気付くと目で追っている。
引っ越しで弾かれてきた少女、アリス。
華奢な身体はまだ成長途中といった様子で、子どもとも大人とも言えず。
そしてまた・・・もう完全な余所者とも言い難い状態で、全てにおいて中途半端な存在。
その姿を見るだけで、自分の中が満たされていくのが分かって。
でもそれが何故だかがよく分からなくて、落ち着かない。
この世界を過ごしてきて、こんな気持ちになるのは初めてだった。
「・・・・・アリス」
衝動に突き動かされるように呼びかければ、いつも彼女はびくりと肩を大きく震わせる。
今まで他の人に向けられていた笑みは一瞬で固まり、おずおずとこちらに向けられたその顔は、引きつったような笑みを浮かべている。
そして、こちらを窺うような探るような目をしてから、その目が閉じられて、再び開かれれば。
「どうしたの・・・ペーター?」
ああ、やっぱり。
笑っているはずのその瞳は、こちらを見ているようで見ていない。
僕を透かして、背後にいる僕ではない誰かに向けられている。
その瞳が、声なき声で訴えているのが聞こえるような気がして。
貴方じゃない、と。
彼女はそんな言葉一言も発していないけれど、瞳がそう言っている。
透き通った晴れの日のような空色の瞳。
そんな声が聞こえてくるようで、自分の白い長い耳を何度も切り落としたくなった。
さわ、り。
「・・っ!!」
でも、その度に思いとどまるのは。
こうして彼女が、何気ない振りをして慈しむ様に、この耳を撫でるから。
目を閉じて、幸せそうにこの耳を撫でる少女。
心はここではない、遠いその場所にあるのだと分かる。
分かっている。
彼女が思い描いているのが、自分ではない"自分"だと。
でも、そうだと分かっていても手を伸ばしたい。
彼女は、アリスは目の前にいるのに。
「アリス・・・あなたは、僕の耳を触るのが好きですね」
「えっ?・・・・ええ、そうね。触っていると、幸せになれるのよ。あ・・嫌だったかしら?」
引っ込めようとしたその手を、白い手袋をした手で掴む。
きっとこの手は雑菌だらけで、あとで消毒しなければいけない、などと頭の片隅で思うけれど。
離せない。
離したくない。
「・・・・怒った?」
じっと見ていれば、おずおずとこちらを見上げてくる。
怒る?自分は怒った顔をしているのだろうか。
思わず眉を寄せてもう一方の手で自分の頬をさすれば、彼女の目は丸くなった。
そして、ぷっと小さく噴き出す。
「怒ってないのなら、良かったわ」
つかまれた手を外そうともせず、空いてる手を口元に当ててくすくすとおかしそうに笑う。
何故、分かったのだろう、などと考える余裕はなく。
彼女が笑ってる。
そのことだけで、一杯になった。
「アリス、あなたを愛しています」
ぽろっと、零れる。
言った方も、言われた方も、はっとしたように目を見張って。
そのことにはもう、笑う余裕もない。
ああ、そうだったのか。
僕は、彼女を愛していたんだ。
僕は、彼女に愛されていたんだ。
僕は、彼女に愛してほしかった・・・んだ。
アリスの頬を流れる透明な雫を、空いていた方の手を伸ばして、指先でそっと掬い取る。
「僕のためなんかに、泣かなくていいんですよ」
言えば、くしゃりと彼女の表情が歪んで、後から後から水滴が溢れて零れていく。
慌てて、ハンカチを出して拭いても、後から後から・・止め処なく。
俯いて、声を出さずに堪えようとして、時にむせたようになる。
掴んでいた手を離して、その顔を両手で掬い上げた。
「泣かないでください。あなたに泣かれたら、僕はどうして良いか分からないんです」
「・・・あんたってば」
どこにいたって、変わらないわね。
そう小さく続いた彼女の言葉は、聞こえなかった振りをした。
「そうです、アリス!少し出かけませんか?」
「・・・この顔でどこに行けって言うのよ」
最初に、少しだけ聞いたことがある、不機嫌そうな声。
あの時は、胸に迫る何かを振り払いたくて、銃を向けてしまった。
途端、零れ落ちそうに目を見張った彼女は、その瞳を一瞬で恐怖に染め替えて、目の前から走り去ってしまった。
何故だかその時のことが気にかかって。
そしてその後も、こちらには近づいて来ようとはしないくせに、こちらをちらちらと見る彼女が気になって。
そうしたら、しびれたような、もやもやとした形のない、そんなものがいつからか身の内に降り積もっていった。
それは、不安、に似ていた。
どこへ行くの?
引かれた手を不思議そうに見ながら、少し俯きがちの少女が問う。
楽しいところですよ。
白くて長い耳を持つ、赤いジャケットの青年は、にこりと笑った。
「ペーター・・・・」
不安がる、アリスの手を引く。
笑顔で手を引けば、のろのろと足を動かしてついてくるが、こちらを見る顔に浮かんでいるのは訝しげな表情だ。
「ねえ、楽しいところって・・ここ?ここは、でも・・・」
口ごもる彼女が言いたいことはわかる。
だから、連れてきた。
「・・・ナイトメアが、私はあまり駅にいない方が良いって言ってたのよ」
小さく深呼吸をしてアリスは続きを言い切った。
きっと、そう言われたことを伝えなきゃと思ったのだろう。
理由は良くわからないけれど、と呟く。
でも、そう言われた理由なら分かる、分かっている。
どんなに中途半端な状態でも、アリスは。
「ねえ、アリス」
「何?」
ガシャーンと、派手な音がホームに響き渡る。
ブレーキが効かずに、汽車がホームに突っ込んだ音だ。
悲鳴と、爆発音と、その場から逃げ出す無数の足音。
そちらを振り向くアリスの手を引っ張って、あふれ出した人ごみの中を器用にすり抜けて行く。
高い汽笛の音。
乗車を促すアナウンス。
更に力強く引っ張って、そのまま振り回すようにして彼女の体を引き寄せる。
人ごみに押し出されるように、勢いよく倒れこんでくる。
その体を、しっかりと抱きとめて、そして背後に。
突き飛ばす。
「ペーターっっ!!?」
呆然とした顔が、黒く開かれた口に吸い込まれて、そして口が閉ざされる。
高い汽笛の音。
「ペーター!?ペーターっっ!!!」
彼女が自分を呼ぶ声。
必死になって呼んでくれるほど、僕の中に満ち溢れてくる。
愛しさと、そしてその中に沈んで、溺れていく感覚。
窓から叩く手を、赤くなる前に止めてあげられれば良かったけれど。
僕は、その汽車には乗れないから。
もはや叫ぶように、自分を呼ぶ声が。
高い汽笛と、走り出した汽車の音にかき消されて。
遠ざかっていく。
空のような瞳と、そこに光る星のような雫を見て、目を閉じる。
これを、自分が見る最後の景色と出来るなら。
こんなに、幸福なことはない。
ガゥンッ
◆アトガキ
2013.2.9
幸福≒不安
もしダイヤの国にペーターがいたら、と。
ghの史絵那さんが、blogで呟いておられたのを拾ってみました。
私が思うところの展開では、こう、です。
でも最後は、史絵那さんと同じ結論にたどり着きました。。。
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