さらさらと長く、きれいな髪。
目の前に広がっているそれを、じっと見つめた後に一房手にとる。
すっと五指を通せば、絡まったりだまになったりもせず、指の間をすり抜けて行った。
開いた手には一本も残らない。
「・・・むかつくわね」
少しくらい絡まってくれたって。
少しくらい、この手に留まろうとしてくれたっていいじゃない。
くるくるはらり、くるくるくるはらり。
寂しい気持ちを紛らわすように、くるくると指に絡み付けては解けるに任せる、を繰り返す。
くるくるくる、くるくる・・はらり。
「何をやっているんだ、おまえは」
むきになってその動作を繰り返し、没頭していれば、いつの間に目を覚ましていたのだろう、弄ばれていた髪の持ち主が呆れたような瞳でこちらを見ていた。
「あら、おはようユリウス」
答えながらも、目線は手元を離れず動作はやめない。
いつしか、離れていく寂しさより、指の腹を撫でていく髪の毛の滑らかさがくせになっていたりする。
「そんな・・無意味なもの、触っていて楽しいか?」
いぶかしげに聞かれる。
「無意味じゃないわ」
はっきりと即答する。
無意味なんかじゃ、ない。
ユリウスのユリウスたる成分の一つを担っている大切な要素だ。
そして、ふと我に返ったように目をしばたたかせた。
「そうね・・・でも、もしあなたと元の世界で会っていたら、私はあなたに近づかなかったわね」
遠くを見てぽつりとつぶやくアリスの顔を、ユリウスは何も言わずに横目で見遣る。
例えユリウスの服装が当たり障りのないものだったとしても、元の世界でこの長い髪は奇異の視線に晒されるだろう。
そしてアリス自身も、周りの常識や普通とかいう曖昧な基準で判断して、彼の人となりを知ろうともせずにただ不思議で怪しいひとだと決め付けてしまう・・・。
「それは、とても勿体ないことだから、ここであなたに会えて良かったわ」
アリスは横目で見ていたユリウスの方に顔を向けて、にこりと笑って明るく続けた。
ユリウスは、ついと目を反らす。
「本当に、おかしな奴だ」
そう憎まれ口をきくユリウスの目元はほんのり赤くて、アリスはまた笑ってしまった。
「ねえユリウス・・」
「・・・なんだ」
気が付けば、アリスはまたぼおっとユリウスの後頭部付近を見ている。
正確には、髪を結ぶリボンを見つめていた。
気のせいか何か嫌な予感がして、ユリウスはアリスの視線の先には気が付かなかったふりをした。
しかし、押し黙るユリウスをよそに、アリスは急に手を打って立ち上がる。
「そうだわ、ユリウス。ちょっと髪をいじらせてちょうだい」
「・・・・はあ?」
ユリウスはぎょっとした。
「いきなり、何を馬鹿なことを・・!」
そもそも私は仕事中だ、邪魔をするなら出ていけ、といつもなら続くはずが、驚きすぎてアリスの顔を凝視したまま、作業の手はすっかり止まってしまっている。
「だって、折角そんなに長いんだもの。もっと色々な結び方が出来るはずよ。たまにはちょっと違う髪形をしてみるのも、気分転換に良いと思うわ」
アリスの目はいつになくキラキラしている。
その瞳と数秒見詰め合って、ユリウスは冷静になった頭で答える。
「そんな気分転換は望んでない」
ばっさりと切り捨てる。
良いわけがあるかと心底うんざりした様子で、アリスを半眼で睨みつける。
だがその言葉に、アリスはあっさりと引き下がった。
それっきり、傍で本を読み始めて、すぐに本の世界に没頭したのか、もうこちらの方など見向きもしない。
あまりにも聞き分けの良いその態度をいぶかしむも、この話題からはさっさと離れたいユリウスはそれ以上話しかけることもしなかった。
「ん・・もうこんな時間か」
集中して作業を続けていたが、さすがにちょっと疲労がたまってきた。
ずっと同じような体勢で凝り固まった体を伸ばし、指と手のひらを軽くもむ。
「・・・・」
利き手の親指の付け根を、もう片方の親指でぐいぐいと押しながら、ふと周囲を見渡してしまう。
あのあと、アリスは休憩時間が終わったといって、美術館のスタッフの仕事をしに行ったまま帰ってはこなかった。
たぶん仕事が終わった後は、自分の部屋にでも戻ったのだろう。
夜の時間帯になったのを作業室の窓から確認し、アリスは夜には寝る習慣だということを思いつく。
迷った末に、また椅子に腰をかける。
手のひらをマッサージしてしまったことで、思いがけず眠気も呼び覚ましてしまったが、あと少しでキリが良いところまでいく。
そこまでいったらちょっとだけ仮眠でも取ろうと、ユリウスはまた工具を持ち上げた。
バタンッ
「おい、ユリウスっ。そろそろ飯でも食いにいかねえか?・・・っと」
突然の来訪者とその騒がしい声に、ユリウスはぼんやりと霞む視界を、何度か瞬きをすることでクリアにしていった。
「ん・・・・、ジェリコか」
「ああ。あんたが全然姿を見せないって、食堂のやつらが言ってたからさ。また倒れでもしてるんじゃないかと思って、な」
起こしちまって悪かったと、ジェリコは頭をかいて苦笑する。
その様子は、美術館の館長という大人しそうなイメージとはかけ離れていて、まさに明朗闊達、更にはまさかマフィアのボスをやってるようにはとても見えない。
今は墓守の仕事から帰ってきたのだろう、スーツではなく、襟に毛皮のついた深緑のジャケット姿だった。
「寝てしまっていたのか・・・」
あと少しと思っていたのだが、どうやらその途中で寝てしまったらしい。
握ったままだった工具を放して頭を起こせば、少し頭の皮膚がつるような気がして、それだけ疲れていたのかと思う。
と、頭をふるユリウスの耳に、一瞬ジェリコが小さく噴き出したような声が聞こえた。
「・・・?なんだ」
「ん?ああいや、なんでもないさ」
確かに、小さく笑ったような気がしたのだが、ユリウスには思い当たる節もなく。
ほら行くぜと促されれば、まだどこかぼんやりした頭で、ジェリコの後について食堂に行くこととなった。
「・・・・?」
食堂について、珈琲を飲む。
軽くつまめるものを食べた後に、やっと脳が通常程度に動き出せば、周囲の視線がこちらに向いていることにも気が付いた。
向かいに座るジェリコを見てみるが、いつもどおりにがっつりとした食事をとっているだけで、何か変わったようには見えない。
改めて周囲を見渡せば、さっと視線をそらすものがいる。
それも、複数だ。
「・・おい」
「どうした、ユリウス」
ジェリコの態度は全くの普段どおりで、ユリウスには訳が分からない。
眉間にしわを寄せて周囲を見遣れば、周囲にいたスタッフは、はっとしたような顔をして、また知り合い同士の会話をはじめる。
だが、それも少しすれば、またちらちらとこちらに視線を送り始める。
「・・・はあ。気分が悪いので、私は先に戻る」
向かいに座る相手に手短に用件を告げて、飲み終わった珈琲のカップを持ってさっさと席を立つ。
「おい、待てよ」
その言葉に、ジェリコは慌てたように残りを急いでかっ込んで、ごちそうさんと器を返してから、後を追ってくる。
かと言って、特にユリウスに用事があるようには見えず、当たり障りの無い世間話をしながら、結局そのままユリウスの作業室までついてきた。
「おまえ・・・仕事はいいのか?」
「ああ、今はまだ休憩中だ。それよりな・・っ」
ユリウスの後について作業室に入り、扉を閉めた途端、ジェリコは急に笑い始めた。
なかなかお目にかかれないほど、実におかしげに腹を抱えて笑っている。
「ぷっくっくく・・・ユリウス・・悪いな」
先に謝っとくから許せよ、とユリウスに言う、その目の端には笑いすぎて涙が浮かんでいるのが見えた。
唖然としてその様子を見ていたユリウスにも、さすがに状況が分かってきた。
何より、ジェリコの視線の先。
それは、いつのまにかここに入り浸るようになった余所者の少女が、この間も熱心に見つめていたところで。
だが、その少女はあのやり取りの後、さっぱり姿を見せなかったはずなのだが。
「はあ、はあ・・食べた後に笑うのは苦しいな・・・」
腹を押さえて息を整えるジェリコを睨みつけて、恐る恐る自分の後頭部に手を伸ばす。
「・・!!!」
「くっくく・・やられたな、ユリウス」
いつもなら、後ろの半分を適当にリボンで結わいているだけのはずが、何故か頭の両脇から編みこまれた髪の感触がする。
急いで編みこみの先を留めているリボンをはずし、指を差し入れた。
「おいおい。そんなことしたら、こんがらがっちまうんじゃねえか?」
慌てた様子のユリウスに、ジェリコが声をかけるが、時すでに遅し。
「・・・・」
無理やりに解こうとした髪は、ジェリコの言うようにこんがらがって、指を入れて引っ張れば引っ張るほど、一緒に引っ張られた頭皮も痛む。
中途半端にほどけたままで、ユリウスは重苦しいため息をついた。
「・・・ジェリコ」
「だから、悪かったと先に言っただろ」
「ここで気付いた時に言わなかった時点で、お前も共犯だ」
「あー、ちなみに首謀者はそろそろ仕事が終わって、部屋にでも戻るんじゃないか」
他の者にばれずにユリウスに何かしらの悪戯をするとして、それがさきほど
作業中にユリウスが寝てしまった間のことだとしたら、すなわち相手はユリウスの作業室に入れる人物に絞られる。
ここ数時間帯はどこぞかへ姿をくらましている、いつも迷子のエースを抜かせば、それはアリス以外に他ならなかった。
ユリウスとアリスが最近特に親しいことに、気が付いていないわけが無いジェリコのその頭の中には、全てのスタッフのスケジュールも入っている。
「・・・・」
ユリウスは無言で部屋を出て行った。
エース相手に、長時間の説教をするユリウスを知っているジェリコは、しばし顎に手を当てて間を取り成すべきか考えたが、ふっと笑って、心の中で少女にエール送り、仕事に戻ることにした。
バタンッ
「!?ユリウス!」
相当険しい顔をしていたのだろう、アリスは珍しくノックもせずに入ってきた相手に驚きつつ、少し後ずさった。
そんな相手の動きを気にせず、ずかずかと部屋を横切り、ソファの背に追い詰める。
「・・・何か、言うことがあるんじゃないか?」
うろうろとさ迷わせていた目線を、観念したようにユリウスに合わせ、アリスは小さく項垂れた。
金茶の髪の毛が、俯く彼女の顔を隠す。
「・・・ごめんなさい」
「・・・・」
腕を組んで上から見下ろせば、アリスはちらとこちらの顔を見て、そしてぐしゃぐしゃになってしまったユリウスの髪の毛を見つめた。
ぐっと両手を強く握って、勢い良く頭を下げる。
「ごめんなさい、ユリウス」
「・・・・・」
無言で見ていれば、アリスはそろそろと顔を上げて、そしてまたユリウスの髪を見た。
その眉尻は申し訳なさに下がり、瞳は暗く曇っている。
「・・・・はあ」
自分でも分かりきったうんざりとしたため息に、アリスの肩はびくりと震える。
「あの・・・・」
「まだ、何かあるのか」
低い声で返せば、アリスは悲しそうな瞳をして、だがしっかりとした声で、一人がけのソファを薦めた。
ちゃんと元の髪型に戻すから、ということだったが。
「いい。私は戻る」
そのまま出て行こうとするユリウスの腕に、アリスが手を伸ばす。
一度は掴まれた腕を少々力を込めて振りほどけば、振り払われてよろめいたアリスの、傷ついたような顔が見えた。
何故、向こうがそんな顔をするのか。
自分がするならばともかく、と怒っていたユリウスの頭が、少し冷静に考える。
そのユリウスの腕に、再度アリスの手が触れた。
「離せ。私には仕事があるんだ」
「それなら、なおさらそんな髪型では集中できないでしょう」
「っは。お前が、それを言うのか?」
皮肉気に返せば、アリスは眉間にぎゅっと力を込めて、それでも、なお座るように薦めた。
何だかこのやり取り自体も面倒くさくなって、ユリウスは投げやりな気分でソファに座り込んだ。
アリスは口を引き結んだまま、どこからかブラシを持ってきて、ユリウスの後ろに立つ。
静かに、そっと髪の間にブラシの先が差し込まれたのが分かった。
「・・・・・・」
「・・・・・」
無言の時が過ぎる。
静かに、くしけずる音が続く。
こんがらがったところを、少しでも痛みの無いように慎重にほぐしているのが分かる。
編みこんだ後が残って、緩やかに波打った髪に細い指が触れる。
ブラシではなく、そっと指で梳かれた気がした。
「・・っ・・・」
髪の毛に神経なんて通っていないはずなのに、背後に立つアリスがどこを見て、どのように触れているのかを、鋭敏に感じ取ってしまう。
労わるようにブラシで梳かれて、たまにそっと触れてくる指先に、つい集中してしまう。
知らず、つめていた息を何とか吐き出し、沈黙を破った。
「おまえは・・・まったくなんで、こんなことしたんだ」
「・・・・」
「気分転換は望んでないと言っただろう」
「・・・・・」
「それとも・・・私が笑いものにされるのを見たかったのか?」
ずっと口ごもっていたアリスは、その言葉を聞いてばっと顔を上げた。
「そんなことっ、思うはず無いじゃない!!!」
ユリウスの肩に両手を回して、背後から強くしがみつく。
耳元でわめくなと言おうとして、不意に、自分がほっとしていることに気が付いて、ユリウスは口を噤んだ。
静かになったユリウスに何を思ったのか、アリスはぽつりぽつりと話し出す。
「本当に、ごめんなさい。そんな嫌な気分にさせるつもりは無かったわ・・・・本当よ。ただ、きっと似合うと思って・・」
首筋に顔を埋める、彼女の密かな吐息を感じる。
「でもユリウス。誰もあなたを笑ってなんかいなかったわ。そうだったでしょう・・?」
「・・・・・?」
少しだけ強い口調でアリスは、「誰も笑ってなかったもの」と繰り返す。
だいぶましになった頭で食堂の風景を思い返せば、確かに笑っているものはいなかった。
「・・・誰も、じゃない」
「どうせ笑ったのは、ジェリコでしょう」
そう、唯一笑っていたのは、ジェリコだけだった。
食堂のどこかで見ていたとしか思えない。
アリスは、ユリウスがジェリコに連れられて食堂に来たところを見たのだ。
そして、周囲の反応も。
「確かに、他には誰も笑ってはいなかった。だが、それは私が役持ちだから、あからさまにしなかっただけだろう」
「そうじゃないわよ、ユリウス」
自嘲気味にいうユリウスに、力強くアリスは否定の言葉を返す。
では他にどんな意味がある?と横目で問いかければ、アリスは憮然とした顔で、ユリウスの胡乱気な視線を受け止めた。
「・・もう!何で分からないの。みんな笑う余裕も無いくらい、あなたに見とれてたんじゃない!」
しばし、室内に沈黙が落ちた。
「・・・・・は?」
「は、じゃないわよ、ユリウス!みんな、ぼおっとあなたを見てたのよ!」
ますます言ってる意味が分からない。
声を失うとはこういうことだろうかと、勝手に頭のどこかが冷静に今の状況を判断する。
呆気にとられていたユリウスは、彼にしては珍しく、口を閉ざすことも忘れて横にあるアリスの顔を凝視していた。
いつになく、目が丸く見開かれている。
そんなユリウスの表情に、ますますアリスの顔が憮然としたものになっていく。
「ユリウス・・・あなた、自分の顔とか鏡で見たこと無いの?」
全く見ないことは無い。
だが、髪の毛は適当に束ねているだけだし、めったに外にも出かけない。
嫌々正装をしなければいけない場に出るとして、やっと少し見る程度だが、
結果、陰鬱な表情ばかり見ている気がする。
とはいえ、だいたいいつでもその表情で、別段仕事に支障があるわけでもなく。
どんな顔をしていようが、時計屋の仕事は自分しかしていないのだから、客もここに来るしかない。
自分の顔立ちのことなんて、そんな無意味なことを考えてどうするというのだ。
「私の外見がどんなだろうが、どうでもいいことだろう。そんなことを言い出すなんて、おまえ・・・疲れているんじゃないか?」
呆れて、とりあえず目の前の少女を心配してみるが、逆効果だったらしい。
眉がきりりとつり上がっていく。
「食堂で見たんだけど、女性のスタッフはもちろん、男性のスタッフもあなたのことを見ていたわ。・・・あなたの後姿が、とてもきれいだって言って・・・」
最後の方はどんどん声が小さくなって、アリスはふいと顔をそらした。
少し拗ねたようなその横顔と、赤くなった目元がユリウスの視線を奪う。
ユリウスからしたら、寝耳に水な話だ。
役割上、葬儀屋などと呼ばれ嫌悪され、悪意とまではいかないまでも到底好意とは程遠い態度や、視線を向けられることはしばしばだ。
それに慣れてしまった、ということもある。
だが、それ以上に自分の外見など、本気でどうでもいいと思っていたから。
「ユリウスは顔立ちも整っているし・・・男性でも見とれるのは、ありえないことじゃないもの」
「・・・・で」
「・・なによ?」
「おまえは、どう思ったんだ?」
つい、ほろりと口から零れ出てしまった。
そんなことを聞く予定では無かったし、そもそもきれいと言われても、嬉しいかどうか微妙なところではあったが。
では、アリスはどう思ったのだろうと、気になってしまったのだ。
「えっ」
だが、問われた方はかなり動揺していた。
ソファに座るこちらと、その横に立つ彼女との高低差を利用して、いつもとは逆に下から覗き込んでみれば。
「うっ・・」
怯んだ様に、赤い顔をして後ずさろうとする。
その腕をとっさに掴んで、引き寄せた。
「ユっ、ユリウス?!!」
ソファに座るユリウスの上に、のしかかるような形になって、アリスは慌てて退こうとする。
それを許さず、ユリウスはそのまま腕の中に捕らえて、膝の上に抱き込んだ。
「おまえが、わざわざこんな髪型にしたんだろう?他のスタッフの感想より、おまえの意見が聞きたい」
「だっだから・・それはさっき、顔立ちも整っているなって・・・」
「他にはないのか?」
「えっ?!」
「こんないたずらまでしておいて、それだけだなんて言わないだろう?」
言いながらそっと頬に指を滑らせれば、びしっと音を立ててアリスは固まった。
その真っ赤な顔を見下ろして、ユリウスはうっすらと口角をあげた。
「・・・とまあ冗談だ、アリス」
面白い顔をしているアリスを見て、何だか楽しい気分になったユリウスは、腕の中で固まる彼女に向かって、ふっと笑った。
「ユ・・ユリウス、あなたって・・・」
ひくりと、アリスの口元がひきつる。
そして、腕の中でふてくされた顔をした。
「ええ、ええ。そうね、とっっっても楽しかったわよ・・最初わね。私も、悔しいけどユリウスってば美人だと思ったわ」
ぶつぶつと何やら呟きだす。
「でもそれにしたって、食堂に来るなんて思って無かったわ。男性のスタッフが見とれてたのは面白かったけど、女性のスタッフは・・・」
「・・・・」
ユリウスとしては、男性のスタッフにそういう意味で見られて、嬉しいわけがない。
むしろ、気色が悪い。
次からどういう顔で食堂にいけばいいんだ、とうんざりする一方で、アリスの言葉の続きが気になった。
「女性のスタッフが、なんだ?」
「・・・・」
思いがけず、じとっと下から睨みつけられて、ユリウスは少しかがめていた身を起こした。
「・・・な、なんだ」
「・・・きれいな編みこみなんて、するんじゃなかったわ」
はぁ、と妙に色っぽいため息をつかれてしまう。
まるで普段の自分のように陰鬱な表情をするアリスの、その髪を指で梳いてみる。
そして、アリスがユリウスの髪をいじりながら、言っていたことを思い出す。
「・・・そうだな、無意味なものじゃないな」
アリスの髪は、どこか人懐っこい彼女の気質を表したかのように、ユリウスの指にくるりと巻きつく。
そのまま指を通せば、するりと離れていくものと、名残惜しげにユリウスの手の中に残るものがある。
見上げたアリスは、ユリウスの指に絡んでいる自分の髪を見て、ちょっとがっかりした顔をする。
「・・・未練がましくて、何か嫌だわ」
眉をひそめてふてくされたような表情のアリスが、何だかとても愛おしくて、ユリウスは笑った。
それから数十時間帯後。
廊下ですれ違ったアリスは、なんだかやけににこにこしていて、ユリウスは心配になって声をかけた。
「おい」
「あら、ユリウス」
いつもの明るく楽しげなときに浮かべる笑みではなく、どこか含みのあるその笑顔を向けられて、内心怯む。
「やけに機嫌がいいようだが・・何かいいことでもあったのか?」
「・・・・」
無言のまま、にこにこと笑顔だけを返されて、聞いてはいけないことを聞いてしまったのだと悟る。
だが、口から出てしまった言葉は、もう引っ込めることは出来ず。
「あ、ああいい。言いたくないことは、言わなくていい」
出来る事なら、今すぐにでも回れ右をして、出てきたばかりの自分の作業室に戻りたい。
視線を泳がせながら両手を体の前で振って、全力でこの後の展開を回避したいユリウスの内心をよそに、アリスは「そんなことないわ」と一転、話す態勢になってしまった。
「この前あなた、親子ごっこも悪くないっていったわよね」
「・・は?ああ、あれか」
動揺する頭を回転させつつ、そんなことも言った気がすると記憶を掘り返すユリウスに、笑顔でアリスは言い放った。
「ごめんなさい、私では無理だわ」
「・・・は???」
にこにこにこにこ。
今ここで無理だといわれても、そうか、としか返す言葉を用意できないが、何だかそれを言ったらまずいことになるだろう、と理性が口を閉ざさせる。
黙ったユリウスの顔を見つめて、アリスは気付けば菩薩のような笑顔を向けている。
何かを悟ったかのように、実にしみじみとした笑顔。
うんうん、と一人頷いている様も、ユリウスに言いようの無い不安を与える。
「エースが子どもなんていうのも、無理なんだけど」
「・・・・・・」
「この前会ったときに、私、自分の勘違いに気がついたわ」
「この前、だと?・・・勘違い・・?」
それは数時間帯前、アリスが測量会の会期中に、思い切って久しぶりに遠出をしようと思ったときのこと。
せっかくの平和な時期なんだから、他領土に行ってウィンドウショッピングでも楽しもうと訪れた、ダイヤの城の城下町。
まさかこんなところで会うとは思っても見なかった、滞在地の領主と美術館の中に住んでいる時計屋、ユリウスとばったり出くわしたときのことだった。
アリスは、まさか他領土の領主が、いくら会期中だからといってこんなに身軽に敵の領土まで来て大丈夫なのかと、心配を越えて面食らったものだ。
次の測量会までには見つけなければならないと、迷子のエースの捜索のために遠出をしたということだったが、快活に笑うジェリコとは違い、ユリウスは遠出と人ごみによってすでに疲労感たっぷりの様子だった。
本心ではエースの心配をしていることは疑いようが無かったが、慣れない人ごみでうんざりしたユリウスは、いつもなら軽く受け流すジェリコの軽口にも簡単につられてしまっていた。
そんな彼らの一見楽しげなやり取りに、アリスは呆気にとられて開いた口が塞がらなかった。
ジェリコがどうしてもと言うから、なんて・・・・・バカップルか、と。
「で、私悟ったのよね。エースが子どもポジションなのはともかくとして、父ポジションはジェリコで、母ポジションは、あなただったのねって」
「!!?・・・っは、おい、まて!なにがどうしたらそういう結論に」
ふふふと笑うアリスの目は遠く、見ようによっては死んだ魚の目にも見えた。
ユリウスは、その肩をがしりと掴んだが、返ってきたのは相変わらず菩薩のような笑顔で。
「どうしたのユリウス、そんな血相を変えて。いいのよ、あなた美人だもの。何もおかしくなんてないわ」
「アリス、落ち着け」
「おかしなこと言うのね。私は落ち着いているわ。むしろユリウスが落ち着くべきだと思うの」
どこに、とは恐ろしくて口が避けてもいえない。
もはや蒼白になって、空ろな笑いを浮かべるアリスの肩をがっくんがっくんと揺さぶるユリウスのもとに、話題にあがった人物がふらっと通りかかる。
「おっアリスとユリウス!・・って何してんだ・・?」
いつになく慌てふためいているユリウスと、そのユリウスに肩をゆすぶられながらも笑顔のアリスと目が合う。
「あら、お帰りなさい。お父さん」
「!!?・・っ」
「・・はあ?俺にガキなんていねえぞ」
何言ってんだアリス、と口元に手をあてて、いぶかしげな視線をユリウスによこすジェリコは、説明を求めていた。
が、ユリウスとて自分の口からはとても、説明出来ないというか、したくない。
「この前あなたたちと街で・・・もごっ」
「・・・何してんだよ?さっきから挙動不審だぞ、ユリウス」
話しかけたアリスの口をとっさに塞げば、ジェリコの視線が訝しげなものから、何かあったのかと心配そうなものになる。
「っ!何でもない。・・・私は、部屋に戻る」
口を片手で塞いだまま、ずるずると歩き出せば、小柄なアリスの体は簡単に引きずられる。
「ああ、それは別に構わないが・・・どうしてアリスも引きずっていく必要があるんだ?」
「こいつも寝かせる。相当疲れているみたいだからな」
驚き呆れたようなジェリコに向かって、何事も無かったかのように返せば、そんなユリウスの手が緩んだ隙にアリスが抜け出してしまった。
「私のことは構わないでいいわよ。後はお二人でごゆっくり」
「はあ・・・?本当にどうしたんだよ、アリス」
「・・・お願いだから、もう二人とも、黙ってくれ・・・・」
◆アトガキ
2013.1.10
「リードを持ってほしくて」のアトガキで、続きっぽいものをといっていたのは、こんな展開となりました。
実はギリギリまでお相手を、ハートの国のユリウスにするか、ダイヤの国のユリウスにするかで悩んでまして。
でもハートの国のユリウスにしてしまうと、ダイヤの国でこういうことがあってね、とアリスがいくら説明しようと、「は?馬鹿かお前は」で話が終わってしまう可能性が大。
前半だけの話だったら、ハートの国のユリウスバージョンも書けて、しかもエースが乱入とかいう(美味しそうな)展開も出来そうだったのですが・・・。
そういう理由もあり、加えて、本当に書きたい部分は、最後の城下町でのうんぬんのネタだったので、これはこれで、やりきった感満載です。
※ここから先は、更なるネタバレです!!
それでも良いという方は、反転してください。
後半の、城下街のジェリコとユリウスのやり取りは、ブラッドルートの7番目のチケットの一部分です。
何この仲良さげな二人は・・・そうか、そういうことだったのか!と暴走しました。
しかし絶対このネタで書く、といざ思い立って書き始めたものの、前半部分が長い長い。
危うく、メインのネタを取りこぼすところでした。
何とか無事に押し込められて良かったです。
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