Marshmallow candy



(信じらんない、信じらんない、信じらんないっ!!)

真っ赤な顔をどうしようも出来ず、取り合えず一番近い建物、時計塔に駆け込んだ。
そのままエントランスにいたら誰かが戻ってきてしまうかもしれない・・・例えば、塔の持ち主であり家主あるユリウス、とか。
無言で階段を登り始めるアリスの頭の中は混乱と、そして公衆の面前で何してくれてんのよ!という3人への罵倒だった。
・・そう、3人だ。
いや、相手が1人だったら良かったとか言う話でもない。
だんだんだん、と鼻息荒く階段を踏みしめていた足から徐々に力が抜ける。
勢いで途中まで上がってきたが、残念ながらアリスの体力では息切れも近かった。
少しだけスピードを緩めて階段を上がり続ける。

(・・さっきのことは記憶から抹消しようそうしよう)

そう思っていても、壁沿いにぐるぐると階段を上がっていれば、何でどうしてあんな事態に陥ったのかと頭を抱えたくなる。
突拍子も無いことをやらかすエースや、ふざけて面白半分にいたずらを仕掛けたりするボリス。
あの2人だけだったら、本当に何してくれてるんだと怒って、殴る。
でもまさかその2人の間に、ユリウスもいるなんて。
びっくりし過ぎて殴ることも出来なかった。
そんな相手のことを考えながら、足元の段を見下ろす。

「・・・ダイエットだなんて・・・」

ぽつりと言葉が零れる。
塔の階段が長いことなんて、もう分かりきったことだけど。
ちょっと、ほんのちょこっとだけ愚痴を言ってみたかっただけなのだ。
でもそれは、この塔が嫌いだとかユリウスのあの部屋で暮らすことに不満があるとか、そういうわけでは決して無い。
ただ、1人で上り下りする階段は長いなとそう思っただけだった。
後は、余りにも外に出ようとしない塔の主に向けての、ほんのちょっぴりの不満だ。

「もう少し一緒に出かけようとしてくれたって・・・」

いいじゃない、という呟きは言葉にならず、アリスは溜息を吐いた。
分かりきってはいたものの、ユリウスはそんなアリスの気持ちに気が付くわけも無く、まさかの返ってきた言葉は「ダイエットにいいんじゃないか」だった。
その時は、思わず頭に血が上って口げんかをして飛び出してしまった。
もやもやと考えながら上っていた階段は、いつの間にか作業部屋のある階に辿りついていて、ドアを開こうと持ち上げたエプロンドレスからのびる己の腕を、アリスはじっと見下ろした。

「・・・・・」

もう片方の手で二の腕を抓んでみる。
ぷに、とつまめる二の腕にアリスはがっくりと肩を下ろした。
ユリウスがあんなことを言ったのだ。
皮肉屋で口が悪いことを差し引いても、どこかでそう思っていたということなんじゃないだろうか。
鬱々としてきた気持ちのまま作業部屋の扉を開けて、アリスは固まった。

「・・・何よ、これ」

思わず呟いてしまう。
この作業部屋にして、あり得ないものが転がっている。
それも、そこここに。
足元に転がっていたものを、アリスは動揺して震えそうな手で拾い上げた。

「・・・・粉ミルク」

どう読んでもそう見える。
しかも乳児用。
呆然とする頭は空回りして、あり得ないと思いながらも一周した後に答えを出す。
すわ、隠し子発覚か、と。

「いや、いやいや無いでしょ・・・無い、わよね・・?」

最早、自分に言い聞かせているだけだ。
作業部屋に散乱しているベビーグッズの数々に、足元がふらついて入り口脇に寄りかかる。
額に手を当てて、横目で再度部屋の中を確認する。
一体、何があったのかと思うような散らかりようだ。
時計の修理の仕事が溜まったとしても、ここまで荒れたことは無いと思う。
どんなに仕事が溜まっても、使用するのは大切な部品や工具だ。
少しばかり乱雑になったとしても、そこは変なところで几帳面で職人気質のユリウスのこと、部屋中に無秩序に散らかることなどあり得ない。
小さく息を吐いて、アリスは動き出した。
手に持った粉ミルクの缶を取り合えず丸テーブルの上に置く。
ソファの端に置かれたベビーベッドのその周りに、放り投げられたかのよう広げられたままの小さなタオルケットや小さな服を畳む。
無言のまま部屋を片付けていれば、静かに扉を開く音と共に部屋の主が入ってきた。
アリスはそちらを見ない。
どんな顔していいか分からなくて、とにかく手を動かしていた。

「・・・・アリス」

でも話かけられた以上、無視は出来ない。
それに、聞きたいことがある。

「何?」

聞きたいことはもちろん、この部屋に散らかるベビーグッズのことだ。
でも、どう聞けばいいだろう。
あなたに子どもがいたなんて知らなかったわ、とでも言えばいいだろうか。
・・・・聞けない。
そして、その子どもは今どこにいるかなんて。
・・・・更に、聞けない。
手に持ってしまった哺乳瓶を惰性で洗いながら、背中越しに返事を返す。
声が低くなってしまったのは、仕方が無い。

「その・・・さっきのことは・・」

「う、わぁあああああっ」

何か言いかけたユリウスの言葉を遮って、誰かの叫び声が聞こえる。

「ちょ・・ちょっと騎士さん、何やってんの」

加えて慌てたような、呆れたような声。
どうやら、3人とも上って来たらしい。
ユリウス1人なら分かるけれど、・・いや、まあエースも分からなくも無いけれど、どうしてボリスも来たのだろう。
ちらと部屋の入り口に目を向ければ、廊下を振り向いて溜息を吐くユリウスの姿があった。
エースはまた階段を転げ落ちていったようだ。

「・・・全く。あいつはどうしようも無いな」

内心頷きつつ、アリスは注意深く相手の様子を窺う。
見た目はいつも通りで何か変わった様子は無い。
部屋の中を見る限り、間違いなくアリスは知らなかった小さな存在がここにあったように見えるのに。
この部屋にいたというのなら、ユリウスも世話をしたりしたのだろうか。
ユリウスが子どもをあやしているところなんて、てんで想像できない。
それどころか、うるさいとか言って眉間に皺を寄せて睨みつけて、更に盛大に泣かれるのがオチだろう。

(あ、もしかして・・・)

エースとともに入ってきたピンクの猫を見て、納得する。
ボリスならそういうのは上手そうだ。
人を楽しませるのが上手い猫なら、泣いてる子をあやすのもお手の物だろう。
エースは・・・ちょっと良く分からない。
高い高いをしようとして、そのままうっかり落としそうだ。
・・・危険だわ。
半眼で見ていた相手は、後頭部を撫でながら入ってきて目が合った途端、にっこりと笑った。

「やー、さっきはごめんなー」

はははっと笑って謝られる。
軽い。
爽やかに胡散臭いエースのことを見ながら、そういえばと、他の可能性に思い至る。
もしかしてここにいたのはユリウスの隠し子なんかじゃなくて、エースが旅の途中でうっかり拾って連れて来ちゃったりした子どもとか、そういうことかもしれない。
ここに居ないのは、もう無事に親元に戻ったとか。
それならばいい。
・・そうであればいい。
散らかる簡易キッチンを片付けていた自身の少し雑だった手を、ゆっくりとさせる。

「それにしても可愛かったなあ」

勝手に椅子に座り込んで尻尾をゆらゆらと揺らすボリスが、ぼんやりと呟く。

「うんうん。元に戻れたのは嬉しいけど、意外と悪く無かったな」

「いや、何か騎士さんが言うと、なんていうか・・妙な趣味に目覚めちゃったりしたんじゃ無いかって、ちょっと心配になるっていうか・・」

「あははっ、何言ってるんだよ猫くん。さすがにそういう趣味は無いって!だいたいそれじゃあ・・・出来ないじゃないか」

「お前は一体、何を言ってるんだ!」

「ユリウスこそ、何考えたんだよ」

背後で交わされる会話を聞くに、やっぱり迷子か何かだったんだろうとアリスは結論付ける。
後半の部分はスルーだ。
それならば、と鬱々じめじめとした気分だったのが、逆に楽しくなってきた。
きっとエースが連れてきた子にユリウスは大いに戸惑っただろう。
扱いきれなくて頭を抱える様子が目に浮かぶ。
それでもきっと、エースに預けたままなんて危な過ぎるから、渋々親が見つかるまで面倒見たりして。

(やだ、ちょっと見てみたかったかもしれない・・・)

戸惑いながら子育て本を片手に奮闘するユリウスを思い浮かべて、自分の口元に笑みが浮かんでくるのは止められなかった。
そうか、それならきっと疲れているだろう。
すっかり綺麗になったキッチンを見て珈琲を淹れようと、棚から珈琲豆の入っている保存容器とコーヒーミルを取り出す。
2人も飲んでいくだろうか。
ならば、カップは4つ。
すっかり上機嫌になってコーヒーミルをごりごり回しているアリスの様子を、椅子やソファに腰を落ち着けた3人が窺っていることには気が付かない。

「・・・・機嫌が直ったのかな?」

「よく分からないけど、そうなんじゃないかな」

「・・・・・」

コソコソと交わされるやり取りに気付かないアリスは、ミルを回しながらふと首を傾げた。

(あれ?でもいつその子はいたのかしら・・・?)

ユリウスのダイエット発言に怒って塔を飛び出し、帰ってきて謝罪を受け入れたときはいなかった。
その後、エレベーターを取り付けるから、作業中はうるさいだろうし出かけて来いと言われて。
別の領土に遊びに行くのも好きだからと、特に疑問も無くそれに応じて出かけていたのだけれど。
ミルを回していた手が徐々にゆっくりになって、そして止まる。
何をのんびりコーヒー豆を挽いているのだろうか、それも4人分。




「・・・・・」

拘りを持って珈琲を淹れるユリウスだから分かる、まだ挽ききれていない珈琲豆を前に止まったアリスの手。
やはり、まだ怒っているんじゃ無いだろうかと、その後姿をそっと横目で見遣る。
手を止めたアリスは、おもむろにこちらを振り向いた。
慌てて視線をそらしてしまったが、振り向いた彼女の顔がやけに笑顔で。
ああ、これはまだ怒っているな、と何となく分かった。

「私、でかけてくる」

「え、アリス?」

「そういえば、お茶会に呼ばれていたの。・・しばらく戻らないから」

短く告げてにこりと微笑んで、それ以上は何も言わずアリスは真っ直ぐに扉に向かう。
少し慌てたように呼び止める2人の声にも振り向かず、開かれた扉をくぐって出て行ってしまった。
パタンと閉じられた扉の音が、シンと静かになった部屋に響く。

「えっ?・・ええー??」

「あちゃー・・・やっぱりまだ怒ってたか」

「・・・・・はあ」

挽きかけで置いていかれてしまったコーヒーミルを見て、仕方なく立ち上がる。
勿体無いという気持ちもあるが、それよりもやはり淹れてもらえなかったことに自分でも意外に思うくらい落ち込んだ。
ゴリゴリとミルを回しながら、4人分の量のコーヒーにユリウスはやるせない溜息を吐いた。






「あまりそうむっつりとした顔をしていると、眉間にしわが寄るぞ」

「・・・むっつりとか、やめてよ」

少し冷めてしまった紅茶を一口飲む。
ずっと考えているのは、時計塔広場での出来事と作業部屋の様子だ。
謎の行動に走った3人とか、姿の見えない隠し子とか。
部屋に戻ってきても何も言わない家主とか・・・。

「・・・・ふむ。折角新しい茶葉を取り寄せたから君にもどうかと思ったんだが、どうやら上の空らしいな」

「あ、ごめんなさい」

やれやれと溜息を吐く相手の顔を窺う。
どうやら機嫌は損ねていないらしいとほっとしていると、その顔が少し不穏なものに変わる。
すっとそらした視線を、おかしな帽子をかぶるお茶会のホストは愉しげな表情で見ている。

「謝らなくていい」

その声までどこか愉快そうで、アリスは訪問するタイミングを間違ったと内心舌打ちした。
こんな男の前で考え事なんかに耽るなんて、隙を晒す以外の何物でもなかった。

「・・・・で」

先を促すようなブラッドの言葉に、どうやって切り抜けようかと考える。

「君はさっきから何をそんな不機嫌な顔をしているんだ?まるで・・・ああ、そうだ君のところの家主みたいだ」

「っ!!」

考えていたことを当てられたというわけでもないのに、確かに思い浮かべていた相手の名前を出されてアリスは動揺した。
直後に、しくじったと後悔しても遅い。
さっきからにやにやとこちらを観察している相手に、こんなあからさまな反応までしておいて、見ていなかっただろうなんて思えるわけが無い。
揺れた手元に反応して波紋が広がった紅茶の入ったティーカップを、何とかテーブルに戻す。

「・・・・・何よ」

言いたいことがあるならさっさと言えと眇めた目でねめつければ、肘をついた手の甲に片頬を預けてブラッドはにやにやと笑う。

「時計屋とまた喧嘩でもしたのか?」

「またって・・・、喧嘩なんてしてないわ。変な勘繰りはやめてちょうだい」

ダイエット発言で怒って飛び出したときとは違って、言い合いすらしていない。
だからこれは喧嘩じゃない。
隠し事をされているようでむかむかしているだけだ。
・・・・一方的に怒って、ただそれだけ。

「そうか」

「・・・そうよ」

お茶会に呼べば、来てからずっとむすっとした顔を隠そうともしていなかったアリスが、急に落ち込んでいく様子を見てブラッドは瞬きした。
滞在先の時計屋と何かあったのは確かだろうが、聞いたところで何があったかは言わないだろう。
そういうところは賢い。
そこらの女ならここぞとばかりに聞いてくれと喚きだしそうなところでも、アリスなら押し黙るだろう。
それが弱み、すなわち弱点を見せることだと知っている。
自分が相談相手に向いていないことは自分でも良く分かっているし、それより何より少なからず警戒をされていることが愉快でたまらない。
全く、好ましい。
だが落ち込んだ様を見せるくらいには、まだ付け入る隙がある。

「・・・なら、ほとぼりが冷めるまで、ここに滞在でもするか?」

「・・・え?」

思いもがけない言葉だったのだろう、きょとんと瞬きをするアリスは歳相応の少女に見えた。
直後に、何考えてるの?とでも言いたげな表情になる。
不可解で、警戒心を顕にしている。

「ここならいくらでも部屋は余っているからな」

少し、揺らいだように見えた。
アリスの様子を観察しながら、塔の主のことも思い浮かべる。
そもそもよく滞在する気になるものだと感心するくらい、何の面白みも無い男だ。
くだらない仕事に溺れて己を殺すような奴だ。
自分とは正反対過ぎて、それはそれで興味深くはあるが。

「・・・・言葉だけ有難く受け取っておくわ」

良く考えました、といった顔でアリスの返した返事に、ブラッドは内心苦笑して頷いた。
残念だが、ここで泊っていくような少女でも無いことは分かっていた。

「そうか。ではまた別の機会に誘うとしよう」

「ええ、そうしてちょうだい」

そう言って、アリスはようやくいつも通りに笑って見せた。





強気を装って折角の申し出を断ってしまったが、足取りは少し重かった。
帰れば、嫌でも顔を合わせるしかないのは、居住空間が1つしかないのだから仕方が無い。
顔を見ればきっと、憶測でしかないのに色々と捲くし立ててしまいそうな自分がいる。
ユリウスは、正直に話してくれるだろうか。
あの無表情でなんてこと無いふうに話されたらどうしよう。
・・・どうしようもこうしようもない、きっと自分はそれにまた怒ってしまいそうだ。
怒って・・・きっと、泣いてしまうだろう。

(情けない・・・)

今だって、すでに1人でもやもやと考えた末に導き出された解答に、唇を噛み締めているというのに。
相手を前にして、それだけで済ませられるとは到底思えない。
泣き喚いて、手が出てしまったら。

「・・・・・」

不意に、口元に指先を当ててみる。
時計塔広場で、ユリウスの唇が触れた口の端。
頬に触れていたボリスと、額に触れていたエースのことは脳内から消去する。
後で、容赦なくぶん殴ろう。
そう、ともかくユリウスだ。

(・・・なんであんなこと・・)

普段からあまり接触してこない、ユリウスらしくない。
姿の見えない子どものこと、キスのこと。
頭がごちゃごちゃでぐるぐるしてきた。

(何やってるのよ、ストレートに聞けばいいじゃない)

そう、聞けばいいのだ。
気が付いたら広場にいたのは何故か、何で3人に・・その、囲まれていたのか、あのベビーグッズの山は何か。
ユリウスが正直に答えてくれるとは思わないが、聞かずに1人でもやもやしているなんて非生産的過ぎる。
女は度胸だ。
近付く時計塔を見上げて、アリスは心持ち強く拳を握った。





「あ」

「・・・・・アリス」

決意したというのに、いざ相手を前にすると何の言葉も出てこない。
この握った右手はなんだったのかと、無駄に握っては解いてを繰り返して所在無く相手を見返すだけだ。
時計塔のエントランスで何かを見つめて突っ立っていた相手も、扉が開いて振り返った姿勢のまま固まっている。
何かを言おうとして、口を閉ざすことを繰り返している。
戸惑っているように見えるユリウスに、アリスはほっとした。
勝手に怒って飛び出した自分に対して、少なくとも怒っていたり不機嫌な様子では無い。
ちょっとだけ余裕が出来て、相手が何を見ていたのかと気になってそちらを見遣る。

「エレベーター・・出来たの?」

「・・・ああ」

「・・・・・」

「・・・・・」

それ以上言葉が続かなくて、塔のエントランスに静けさが広がる。
聞かないと、と焦るアリスの頭は空回るばかりだ。

「乗るか?」

「へ・・え?」

不意に話しかけられて、聞いてなかったアリスは相手の顔をきょとんと見つめ返した。

「・・・帰って来たんだろう?折角出来たんだ、乗ればいい」

暫くの間を開けて、すっと視線をそらしたユリウスにそう言われてアリスは無言で頷いた。
ユリウスはほっとしたように息を吐いて、エレベーターの横のボタンを押した。
箱は下に到着していたらしく、すぐにガラガラと入り口の柵が開く。
視線で先に乗るよう促されて、アリスは早足で無人の箱に乗った。
その後から無言でユリウスも乗ってきて、1人だとちょっと余裕があるエレベーターの中は、少し狭くなった。

「・・・・・」

「・・・・・」

ウィーンと上昇するエレベーターの音以外に、どちらも喋らない。
無言の時間が過ぎる。
後から乗ってきたユリウスの背中を見て、アリスは意味も無く右手を開いたり閉じたりしていた。

(な、何かしゃべらないと・・・そうよ、今聞かないと)

塔は高く、その階段は長い。
つまりそれと同じぐらい、この二人っきりの時間が続くというわけだ。
いたたまれない無言の空間に空回りする頭を深呼吸して宥めて、自らを鼓舞させようと右手に力を込める。

「あの、ユリウ・・」

「・・悪かった」

話しかけた背中からぽつりと言葉が零れ落ちて、機械の駆動音と時計の針の音の間に紛れて消える。
聞き間違いかと思ったけれど聞き返すことは出来なくて、アリスは黒いコートとさらさらと揺れる長い藍色の髪を見つめた。

「広場での、ことだ」

「あ、ええ・・そっちね」

何に対する謝罪か分からなくて身構えていた分、何だか拍子抜けしてしまった。
そして、拍子抜けしてしまった自分に気が付いて愕然とする。
キスされたことより、子どもの方を謝られたほうが自分にとってはショックがでかい出来事になるということだ。
いや、広場でのことも流していい出来事では無い。

「何で、あんなことになったの」

謝るということは、そういうことだ。
本意ではなかったとか、無かったことにしたいとか、つまるところそういうことなのだろう。
少しだけ暗くなった自分の声に、視線は相手の背中を滑って足元に落ちる。
意味も無く床の柄を眺めて、返答を待つ時間がとても長いものに感じられた。

「あれは・・・その・・・あれだ」

戸惑うような、言い辛そうな気配が伝わってくる。

「何から話せば良いのか・・・」

「・・・・・・」

何でもいいから、早くハッキリさせてほしい。
まだ尋ねたいことが控えているのだ。
エレベーターの箱にそっと寄りかかれば、ワイヤーを巻き上げる振動が伝わってくる。

「・・・さっき部屋に入ったときに見ただろう」

「・・見たって、何を?」

何を言われたのかは分かったが、尋ねようとしていたもう1つの事柄についてを相手の口から問われたことに動揺した。
見たものはあったが、認めたくなくてつい聞き返してしまう。

「あの・・ベビーグッズの山のことなんだが・・」

歯切れ悪く言いよどむユリウスに、どんな言葉が続いても耐えられるようにアリスは手の平に少し爪を立てた。
そんな背後のアリスの様子には気が付くはずもなく、ユリウスは続けた。

「あれは・・・・・・・アリス、お前のだ」

「・・・・・・・・・・・へ?」

長い間の後に告げられた自分の名前に、間の抜けた声を出してしまう。
一体何を言い出したのだろうか。
話が飛んで飛んで、明後日の方向にいってしまったようにしか聞こえない。
ユリウス、大丈夫かしらと見上げた先で、見下ろす藍色の瞳と目が合う。
思いがけずに真剣な顔をしている相手を、アリスはただ見返すことしか出来ない。

「お前、下でエースから砂時計を受け取ったことは覚えているか」

「は・・え、ええ。下でよね、覚えているわ」

確かに、エレベーターの設置作業中に塔に戻ってきたときに、エースから何かを投げ渡されたような気がする。
それは砂時計だっただろうか・・・そう言われれば、そうだった気がする。
そこまで思い出して、アリスは首を傾げた。
その砂時計は結局どうしたんだったか。
無意識にエプロンドレスのポケットを探っても、そこにふくらみは無い。
そもそも、その後が何も思い出せない。

「えっと、その後どうしたかしら・・・?」

視線をぐるりと宙に巡らして、それでも思い出せないアリスのことを見下ろして、ユリウスは内心溜息を吐いた。
やはり、覚えていなかったか。
それで良かったのか・・・いや、良かっただろう。
でも、話さなくてはならない。
思わず不憫そうな顔をしてしまったユリウスを、アリスは怪訝な顔で見上げている。

「何か・・・あったの?」

「あの砂時計は狂っていたらしい」

不安な声を出すアリスに、慎重に言葉を選ぶ。

「受け取ったお前はその・・・赤子になってしまってな」

「・・・・・・・・・え?」

何を言われたのか分からないといった顔をするアリスに、まあそうだろうなという同意を込めて頷く。

「お前にとっては不本意な事故だったんだが・・」

「え、ちょっと待って。それであの部屋のベビーグッズって・・・哺乳瓶とかベビー服とかおもちゃとか・・・え?」

何を考えたのかぐわっと赤くなったアリスの顔が、瞬時に青くなった。

「・・・あの、私・・」

「安心しろ。誰もおむつを替えてはいない」

「・・・・・・」

絶句、だ。
唖然、呆然とした顔をするアリスの頭を安心させるようにユリウスはぽんぽんと撫でてみるが、自失状態のアリスは微動だにしない。

(お、むつ・・ですって・・・。誰もってことはあの場にいた・・3人は私の、その、赤ちゃん姿を見たってこと?!おむつについては、安心するべきなのかしら・・そんなことされてたら羞恥で死ねるんだけど・・待って。待って!服よ、ベビー服!!誰が私を着替えさせたのよ?!)

「・・・その、ユリウス」

「・・・ん?」

「そのことを・・例えば、ビバルディとか・・」

「ハートの女王?ああ、大丈夫だ。あの場にいた者以外には誰にも言いふらしてはいない」

キッパリと言い切ったユリウスを驚愕の面持ちで見つめる。
その頭の中では、何故女性を誰か頼ってはくれなかったのかとか、誰が着替えさせたのかとかもう色々な想いがひしめき合っていて絶叫しそうだった。

「それじゃあ、着替えとか・・・」

すっと逸らされた視線が色々と物語っていて、アリスは右手を強く握り締めた。
目の前の相手より、何よりこの拳を食らわせたいのはそんな怪しげな砂時計をぽいっと軽く放り投げてきた男だ。
いつも旅先で重なる不幸を、「俺って運が無いよな、あははっ」と笑って話していたが。

(エース。次に会ったらぶん殴ってやるわ)

変なところで勘のいい赤い騎士はこのまま上がったところでもう時計塔にはいないかもしれないけれど、どこで出会おうとまずは一発入れないことには気がすまない。
めらっと闘志を燃やしたアリスのことを見ないまま、ユリウスは小さく咳払いをした。

「それで、だな。お前を元に戻すために・・その」

急に口元を覆って頬を赤らめたユリウスを、アリスはまだ何かあるのかと身構えつつ見上げた。
頭の中の大部分は、まだ衝撃から立ち直れずにショート寸前だ。

「口付けが・・だな・・その、必要だったんだ」

「・・・は・・クチヅケ・・・?」

一瞬、変換できずにそのまま聞き返してしまってから、急に繋がったシナプスにアリスは遅まきながらはっとした。

「つまり、広場でのあれは・・」

「そ、そうだ、だからその・・・悪かった」

重ねて謝罪をした顔が少し俯いて、長い藍色の髪が肩口から滑り落ちて顔の前に影を作る。
そうなんだ、とか、分かったとか・・いや、何もよく分かっていないけれど、何か返事を返すべきだと思うのだが、頭を下げたままのユリウスを見てアリスは半開きだった口を、意味も無く閉じて開いてを繰り返す。
その体に、急に衝撃が走った。

「?!!、な、何っ・・?!」

「くっ・・まさか・・」

静かに上へ上っていたはずのエレベーターが、急にガクンと大きく揺れる。
甲高い音が頭上の方から響き、悲鳴を上げてよろめいたアリスをユリウスは足を踏ん張って支える
柵の向こう側では壁がすごいスピードで上へ動いていくのが見えた。
違う、箱がとんでもない速さで垂直に落ちているのだ。
ぐんとかかる重力に、ユリウスはアリスを支えたまま床に低くしゃがみ込んだ。

「おっ・・落ちているの?!」

「あの猫め・・・何が、出来ただ!」

「ボリスの・・馬鹿っ」

「アリス、喋るな。舌を噛むぞ」

悲鳴のように叫ぶアリスに伝えて、どうにかして止めなければと焦る体が、再びガクンと揺れた。
箱はぐらんぐらんと左右にふらついて止まり、また静かに上昇を始める。

「な、何・・今度はなんなの・・・」

「・・・・・また、上昇しているな」

頭を抱え込んでいるアリスとともに床にしゃがみ込み、頭上を見上げる。
ワイヤーの感じからして、切れてはいないようだ。
だとしたら、さっきのは・・・。
同時に思い当たった節があるのだろう、頭を上げたアリスと視線が合う。

「まさか・・まさかよね・・?」

「・・・・・・あの×××××猫・・」

呪詛のように呟いたユリウスを見て、アリスは出かけていた涙が急激に乾いていったのを感じた。

「・・・フリーフォール」

「言うな」

思わず呟いたアリスの言葉を、ユリウスは力強く遮った。
その顔は、さっきの自分のように真っ青だ。
何しろ、ユリウスは遊園地のアトラクションが苦手だから、それは仕方が無いだろう。

「壊れて落ちたんじゃないなら・・・良かったわ」

「何も良くは無いっっ!」

落ちて死ぬわけじゃないならとアリスは段々落ち着いてくるが、ユリウスは正反対に声を荒げる。

「真っ直ぐ落ちるんだったら、私が何とでもしてお前を守ってやれるが・・・ふざけたアトラクションだというなら・・うっ」

きつく眉を寄せて言い募る言葉が途切れ、呻き声が出る。
ユリウスの背中を伸ばした手で撫でて、アリスは見上げた。
落ちるのは1回だけだろうか。
ボリスのことだから何度か落とした方がスリルも満点だろうとか怖いことを考えそうだけど、ユリウスが絶叫系が駄目だってことは知っているし。
それにもうだいぶ上っている気がする。

「大丈夫よ、ユリウス。もうきっとすぐに着くわ」

「・・・・・」

自身のテリトリーのはずの塔内でこんな事態に陥って、ユリウスの顔は青く暗い。
不意に、エレベーターを取り付けに来たボリスの言葉を思い出す。

『時計屋さんのいったことは気にしなくたっていいよ。アリスは、もっと食べてもいいくらいだし、十分軽い』

そう言って、ふざけたように腰の辺りに手を添えられたと思えば、いきなり持ち上げられた。

『ほらね?』

驚いて怒ってピンク色の頭を叩けば、笑っていた。
もしかしたらエレベーターをこんな風にしたのは、ボリスなりの茶目っ気かもしれない。
絶叫が好きな自分と、駄目なユリウス。
使うのは自分だから良いと思ったのかもしれない。

「まあ・・先に言っておいて欲しいわね」

心臓がバクバクいっていたのがようやく落ち着いてきて、疲れた気持ちでアリスが呟くと同時に、チンッとベルようなの音がしてエレベーターは上昇をやめた。
ガラガラガラと開いた先はちゃんと作業部屋の扉のある階で、ユリウスを支えて降りようとしてアリスは内側に取り付けられたエレベーターのボタンをふと見た。
一番下に、1階エントランスに止まる用に「G」のボタンが、その上にはユリウスの作業部屋に止まる用に「J」のボタン、その上に更に「R」のボタンが付いていた。
支える腕が動かないので、ユリウスが訝しげにこちらを見る。

「先に降りて休んでいて」

「お前は・・?」

「屋上で、ちょっと風に当たってくる」

Rのボタンに指をかけてそう言えば、一瞬迷った様子のユリウスが踏み出しかけた足をエレベーター内に戻した。
まだ少し青い顔をしているのに、驚いたアリスの方を見ないままに長い指でRのボタンを先に押してしまう。
開いていた柵は、また音を立てて閉じた。

「・・・大丈夫なの?」

「・・・・・どうせ、あと少しだ」

確かに作業部屋から展望台までなら、そうかからないだろう。
・・・ボリスがここにも悪戯心をおこしていないなら、の話だが。
それ以上、何も言おうとしない相手の横顔をそっと見て、早く上に着くようにと願う。
心配した事態にはならず、間もなく爽やかな風が外から箱の中に入ってきた。
最上階に到着したのだ。

「・・・・ほら」

到着と同時に小さく揺れた箱から降りようとするアリスの前に、手が差し出された。
よろめいたわけではないし大丈夫だったけれど、少し迷ってその手に自分の手を重ねる。
機会油で少し荒れた大きな手に包まれて、くんと引かれる。
今までだって、階段を上がって何度も来た事がある場所だ。
むしろ、この国に来て1番最初に降り立った場所でもある。
手を引かれるままにエレベーターを降りて展望台を歩く。
下を見下ろせる端まで来て、手は離された。

「・・・・・」

もう少し、手を繋いでいたかった。
物足りないなと思いながらも、隣に立つ相手と並んで塔からの景色を眺める。

「・・私には、合わないようだ」

どこを見ているか分からない藍色の瞳。
アリスは風に巻き上がる自分の髪を抑えて、その言葉の続きを待つ。

「あのエレベーターは、私には合わん」

「あれは・・」

まあ、そうよねと相槌を打とうとして、いつの間にかユリウスがこちらを向いていることに気が付いた。
自分の髪は巻き上げられればそれだけ乱れてしまうというのに、ユリウスの髪は風に巻き上がってもまたきれいに落ち着いている。

「お前が気に入ったというのならあのままにするが」

その言葉に、首を振る。
折角付けてくれたのに悪いとは思ったが、あんな心臓に悪いエレベーターではたまったものではない。
それに・・・。

「貴重な体験だったとは思うけど、私は階段の方がいいわ」

疲れるし足は痛いけれど、塔の階段は嫌いではない。
途中途中の窓から見える景色やふと変わる空の色を眺めることが出来る。
ゆっくり歩いたり、待っているだろう相手のことを考えて走ったり、自分の足で、自分のペースで進むことが出来る。

「上り下りは・・大変だけど、嫌いじゃないの。世話になっているのに、変なことで愚痴を言ってごめんなさい」

「・・・・いや、私もその、心無いことを言った」

「いいのよ。その通りだもの」

ボリスはああ言ってくれたけれど、やっぱり少し太ったかもしれないとおどけて二の腕を自分で摘んでみる。
むき出しの腕はひんやりと冷たく、ふと見上げた空は丁度時間帯が変わって晴れの昼から、星の瞬く夜空へと変わっていった。
風も心なしか冷たくなる。
自分の手が触れている肘の上より更に肩に近い場所が、そっとぬくもりに包まれる。

「・・・細いな」

ユリウスの手は大きい。
いきなり掴まれて、驚きと羞恥で頬が熱くなる。

「私には構わず、ちゃんと食事をとれ」

「・・・あなたに言われたく無いわよ」

気が付かなければ、食べずに何時間帯も時計の修理作業を続ける家主だ。

「ここは、冷えるな」

掴まれた二の腕は温かい。
そのまま今度は腕を引かれて展望台の入り口に戻る。
エレベーターと階段を迷う相手につい笑ってしまう。

「ユリウス、階段でいきましょう」

「ああ、だが・・エレベーターの方が部屋に着くのは早いだろう」

腕が思いのほか冷えていたのだろうか、ユリウスがどことなく心配そうにこちらを見る。

「あなたと話しながら降りれば、階段なんてあっという間よ」

「・・・・お前・・」

そう言えば、驚いたように藍色の瞳が見開かれる。
アリスが同居させてもらっている家主は、口下手で皮肉屋だが馬鹿ではない。
その表情で、自分が言いたかったことがきちんと伝わったのが分かる。
アリスの顔が満面の笑顔になる。

「ねえ、だから次の食事は一緒に塔の外で食べましょう?」

「・・・・・」

答えあぐねるその顔。
迷った末に吐き出された溜息、それが答えだとアリスにももう分かっている。
掴まれたままの腕を引いて階段に足を向ける。
身長差から段を踏み外しそうになったユリウスが、おいと声を上げるのも構わずに階段を下り始める。

「・・アリス」

「なあに?」

「部屋に帰ったら、その・・珈琲を淹れてくれないか」

段の下で振り返ったアリスは笑顔で頷いた。

「ちゃんと採点してね、ユリウス」

「ああ」

扉を開けたアリスが笑顔を消し、部屋で暢気な顔で手を上げて二人を迎えた赤い悪魔に、拳がめり込むまで、後少し。




◆アトガキ



2013.12.2



お、お誕生日おめでとうございましたっっ!!!
もう、本当に、真に、申し訳ありませんでした。
どれだけ待たせるの!と詰ってくださって構いません。
しかも言われてもいないのに勝手にユリアリにした上で、この出来!
エースが上手く絡めなくってすいません!
もう色々とごめんなさい、侍様ーーー!

そもそも「よっし!」と書き出してから、CD聞きなおして大きな間違いに気が付きまして、ですね。
やっぱり、聞きなおして正解でした・・・。
私、最初はてっきり「ダイエット発言で怒ったアリスが外で怒りを何とか静めて、戻ってきた先で砂時計を受け取ってしまった」んだと勘違いしてまして。
よくよく聞いたら、「ユリウスは謝罪済みでエレベーターを取り付けることも伝えた上で、取り付け工事中に思ったより早く帰ってきたアリスに事件が起こった」んですね。

羞恥で駆け込んだ先で、「何コレ、え?エレベーター?!なんで??」みたいなアリスと、後々に説明がてら「私も長い階段があると出かけようとする途中で部屋に戻りたくなるが、これならもう少し外に出る気にもなるかもしれないな」的な発言をするユリウスを入れる予定でした。
あえなく、没になりました。
でも結局それ以外にも、最後の部分を色々変えてしまいました・・・。

あ、そういえば二の腕の柔らかさって、アレの柔らかさっていいますよね!
スイマセン、黙ります。


すわクリスマス突入かとならなくて良かった・・・じゃなくて、本当にごめんなさい!
こんな何だかおかしいくらいにふらふらと長いですが、侍様のみ良ければお持ち帰り可、でございます。
(頭が地面にめり込む勢いで土下座 orz)

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