針音と大好きで大切なもの



そういえば最近、作業室にこもりきりで塔のみんなにも挨拶しに行っていない。
久しぶりに会いに行こう。
手土産は何か、疲れを癒す甘いもの。
あそこにはワーカホリックが二人と・・・子供のような領主がいるから。



「・・・ふう」

大口の修理がきて、休む暇もなく動かしていた手からやっと工具を離し、ユリウスは一息ついた。
凝り固まった指を曲げ伸ばして、手首を回せばコキリと音がする。
ついでに肩や首筋を捻り上体を伸ばせば、滞ってた血が巡る感じがして、どっと疲労感が押し寄せてきた。
眼鏡をはずして、眉間をもむ。
区切りもいいところだから、少し仮眠でも取ろうか。
そう思って立ち上がったユリウスの耳に、廊下を歩く軽やかな足音が届く。

「・・・・・」

その音は徐々に、そして確実に近づいてくる。
この廊下で近くに他に使っている部屋は無いから、間違いなく彼女はここを訪ねにきたのだろう。
そこまで考えて思わず和らいだ目元が、はっと少し見開かれる。
仮眠をしようとしたところへ来たと分かったら、彼女はきっと申し訳なさそうな顔をする。
休むのは、もう少し修理を進めてからでも大丈夫だろう。
ユリウスは音を立てないように椅子を引いて座り、次の時計を手元に引き寄せて、また作業に戻ることにした。

コンコン

「・・・開いている」

「こんにちは、ユリウス」

塔からユリウスの作業部屋と繋がった扉を開けて、思っていたとおりアリスが入ってきた。
今の今まで仮眠をとろうとしていた気配さえ感じさせずに、作業の続きを始めようとしたユリウスだったが、アリスの目は大きな違和感を捉えていた。

「ユリウス・・・」

「なんだ?」

「それ・・・いえ、何でもないわ。ちょっと休憩しない?」

何やら言いよどんだアリスに訝しげに目線を向ければ、アリスはもうさっさと珈琲を入れにキッチンへと向かっていた。
だが、珈琲で小休憩も悪くない。
先ほど握りなおした工具を工具入れに入れようとして、やっとそれが工具ではなくメモ書きするときに使う、スチール製のボールペンだと気が付いた。

「・・・・」

アリスには一瞬で見抜かれてしまったらしい。
ちょっと疲れていたとはいえ、あまりにも抜けている自分の行動にため息を吐いて、キッチンに立つアリスの背後へ歩み寄る。
手元を覗き込めば、どこから持ち込んだのか、ノンカフェインの珈琲を淹れていたようだった。
音もなく近寄っていたユリウスによって出来た影にすっぽりと覆われて、アリスはぎょっとして振り返り、そして見た目にも分かるほど慌てている。
アリスはアリスで、あくまでも気付かれないようにさりげなく行動したつもりだったのに、こんなにあっさりと本人にばれてしまったと思って動揺しているようだった。

「あ、今ノンカフェインの気分で、ごめんなさい、勝手に。
・・・ユリウスも同じものでいいかしら」

申し訳なさそうに上目遣いで聞いてくるアリスは、本当にいじらしくてかわいい。
が、そんなことをユリウスが口に出来るわけもなく。
無言でその頭に手を置けば、アリスはちょっとだけびくっとする。

「構わない」

続いた言葉に、ほっとしたようにアリスの表情が緩められる。
つられて、無意識にユリウスの口角もふ、と持ちあげられた。



差し入れに持ってきた素朴な味のクッキーをつまみつつ、アリスのおしゃべりに耳を傾け、時々相槌を打つ。
珈琲を飲みながら穏やかな時間が過ぎる。
以前のユリウスだったら、間違いなく「無駄な時間」と決め付けて、さっさと切り上げるところだったが、今はこの時間が大切に思える。
自分にもそんな思考回路があったことがただ不思議で、そう思わせたアリスの存在もやはり不思議だった。

何の力も無い、この世界では実に、か弱い少女であるはずのアリス。
それが今までの、ルールにただ従ってきた日常を変えた。
灰色一色だったこの世界に、あらゆる色彩を散りばめ始め、変わらないと思っていた毎日に、眩しいほどの変化をもたらした。
退屈していた役持ちたちが、こぞって彼女を欲しがるのも分かる。

誰もがその煌く光に惹かれて手に入れたがるが、眩しい光は、いつか目を焼きつぶす。
それでも、役持ちはみな退屈な日常に飽きている奴ばかりだから、ユリウスが考えているように、目など焼きつぶれてもいいと思っているのかもしれない。
誰かのものになるくらいなら、自らを死に追いやってでも、己のもとに、と。
ユリウスにも、日がな一日、塔の中にこもる自分の傍に置きたい、自らの闇の中に閉じ込めたいという、仄暗い欲望くらいはある。

けれど、今はこの穏やかな時間を過ごしていたい。
役持ちだというだけで何のとりえも無い、卑屈で偏屈で、自分でも本当につまらない男だと思うのに、彼女はこうして親しげに会いに来てくれる。
今は、ただそれだけで。

「ユリウス、聞いているの?」

「あ、ああ」

慌てて瞬きをして返事をしたユリウスの顔を、アリスは眉間にしわを寄せてじっと見つめた。

「なんだ・・・?」

なんだ、も何も無い。
話を聞いてなかったことを彼女は怒っているのだろう。
そう思い至って、顔には出さずともユリウスは少し落ち込んだ。

カタン

椅子から立ち上がるアリスを、何ともなしに目で追う。
怒ってそのまま帰るのだろうか。
それならばそれで、引き止める権利は自分には無い。
そんな卑屈なことをうつうつと考えているユリウスの傍に、アリスはしかめっ面のまま、わざわざ机を回り込んできてまて近寄ってくる。
その両腕は腰に添えられていて、いわゆる仁王立ちであった。
ユリウスは密かに身構える。

「ちょっとユリウス!」

「ああ、すまな・・」

「あなた、どれだけ寝てないのよ!よく見たらいつもより顔色ひどいじゃない」

話を聞かなかったら怒っていると思い込んでいるユリウスは謝ろうとして、アリスの言ったことに反応が遅れた。
いつに無く素でちょっと驚いた顔をしたユリウスに、アリスはさらに眉間のしわを深くした。

ユリウスがこんなにも無防備な顔を見せるなんて・・・重症だわ。
立って!と急かすアリスにも、どことなくのろのろとしているが素直に従う。
きっと内心では、何で私がとか、仕事があるのに何だ、とか思っているに違いない。
その手をぎゅっと握る。
ユリウスはぎょっとした。

「な、なんだ?!」

引っ張ってもでかい図体を、片手でベッドの方へ押す。

「寝なさい、ユリウス」

「いや、待てアリス」

「待たないわ」

さあさあと両手で力の限りベッドへ押しやるアリスに、観念したようにユリウスはため息をついた。
こうなったらアリスは引かないだろう。
自分もそれなりに頑固だと思うが、彼女はその上を行くことを、今までの付き合いの中で分かっていた。
それでも何となく、ただ押し負けるのも悔しいと思って。

ぐいっ

「っきゃあ」

押し上げるアリスの腕と腰に手を回して、勢い良くベッドの上まで引き上げた。

「ちょ、ユリウス、何するのよ!」

「お前の顔にも、寝不足と書いてあるようだが」

「そっそれは、最近ちょっと忙しくって」

でもあなたよりはちゃんと睡眠時間とってるわよ、ともがく彼女を腕の中に閉じ込める。
不機嫌そうな顔を装って、じっと無言でその顔を覗き込めば、アリスの目がうろたえる様に揺れた。
その顔は徐々に赤くなって、ついにはそっぽを向く。
それでも、抵抗はやめて大人しくなった。

「・・ちょっと、なに笑ってるのよ」

このムッツリめとアリスは思ったが、長身のユリウスにすっぽりと抱え込まれる安心感と、確かに蓄積していたらしい疲労感には抗えなかった。
ゆるりとなだめる様に頭をなでられて、とろとろと夢の世界に引きずり込まれていく。
そうしてしばらくして、静かに寝息を立て始めたアリスの顔にかかる髪をよけて、ユリウスはこめかみにキスをする。
くすぐったげに身じろぐ彼女と自分に毛布をかけて、目をつぶり暗闇に身をゆだねた。



窓辺の雪に反射して、朝の陽光が入ってくる。

カチコチカチコチ

私、こんな枕元に時計なんて置いたかしら。
ああ、でも起きなきゃいけない。
姉さんが優しく起こしてくれるなら、ちょっとばかりうたたねもしたくなるけど、イーディスに起こしにこられるのはたまったものではない。
朝から騒々しくて、頭が痛いことになりそうだ。
だから、目を覚まさなきゃいけないのに・・・

このぬくもりから離れられない。
外が寒いから尚更、暖かい誘惑から逃れるのは難しい。
無意識にそのぬくもりに顔を擦り寄せる。
何故か一瞬、そのぬくもりが小さく震えたような気がしたのは、寝ぼけて思考がまだとろとろしているアリスの気のせいだろう。
髪を撫でる手を感じて、頬が緩む。

あら・・・いつの間に姉さんと一緒に寝ちゃったのかしら。

カチコチカチコチ

先程より、なんだか時計の針の音が耳に優しく響く気がする。
それでも、その音を聞くことは意識の浮上を促して、それにつれて妙な違和感を覚える。

姉さんの手、なんだかいつもより熱い・・・体温もだわ。
やだ、風邪かしら。
はやく起きて、姉さんをゆっくり休ませてあげないと。
風邪薬を出して、作るのはおかゆで良いかしら・・・
それにしても、姉さん・・・胸が・・・

胸?

「!?・・・姉さん、胸がたいらっっ・・?!」

「・・・・・・落ち着け」

驚いて跳ね起きて、あやうくこちらを覗き込んでいた影に、頭突きを見舞いそうになってしまった。
目をしかと開けば、そこは塔のユリウスの仕事部屋。
しかも、ロフトベッドの中の、ユリウス本人の腕の中。

ユリウスの顔に、呆れ、の文字が浮かんでいるのが見えて、アリスは細く長く息を吐いた。
それでもまだ、心臓はドキドキと早鐘を打っている。
姉さんの胸がぺったんこじゃ無くてよかった、とかいう次元は、もうとっくに超えてしまった。

いつもは背が高いなくらいにしか思ってなくて、髪も長くてむかつくくらいサラサラでうらやましくて、そんなだしデスクワークなのに、思ったより全体的にしっかりがっしりとしていて、男性らしさを不意に感じてしまったとか、とかとかとか。
寝起きにしては血圧上がりすぎだろうと、アリスは真っ赤になった耳を両手で覆って、顔を俯かせた。

「おい」

声をかけられるが、何だか恥ずかしさが上回って、動けない。

「おい、アリス・・どうした」

なんで、そんなに平然としてるのよ!という、アリスの内心の叫びはもちろん届かず、訝しげにしていたユリウスの手が顔の下に伸びてきた。
そのまま、くいっと上を向かせられる。

「・・・赤いな」

左手で顎を持ち上げられたまま、右手がアリスの額を覆う。
その瞬間、ユリウスの目が見開かれた。
次に続く言葉が、何だか予想できたアリスは、慌ててユリウスの手を横によける。

「大丈夫よ」

「なにが、大丈夫、だ。風邪だろう」

険しい顔と低い声で、ユリウスはアリスの予想通りの答えを導き出す。
でも、アリスにはこの熱が病気の類ではないと分かっていた。
そして、それよりも気になることが出来て、よけたユリウスの手を引き寄せて顔を寄せる。
まじまじとその大きな、だが工具を器用に操っては、見事に時計を直して生き返らせる手を見つめる。
その手に、自分の指を乗せて滑らせる。

「っ!なんだ」

驚いて引っ込めようとする手を全力で捕まえて、裏返したり指先をなでたりして、つぶさに観察する。

「アリス、おいっ」

「ユリウス、このひび割れはひどいわ。痛むんじゃない?」

「そんなのどうということはない」

分かったなら離せと、少し苛立ったような声で言われて、アリスは力を込めていた両手から、ユリウスの手を解放する。

「それより、お前だ」

ユリウスを解放した途端、顎に手を寄せてアリスは何やら考え込んでしまった。
とにかく休めと言っても、まったく聞こえていない様子で、それが益々ユリウスをいらつかせる。

「休まないのなら・・・強制的に寝かしつけて、ずっとつきっきりで看病してやろうか」

お前が私にしたように、というユリウスの声は地を這うように暗い。
もはや脅しのそれに、はっとして顔をあげたアリスはぶんぶんと首を振って、伸びた手から間一髪で逃れ、後ずさりなんとかベッドから脱出した。
途中、見事なジャンプだったと、着地によろめきつつもアリスは思い、まさかに追いかけてきそうなユリウスに、引きつった笑顔でまた来るわねと手を振って、塔から退散したのだった。



「この前のあれ、まだ残ってたわよね・・・」

怖くて塔を振り向けないまま、一目散に店兼自宅に帰ってきたアリスは、息が整ってから作業室の床下を空けて、目的の品をごそごそと取り出した。
それは、ボリスと一緒にアロエジェルを作ったときの、材料の残り。
ジェルを作る時は使わなかったアロエの皮と、お酒を適量入れておいた瓶だった。

「うん、上出来だわ。後はホホバも加えようかしら」

思いついたら即行動。
髪を後ろに束ねて、白衣を着て腕をまくる。
アリスの頭の中は今、ユリウスの手をいかにケアするかでいっぱいだった。
もちろん、ユリウスがアリスの風邪を誤解していることも、ユリウスに再び会うまですっかり忘れている。
後日、出来上がった保湿クリームを、手のひらぐらいの大きさの平たいケースいっぱいに満たして、アリスは満面の笑みでいそいそと塔に持って行ったのだった。



「これなら部品についちゃっても大丈夫だし、機械油からもバリアを張って守ってくれるのよ」

にこにこと差し出してくるアリスを、ユリウスはひたすらに胡乱な顔で見ている。
手は修理中の時計と工具を握っていて、一向に受け取ってくれる気配がない。
なんだか、勝手に盛り上がって勝手に押し付けてしまっているわ、とアリスは遅まきながら感じて、少し気落ちしてそれを机ではなく、テーブルの上に載せた。

「・・・で」

「え?・・今、なにか言った・・」

自分の行動を思い返しながら、自己反省をしていたアリスは、反応が遅れた。
気が付けば、ユリウスが静かに背後に立っていて、しかし振り返ったアリスからは窓からの光が逆光になって顔が見えない。
暗い影の中で、カチャリと、光をわずかに反射しながら、仕事中にかけられていたはずの眼鏡がはずされて、長身のその胸ポケットに差し込まれるのが分かった。
分かったが、ユリウスから発せられる妙な威圧感に触れて、アリスは動けなかった。

「アリス」

伸びてきた黒い袖の両腕が、アリスの体を絡め取るように引き寄せて、瞬きをした次の瞬間には、深く暗い藍色の眼差しに捕まった。
ユリウスの藍色の瞳。
夜の海のように覗き込めば底知れない闇を孕んでいて、怖いくらい静かに凪いでいる。
そしてその中に、揺らめく宝石のような火のような、煌く光が瞬いているのが見えた。

「アリス、私のことなどどうでもいい」

「どうでもいいわけ、ないでしょう」

「いいや、どうでもいい。放っておけばいい。だから、」

私には直せない、その時を、お願いだからもっと大事にしてくれ。

胸の中に抱き寄せられて、煌く光は見えなくなってしまったけれど、搾り出すように吐き出された言葉が、熱く頭上に降ってくる。

「・・分かったわ、ユリウス」

そのアリスのしっかりした言葉に、少しきついほど拘束していた腕が緩む。
ユリウスの腕の中から顔をあげて、アリスは少し茶目っ気を帯びた笑顔を向けた。

「あなたの分は私に心配させて。そうさせてくれるなら、私ももっと自分のこと大切に出来ると思うの」

私が大事にしたいあなたが、私のことを心配してくれるというなら。
そんな私自身のことを、私も大切に出来るだろう。

しかめっつらをしていたその表情がふと緩み、アリスもまたにこりと微笑んだ。



ピリリとした小さな痛みが指先を走った。
仕事に没頭していた頭が少し緩んで、久しぶりに時計以外のことに意識が向いた。
と思うとまた、工具や部品を扱う指先や、指の関節の背側が曲げ伸ばしするたびに引きつり、裂けるような痛みを発する。
無言のまま、手に持っていた工具を机の上に置いて、机の引き出しをあけて中をあさる。
途中、指の背が引き出しの上段の底に擦れて、本格的にひび割れたのが分かった。

カパッ

「・・・・・」

取り出した丸い容器を開けたが、中身は空だった。
また無言で蓋を閉める。
それを机の上に置いて立ち上がり、眼鏡を胸ポケットに仕舞い込んで、軽く伸びをする。

心配をさせてくれと言ったのに、まったくこれでは仕方が無い。
とはいえ、寒い中いつも来るのはあちらばかりだから、たまにはこちらが出向いてやっても良いだろう。
さて、手土産は何が良いだろうか。
美味い珈琲豆とそれから、あいつが好きな甘いもの。




◆アトガキ



2012.11.11



お次はボリスでした。

おかしいな、もっと明るい感じでいく予定だったのですが。
二人とも、何か暗いよ重いよ!
バカップル・・まではちょっと無理そうだから、
熟年夫婦みたいな二人をもっと書きたいです。

あれ、そうなると赤い悪魔が乱入するかも・・・?

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