施術室の彼女



机に向かって事務仕事をしていれば、無意識に広げていた知覚の範囲内に急に呪力の塊が現れてそれが一気に距離を詰めてくる。ため息をついて、静かに息を吸いながらペンを置くのと同時に、壊れそうな音を立てて仕事部屋の扉が開けられてその勢いのまま壁に痛そうな音を立てた。

「タッツ、ミーン!!!」
「ノックは、…もう諦めましたからせめてもう少し静かに扉を開けることを覚えましょうね、五条先生」

間近で立てられた激突音に、分かっていたとは言え備えきれなかった心臓がバクバクと嫌な動悸に脈を乱しているのを、白衣の上からそっと抑えて深呼吸をしながら見上げた視界が陰る。
立っていたってひどい身長差だ、座っていればもう反り立つ壁。見上げた首が痛いのでせめてもう少し離れてほしいと思っているが、それが叶えられた試しがない。この人なんでこんないつもパーソナルスペースが狭いのか。

「ただいま、タツミンっ」
「今日もお疲れさまです」
「そこはさぁ、お帰りなさい悟くん!でしょー」

こうも見事に語尾にハートを付けられる成人男性も珍しいはずなのだけれど、最近は見慣れすぎていて最早無の境地だ。そんな薄い反応にも頓着せずに、まくし立てるように次から次へと愚痴をこぼす様をただ黙って聞き続ける。

「最強の僕を酷使し過ぎだと思わない?僕が本当に倒れたらどうすんの?もう少し大切に扱ってくれてもいいよね?ねえ、そう思うでしょ」

大げさな身振り手振りで、「ああ、僕ってかわいそう」を体現しながらやっと傍らの椅子にドスンと音を立てて座ってくれたので、見上げる首の角度が少しだけ優しいものになったかと思えば、椅子のタイヤをシャッと動かして更にまた距離を詰めてくる。
だから、いちいち近いんだな。

「もう僕すっごく疲れたんだよねー」

机に片肘を引っ掛けて、覆いかぶさるように近づいた影の中で長い指を引っ掛けてずらされた目隠しの向こうから光を放つ煌めく碧眼が覗く。
するりと首元へ落とされた目隠しと同時に、逆立っていた白髪がさらりとこぼれ落ちてくる。それを見るともなしに見ていた視界に大きな手のひらが迫って、視界は一瞬闇に覆われた。

「ね、労って」

さっきまでアレコレと甲高くまくし立てていた声が、ふいに低く耳に馴染んで降ってくる。有無を言わさず少し体温の低い大きな手のひらで覆われてしまった暗闇の中で、仕方がないと瞼を下ろした。
感覚を広げた先、瞑った闇の中に煌めく筋が浮かび上がる。それがほの青い炎に見えるのは、私がその瞳の色を意識しているからだろうか。
集中して隅々まで見ながら伸ばした指先が滑らかなものに触れる。触れた部分を通して自身の呪力を細く流し込んで、いつもより若干凝った部分があるのをそっと押し流すように、全体の光の流れを均一にするように、力を沿わせて補助する。

「、…はあ、ぁ」

妙に色っぽいため息が降ってきて、パチリと目を瞬いた。
開いた視界は未だ暗いが、先程までの闇と光を見ていたものより柔らかく光が溢れてくる。

「ふっ、くすぐった」

はたはたと瞬きを繰り返せば、くすくすと笑う声が聞こえる。

「ぁ゛あぁ、最高の心地~――…、癒やされる」

ぱっと離された手のひらが背中と腰に回されて、椅子ごと引き寄せられた体は大きくて黒い胸元にむぎゅっと押し付けられた。指先を伸ばしていた片手にすりすりと頬を寄せられる。
やはり先程触れたのはそのすべすべのお肌だったらしい。羨ましい限りだ。

「もうっ離したくない!ずっと傍にいてよ。っていうか、次の任務一緒に行こ?」
「いや、何言ってるんですか。私にもお仕事があるんですよ」

とはいえ好きでこの業界にいるわけじゃなく、そもそもこの業界に引きずり込んだ元凶は目の前の男なのだが、社会人として給料が発生する以上は責任を持って仕事をするという常識は持ち合わせている。
規格外のこの男は規格外故に常識はずれなので、この男の前に常識を説くと「は?ナニソレ美味しいの?」みたいな馬鹿にしたような返答が返ってくるのはさておき。

「それもさーどうかと思うんだよね。タツミンどうせ2級でしょ?2級の討伐任務なんてそんなの他のやつにやらせればいいじゃん」
「他にいないから回ってくるのでは?」
「割り振りが下手くそなだけでしょ。僕がこんなに詰め込まれてるのに、ざらにいる2級が任務詰め込まれたからって弱音吐くのっておかしくない?」

雑魚を甘やかしすぎ!と言い放つ、その目の前にいるのも雑魚なんですけどね、とは言わない。特級呪術師であり自他ともに認める最強の男、五条悟に比べれば、2級は雑魚で間違いない。

「それよりもタツミンは僕のメンテナンス要員としていざって時に傍にいるべきだと思うんだよね」

呪術師は年中無休だということをこの業界に入って知ったのだが、現状週の半分以上はここ東京都立呪術高等専門学校内で内勤をし、週の内だいたい2、3日は外での任務を割り振られている。
求められている仕事が2級としての力や補助監督や事務方としてではなく、術式による個人のメンテナンスなのでいわゆる保健室のようなものだが、傷を治すのは家入さんのいる医務室で、ここは呪力の乱れや簡単な体の不調を和らげるための施術室である。
筧辰巳の術式は、経絡操術という。呪力の流れを視、触れることによってその流れを操ることが出来る。ちなみに東京高専で施術師をする前は、マッサージ師として働いていた。

「特級呪霊が怖いんだったら、僕がずっと手を繋いでてあげる」
「そういう話では無いですね?」
「ええ~、じゃあ何が嫌なワケ?」
「だから、私には私に割り振られた仕事が」
「それはさっき別の奴にやらせりゃいいって言ったよね?そもそもタツミンが来る前はそれで回ってたんだから、タツミンじゃなきゃ出来ないってわけじゃないでしょ」
「……」
「でも僕の呪力メンテナンスは現状タツミンしか出来ない。じゃあ優先順位がどうなるかってことぐらい、いい子なタツミンは分かるよね?」

ね?と言い含めるように腕の中に閉じ込めた小柄な女性に問いかけるが、それは最早問いかけの形をした命令だ。

「ちょうど午後からの任務入ってるんだよね。一緒にお昼食べてその足で一緒に任務に行こう。あ、施術室は午後から閉めるってすでに言っといてあるから。僕って仕事が出来る男だよね、惚れちゃうね」
「惚れませんね」

項垂れつつ、なんとかそれだけを返した筧を五条悟は実に愉快げに見下ろして、またぬいぐるみにするようにぎゅっと抱きしめた。




◆アトガキ



2021.7.5
街でマッサージ師をやってるところを誘拐…スカウトされた。
経絡操術:
体内の呪力の流れを操ることが出来る。
一般の出、成人してからのスカウトなので学生時代を高専で過ごしてはいない。 週の半分は医務室の隣に設けられた施術室で仕事している。





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