に良さそうな食材を獲ってき」
「待て・・エース」
その勢いのまま階段を降りていきそうなエースの腕を、寸でがしりと捕まえる。
「なんだよ、ユリウス~。俺が上げようとしてる株を横取りしたいのか?まあ、ユリウスなら許しちゃうぜ、騎士は寛大な心を持ってるからな」
「いや、私に食材を”獲ってくる”予定は無い」
「えー、でも冷蔵庫、ろくに食材入ってなかったぜ」
勝手に見たのかという突っ込みは最早諦めた。
「そ、そんなこと無いわよ!」
アリスも何故かむきになっているが、落ち着けと手で諭す。
「買ってくる。・・リゾットなら食べられるだろう?」
「えっ、でもユリウス、そんな悪いわよ」
「いいから。それまでおとなしく寝ていろよ?」
さっきまで行く気まんまんだったエースは、何故かキッチンの椅子に腰をかけている。
「ほら、行くぞ、エース」
「え?買出し、ユリウスが行くんだろ?じゃあ、俺は護衛を・・」
「連れてって頂戴」
「ああ・・ほら、立て」
脱力しているアリスの声に同調して、というかそもそも自分が出かけた後、二人きりになどさせたくないユリウスは、えー、とちょっと不服そうなエースの腕を引っ張って、そのまま店を出た。
「さすが、ユリウス。伊達に独り身じゃ・・いてっ」
「お前はだまって、これとこれをミキサーにかけろ」
一人住まい用のキッチンに大の大人が二人で立つと、狭苦しいことこの上無い。
ミキサーに入れる材料を適当に切って入れたボールと、ミキサーを渡してエースをその場からどかす。
鍋に牛乳とだしを入れて暖めてから、バターで炒めた具とミキサーの中身と洗った玄米を入れる。
焦がさぬようにかき回しながら、火加減を見てことこと煮る。
「エース、皿」
「ユリウスの上の食器棚に入ってるやつでいいんじゃないか?」
「ああ、これでいいな」
食器棚をあけて、目的の食器を出した手がふと止まる。
開けなかったほうの扉の陰に隠れて、そこにはユリウスの愛用しているコーヒーミルと同じものが並んでいた。
「いい匂いだぜ」
エースが鍋の中身を覗きこんでくるのに、動揺しそうになった自分を諌めて、皿を持たせる。
仕上げにレモンをたらしたユリウスの視界のすみで、皿を受け取ったエースの目がきらりと輝く。
「2枚ってことは?」
「一口だけ、だからな」
多めに作ってはみたが、言っておかないとエースが全部食べてしまうだろうことは、容易に想像が付くので、予め言い含めておく。
残りは、後で暖めてすぐに食べられるように、蓋付きの器によそう。
「ユリウスは、食べないのか?」
「ああ」
答えつつ、先ほど目に付いたコーヒーミルを取り出して、手土産にと持ってきた珈琲を挽きだす。
お湯は最初に沸かしておいたので、食事する二人の分はとりあえず、目に付いた茶を淹れておいた。
「ユリウス、わざわざごめんなさい。でも本当にいい匂いだわ」
エースが呼んだのだろう、上にブランケットを羽織ってアリスが席に付いた。
「あ」
「気にしなくていいぜ、アリス」
一つしかない椅子に気が付いて声をあげたアリスを制して、エースはさっさ床に座り込んで壁に背もたれる。
「残りは冷めたら冷蔵庫に入れておくから、腹が減ったときにでも暖めて食べろ」
珈琲を入れたマグカップを片手に、キッチンに寄りかかって声をかければ、すまなそうにしながらも嬉しそうな顔をして、スプーンを手に取る。
「いただきます」
はふあふと食べ始めるアリスの方を見たエースが、ちらっとユリウスの顔を見る。
「あーんってしてやればいいのに」
ゴフッ
ングッ
珈琲が器官に入ってむせるユリウスと、リゾットを軽く喉につまらせそうになったアリスが、急いでお茶を飲む。
「・・はぁ。死ぬところだったわ。エース、あなた帰っていいわよ」
「えー、だってさアリス・・・」
「だ・ま・っ・て頂戴」
ぜはぜはとまだ息を整えつつ、アリスがエースをにらみつける。
ユリウスはまだむせている。
「まあ、それは次の機会に、だな!ごちそうさん、美味かったぜ!」
いつの間に食べ終わったのか、空の皿を台所に立つユリウスに渡して、エースは本当にさっさと出て行こうとする。
「まて、私ももう出る」
「え、ユリウスはまだいて良いわよ・・と言いつつ椅子がなくて申し訳ないんだけど」
「ほら、アリスもこう言ってることだし。まだいればいいじゃないか、ユリウス」
この二人は、変なところで途端に意気投合する。
渡された空の皿と飲み終わったマグカップを手早く洗って籠に入れて、振り返る。
ちょっと名残惜しそうなアリスの顔を見て、でもやはりもう帰ろうと決める。
「エース。そもそもお前は、仕事の件で私のところに来るのを忘れて、何やってるんだ」
「あっ、そうだ。そうなんだよ、ユリウスのところに行くつもりだったのにさ、気が付いたらここにたどり着いててさ」
「まったく。もう何時間帯待ってるか・・・その分仕事がたまってるんだからな」
言いながら、部屋を出て行こうとする二人に、アリスが手を振る。
「悪いわね、ユリウス」
暗に、エースを回収してくれることを言ってるらしい。
「いや。ああ、そうだ」
ずっとポケットに入っていた空の容器を、今更ながら手土産と一緒に渡す。
「風邪が治ったら」
「ええ、一番に持っていくわ」
一瞬きょとんとしたアリスは、満面の笑みになってその丸い容器を受け取った。
「では、な」
「またなーアリス」
階段を下りていく赤い騎士と、ゆらりとゆれて暗がりに消えていく藍色の長い髪に手を張って、アリスはまだほかほかと湯気をたてるリゾットを口に運んだ。
「本当に、おいしい」
「ユリウスー」
「なんだ」
「いやー。本当に俺に渡す仕事のために、はやく出たのかなって」
冬の領土を塔に向かって歩きながら、途中途中でわき道にそれていこうとするエースの襟首を掴んで、軌道修正させる。
その合間に、どこか感情の読めない、へらっとした笑顔の赤い騎士は尋ねる。
「ああ、そうだ」
それが、何かお前に問題でもあるのかと低く聞き返せば、別にーと何でもないようにエースは答えた。
本当は、自分が来るまでアリスとどんな話をしていたのかとか、迷ってたどり着いてそのまま具合が悪い少女の部屋に居座るとかさぞアリスには迷惑だっただろうとか、そもそも何で迷った末辿りついたのがアリスの店だったんだとか。
聞きたいが聞けるわけも無くて、黙って歩いていると思考の渦に引き込まれる。
しんとした冬の領土は、そういうときに限って、何の雑念も沸かせないほど静かだった。
熱が出て赤い顔のアリスを、自分より先にこいつが見たのかと、ちらりと暗い思考のままエースを見れば、赤い目としっかり視線が合って驚く。
「ユリウスって」
「・・・なんだ」
気まずく目をそらしながら、そっけなく応じて、即後悔した。
「むっつり」
エースの頭をはたく乾いた音が、夜の時間帯の静かな冬の領土に響いた。
◆アトガキ
2012.11.17
お次はボリスでした。
やっぱりユリウスっていえば、エースがついてきますよね。
明るくなったでしょうか。
ユリウスは普通のものしか作れないと公式で言っておりましたが
今回は病人のために体に良さそうな工夫をしました。
隠し味にレモン・・・あうかね。
それにしても、ふーふーもしてあげればよかったのに、ね!
これはまたの機会とかですね。
ていうか、手土産の珈琲飲んじゃったよ、ユリウス。
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