ただいまと言わせて



アリスはぎゅっと閉じた目を、恐る恐る開いていった。

「・・・え・・?」

さっきまでブラックさんに肩を掴まれていた感覚が、まだ残っている。
じわりと黒いもやのようなものが、体の中に残っているようで、立ち上がろうとするアリスの動きは緩慢なものだった。

「ここは・・でも」

でも、まさかそんな。

目の前に広がっている光景に、アリスは一度開いた視線をよそへうつすこともできなかった。
視線をそらしたその一瞬の隙に、目の前のこの景色が消えてしまうようで。
ふらふらしながらも、何とか立ち上がる。
体を支えようと手をついた石の壁からは、歯車のまわる振動が伝わってくる。

ああ・・本当に?本当に私は今ここにいるの?

でもさっきまで、列車に乗った夢を見ていて・・・あれは本当に夢だったのだろうか?
エースの、私を詰る声がぼんやりと思い出される。

”君は、ダイヤの国でユリウスに会えたら、もうそれで満足して、ハートの国のユリウスのことは忘れるんだ?”

代用で、満足している、と。

そんなことはない、代えがきくなんて、そんなこと思ったことは無い。
でも、じゃあダイヤの国に徐々に慣れていって、美術館の中の作業室に足繁く通っていたのは、それは。

「だって・・・私だって寂しかったんだもの」

声に出して、愕然としていた。
寂しかったから、なんだ。
寂しかったその気持ちを満たすために、迷惑そうにしながらも徐々に馴染んでくれたダイヤの国のユリウスに、親しみを感じていったのは確かだ。
どちらのユリウスも大切だと思いながらも、次第にダイヤの国のユリウスでも、傍にいてくれるならいいかと、一度もそう思わなかったとは口が裂けてもいえない。
周囲の壁を覆う時計の歯車の音が、急に大きく聞こえたように感じて、アリスはせめられているような気分になった。

きっと、これはそんなアリスへの罰だ。

ハートの国から弾かれる前の、誰もいない時計塔の中でまたひとりぼっちになってしまった夢を見ているのだ。
アリスは、もう動く気にもならず俯いたまま、自嘲するような笑みを浮かべた。

カツン

そんなアリスの耳に、足音が聞こえる。
内部で反響するように、硬質に響く足音。
きっとジョーカー辺りが、こんなアリスを嘲笑いに来たのだろう。
背後に近づいてくる気配を感じながらも、アリスはそちらを見ることもなく、ずるりと壁沿いにしゃがみ込んで、力なくスカートの裾を握り締めた。

「・・・おい」

アリスの肩がびくりと震える。
ああ、この人まで夢に出てくるなんて。
夢は目覚めれば終わるもの。
本当に、なんて意地が悪いんだろう。

「・・・お前・・おい、アリス!」

肩に手がかけられる。
無理やり向きを変えられて、アリスは前にしゃがみこんだ相手の顔を見てしまう。
あの短い声でも分かるのは、ダイヤの国でも慣れ親しんだからだろうか。
さらりと視界に流れ落ちる、手触りの良い長い藍色の髪が、アリスの頬を優しくくすぐる。
不機嫌そうに低い声で呼びながらも、心配そうにこちらを覗き見る、深い夜の海のような瞳。
もうそれだけで、アリスの胸はいっぱいになった。
スカートを握り締めていた手をめいっぱい伸ばして、その上着を引き寄せる。

「おいっ、何をっ・・!!」

急なアリスの動きに、驚き焦ったようなその声を無視して、体当たりするようにその胸へと顔を埋める。
いきなりのことにちょっとだけよろめいた相手は、それでもしっかりとアリスを抱きとめてくれる。
今、これが夢だとしても構わない。
腕を限界まで伸ばして、その広い背中にしがみついた。
おいとか、何だいったい、と戸惑っていた声が、ため息に変わる。

「何だかしらんが・・」

心配していた気配が呆れたものに変わって、そしてためらいがちにその長い腕がアリスの背に回された。
何も言わずにぎゅっとしがみついたまま離れないアリスを、同じく無言のまま、抱きとめてくれる。

「・・・ユリウス」

やっと零れたアリスの小さな呟きは、しっかり拾ってくれたようだった。

「ああ、なんだ」

「・・会いたかった」

「・・・ああ」

短くて、それでも胸にじんわりと染み込んでくる。
ユリウスの静かな時計の針音と、包み込むような暖かい体温が伝わってきて、アリスの視界は滲んでいく。
ぐりぐりと顔を押し付けるようにすれば、アリスが静かに泣いていることに気が付いたのだろう、ユリウスがぐっとアリスの顔を胸元から離す。

「・・人の服に、こすり付けるな」

離れていたことなんて嘘みたいに、何も変わらないユリウスの言葉に、アリスは泣きながらも笑みが浮かんでしまうのが止められない。

「お前・・泣きながら笑うなんて」

「気持ち悪い?」

「・・っ!!・・・・・器用だな」

先回りして言葉を続ければ、ユリウスはぐっと言葉につまり、そっぽを向きながら別の言葉を紡ぐ。 その顔がちょっと赤くて、アリスは更に笑顔になった。

「・・ただいま、ユリウス」

これがただの夢だったとしても、伝えたい。
それでも、夢だったらやっぱり起きたときに辛くなるだろう。
現実だとはとても思えずに、夢だと言い聞かせて怯える気持ちが、アリスの声を小さく震わせる。
しばし待っても返ってこない返事に、俯くアリスの胸が押しつぶされるように痛む。

ああ、やっぱりこれは、願望が見せた幻なのかもしれない。
起きれば覚める、そんな儚い夢。
この世界は、停滞しているようで、進みそして戻る、おかしな世界。
有無を言わさず渦の中に巻き込んで、翻弄し惑わして、そして嘲笑う狂った世界。
あまりに長い沈黙が降りて、やっぱりと力なく項垂れるそんなアリスの体が不意に、ぐっと力強い腕に引き寄せられた。

「アリス・・・本当によく、帰ってきたな」

おかえり、と耳元で囁くような声が聞こえる。
さっきとは違う感覚で、アリスは小さく震えた。
一度とまりかけた涙が、また溢れて頬を伝う。
子どものように、しゃくりあげるように泣き出すアリスの頭を、大きな手が優しくなでる。

「・・また、あなたの部屋に住んでもいい?」

「だめだと言っても住むのだろう」

「・・また、珈琲を淹れるわ。飲んでくれる?」

「腕が落ちていないならな」

「・・また、あなたの仕事を手伝うわ」

「・・ああ、頼む」

泣きながらしゃべるアリスの、くぐもって聞こえづらいだろう声に、静かに耳を傾けて、一つ一つ答えを返してくれる。

「ただいま、ユリウス!!ただいま・・っ」

「ああ・・・おかえり、アリス」




◆アトガキ



2013.1.3



ダイヤの国のユリウスは、子どものエースの保護者代わりで、アリスにはなかなか構ってくれないですよね。
ユリアリが一番好きな私にとっては、色んな人のルートに、少しずつ紛れているハートの国のユリウスに、胸が締め付けられる思いです。
シドニールートの展示物の幕の向こうにいるユリウスや、ブラッドルートの時計塔からの景色エンドなんて、もうどうしようもなく切ないです。
ダイヤの国のユリウスが嫌いなわけもなく、親しくなれるのならそれはもちろん嬉しいけれど。
でもそうなることは、列車の中で会うハートの国のエースに言わせれば、代用と責められても仕方が無いことで・・・。
でも、だって寂しいんだもの!!!
と、大声で言いたい気持ちです。

たとえ時計塔からの景色エンドがゲーム上では、ただの夢だったとしても。
それでも、アリスには「ただいま」と言ってほしいし、ユリウスには「おかえり」と言ってもらいたくて、勢いで書いてしまいました。
避けられない話や世界の設定があったとしても、やっぱりハートやジョーカーがいい。

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