店の窓から涼しい風が入ってくる。
この領土は冬の季節で、いつもなら厚い雲が空を重く覆っているが、今日に限っては珍しく雲間に陽光が光っている。
店内の上がりかまちに座り込み、ぽかぽかとした陽射しがあたる窓辺に寄り掛かって、アリスはうつらうつらと船を漕いでいた。
ガチャリ
ザワザワザワザワ
店の扉が開く音がして、何かの気配と共に外の賑やかな喧騒が聞こえてくる。
ザワザワ…キャーキャー
…チャラリラリラ~
今日は何か催し物でもあったかしら。
徐々に浮上する意識の中で、街での催し物の知らせでもあったかと記憶を巡らせてみるが、何も思いつかない。
どころか、ざわめきの中に有り得ない音が混じり、アリスはばっと顔を上げて店の入口を見た。
有り得ない音…風が勢いよく唸る音と軋む機械と喜びや恐怖の悲鳴…。
「え!?」
見開いた目の前。
開いた店の扉の向こうがそのまま、見覚えのある遊園地に繋がっている。
頭の中では遊園地だとどうにかわかっても、理性が納得できないとぼやき、しばしアリスは固まった。
そんなアリスの視界の端で何かがふらりとよろめいて…
もっふぁっ
ガタンッ
視界がもこもこしたものに覆われる。
ついでに何か重いものが、アリスの上にのしかかってきた。
最後に視界に入ったピンクのしましま柄のもこもこファーといえば、遊園地に居候している猫、ボリスのもので。
ただ、そのファーには、冬の久しぶりの陽射しで暖まっていたアリスからも、蒸し暑いと感じるほどに熱気がこもっていた。
ずるずるずる
「ちょ、ちょっとボリス!?」
ファーごとアリスを、上がりかまちに押し倒したピンクの猫はそのままへちゃりとのびてしまう。
「助けて…アリス」
猫は暑いの苦手なんだよ…目を回したボリスは呻いた。
「日射病ね」
暑い中動き回るからよ、とアリスはタオルを濡らして、首筋やわきの下にあてる。
最初はベッドで寝かせようと肩を差し出したのだが、階段を上がるのは無理だとボリスが拒否したので、仕方なく日陰で少しはひんやりしていた板張りの床の上に、薄手のブランケットを敷きクッションを置いた。
こぼれないようにコップの水を飲ませて、下敷きで軽く仰ぐ。
非常事態とはいえ、暑い夏からいきなり冬の領土にきたのでは、普通なら気温差が激しく体に大きな負担がかかる。
あまりおかしな状態が続くようだったら医者を呼ぼうと、心配そうに看病していたアリスに、最初こそ苦しげに眉をひそめていたボリスは、徐々に呼吸も落ち着いてへらりと笑顔を見せた。
「アリス、心配してくれてるんだ?」
「当たり前でしょう」
重度の日射病なら死ぬことも有りうるのだ。
心配をしないわけがない。
目を細めてにしゃりと笑うボリスに、今度はアリスが眉をひそめた。
「じゃあさ、ずっと涼しさを感じられる薬とか、作ってよ」
まったく、自分のことを大切にしないんだから、この世界の人は。
そう如実に顔に書いてあるアリスのことを下から見つめていたボリスは、ピンクの尻尾をゆらゆらとゆらめかせて、ひとつ提案をしてみた。
「却下」
「ええ、何でさ」
すごい良いアイディアだと思ったのに、と耳をしょげさせてみるボリスに、そんな病気みたいな薬作りたくない、と冬の領土に住むアリスは即答した。
考えただけで風邪をひきそうだ、寒気がする。
冷え性のアリスの手は冬の領土では常時ひんやりとしていて、無意識にボリスの前髪を撫でるその手に、ボリスは気持ちよさそうにすりすりと額を摺り寄せる。
元の世界で飼っていた猫のダイナのことを、ぼんやりと思い出しながら、何か良い案は無いかと考える。
「そうだわ。ボリス、ちょっとおつかいを頼まれてくれないかしら?」
もうすっかり体調は元通りになったらしいボリスは、ごろごろとくつろいでいた上体を起こして、不思議そうな顔をしながらも引き受けてくれた。
アリスはさっさと白衣を着なおして、買い物メモをボリスに渡して表の看板をはずし、作業室に入った。
「良かった、足りるわね」
薬棚を覗いて目的の薬品を取り出し、キッチンからミキサーを取ってきて、作業台の上にセットする。
「アリスー、これでいい?」
さすがこの世界を歩き尽くした猫は、迷うことも寄り道もせずに、素早くおつかいを済ませてきた。
その手に持っているのは、お酒と緑色の植物の生えた植木鉢。
「ええ、合ってるわ。ありがとう」
「何か手伝う?」
興味深そうに作業室に入ってきたボリスは、きょろきょろと辺りを眺めている。
「もちろん、手伝ってもらうつもりだけど・・・ボリス」
「ん、うん?」
急にどこか返事が上の空になったボリスの方へ、作業の手を止めていぶかしげに振り返れば、そこにはどこかうきうきと、色んな薬に手を伸ばしている猫がいた。
しっぽが嬉しそうにふられて、目がらんらんとしている。
とても危険な光景だった。
「だめよ」
思えば、この部屋には猫と双子(とその雇い主)は入れない予定、と心に誓っていたはずだ・・・つい最近、その誓いは破られたばかりだが。
何しろ、使い方を間違えれば危ない薬品ばかりだ。
絶対に良からぬことを考え出すに決まっている。
「ボリス・・・」
低い声でもう一度名前を呼べば、至極残念そうにしながらもしぶしぶアリスの言うことを聞いてくれるだけ、まだボリスはましだった。
看病した恩もあるから、そこまで勝手にはしないだろう。
その後はおとなしくアリスの指示に従って、緑の植物をさばいていく。
料理がうまいボリスは、猫なだけあってその中でも特に魚料理が得意だ。
ただし、今さばいているのは緑の植物、アロエだった。
「よし、完成!」
アリスが手にした瓶のなかには、どろっとして薄く白く濁った液体が詰まっていた。
「見た目がなんか・・・」
何やら言い出したピンクの猫の足を無言でぐりぐりと踏みつける。
その目の前にずずいと手のひらに乗るくらいの瓶と、満面の笑みを寄せる。
「あなたは遊園地の猫よね?マフィアの変態じゃないわよね??」
笑顔がちょっと怖かったボリスは、ちょっとのけぞりつつ、小さくこくこくと頷いてその瓶を受け取った。
「それ、肌が出てるところに塗って」
笑顔のアリスに半ば脅されるように、ペッタペタと肌に塗りつける猫は、ちょっと嫌そうだった。
「ベタベタする・・・あと匂いもちょっと・・・」
ボリスが言い出すやら、アリスはさっとノートを取り出して、何やらメモにとっていく。
「確かに、ずっと肌がべとつくのは嫌よね。匂いももう少し改善出来そう」
「で、これは何なの?」
「日焼け防止のアロエジェルよ。アルコールも入ってるから、すっとして冷感効果もあると思うんだけど」
すんすんと腕に鼻をよせていたボリスは、おもむろに作業室の扉を開けた。
その向こうには、またもや賑やかな遊園地が広がっている。
「1時間帯ぐらいしたら戻ってくるよ、それでいいかな」
アリスが知りたいこと、どのくらい夏の遊園地で効果があるのか、を察した聡い猫はピンクの尻尾を揺らめかせて、するりと扉の向こうに消えていった。
「よろしくねー」
さて、とアリスは作業台の上を片付けながら思案する。
春の領土をたずねようかしら。
おしゃれな女王が統べるだけあって、あそこの領土には質の良い美容化粧品を扱う店がいくつもある。
肌になじむようにすることや匂いだったら、そこで話を聞いた方が早い。
アリスは早速手紙を書いて、女王のオススメの店につなぎを取った。
「いや、すごいなあんた」
ここは、遊園地領の侯爵邸。
目の前には、黄色いど派手なジャケットが目に痛い、とても上機嫌な侯爵様。
「入り口脇の売店と、目玉商品を売ってるメインの土産売り場は、もう売り切れだって話だぜ」
「そう、それは良かったわ」
出された新商品のマンゴー&パッションフルーツティーは、口に甘酸っぱい爽やかさをもたらしてくれて、とても美味しい。
いつも気軽に遊びに来るここに、今日アリスは商談として呼ばれた。
それでも、アリスの横にはボリスが座って、我が家のようにくつろいでいる。
「で、だ。アリス」
「や、ちょっともう無理だわ」
「そうだぜ、おっさん。アリス最近ろくに寝てないんだから」
「ああ、分かってる」
あの後、ボリスに何度か試作品を試してもらって、納得のいくアロエジェルは完成した。
遊園地の顔見知りのスタッフにも相談して、女性向けに何種類か香料をつけたものを作り、ボトルも携帯しやすく可愛らしいデザインにした。
最初は、こんなしっかりした商品を作るつもりは無かったが、アリスも女の子だ。
色んな香りを試してみたり、ボトルのデザインを女性たちと一緒に話し合うのは、とても楽しかった。
何より、普段は役付の男性陣にからまれやすく、住んでいてよくお世話になるクローバーの塔は男性職員ばかりだ。
複数の女性に囲まれて一緒に談笑しあうなんていう場は、最近のアリスにはあまり縁がなかったので、興味深く良い刺激にもなった。
ただ最初こそ楽しく、頼まれれば新しいものも作ったが、さすがに二本の腕しかないアリスには限界がある。
「その仕様書を俺に売ってくれたら、生産ラインをこっちで作ろうと思う」
それでいいかと尋ねるゴーランドに、アリスはほっとして頷いた。
「もちろん、売り上げの何割かはそっちに入れるつもりだ」
「あら、良いわよ。仕様書を売ったらあなたのものだわ」
好きにして頂戴と笑顔でいうアリスに、ゴーランドもボリスも困ったように苦笑した。
「本当に欲が無いな、アリスは」
「そうだ、もっとおっさんからふんだくってやれって」
欲が無いわけじゃないけれど、大きすぎるものは抱えきれない。
それに実際問題、夏の領土の遊園地だからこその需要だ。
冷感効果のあるアロエジェルなんて、冬の領土で持っていても仕方ないものだ。
アリスは笑って、それならと付け足す。
「また、遊園地に遊びに来るから。その時は盛大にまけて頂戴」
あと、この紅茶美味しいから、茶葉か何かあるんだったら欲しいわ、と言い足せば二人とも笑って、ゴーランドは了承した。
後日、アリスの店の前には、紅茶缶が入ったダンボールがいくつも摘み上がった。
家に入りきらないその量に頭を抱えたアリスは、化粧品のことでお世話になった女王のところへ届けるように手配をしていたが、もう一人の紅茶狂がその情報を知って自ら訪ねにくるまで、時間はそうかからなかったとか。
◆アトガキ
2012.10.30
お次はボリスでした。
明日は、は、ろ・・・うぃん?
そんなもの、知らぬ!
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